2015年03月16日

「ふらすこてん」第38号

「ふらすこてん」第38号
発行人 筒井祥文
編集人 兵頭全郎

 エスカレーターから降りると火鍋   湊圭史
 食卓に母船が着いたみたいなの   きゅういち
 仮眠から引き抜きずっと眠らせる
 新聞の一か所濡れて祖父の霊   石田柊馬
 ばあちゃんのお尻は罪と罰に勝つ   岩根彰子
 薄目をあけた太郎次郎の屋根の雪   山田ゆみ葉
 正気にはもう戻れない春の椅子   徳田ひろ子
 行先が決まらぬうちに走る鼻   森茂俊
 あっちからの話も聞かず死生観   黒田忠昭
 座禅するプテラノドンを背に乗せて   月波与生
 東雲の月にとびのる哲学書   高橋蘭
 膝裏に匿うホタルノヒカリ   酒井かがり
 蟹が来たなら身を詰めて帰らせよ   筒井祥文


川柳結社「ふらすこてん」は2009年に創立された。
京都市に事務局がある。

全体的に渋い川柳がおおい印象をもっているが、けっして若さが感じられないという意味ではない。
言葉の面白さに意欲的なのがひしひしと伝わってくる。

毎回わたしが楽しみにしているのは筒井祥文による「番傘この一句」という連載だ。
いわゆる伝統川柳の本丸である「番傘」誌の二か月分から、筒井が任意の川柳を選んで寸評をつけている。
今回は番傘誌の2014年11月号と12月号が対象だ。
たとえば、

 いのちびろいおちぼひろいは風の中   田中乘子

という句に対しては、
「いのちびろい」と「おちぼひろい」を同列に言う遊び心は伝統川柳界が失った一番大きな財産。
と書いている。

よく伝統川柳という言い方があるけれど、伝統というのは川柳が長年つちかってきた〈精神〉のことだと思っている。
ついでにいうと、その〈精神〉を具体的な形で過去→現在→未来と運搬するのが〈定型〉だ。

遊び心は川柳の主要な精神要素。
だが、その遊び心は、いっけん伝統川柳から遠い「ふらすこてん」や「川柳カード」の句により多く散見される、とわたしは見ている。
川柳界に生じている伝統のパラドックス。
伝統系と非伝統系が対話して考えなければならない問題だと思う。

川柳結社ふらすこてん「ふらすこてん・ねっと」

  
posted by 飯島章友 at 23:00| Comment(0) | 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

勇気のための川柳処方箋41 きこえますかきこえますか今あなたの勇気に直接呼びかけています

枝豆が重たくなってくる夕日  きゅういち

   *

M うーん。

Y なんかあったんですか。

M いや、くんじろうさん発行の『川柳北田辺 第53回』を読んでるんですが、いつも句会の席で飲食されるお品書きが書いてあるんですけど、おいしそうなんですよ。

Y ちょっとみせてもらえますか。「北海道産 蛸の甘露煮」「カンザスビーフの中落ちカルビ」「たらの芽とふきのとうの天ぷら」「小じゃがのバターチーズ焼き」「きのことベーコンのキーマカレー・サンチェ包み」。わたしの人生にあらわれてこなかった言葉ばかりだ。

M ええ、そうでしょうそうでしょう。

Y そうでしょうって……。

M 「生オレンジジュース」もありますよ。あなたもだいすきな。

Y わたしは結婚式でもほとんどバヤリースしか飲みませんからね。ところで川柳の話はしないんですか。

M おっと忘れていました。勇気じゃなくて食い気になっちゃいますからね。これじゃあ。でも、うーん。

Y なんか重い感じですね。でもそろそろ川柳の話しないともうこの記事重いまま終わっちゃいますからね。

M いや、重いんですよ。たくさんの食べ物をみましたよね。でも私たちの前には枝豆しかないじゃないですか。しかもガストで枝豆を食べている。こんなライトな食べ物なのに、なんだかきょうは重い。どうしたらいいんだろう。枝豆がどんどん重たくなってくる。

Y 枝豆が重たくなってくるってそれってだいぶ重力感じちゃってますよね。

M あ、そうだ。この句の語り手だってそうですよ。「夕日」をみて枝豆が重たくなっている。なにがあったかはわからないけれど、なにかはあったはずですよ。だってたとえば「ズッキーニとトマトとアスパラの冷製パスタ」が重たくなってくるんじゃなくて、枝豆が重たくなってきちゃってるんだから。

Y そうか。夕日っていうと、〈時間〉なのかな。語り手は、夕日に重たさを感じた。なにか時間のリミットがせまっているのかな。夕日でリミットといえば。

M もしかして、このひとは、あのひとですか? メロス? 走れメロス?

Y そういえば、そうか、『走れメロス』に、すまぬセリヌンティウスよ!っていいながら枝豆ばか食いしてたシーンがありましたよね。

M ありませんよ、そんなの。

Y え、そうなの? やばい、いまので枝豆重たくなってきた。

M 走りましょうよ。とりあえず夕日にむかって。

Y いやでももう夜のまっただなかなんですが。われわれは走り終わったメロスなんですよ。

M そう。

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posted by 柳本々々 at 22:19| Comment(0) | 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゲーテルさん、エッシャーさん、バッハさん  川合大祐


 僕は、繰り返す。

 家にこもって手首切ってばかりいたら、谷間の精神病院に放り込まれてしまった。やることもないから、こうやって遺書を書いておこうと思う。この大学ノートの表紙にでっかく「遺書」と記した。
 そこまで書いて、飽きて、食堂のテーブルに突っ伏していた。するとびしょったいおじさんが来て、放り出したノートをしげしげ見ていた。「びしょったい」とはこの辺の方言で、何となく語感でニュアンスは伝わると思うが、まあイケメンの対極にいるような人である。興味のあるそこのあなた、ぐぐってみてください。
 ともあれそのおじさんは、しばらく「遺書」の表紙を見ていてから、その上でハンバーグを切るような手つきをはじめた。切った「それ」を脇に置いて、今度はつぎあてを縫うような動作をしている。なにしてるんですか、と僕が訊くと、
「遺書を移植しているんだよ」
 と答えた。はあ、と僕も答えたかもしれない。
 その人がバッハさんだった。
 
 バッハさんの本名は小川さんという。「バッハを日本語訳すると小川」という「トリビアの泉」を、僕も子供のころ見た記憶がある。他の患者からは「ナオヤ、ちっちゃいナオヤ」と呼ばれることもあったが、そのたびに「せめてヨシナリと呼べ」と反論するのだった。どうもプロレス関係の用語らしいのだが、詳しいことは僕も知らない。興味のあるそこのあなた、ぐぐってみてください。
 それはともかく本人もバッハさん、という仇名は気に入っているみたいで、バッハのCDを聴かせてくれた。この病院で音楽が聴けるのは娯楽室のラジカセひとつで、「病人は音楽中毒になるから」という理由で、ひとり三十分までと決められているのだった。
「どうだ、いいだろう」
 これ、ちゃらりぃ〜鼻から牛乳ぅ〜、のやつですね。
「よく嘉門達夫なんか知ってるね、その年で」
 ようつべで見ましたから。
「よう、つべ?」
 バッハさんにはユーチューブという概念がないのだった。入院して二十年になるらしい。「ウインドウズ95って今売れてるの?」と訊かれたが、答えようがない。「まあ、人生バッハッハ、だ」と言ったが、それがあっはっは、と掛けているのに気付くまで時間がかかり、またしても、はあ、と答えるしかなかった。
 
 朝食は(昼食も夕食もだが)決められた席で、決められたものを食べさせられる。バッハさんの席は僕の斜め前だった。ある朝、必ず付いてくるイチゴジャムの小袋を、僕にこそこそ、と渡した。「ダイエットしたいんだよ」と言った。僕は冷えた食パンにふたりぶんのジャムを塗って食べた。甘かった。
 そんな朝が一週間続いて、看護師に見つかった。「私達はあなた方の健康を考えて、栄養のバランスに気をつかっているのよ。それを、まあ、なんですか」
 たっぷり絞られて病室に戻る際、バッハさんは、
「俺、ジャムだけに、じゃむものにされてるのかな」
 と言った。邪魔者ね、と突っ込みそうになったが、無視することにした。

 などと「遺書」に書いていたら、別の患者に見られ、「面白え」と言われ、回覧され、ベストセラーになってしまった。なのでこのノートが返ってくるのも久しぶりだ。その間、「死にたい死にたい」という詩やら、小説まがいやらを書き散らしたら、「面白え、面白え」と言われ、僕は一躍、病院内の流行作家になってしまった。
 だけど僕はずっと死にたかった。というより手首を切りたかった。だけど切るものが厳重に管理されていて、なかった。バッハさんに、カミソリありませんか、と訊いた。
「死にたいか」
 まあ。
「いやな、人間ってのは自分で死ぬことは出来ないんだよ。それはゲーテルが不完全性定理で証明したことであってな、自分の完結は自分で証明できないというか、自分の死というものはまさに自己言及の究極態であってな……」
 バッハさん。ゲーテルよくわかってないでしょ。
「げー、てれるな」
 無視することにした。

「面白いもの見せてやるよ」とバッハさんに誘われた。病棟の隅の回廊だった。回廊と言えるかどうか、おそらく正方形をしているのだろうが、対角線のところで、鉄扉に遮られていて、僕らに歩けるのは二辺しかない。その二辺が、この病院は谷間に建っているせいか、ふたつとものぼりのスロープなのだった。
「な、もしこの扉のむこうが、ずっとのぼりのスロープだったら」
 エッシャーですね。
「エッシャーだよなあ」
 興味のあるそこのあなた、ぐぐってみてくださいと言うのも何なので、蛇足な説明をしておくと、エッシャーというのはあれである、真四角の水路を水が流れていて、すべて上から下に流れているのだが、その流れをたどっていくといつの間にか元に戻っていて、永遠に循環し続けるという、誰もがいちどは目にしたことのあるだろう絵を描いた人である。
「エッシャーだなあ」
 とバッハさんは言った。窓はないけれど、何となく、夕陽が射し込んでいるような気がした。エッシャーですね、と僕も繰り返した。
「えっしゃー、明日もがんばるぞ」
 無視しようと思ったが、そうですね、と答えていた。

「面白いもの見せてやるよ」とバッハさんが言った。彼が外出から帰ってきたときだった。「いやあ、ボディーチェック抜けるのに苦労したわ」、と取り出したのは肌色成分が多い雑誌だった。ふたりでページを開いて、この靴下だけ脱がないところがいいんでしょうね、「そうだなあ」と言い合っていたら、病室の戸ががたり、音を立てた。
「やばい、隠せ」
 ベッドに雑誌を押しこんでいると、看護師が立っていた。
「何隠してるの。見せなさい」
 容赦なく、布団を剥いで、雑誌を取り上げた。
「こういうのは駄目。見て不快になる人もいるから。あなた方の病気にも良くないから」
 看護師は去って行った。バッハさんとふたり、黙っていた。僕はナースステーションに行った。
 見て不快になるっていうけど、だから僕たち、隠したじゃないですか。誰にも見せるつもり、ないんです。暴いたのは、あなたたちでしょう? バッハさんのものは、バッハさんのものじゃないですか。僕たちのものは、僕たちのものじゃないですか。かえしてください。
 看護師はずっとカルテを見ていた。部屋に帰って、駄目でした、と言った。
 しょうがないよ、とバッハさんは言った。隠したものは、いつか見つかるんだ。どんなに隠しても。
 僕が黙っていたのは、無視したからではなく、何も言うことが出来なかったからだった。

 詩も小説めいたものも、全部とりあげられた。「他の患者さんに悪影響を与えるから」という理由だった。遺書だけは何とか隠した。だから、こうやって書いている。

 その日から、僕とバッハさんの計画がはじまった。まずは睡眠薬を飲んだふりをする。眠らない。深夜の看護師の巡回時間を把握する。ナースステーションをさりげなく覗いて、鍵の位置を確認する。ふたりなら、何でもできそうだった。
 実行の日は、そんなに遠くなかった。看護師が巡回している隙に、僕がマスターキーをかすめた。バッハさんは風呂場のホースを持ち出した。看護師が戻るのを見はからって、ふたり、あの回廊に向かった。
 鉄扉を開けた。
 当たり前だが、エッシャーではなかった。すぐそこに階段が付いていて、地上的な三次元に、すべては納まっているのだった。
 それでもよかった。そうなるだろうと思っていた。僕たちは水を流そうとしていた。この場所に、エッシャーの水路を作りたかった。でも叶わないなら、それでいい。バッハさんが、ホースを向けた。水がほとばしり出た。
「あはは、あはは」
 とバッハさんは笑いながら、ホースを振り回した。水が跳ねて、そこら中を濡らしていった。少しずつ、足もとが水に満たされていった。バッハさんは笑っていた。かっこいいと思った。僕はその姿を見ながら、ずっと死にたかったんでしょうと言った。
 僕に近づいたのも、僕の「遺書」に近づいたのも、下らない駄洒落を言い続けていたのも、僕の遺書に自分を書いておいてほしかったからなんでしょう。ジャムをくれたのだって、あなたは餓死したかったのかもしれない。そうやって僕の死のなかに自分を巻き込むのが、あなたの不完全性定理だったんでしょう?
 だけど。
 バッハさんはホースを振り回している。その背中が遠い。どこかで非常ベルが鳴っている。僕は叫ぶ。バッハさんに向けて。何度でも。

「生きていて、ください」

 僕は、繰り返す。

 幸せで幸せで死を考える  松岡瑞枝
posted by 川合大祐 at 09:31| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする