2015年03月09日

勇気のための川柳処方箋35 つながる。

回線はつながりました 夜空です  なかはられいこ

   *
 
直前の記事で飯島さんが助詞「は」について言及されていたので、わたしもすこし助詞から川柳をかんがえてみたい。

助詞の「は」と「が」の違いについては、実は誰もが幼少の頃に誰もが知っている物語で端的かつ体感的に学んでいたりする。

むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさん《が》住んでいました。
おじいさん《は》山へ芝刈りにおばあさん《は》川へ洗濯に行きました。

桃太郎である。
この桃太郎の始まりに端的にあらわれているように、「が」は、初めての話題を提示するときに使い(おじいさん・おばあさんの登場)、「は」は既出の話題を再提示するときに使う(おじいさん・おばあさんの説明)。

だから、なかはらさんの「回線は」の「は」が、「回線が」の「が」じゃなかったことに注意しよう。

それはみんなが知っていた「回線」なのだ。
ずっと「夜空」につながることを期待していた「回線」なのだ。

だからなかはらさんの句では助詞「は」が使われたことによって、この句のまえにある巨大な回線をめぐる物語が提示されたことになる。
みんなは、回線をめぐって、なんとか夜空にアクセスできるよう、四苦八苦していた。アポロを月に飛ばしたみたいに。
そして、ようやく、つながったのだ。

だから、この句の、ロケットは、助詞の「は」にある。
たった一音の助詞だけが、かれらの広大な夜空のごとき努力を知っているのだ。


posted by 柳本々々 at 13:59| Comment(0) | 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

取りはずす目玉はあって小劇場    一戸涼子

2011年の「バックストローク」33号より。

以前、角川の「短歌」2011年7月号に「助詞力を磨く!」という特集があったのだが、上掲句には助詞力がある。
「目玉は」の「は」に、わたしの川柳アンテナがピーン!と反応したのだ。
辞書によれば、助詞の「は」には、〈他と区別して取り出していう意を表す〉という用法がある。
たとえば「僕が帰るから、君〈は〉いなさい」「辛く〈は〉あるが頑張る」みたいな感じ。

かりに、「取りはずす目玉があって小劇場」としたらどうだろう。
ああ小劇場のアングラ演劇ならあるかも知れませんねえ、と妙に納得してしまい、〈あるある川柳〉の域でおわってしまう可能性がある。

だが、「取りはずす目玉はあって小劇場」としたばあいはどうか。
取りはずす髭や耳や指はないけれど「目玉ならあるよ」、という趣やニュアンスが出てくるのではないだろうか。
いろいろな物の中から「目玉はある」と表現したことで、目玉に妙な現実感や生々しささえ出た気もする。

まあ助詞の「は」と「が」のニュアンスは人のセンスによる部分が大きいので一概にはいえないけれど、「取りはずす目玉があって小劇場」では言葉の流れがよすぎて、少なくともわたしの川柳アンテナには引っかからなかったと思う。

もし不思議で怖い川柳ばかりを集めた本が出版されるなら、ぜひ収録してほしい作品である。
posted by 飯島章友 at 07:00| Comment(0) | 飯島章友・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする