2015年03月02日

勇気のための川柳処方箋28 つづく。

縁側で君を殺していく つづく  樹萄らき

  *

川合さんが最初にこの『川柳スープレックス』で紹介されていたらきさんの句です。
ここで川合さんのこんな句を思い出してみたいとおもいます。

…早送り…二人は……豚になり終  川合大祐

らきさんの句は句自体が「つづ」けようとおもっている句であり、川合さんの句は句自体が「終」わろうとしている句です。

どちらも意味内容の解釈を誘発している句ではあるけれども、ここですこし〈音〉に敏感になってみようと思います。句自体が、音に敏感になっているからです。

らきさんの句では、「いく/つづく」と《く》の音が連続しています。
「いく/つづく」と声に出して読んでみるとわかりますが、《きゅうくつ》な詰まった印象を受けます。そもそもカ行音は〈く〉るしい音です。つまり、「君を殺して」しまった句は、「いく/つづく」と語りながらも、音の側面からはどこにもいけないしつづけることもできない〈終〉の側面をもっています。それはたぶん「君を殺し」たこととも響きあっている。

川合さんはどうでしょう。「はやおくり/ふたり/なり/おわり」。「終」と語りながらも、脚韻を〈り〉で踏み繰り返すことによって声にだしてきもちいい形式になっています。しかもここまで〈り〉が続くということは、「おわり」の後にもさらなる〈り〉がつづくことを予感させます。「らりるれろ」というラ行の音も「かきくけこ」の〈く〉るしいカ行音とくらべて、弾みを感じさせます。つまり、川合さんの句もまたらきさんの句のように、句の意味内容にさからって、〈つづく〉感じを出しているのです。

以前も書いたことがあるのですが、句は、句を裏切ることがあります。
句がたとえ意味としてそう語っていても、音の形式から句はその意味内容を裏切ることがある。
だから、句の意味でなく、形式にも耳をすましてみる必要があるのではないかとおもいます。
句自体がかかえている葛藤が、ある。

だから、句がたとえそう語っていたとして、句にはいつもそうでない可能性が、ある。
たとえ、「終」と語っていても、それでもさらに「つづく」ことだってあるし、「君を殺し」た場所で、「つづ」けることをせずとどまり句自体が葛藤している場合だって、あるのです。

その意味で、そうである可能性とそうでない可能性を同時にあわせもつ川柳という形式そのものが、可能性としての勇気になっているのではないかとおもうのです。
チープな言い方ではありながらも、たいへん重要なことなのですが、勇気とはそれでもやまない可能性のことでもある、とおもうのです。おいまだ可能性があるよ、と。

キルケゴールも、いってました。
スイカとかメロンは要らないから、絶望した人間がいたら、可能性をもってこい。可能性が救いになる、と。

でも、わたしは、こうもおもうです。
可能性がそれでもあるならば、じゃあ、メロンも欲しい、と。
メロンも、可能性です。


posted by 柳本々々 at 22:34| Comment(0) | 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

勇気のための川柳処方箋27 朽ちる。

見ていてね きちんと朽ちていくところ  石川街子

  *

ひからびる、とか、くちる、とか、かれるとかの川柳がすきだといっておられた方がいて、で、わたしも、あ、そうだな、とおもったんです。

ひからびる、とか、くちる、とか、かれる、とか、が、わたしも、すきです。

そしてそれはたぶん〈代償〉なんだと、おもうんです。
じぶんの思いを伝えるときの。

この石川さんの句は、「見ていてね」といっています。
この「見ていてね」はいろんな意味がとれるんですが、ここではあえて積極的に読み込んで、「(あなたといっしょにいたいんだよだから)見ていてね」という、あなたに〈だいすき〉を向けた句として解釈してみます。

「見ていてね」。
しかも「きちんと朽ちていくところ」を見てほしいということなので、それは長い間わたしをあなたにみてほしいということです。この「きちんと」にていねいな長い時間がある。「長い長いだいすき」をこの句はあなたにささげている。

この句がすてきだなとおもうのは、そうしたあなたへ〈だいすき〉というところと〈代償〉がセットにあるところだとおもうんです。

思いを伝えることばの代償として、わたしの身体が〈朽ちる〉プロセスがある。
「見ていてね」と思いを、〈わたし〉を超えてあなたにことばを投げかけるときに、でもそのいっぽうで「きちんと朽ちていくところ」というわたしがわたしをドライにみている視線がある。
わたしはあなたのことをだいすきだけれど、わたしはわたしをとめられず朽ちていく。

それでも「見ていてね」と。

これがこの句の、命がけの跳躍だとおもいます。

だいすきだし、あなたのために一所懸命このままでいるからね、と相手にいうことを、この句は選ばなかった。
でも、だからこそ、だいすきとあなたにいうことの代償をかかえながらも、あなたやわたしに向き合ったとも、いえる。

相手に、好き、というときのそのたったわずかな時間でさえ、わたしはどんどん細胞レベルで、朽ちている。
でも、朽ちながらも、その朽ちることさえも含めて相手に飛び込んでいけるか、という〈すべてのこのわたし〉の勇気がこの句から試されているようにもおもうのです。

posted by 柳本々々 at 22:15| Comment(0) | 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする