2015年03月08日

勇気のための川柳処方箋34 漕ぐ。

自転車をこいで命に会いにいく  千春

   *

『旬』198号(2015/3)からの一句です。
夏目漱石が「自転車日記」というイギリスで自転車に乗る練習をしているエッセイを書いているんです。


自転車に御乗んなさい
ああ悲いかなこの自転車事件たるや、余はついに婆さんの命に従って自転車に乗るべく否自転車より落るべく「ラヴェンダー・ヒル」へと参らざるべからざる不運に際会せり
  夏目漱石「自転車日記」


いやがってますよねえ。自転車に乗るの。
しかも自分から乗ろうとしたわけじゃなくて、婆さんからいわれて、千春さんの句では「命に会いにいく」んだけれども、漱石はひとの「命」令で自転車に乗ることになった。
でもたぶん自分自転車から落ちるよね、とも思っている。

そうかんがえると、自転車にふつうに乗れるということが、近代的な身体であることの条件ともつながっていくようにおもいます。
自転車は落ちないように機械的にこぐことが大事です。
それは近代的な軍隊で要請される、自律的な身体をもった人間が推奨されるのです。

機械的な、メカニカルな身体。

千春さんの句で、なぜ、「自転車をこいで命に会いにいく」のそれが答えになるかもしれません。

わたしたちは生きようとするときに、ふだんの生活の機械的な所作にあえて乗りながら、軌道修正をすることがある。それは仕事でも、読書でも、皿洗いでも、自転車でも、なんでもいい。
メカニカルな生活のなかで、もういちど、じぶんの自律したシステムを再起動すること。
それが千春さんの「自転車をこいで」の大事な意味なんじゃないかとおもう。


忘月忘日 数日来の手痛き経験と精緻なる思索とによって余は下の結論に到着した

自転車の鞍とペダルとは何も世間体を繕うために漫然と附着しているものではない、鞍は尻をかけるための鞍にしてペダルは足を載せかつ踏みつけると回転するためのペダルなり
  夏目漱石「自転車日記」


漱石は自転車からなんども落ち続けます。
でも、なんども落ち続けたということは、漱石もまた自転車をこぎつづけてはいたんだ、ということです。
『それから』の代助や、『こころ』の先生や、『行人』の一郎、漱石の主人公たちみんなが、ビューティフルサンデーなんかを口ずさみながらサイクリングをしていたら、笑って生き抜けられたかも、と思い浮かべながら、ときどき自転車でわたしも坂を駆け抜けます。


posted by 柳本々々 at 14:08| Comment(0) | 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする