2016年02月28日

スイッチ・オン:200字川柳小説  川合大祐

同級生と喧嘩をした。昭和六十年代の中学生が、直に見たことのない特撮ヒーローについて議論していたのだった。その非対称の意匠を持つロボットは、左半身が赤だったか青だったか。友達は赤だと言った。それに対して、青だ、青だと言い張り続けた。感情が激して、泣き叫んだか知れない。いつしか給食を独りで摂るようになった。空は青かった。大人になって、ネット検索をしていない。まだ人間じゃないころ、すべてはやさしかった。

  左側だけはやさしい過去のまま  寺田 靖(『新思潮』No.136 より)

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2016年02月26日

財産のひとつに優しそうな顔    竹井紫乙

竹井紫乙「風呂敷は紫」より。
この句のキモは「優しそうな顔」の「そうな」の部分だと思う。けっして「優しい顔」ではないのだ。
「優しい顔」が内容をともなった〈実質〉を表しているのにたいし、「優しそうな顔」はあくまでもそのように見えるという〈形式〉を表している。財産のひとつとして持っておくのなら「優しい顔」のほうがいいと思うのに、なぜ「優しそうな顔」なのだろう。

「風呂敷は紫」には、

 誓いますかなりいびつな良心に
 絵空事の限界デイリー六法


という句もある。
一句目はたぶん、〈良心にしたがって真実を述べ云々〉という法廷での宣誓がモチーフになっているのだろう。人間の良心が「いびつ」で信用できないのは今さらいうまでもない。だからこそ偽証罪という刑罰がちゃんと用意されている。それだったら最初っから良心に誓ったりせず、じぶんが偽証したばあいはこれこれの懲役に処されることに同意します、と言ったほうが筋がとおる気もするのだけど、それはひとまず置いといて、ここで注目すべきは法廷でも〈形式〉がとても大切にされているということだ。
それは二句目もおなじかと思う。この句の解釈の一つとして、「デイリー六法とは?」「絵空事の限界である」という問答に捉えることができる。法律が庶民の善悪の基準と合致するかといえば、必ずしもそうではない。また法律的な量刑が罪の深さに釣り合うかといえば、必ずしもそうではない。さらに法律が社会で起こりうる罪をすべて網羅できているかといえば、必ずしもそうではない。そう考えると、法律とは〈形式〉的な基準といえる。〈形式〉的であればこそ、法律はつねに「絵空事」となるリスクにさらされている。

こうして見てくると当連作では、世界の〈形式〉を読み手に突きつける力が働いているように思われる。

 財産のひとつに優しそうな顔

財産のひとつを「優しい顔」ではなく「優しそうな顔」とすることで、〈形式〉と〈実質〉のズレを読み手に突きつけるのが掲出句だ。「優しそうな」といういっけん何でもなさそうな措辞によって、一元的と思われていた世界がゆらゆらと揺すられ、世界の多元的構造があらわになるのである。
そして、そのような〈形式〉と〈実質〉の関係性は、「風呂敷は紫」というタイトルへもつながっていくかも知れない。効率よく円滑に社会を運営していくためには、〈形式〉という「風呂敷」によって〈実質〉を包み込むことが必要になってくる。ことに紫の風呂敷は慶弔いろんな場面で使うことができるのでとても〈形式〉的なのだ。そんな〈紫の風呂敷〉に包まれた世界を句から手渡されたとき、読み手はどんな感慨を抱くのだろう。

と、こんな風に読んでみては風呂敷を広げすぎかしら。


posted by 飯島章友 at 06:00| Comment(0) | 今月の作品・鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月25日

【ゲスト作品を読む】竹井紫乙を読む柳本々々−あたしの位相−

今月のゲスト作品は竹井紫乙さんの「風呂敷は紫」でした。
今回のこの連作を読むにあたってわたしは〈自称詞(自分を呼ぶ言葉)〉に注目してみたいと思うんですね。〈自称詞〉のある句を抜き出してみましょう。

  自転車の君と私は人さらい  竹井紫乙

  あたしたちこんなに愛があったのね  〃

  すみっこでわたしはなにをされてるの  〃


「私」、「あたしたち」、「わたし」とみっつの異なるレベルの〈自称詞〉が出てきます。

これらはひとつひとつは異なる自称詞ですが、ちゃんとその句の言葉のネットワークで〈意味〉を抱えています。

たとえば一句目の「君と私は」は、「私」でなければいけません。ここは「あたし」でも「わたし」でもいけない。なぜ、か。

それは「君」と「私」が〈対等〉であるためです。おなじ「人さらい」として「君」と「私」は〈対等〉でなければならない。これがこの句の語り手の〈自称詞〉を通した意志です。

じゃあ、二句目の「あたしたち」はどうでしょう。これも「あたしたち」でなければならない。なぜなら、ここには〈愛の偏差〉があるからです。「あたし」というのは偏差のある言葉です。それは中性的ではない。だからこの〈愛〉には偏差がある。「あたしたち」といったとき実は〈君〉がどう思っているかはわからないのです。それがこの句の語り手の〈思い〉です。

三句目の「わたし」はどうでしょうか。これはもしこの句が「すみっこであたしはなにをされてるの」だったらどうなるかを考えてみるといいでしょう。もしそうするとおそらくジェンダーバイアスによって「なにをされてるの」の〈なに〉が固定されてしまう。それはセクシャルな方向に傾くかもしれない。でもここで「されてる」ことをもっと不可解に、言語化不能にするためには「わたし」という中性的な自称詞を使う必要がある。それが語り手の〈位置性〉です。

こんなふうにこの連作は、〈自称詞〉がたくさんつまっています。いわば、この連作は〈自称詞〉が詰まった「風呂敷」にもなっているのです。

そう、あたしは、思うのです。




posted by 柳本々々 at 00:43| 今月の作品・鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月22日

【川柳インタビュー】樹萄らき(じゅどう・らき)ビギンズ(聞き手:川合大祐)

大祐 皆さんこんにちは。今日は「川柳の仲間 旬」のエース、樹萄らきさんに色々とお話をうかがっていきたいと思います。「旬」ではらきさんが僕より6年先輩なんですよね。ちなみに幼稚園・小学校・中学校の先輩でもあります。もちろん当時は面識なかったですが。で、らきさんの全貌を明らかにすることはかなり大変なので、僕が「旬」に入る前、らきさんが新人だった頃のことにテーマを絞って話を進めていこうかと。題して「樹萄らきビギンズ」。「ひとりの川柳人がどうやって出来上がっていくのか」が裏テーマであります。またちなみにですが、今ほっともっとの弁当食べて、なごんでるところです。

らき 肉はいいよなー。肉。最近体の調子が良くなくて、ほっともっとまで歩いていけないもん。久しぶりにうまかった。

大祐 で、まあ基本的なところは押さえておこうかと思うのですが、そもそも「らき」という名前はどこから来たのですか?

らき 話すと長い(笑)。まあ短く言うと、20代のころ、一緒にコミック同人やってる友人がつけてくれたペンネームが「佐良木詩音(さらきしおん)」だったんだよね。でも、「さらき」も「しおん」も呼びにくいってことで「らき」と呼ばれた。で、川柳やることになって、ペンネームをつける時に、「らき」は気に入ってたから名前にして、名字を考えた。「樹」っていう漢字が好きだったから、それに合う文字っていうことで、「萄」をくっつけたの。

大祐 「樹」が好きって言うのは……。

らき 漫画の『風と木の詩』が大好きだったから、その影響があるかもしれんね。まあ、あっちは「木」だけど。

大祐 その「漫画が好き」っていうことなんですけれど、ずっと漫画に親しんできました?

らき って言うか、漫画しか読まなかった。本、読むの嫌いだった。活字嫌いだったもん。でも、自分は漫画が下手で、高校のころ、周りがすっげえ上手い奴ばっかりで、「あたしには描けない!」って。それでもイラストなんかは自分用に描いてたんだけどね。で、ある年コミケっつーもんに行って、小説の同人誌を見た時に、「あ、漫画描けないけれど、コミック小説なら書けるかも」と思って、自分でも書いてみたんだよね。今ではBLとか百合とか言うらしいけど、同性愛もの。それがたまたま「旬」の関係者の目に留まって、スカウトされて、川柳のこと、何も知らないのに始めることになった。

大祐 漫画で影響を受けた作品ってあります?

らき やっぱ竹宮恵子『風と木の詩』と青池保子『エロイカより愛をこめて』かなあ。美少年とか、綺麗なものが大好きだったんだよね。だからギャグマンガとか大嫌いだった。あと、ひとりになってから高口里純『花のあすか組!』や市東亮子『やじきた学園道中記』とか。

大祐 基本的に少女漫画なんですね。

らき そだね。少年漫画だと読んだのは『ペリカン・ロード』くらい。アニメでは『幽遊白書』や『キャプテン翼』の若島津くんで遊んだりしてたけど。それにしても活字の本、読まなかったわ。絵本すら読まなかったもん。

大祐 その「絵本すら読まなかった」という幼少期ですが、どんな生い立ちだったんです? 差し支えない範囲で教えてください。

らき どこまで言えばいいんだ(笑)。ざっと言うと、1965年長野県生まれ。実はこの世に「雑誌」ってものがあることを知ったのが小学4、5年のころだったんだよね。テレビも父ちゃんがチャンネル権握ってて、見たいもの見れなかったし。あ、でも『野生の王国』で、ライオンがシマウマ食ってるところで、「うまそー」とか思ってたな。

大祐 どういうお父さんだったんですか。

らき 酒乱(笑)。自営で鉄工所やってたけど、昼間から酒呑んでた。でもあたしには優しかった。手をあげられたこともないし、怒鳴られたこともない。良く母ちゃんとあたしとで、飲み屋に潰れてるとこ連れに行ってたけど。

大祐 お母さんは結構すごい人という感じがしますが。

らき 腹くくってたんじゃないの。父ちゃんと結婚したのも、事情あって本当に好きな人と一緒になれなかったから。結婚式の当日まで、父ちゃんの写真すら見てなかったって言ってたもん。あたしが小五の時から宮木駅で家族で住んで、切符のもぎりやって生活支えてたな。でも別に凄いわけじゃなくて、普通に愛情をもっている人だった。

大祐 確かに、らきさん見てると、幼少期にきちんと愛情をもらった人だったという感じがするんですね。でも、ご両親とも早くお亡くなりになったんですよね。

らき 父ちゃんが亡くなったのはあたしが22歳のとき。酒飲みだから絶対肝臓がんで亡くなると思ってたんだけど、心筋梗塞で。「これで近所の人に堂々と『肝臓がんじゃなかったです』って言えるね」って母ちゃんと喜んでた(笑)。

大祐 そのお母さんもその一年後くらいに……。

らき うん。23歳。脳溢血だった。朝、畑で倒れている所を、朝一で通勤している人が見つけてくれて、救急車で運ばれて、そのまんま。あたしはまさかそんなことになるなんて思ってなくて、母ちゃんの代わりに切符売ってたら、「お亡くなりになりました」って。その時、言葉、なかった。自分にとって一番必要な人がいなくなって、どうしたらいいかわからなかった。でも、近所の人や親戚や職場や役場関係に連絡したり、挨拶をしっかりしなきゃって、自分が何をしているかわからなかった。で、亡くなった翌朝、母ちゃんの夢見て、泣いたんだよね。そしたら親戚のおばさんに「泣くな」と言われた。いや、そこは泣かせろよ(笑)。で、そのあと自暴自棄になったんだよね。生きてくことがどういうことかわからくなったっていうか。会社も辞めて、家もなくなっちゃったから、伊那に移り住んで、天涯孤独。

大祐 それから7年くらいですか。すさんだ生活をしてたのは。

らき そうだね。さっき言ったみたいな感じで「旬」に入って、そこがはじめて自分をほめてくれる場所だったんだよね。それまで、自分は何も持ってないと思ってたから。でも、その一方で、この世の中すべてに不満をふくらませてたんだろうね。川柳って自分をあふれさせてくれる、川柳って言う場で、うらみつらみをぶちまけていいんだ、自分の意見を持っていいんだ、って思った。だから川柳はじめてから、人に反抗的になったもん。生まれてはじめて「やだ」って言えた。

大祐 そうやってはじめたころの川柳を、ちょっと見ていきましょうか。僕の持っている同人誌「川柳の仲間 旬」のバックナンバーは歯抜けがあって、正確ではないんですが、見たところ、1995年の10月、43号くらいからはじめられてます?

らき うーん、もうちょっと前かな。7月か8月ころ。まあでも、そのへんだ。

大祐 すいません、失礼しました。でもまあ、僕の手許にある資料に基づくと言うことで。この号の連作のタイトルが「悪女」ですね。

  くつ下を脱がせて あなたはあたしのモノよ

これ、いまご自分で見てどう思います。

らき 少女漫画とか、同人誌をネタにしていたね。あと、レディースコミックとかね。だから、自分のことじゃなく、他人ごとだね。

大祐 でも、ほぼ処女作に近い頃で、ちゃんと川柳の形になっている印象を受けました。

らき いや、川柳ってものが全くわからなかったんだよ。とりあえず五七五にしとけばいいだろう、くらいしか。もしかしたら五七五自体を意識していなかったかもしれない。この句も、なんで一字空けにしたかわからない(笑)。

大祐 では、次の号に行きます。

  妖精は次の夜長にやって来る (1995年11月 44号)

これは、「妖精」っていう、後に樹萄らきワールドを創るモチーフが入り始めている感じがしたんですけれど。

らき まあ、妖精とかは別次元で好きだったから。ただ、「私」は全く入っていないね。

 ねこねここねこあたしのきずもなめたらなおる? (1995年12月 45号)

らき これは猫の写真集が印象に残っていて作ったのかな。でも、この辺から自分が出始めていたような気がする。だんだんと訴えはじめたというか、自分を曝しはじめたというか。

大祐 で、次の号あたりから凄くなるんですよね。

  同情の牢獄の中火の視線
  手をのばしつかんだ夢は砂時計
  古毛布はだかにまとう母の中
  騙された子ぎつねナナメに月を見る
 (四句とも、1996年1月 46号)

激しいし、でもそれだけじゃなくて、「きれいさ」があるんですよね。

らき そうなのか? 自分ではよくわからない。ただ、「古毛布〜」の句は「風と木の詩」のワンシーンが自分のさみしさにぴったりきて、そのイメージで書いたかな。砂時計、ってのも壊れやすい、傷つけるイメージだしね。

大祐 殺気、ありますよね。

らき 殺気あるね。狂犬だった(笑)。傷、血、殺すとか、そういう言葉をよく使ってたかな。積年のうらみがあふれるあふれる(笑)。でも、エサをくれる人を望んでいたのかもね。

大祐 で、47号の連作なんですが、ふつうの川柳っぽいので飛ばします。作ったでしょ(笑)

らき うーん、どーだろ。それでも本人の気持ちは入ってたと思うよ。

大祐 と思ったら、次が凄まじい。

  君が逝った日 僕は死ねなかった
  生まれ出た憎しみ鏡を叩き割る
  死んじゃえと書かれたノート燃やす朝
 (三句とも1996年2月 47号)

はじめて一人称に「僕」を使ってますよね。

らき 「あたし」が馴染まなかったんだよね。ってか、自分の性別が女ってのが嫌だった。そして、本当は死にたかったのかな?

大祐 「生まれ出た憎しみ」って相当凄いと思いますが……。

らき 自分が嫌いだったね。母親が死んだ後、お腹が空いたり、眠くなったりする自分が許せなかった。「気が狂うことができない、死ぬこともできない、自分は鈍感なんだ」って思ってた。だから余命何ちゃらっていうドラマとか見ることができない、今でも。

大祐 「死」っていうものが、つねに相当大きなテーマになっていると読めますが。

らき きっかけがあったら死のうとしていたね。でも、ここで死んだらアパートに迷惑かけるしなあ、死ぬのも迷惑か、とか思ったり。基本的に人を信用しないし、一人で生きていこうと思ってた。そんな時に『花のあすか組!』で「悪かったな、俺は打たれ弱いんだよ」っていうような台詞みつけて心にぐっと来たりね。

大祐 でも、「燃やす朝」には、希望、のようなものが感じられます。

らき 「生きる/死ぬ」を行ったり来たりしてたんだね。このへんの句、なりふりかまってない。本当は助けてほしかったんだ。でも助けてくれる人がいなかった。

大祐 でも、それから後でまた少し変わった気がします。バックナンバーが歯抜けで、少し飛んでしまうのですが、

  シカトされ負の引力がほくそ笑む (1996年5月 50号)

この「負の引力」なんて、人に見せるための言葉を意識しました?

らき このころね、いかに自分が言葉を知らないか自覚して、図書館で本を読み漁ってたと思う。読むものも、小説は嫌いだったから、ドキュメンタリー読んでたかな。虐待されてきた子供や女性の本。現実のことを読んでいたかった。ああ、この人たちも一生懸命生きてるんだなあ、って。

大祐 そして、次の号です。

  なごり雪わたしを思い出して 雪
  日記書く伝えぬ想い焼くように
 (二句とも、1996年6月 51号)

何かが救われたような印象を受けるのですが。

らき 荒井徹さん(故人)や小池孝一さんが全肯定してくれたんだね。孝一さんはどこか連れてってくれて、ご飯食べさせてくれたり。ちょっと自信を持ってきたのかな。あたしにしかできない川柳があったんだな、って思ったり。ちょっと余裕がでてきた? 少なくとも、「腹はへってないぞ」って思った(笑)。

  見える罠シッポはやだしどーしよー
  うにゃらうにゃら悩殺ポーズ板つかず
 (二句とも、1996年7月 52号)

らき おちゃらけはじめたね。吐き出しきったのかな。傷はあいかわらずついているけれど、ちょっとおちゃらけるようになった。この頃、川柳がぽろぽろ出来て、楽しかった。ただ、あえて十句しか作らないようにしてたけど。

大祐 変わり始めましたね。
  
  日記帳通り過ぎてくアダムたち
  羽衣を脱ぐ気になったのは 一度
 (二句とも、1996年8月 53号)

「アダムたち」って表現が一皮むけた感じがします。

らき この頃、小説読めるようになったんだよね。小説だと、大沢在昌、五條瑛、今野敏、畠中恵が好きになった。でもそれだけじゃなくて、荒井徹さんにほめられたのがでかい。「『変』っていうことは文芸にとってとてもいいことだ。だから、お前は『変』でいいんだぞ」って、生まれてはじめて、人にほめられた。

大祐 人を信じていなかったのに?

らき このころ、孝一さんを信じはじめるようになって、孝一さんが徹さんを信じてたから。あたしも信じていいのかなあ、って。

大祐 なるほど。次の句なんかも確実に変わっていますね。

  安楽死するなら溶けたロウの中 (1996年9月 54号)

「死」を扱っていながら、適度な距離を取っている気がする。そうして、次で川柳をはじめてから約一年が経ったことになります。

  ふくろうになる日はひとりきびをむく
  子宮などなければゆるされた恋よ
 (二句とも、1996年10月 55号)

らき 「ふくろう」の句は、自分でもこうやって見てびっくりしてる。「子宮」の句は、自分の体験談。やっぱり、女という性別がすごく嫌だった。まあでも、変わってきたのかどうかはわからない。ただ、ずっと餓えてたんだろうねー。

大祐 いやでも、一年でここまで進化して行ったのは、凄いですよ。あとしばらく、印象に残った句を挙げます。

  第三の耳にょっきり あ、うそだ (1997年3月 60号)
  結界粉々 新子さんは地雷
 (1997年4月 61号)

らき 「アサヒグラフ」に「雪山にスプーンをぐさり腹へった」っていうのが入選したんだよ。そしたら時実新子さんが「この作品には『壮大なさみしさ』がある」って評してくれて、「え、バレてる?」ってぞっとさえしたもん。その後、新子さんに会って、生まれて初めて、「人のあったかいオーラ」ってのを感じて。やっぱり、凄い人だと思った。

  月の奴笑いすぎだよ くそったれ (1997年5月 62号)
  大事なものはコインロッカーの中 (1997年8月 65号)
  あたしが変わる器が変わる 歴史 (1997年9月 66号)
  死がとなりにあるみたいにおもう 変 (1997年10月 67号)
  空と海の世界を知らない 死ぬの (1998年1月 70号)
  スナフキンを見たら帽子をください (1998年2月 71号)

らき この「スナフキン」、ベテランの方から「わからない言葉を使うんじゃない」って言われた。

  今朝の火事から動かないんだね 空 (1998年4月 73号)
  手に届く宇宙言葉のない世界 (1998年6月 75号)
  擦れ違う死者からもらう元気玉 (1998年8月 77号)
  ゆるせない時間の中で「モモ」と遭う (1998年9月 78号)
  プライド 胎児が月に学ぶもの (1998年10月 79号)
  今日から君がウルトラマン「拒否します」 (1998年11月 80号)
  ぬいぐるみ綺麗な子から燃やしていく (1998年12月 81号)

らき この辺になると、「作る」ことができるようになったね。自覚して言葉を使えるようになったというか。

大祐 もう一句、少し時間を飛ばしますが、1999年、伊那で「川柳フォーラム」というイベントがあった時、「雑詠」でなかはられいこさんに特選をもらっています。

  箱の中にある死ぬ時の脱脂綿

これ、ひとつの達成点だったような気がするんですけど。

らき うん。初めて自分の気持ちを、ぴったりと言葉に出来た句。母親が死んだ時の綿ね。あ、自分も用意しておかなきゃいけない物だ、とも思った。

大祐 このあたりで「樹萄らき」ができあがってきたような気がするんですよ。もちろん、作家が「完成する」なんてことはないし、らきさんは今も進化を続けている。ただ、進化して行く方向はこのあたりで定まったかな、と思います。で、ここから先は余談です。句をどうやって作っていますか?

らき 映像だね。勝手に映像が浮かんだ時は、それを言葉でどう表現しようか考える。例えば、美少年が出てきて、ぼそっと言葉を発する、それが川柳になってる時が、一番うまくいく。

大祐 徹底的にビジュアルの人なんですねえ。

らき うん。フレーズが浮かぶこともあるよ。でもフレーズだけじゃ句にならないから、思いついたらノートに書き留めていく。そうすると、一頁が終わる頃には何かと何かがくっついて、一枚のイラストが浮かんで、句になるね。だから、言葉はいつも集めている。

大祐 自分の文体って意識します?

らき 考えたこともない(笑)。基本的にイメージが全部漫画で浮かぶんだよね。余談なんだけど、自分に絵を描く技術があったら、どれだけイラストを描いていたかしれない。

大祐 それでは、川柳を続けている理由は……。

らき 「それしかない」から。あたしには川柳しかないから。短歌でも長い。でももちろん、楽しいんだと思う。

大祐 自作のベストを挙げられたら挙げて下さい。

らき 二つあるんだよね。餓えて、死のうとしてたころの句。それは、

  ご飯は炊けたあとはひとりになれるだけ

もうひとつ、「今」のベストは、

  てやんでぃちぐはぐなのが長所でいっ

かな。

大祐 それでは、最後の質問になります。今までのやり取りをふまえて、あらためて、「樹萄らき」とは何者ですか?

らき 変な動物、かもね……。

大祐 今日は長時間ありがとうございました。お礼のケーキ食べましょうか。
(2016年1月10日 らきさん宅にて)

posted by 川合大祐 at 06:44| Comment(1) | 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月21日

非戦闘地帯に於ける考察:200字川柳小説  川合大祐

いやあマスタードガスを自分が浴びてしまってね、こうやってひとっ風呂浴びに来たという訳さ。それはそれは。いや僕だって、政府の転覆とか、そんな大それた事を考えている訳じゃないよ。それはそれは。ただ、自分と世界の関係性をクリアにしたいだけで、その思想の発現が行為な訳さ。それはそれは。あのね、その「それはそれは」って止めてくれないか、独語しているみたいじゃないか。それはそれは。銭湯は無数の鏡が並んでいる。

  42度の湯船にテロリスト2人  Sin(「月刊おかじょうき 2016年1月号」より)


posted by 川合大祐 at 00:00| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする