2015年09月10日

木曜日のことのは蒐集帖10 裏側へでる

踊り場の裏側へでる桜闇    内田真理子 (句集『ゆくりなく』より)

「裏側」に惹かれるのは、それが表の反対、陽でなくて陰だから、というわけではなくて、「裏」が隠された場所だからだと思う。
隠された場所を意識するのは、どこにでも行けるという思いに通じている。でもほんとうはどこにでも行けるなんてことは(すくなくともわたしには)ほぼ幻想で、だから「裏側」が魅力的なのかもしれない。
内田真理子さんの句、どこの裏側かとおもえば踊り場のそれなのである。
踊り場に裏側があるんだろうか。階段室のような空間であれば、踊り場は壁に接している。建物の、壁からはなれて配置された階段の踊り場は、床から浮遊して周囲には何もないことがみとおせているはず。
踊り場の裏側っていったいどこ?
それは三次元の世界に住む者からはすっかり隠されている場所。異なる世界。クラインの壺のなか。
「桜闇」は「踊り場の裏側へでる」という状況の比喩なのか。「桜闇」をぬけると「踊り場の裏側へ」至るということなのか。
異界にすっとはいりこんでしまうという感覚がおもしろく。

野も鳥も鏡裏から戻らない 石部明


posted by 飯島章友 at 22:00| Comment(0) | 木曜日のことのは蒐集帖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

秘伝鳥葬註解:200字川柳小説  川合大祐

[訳註]*何も起こらなかった。*ゆえに、死はよろこびである。*三日月は満ちるためではなく、欠けゆくためにあるのだった。*死は何者かに喰われてはじめて完結する。*鳥の物語。これはハシブトオオガラスで構わない。餓えていなかった。〈ヒト〉も哀しみに餓えていなかった。両者が出逢った時、鳥葬と言う選択肢が発生した。そこに意思の疎通はあったのだろうか。無い、と断言できる。*やはり、ここでは何も起こらなかった。

  鳥葬の鳥と三日月見続ける  清水かおり(『超新撰21』所収「相似形」より)

posted by 川合大祐 at 04:23| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする