2015年06月04日

こわい川柳B なまぐさいんだから。


そのたびに泥がこぼれる 図書館の本の着ぐるみ剥いだらさかな  吉岡太朗
  (『歌集 ひだりききの機械』)

ったく孤ったら鮫々ってルビふってある  中西科
  (おかじょうき0番線・榊陽子特選句・題「孤」)


O 勇気のシリーズのときにYさんも思っていたそうなんですが、ほんとはいちにちにみっつくらい記事を更新したいんですが、さすがにやりすぎになっちゃうので。

A あの一時期、刑務所からコンテンツを配信している〈囚人歌人〉なんじゃないかって思われてたこともありましたもんね。

O はい、そうですね。刑務所でせっせと歌をつくって新聞歌壇に送っているという。花輪和一さんのマンガ『刑務所の中』が好きなので、それいいなと思いました。

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あと、駐車場の管理人さんだとおもわれていたこともありました。ちょっとそのころ漱石の『こころ』を読んでいたので、駐車場の管理人さんって利子生活者の先生みたいでそれいいなっておもったんです。でも『こころ』の先生はどこも管理せず鎌倉のビーチであははあははとバナナボートに乗っていたんですね。そこで運命的に「私」とであう。ふたりとも裸で。こわいです。

A ときどきどうやって長い文章打ち込んでるんですか、という質問をいただいて、それは川柳フリマのときも前に出させていただく機会があったときにお話したんですが、携帯できるキーボードがあって、それでスマホとキーボードがあればどこでも長文が打ち込んで更新できるんですね。このキーボードをよく置き忘れて、ほんとうにいろんなところに置き忘れて、いろんな各地の遺失物管理所に行きました。

O きょうは〈なまぐさい〉短詩です。たとえば吉岡さんの歌なら、図書館という中性的で・管理された場所に、「泥」「着ぐるみ」「さかな」という記号をふんだんに盛り込むことによって〈なまぐさい身体性〉を与えているとおもうんですね。図書館っていう、いかに透明度や抽象性、観念性を保っていくかという空間に、吉岡さんは短歌でなまぐさい身体性を与えている。ほかにもこんな、あじさいに身体性を与える歌もあります。

あじさいがまえにのめって集団で土下座をしとるようにも見える  吉岡太朗

A なるほど。その図書館のさかなの歌みたいに〈なまぐささ〉っていうのは場所の性質そのものを変えちゃうところがこわいですよね。昔、山手線に乗っていてたら、生の鮭をにぎりしめたひとがうつろな表情で乗ってきて、すごくこわかったです。そのとき、わたし、変体仮名の本読んでたんですが、ぜんぜんあたまに入りませんでしたもん。

O この中西さんの句もおもしろいですよね。おもしろい、というか〈不可解ななまぐささ〉があります。榊さんも「「孤」が「さめざめ」ならまだしも、なんで「鮫々」なんでルビなのに漢字!?」と選評されてるんですが、ほんとにそうで、ルビがなんで「鮫々」なんだろう、と。なぜ、そこになまぐさいルビを、しかも漢字で、なまぐさい感をだすようにふるのか。「さめざめ」に身体性はないですが、「鮫々」には魚の身体性がありますから。

A ただたぶんそのいろんなどうなってんのこれが、出だしの「ったく」に込められているんですよね。きっと。この「ったく」って出だしもおもしろいですよね。川柳ってときどき、とつぜん始まってしまう場合があるんですよ。

O だからときどき思うのは、川柳って〈なにかの続きのぶつ切り〉で、しかもその〈なにかの続きがぶつ切り〉で終わってさらになにかへの〈続き〉になっていく、そういうものなんじゃないかと思うんですよね。切れ字がないですよね。川柳は〈切れる〉とは無縁なんじゃないかとおもったりもします。だから「ったく」も川柳的なんじゃないかと。

A 中西さんの句がもう一句あってですね、これもまたふしぎなんですよ。ただこわいんですよ、血が出てるから。たのしそうだし、愉快なんだけど、出血してるんです。

O そういえば漱石の『こころ』の先生も「私」に向かって、あなたにわたしの心臓を破って血を浴びせたいと〈こころない〉ことをいってましたよね。じゃあ今回は血を噴いてお別れにしましょう。

コッコッ孤レリゴーレリゴー出血す  中西科


posted by 柳本々々 at 18:17| 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

勇気のための川柳処方箋・番外編 表現者からの勇気の処方箋。


アイザック・ディーネセンはこう言った。私は、希望もなく絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます、と。いつか私はその言葉を小さなカードに書いて、机の横の壁に貼っておこうと思う。
   カーヴァー『ファイアズ』



ものを書くというプロセスの核心にたとえどのような暗黒の謎がひそんでいようとも、そこにはただひとつの企業秘密があるだけだとカーヴァーは声を大にして言った。それは、君は生きのびなくてはならないということなのだ。
     ジェイ・マキナニー「その静かな、小さな声」



ここで皆さんに最後に申し上げたい。1つ 皆さんは やじ馬になって欲しい。何でもかんでも好きなことを全部とにかくかじって欲しいんです。そういう欲ばりな気持ちになって欲しい。2つめは 皆さんが今までに受けたあるいは これから受けるであろう一番 大きなショックな出来事を一生 大事に持っていただきたい。きっと役に立つ。3つめに 命を大事にしましょう。この3つが皆さんへの僕のささやかな贈り物であります。
    手塚治虫(学生に向けた最後の講演会でのことば)



だれもが一番いい席に座っている。
          ジョン・ケージ



たしかに人間の知性は、力をもたない。だが、この弱さには、それでもなにか特別なものがある。知性の声はか細いが、聞き入れられるまでつぶやきを止めない。そうして何度も繰り返し黙殺された後で、やがては聞き入れられるのである。これは、われわれが人類の将来について楽観的でありうる数少ない理由のひとつである。
   ジークムント・フロイト「ある幻想の未来」 



書きたいように、作りたいように作ってください。守るにせよ壊すにせよ、徹してみてください。その結果は、思いの深さによって必ず成功している、とは限らない、ということを思っていてください。その後の豹変も可なり。時代の評価を妄信しないでください。苦い言葉に耳を塞がないでください。世間の都合や甘言に振り回されないでください。時に、孤独であってください。自分と異なるものを蔑まないでください。(以上、私は自分に言っています)
      池田澄子『今、俳人は何を書こうとしているのか』



「志望する美術大学には現役で入れましたが、ボンヤリしていたら就職はできませんでした。卒業後、毎日母親の目を逃れるために午後は川原ですごしていました。いまも川で見た風景が漫画の中に生きています」
話しながら、ほんと、なんで講演会なんて呼ばれたのだろうと思う。輝かしい二十代前半は川原でひとりボンヤリと時間を浪費しているし、漫画家になってからは、一日中部屋の中にこもって作業しているのみである。お酒が飲めないから宴席に誘われることもない。著名人との交流はおろか、人間と会話するということがない。〆切がつづくと、言葉さえ忘れてしまうほどだ。

「みなさんは自分らしくあれと言われているでしょうが、わたしはそんなものは必要ないと思います。透明人間になりたいくらいです。他人らしさ、というものに注目してはいかがでしょうか」
わたしは、わたしであることに無頓着でいたいなあと思う。もちろん、生活でわたしを取り去ることはできないけれども、描くときに、わたし、というのはまったくどうでもいいように思っている。
それよりも、誰か他の人間の心を知りたい。

死んでいった友だちとか。
透明になって、そのなかに入れたらいい。
           今日マチ子「ぱらいそさがし」



1,礼儀作法とは、社会における「トレード」。自分の立場を見極めろ!
2,朝晩のメール報告で制作状況を客観視。第三者に送ることで「見せる」ことに気づけ!
3,プロのアーティストとは体調を管理し、いつどんなときもベストな作品を造れて当たり前。
4,スケジュール表を作成し、アーティスト人生の先の先の死んだ先までプランニング。
5,1日1枚の「完成した作品」としてのドローイングで筋力アッ! ただただ制作スピードを上げる。
6,大切なのは、自分を試す勇気と死ぬまでやり続ける執念。
7,制作費、アトリエの家賃、生活費……コスト管理を徹底し、死ぬまで造り続けるための金銭感覚を養う。
    「カイカイキキ・若手作家養成スタジオの掟 ちゃんば7か条」『美術手帖』2011/10



失望は、探究または習得の基本的な契機である。
   ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』



posted by 柳本々々 at 07:30| 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こわい川柳A んぱ!

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鳥山明『アラレちゃん』から「んちゃ砲」。

あんぱんの「んぱ」の辺りの火の匂い  むさし

O 『おかじょうき』からむさしさんの一句です。

A 「んぱ」って真ん中から切り取っちゃうのがダイナミックですよね。

O そうなんです。でもこれって考えてみるととても大事なことなんです、「あんぱん」の「あん」だったら意味ができちゃいますよね、「ぱん」でも意味ができちゃう。どっちも意味を食べてしまうことができちゃいますから。ただ「んぱ」はできない。会議でなにか発言を求められて「んぱ」っていったら、みんな「ぽかん」となりますよね。

A たしかに。こいつはあぶないやつだ。左遷させよう、ってなりますよね。

O だから「んぱ」がまずこの句ではとても大事なんですよ。「んぱ」の発見です。ところがこわいのは、

A そこから火が出ちゃってることですよね。あ、いま出火できがついたんですが、このむさしさんの句は坪内稔典さんの句と読み合わせたほうがおもしろくなりますよね。

たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ  坪内稔典

O ええそうなんです。そうなんだけれども、おもしろいのはむさしさんの句がいわば「んぱ」を発見してしまったことなんですよ。「ぽぽ」を「んぱ」に〈ズラし〉たんです。こんなふうに、句は先行する句の意味性をズラすことで意味の着火を行うとおもうんですよ。

A 「んぱ」にズラしたことによって、火はどこからいつ発火してしまうかわからないっていう批評性ももっていますよね。

O ちなみに稔典さんのズラしの句としてれおなさんのこんな句も思い出してみたいんです。

たんぽぽのたんのあたりが麿ですよ  高山れおな

A ま、まろできましたかー。

O 世界がまろ化していくっていうことですよね。もうこうなると。

A いや人生でいちどは「まろ」になりたいし、「わたし」じゃなくて「まろ」って主語でしゃべったりしてみたいところではありますが。

O ただやっぱりそうすると左遷されちゃいますね。

A 左遷がこわいって話しになってきますね。

O じゃあ最後にですね、荻原裕幸さんのやっぱりこんなふうに会議で発言してしまうと左遷されちゃうんじゃないかという歌でお別れしましょう。会議中、脳内の〈んぱ〉の世界でまったりしていたときにだしぬけに意見を求められてあなたが答えたのは、

んんんんん何もかもんんんんんんんもう何もかもんんんんんんん  荻原裕幸


posted by 柳本々々 at 07:15| Comment(0) | 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする