2016年03月27日

「川柳杜人」249号

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川柳杜人 2016春 249号
発行人 山河舞句
編集人 広瀬ちえみ

【同人作品】
 伸びきったゴムになったらわかること  須川柊子
 どうしたのどうしたのと問う後ろ手が  佐藤みさ子
 水平線から葬儀屋が顔を出す  都築裕孝
 解放区で傘の雫を切っている  宮本めぐみ
 着地する少し湿っているけれど  広瀬ちえみ
 Eメール届かぬ静かな鳥の群れ  大和田八千代
【杜人集】
 ざっくりと混じり秘かに発酵す  橋本あつ子
 更新が無い人間の免許証  たちばな五雲
 代走の足が探っている伏せ字  青砥和子
 小林一茶トースト一枚では足りぬ  草地豊子
 スリッパの音立てて行く他人たち  柴田夕起子


今号の柳論は、「印象吟句会銀河」代表の島田駱舟さんによる「斬るは易し ──メディア川柳について──」と、「びわこ番傘」会員の竹井紫乙さんによる「眼差しと衝動 ──杜人同人作品の鑑賞──」である。

島田さんの小論は、「サラ川などのメディア川柳作家を何とか吟社川柳の世界に取り込みたい」という、全日本川柳協会(日川協)において出た議論をきっかけにして、吟社川柳は言葉遊びや駄洒落とどう向き合うべきかを論じている。
わたしはメディア川柳について世間一般と同じくらい、もしくはそれ以下の情報しか持っておらず、また日川協とも関わりのない場所で川柳を書いているので、ただただ好奇心のまま島田さんの書かれた情報と論理を読み進めた。わたしが言うのもおこがましいが、言葉遊びや駄洒落への見解においてたいへん筋の通った小論だったと思う。
ちなみに、これは島田さんの議論とは関係のない余談なのだけれど、わたしは短詩型の書き手として、「お〜いお茶」の俳句やかつての「ケータイ短歌」に敵意をもったことは一度もない。脅威に感じたこともない。むしろ、その中にオモシロい表現があれば参考にしたいくらいで。
おかげさまで「歌人集団かばんの会」は、年々会員が増えている。現代川柳というジャンルも、現役で働いている世代に知られるようになってきたと感じている。これは言ってみれば、未知の方々から多くの刺激をいただけるということで、いつも希望に胸をふくらませている。メディア短詩への敵意や脅威を感じないのは、今のわたしの創作環境が恵まれているということなのかも知れない。

いっぽう竹井紫乙さんのほうは、「杜人」誌の243号から248号に掲載された同人作品720句から作品を抽出し、鑑賞文を書いている。広瀬ちえみさんの後記に「佐藤みさ子作品の世界を力強い筆致で展開している」とあるのだが、竹井さんは「同人十二名中、私が最も強く句を書く衝動を感じたのが佐藤みさ子さんだった。兎に角、恐ろしい」と書いている。竹井さんがみさ子作品を鑑賞したくだりを少し引用してみよう。

  何処から来たの何処へ行くのと尋ね合う

 どうしてこの、挨拶しているだけの句に恐怖してしまうのか。これはただの決まり文句ではなく、お互いを縛り合う呪文だからだ。あなたを自由になんか、させないよという。
 だからみさ子さんにこの質問をされたらきっと、私は行き先をごまかして嘘をついてしまうだろう。すぐに見透かされる嘘だとしても。そしてその嘘が、私の川柳になるのかもしれない。

わたしはつい先日、明け方にごみを出しに行ったとき、ご近所さんとばったりお会いして、こう言われた。
「いつも早朝にお会いしますね」
「え?朝早くお会いしたことなどありましたっけ」
「わたし、いつも早朝はこのへんをランニングしているもので、あなたのことをよくお見かけするのですよ」
ご近所さんに他意などなく単なる挨拶だったのだろうが、あなたの行動をいつも見ていますよ、というなにか呪縛されているような、薄気味わるい心地がして、ゾクリとしたものだ。

なお、「杜人」は次号で創刊250号を迎える。川柳杜人社の創立が昭和22年であることを考えると、本当に頭の下がるおもいだ。

川柳杜人社

posted by 飯島章友 at 07:00| Comment(0) | 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

言い換えるならラグビー式の:200字川柳小説  川合大祐

眠れないとろくなことを考えない。(今日で八日目になる)。地球図を楕円形で描く事はできないだろうか。(地球が真円でないのも承知の上だ)。そのために地球のことを知らなければいけない。(田舎の谷に住んでいる)。アパートを出て枯れ野を歩き続けた。(遠くのほうに白い山が見えた)。歩いた。(倒れるほどに)。倒れた。(一歩も歩けないほどに)。ふと気がついた。(今なら眠れるのではないか)。眠る。(陶器のように)。

  楕円形の眠い意識のまま陶器  普川素床(「現代川柳の精鋭たち」より)

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2016年03月20日

これでいいのだ:200字川柳小説  川合大祐

しゃあねえなあ、と思う。開拓のため異星にやって来て、宇宙船が壊れて地球に帰れないなんて、えすえふでは良くあることだ。えすえふの文庫をポケットに入れ(創元が良い。ハヤカワはでかくなってからあんま好かん)、パセリ畑を耕すことにする。晴耕雨読。実に健康的な日常で、体がどんどん変わって行く。複眼が開き、触角が生え、卵を産めるまでになった。パセリは森になっている。宇宙船は産めるかもしれないが、もう帰れない。

  パセリの森へ産みつけておく宇宙船  加藤久子(『現代川柳の精鋭たち』より)

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2016年03月13日

「川柳木馬」第147号

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川柳木馬第147号 2016・冬
発行人 清水かおり
編集室 山下和代

【会員作品 木馬座】
血族は可動橋からやって来る  清水かおり
秀才の飼う出目金は喋ります  西川富恵
夏草やほうれい線は伸びてゆく  小野善江
糠床のはるかなものに手を染める  内田万貴
ピーマンも即興詩人なりたがる  岡林裕子
何だ何だと大王イカも浮上する  古谷恭一
敬遠のフォアボールってピンクかも  山下和代
回転ドア影を残して来たらしい  濱田久子



「川柳木馬」誌は、昭和54(1979)年に設立された「川柳木馬ぐるーぷ」が発行する川柳季刊誌。高知を拠点に活動している。
「川柳木馬」では、昭和57(1982)年の第13号から「昭和2桁生れの作家群像」というページが開始され、現在も「作家群像」というタイトルで木馬誌の名物になっている。これは一人の川柳人に光を当てる特集で、プロフィール・作者のことば・作者自選60句・作家論が掲載されている。直近では、前号で「作家群像 榊陽子篇」の特集が組まれ、石田柊馬さんとわたしの榊陽子論、榊さんの自選60句などが掲載された。
なお「川柳木馬」の歴史や特徴については、週刊川柳時評の過去記事「川柳木馬の30年」に詳しく書かれている。

さて、意外にも「川柳木馬」を柳誌レポートできちんと取り上げるのは、これが初めて。そこで今回は、発行人である清水かおりさんの句について書いてみたいと思う。

 血族は可動橋からやって来る

この句を見て感じたのは、語り手にとって「血族」は構えるべき存在として認識されている、ということ。それは、この句に採用された言葉からうかがい知れる。

第一に、語り手が「血族」という非日常的な言葉を使ったことじたい、血族への〈構え〉がうかがえる。身内とか親戚というありふれた言葉と比べてみれば分かりやすいのだけど、「血族」というありふれていない言葉は、(その人たちと)血縁関係にあることの認識がぎゅっと濃縮されている。
第二に、ただの橋ではなく「可動橋」に着眼したところに、血族への〈構え〉が見てとれる。ちょっと昔の可動橋のお話になってしまうけれど跳ね橋──お城の入口で上げ下ろしする橋は、城内に入る人間を制限してお城を保護する装置である。言うなれば、入城者にたいして構えることが跳ね橋の前提になっている。現代の可動橋でも、橋が可動する前には、警報機や遮断機という〈構え〉がまず作動し、人間を閉鎖したり開放したりする。「血族」が「可動橋」を渡ってくるという意識は、血族と関係するうえでの心の〈構え〉方が示唆されているように思える(ちなみに『ジャックと天空の巨人』という2013年公開の映画では、跳ね橋で城門を閉鎖できるかどうかが、おそろしい巨人族との攻防の分岐点になっていた)。
第三に、単に〈来る〉のではなく「やって来る」という表現に〈構え〉を感じる。「やって来る」のだから、血縁集団がこちらに向かって来る、という徒ならぬ意識が働いている。たとえば、サーカス団は〈来る〉のではなく「やって来る」のでなければならない。ビートルズだってあの当時の感覚としては、「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」と言ってしまわざるをえなかったのだろう。

このように掲出句は、「血族」「可動橋」「やって来る」という〈構え〉によって、身内や親戚を再認識している句のように思われた。

なお「川柳木馬」では、外部の川柳人が「木馬座」の句評を二号分執筆する。わたしも拙文を掲載していただいたことがある。前号と今号は、川柳カードとLeafの同人である畑美樹さんが句評を担当されている。清水かおりさんと同様に畑美樹さんも、わたしが川柳を始めた当初からすごく影響を受けてきた川柳人だ。毎号、どんな評者が登場するのかも木馬誌の楽しみなのである。

posted by 飯島章友 at 12:00| Comment(0) | 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

精神の門:200字川柳小説  川合大祐

じゃあね、とイタコは言った。正確にはさらば愛しき人よ、だったかもしれず、まず、うー、たのしい。と発音した者はイタコなのか霊なのか判別に困る。そもそも誰の霊を呼び出したか解らないままに終わってしまって、なおいっそう霊場は霧の中である。たのしいそうですよと同行者が言ったが、それも誰だったか。イタコのおばあさんは枯木の体をしていて、立ちあがるとぼきり音がした。どこへ行くのですか、と訊こうとしたが、誰に。

  どこへ行くのか肉体に聞いてみる  桑沢ひろみ(「川柳の仲間 旬」No.203より)

posted by 川合大祐 at 00:00| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする