2015年02月19日

勇気のための川柳処方箋M やさしい必殺技入門。

母屋まで必殺技をとりにゆく  荻原裕幸

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『川柳ねじまき#1』から荻原さんの句です。

これまで川柳で「必殺技」を軸に句を構成したひとがいたのだろうかってちょっと考えてみるんです。
いたかもしれないし、いないかもしれない。
でも、たぶん、いないかもしれない。

この句のポイントは「母屋まで」です。

必殺技は母屋にある。
必殺技って、暴力的だったり、殺傷的だったりするんじゃなくて、「母屋」のような〈あたたかい〉場所にある。
家の中心に、ある。文字通り、「母」のような場所にいる。
いったんそうした母性的な中心点まで回帰したあとに、
でも「必殺技」をとりにきたのだから、その「殺」という字を抱きしめて、敵のところに向かわなくちゃならない。
「母屋」には敵はいません。
母屋じゃない場所に、敵はいる。
必殺すべきあいては母屋にはいないけれど、
必殺技は、母屋にある。

いちばん生をはぐくんだ場所への回帰と、
そこから必殺技が遂行されなければならない場所への特攻。

大事なのは、そうした運動が、どこかひとつのポイントで行われるのではなくて、ふたつの対極的な場所として往還したうえで、行われようとしているということなのではないかとおもうのです。
だれしも、着地点は、ふたつもっているわけです。
やってしまったことと、やってしまったことをもってきた場所と。
だから、やってしまったことだけでは判断できないし、やってしまったことが育まれた場所だけでも、判断はできない。
運動のなかで、なにかは行われる。
ひとつの場所だけで行われるのではなくて、
なにかがなにかをとりにゆく循環の過程のなかで、
エネルギーはうまれてくる。

必殺技は、いちがいに英雄性をもつとはいえません。
特撮番組のポイントは、(最近はそうでもないですが基本的には)善の側からしか描写しないということです。
必殺技とは、理屈なしに、相手を封じる点で、非倫理的であり、非言語的です。単線的で、直情的で、一方的です。
でも、その単線性としての必殺技に、この句は、複線性を与えようとしている。
善悪の「母屋」をかんがえようとしている。

どんな現象でも、運動があるかもしれないし、複線としてみるべきかもしれない。
そうした補助線がときに勇気になるかもしれないということ。言語的な勇気に。

それがこの句の言語的な必殺技かもしれないともおもうのです。ライダーキックは、一方向的ではなく、言語のうえでは、双方向に向かう。

飛び蹴りを誰かにきめてやりたくて光のなかへ出でてゆきたり  田村元

光のなかへ。
光に、ベクトルはありません。
光は空間なのだから、全方位的ライダーキック。

posted by 柳本々々 at 00:11| Comment(0) | 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする