2015年02月12日

勇気のための川柳処方箋C にもかかわらず、あなたがいたということ。

太陽の人だからめぐりあえない  清水かおり

  *

川柳っていうのは、一見こんな意味にみえても、じつはもうすこし読んでみるとその一見した意味を句自体がくつがえしてくる、っていうことがあるとおもうんですね。

たとえば、清水さんのうえの句。

「太陽の人だからめぐりあえない」と語り手がその人とめぐりあえない理由を述べています。

ただ語り手がその人を「太陽の人」とことばにしたことに注意してみたいんです。
「太陽の人」っていうのは、決してネガティヴな意味でも、マイナスな意味でもない。
もちろん、語り手は相手が「太陽」みたいにまぶしいからめぐりあえないとはいっています。
しかし、うらをかえせば、語り手には、「太陽の人」がちゃんといたということでもある。

この世界には、「太陽の人」のようなひとがいない世界だってある。
そうした、在・不在が問題にされている世界のはなしではありません。
語り手がここで問題にしているのは、このわたしが「太陽の人」にちかづけるくらい「太陽」性をもつことができるかという〈このわたし〉の問題です。

だから語り手じしんがいつか「太陽の人」になって「太陽の人」とめぐりあう可能性はおおいにある。
なぜなら、この語り手の言語世界には「太陽の人」はいたんですから。

わたしがどんなに否定してもどんなに無視しても、
にもかかわらずあらわれてくるひとがいる。
でもそのひとはわたしの言語世界にはじめから
存在していたひとなのかもしれない。
だからいつでも、そこに救いがある。
その救いがこの句の勇気だとも、おもう。

posted by 柳本々々 at 22:24| Comment(0) | 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

勇気のための川柳処方箋B 死なないことが、生きること。

にらめっこ死にたくなったほうが負け  川合大祐

  *

柳誌『旬』(197号、2015年1月)から川合さんの句です。

芥川龍之介が有島武郎の心中を聞いて、「死んじゃあ敗北だよ」っていったそうなんですが(だから芥川ものちに負けちゃったわけなんですが)、シンプルな生きることの文法として、死なないことが、生きること。なんではないかとおもうんです。

生きるには、生きてゆくには、どうしたらいいかというと、
死なないことである。

やぎもとあたまおかしくなっちゃったのかなっておもわれるかもしれないけれど、
死なないことが、生きること。っていうのは、ちゃんと意味があって、
「死なないこと」に生のラインをひくってことなんですよ。
だからたとえ挫折してもいいんですよ。ひとは挫折しても死なないんだから。
しなないかぎり、いきてゆくことだし、いきていることなんですよ。

こんな短歌があります。

低いほうにすこしながれて凍ってる わたしの本業は生きること  斉藤斎藤

ああ海が見えるじゃないか自殺しなくてよかったですね柳谷さん  柳谷あゆみ

どちらも「死なないこと」が生きることの最低ライン=最高ラインになっているうたです。
死ななければそれでいいというラインが最低でありながら最高のラインであるということです。

川合さんの句では、その生がにらめっこに託されています。
漱石が芥川にあてたこんな手紙を書いていました。
相手はあとからあとからやってくる。
だから彼らを押すのではなくて、じぶんをただ押すのだと。
馬ではなく、牛になって。ただうんうん押すだけだと。
じゃあこれからバスタブにいくね、といって手紙はとうとつに終わるんだけど、
これが大量出血した漱石の生のラインです。ただ生きてゆくこと。
「わたしの本業は生きること」だから「自殺しなくてよかったですね」をどこまでも譲らないこと。
つまりそれが永遠の生の持続としての「にらめっこ」になります。
にらめっこはひとりではできない。あいてがいてこそのにらめっこです。
だれかにつねにむいているひつようがある。
生きるということは、だれかにむきながらも、死なないことです。
そのひとの顔をみて、わらったり、ないたりしながら、死ぬことだけはしないで、
にらめっこをつづけること。
それが、生の持続ではないかとおもうのです。


posted by 柳本々々 at 12:00| Comment(3) | 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする