2015年02月10日

八上桐子と、岡崎京子。

この前の記事にある飯島章友さんの「歩いたことないリカちゃんのふくらはぎ   八上桐子」という記事における、八上さんの句は〈人形を歩けない身体と再認識〉しているのではないかという指摘をうけて、感想文を書いてみました。

【感想】歩いても歩いても−リカちゃん、八上桐子、岡崎京子、穂村弘、バービー人形−

飯島さんが、世界にある事物を再認識することと川柳の詩性を関連づけておられたのですが、その再認識の過程で、ジャンルやカテゴリーを越えて、川柳が短歌とつながったり、川柳がマンガとつながったり、川柳が文化の枠組みとつながったりするのも、また川柳のひとつの魅力なのではないかとおもったりもするのです。
そしてそういったジャンルとジャンルが結びついていくときに、世界のみえかたがあらためて〈再認識〉させられることも、川柳を生きるということにつながってくるのではないかとおもっています。

飯島さんがされたように、八上さんの句と江戸川乱歩の小説を結ぶことで、川柳と文学をつなぎ、川柳・文学双方に意味の息吹をあたえる。
そこにひとつの川柳の川柳自身が〈歩き出してしまう〉ひとつの魅力と可能性があるのかなとおもっています(いわば、川柳のふくらはぎ、が)。

川柳にも、ふくらはぎが、あるのです。たぶん。ぜったい。


posted by 柳本々々 at 08:30| Comment(0) | 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする