2016年12月13日

【フシギな短詩・裏の話】安福望×柳本々々「菜の花菜の花子供でも産もうかな」をめぐる

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菜の花菜の花子供でも産もうかな  時実新子

安福 今回のフシギな短詩の新子さんの句、菜の花菜の花って菜の花が分裂してるかんじなんですかね。
 菜の花にはなしかけてるのかとおもいました。だからひとりごとっていうのはおもってたんですよ。
 入っていますの句がおもしろかった。寝る前にかんがえてて。電話していってるかんじっていう結論にひとりでなってました。この世じゃないところから電話がかかってきて、今この世だよって。着きましたか?みたいな電話かなって。

柳本 ああなるほど。

安福 この世に入国してるところだから、いそがしいのって。

柳本 トイレだとおもったんですよね。

安福 トイレ! なるほどなあ。おもしろいですね。ノックされてるんだ。

柳本 でも個室トイレって書きたくなくて、「個室」にしたんですよ。

安福 あ、そうなんだ。「入っています」をくり返すのっていそいでますよね。
 二回くりかえすって、相手に伝えようとしてるかんじするんですよ。だから菜の花も二回くりかえしてるから、ほんとは伝えたいんですよ。子供でも産もうかなって伝わってほしい気がしました。

柳本 そうかあ。たしかに新子さんの句はくりかえしばかりですよね。

安福 一回じゃ伝わらないってわかってるから二回いうのかなあって。菜の花はそんなかんじしました。

柳本 うーん、こんなこと言っていいのかな。菜の花菜の花って二回繰り返すと脳内お花畑って気もするんですよね。わざとそういう感じを出すっていうか。

安福 菜の花が一面に咲いてる感じ。二回くりかえされてるから。

柳本 アハハアハハみたいな。

安福 (笑)。なんかわかります。なんでだろう。菜の花かな。春だからかな。

柳本 「子供でも産もうかな」っていうのは、どこかなにかがくるわないといえない発言なんじゃないかと思うんですよね。通常の状態では言えないんじゃないかって。この発言のこわさってなんか童謡に近い気もします。さいきんアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』の海外ドラマをみていても思ったんですが、童謡って基本的に思考のチャンネルが少しあぶない感じがしますよね。だから殺人事件のモチーフにも使いやすいのかな。
 基本的に繰り返しって童謡ですよね

安福 ああ、ほんとですね。

柳本 「咲いた咲いた」とか。

安福 ほんとだ。童謡にいきなり子供でも産もうかなってくるかんじですね。

柳本 「子供でも産もうかな」っていろんなリミッターを解除しないと言えないんじゃないですかね。

安福 うーんそうかも。なかなかいえないですね。そうですね。こどもを産むって一大事だけど、それをかるくいってる。

柳本 生態を無視してる気がするんですよね。身体知をリセットしようとしているというか。生理学とか医学とかそういう身体知をすべておじゃんにしてしまうというか。

安福 ああ、そういうことかあ。ひとりで産むんですもんね

柳本 子どもも関係ないんですよ。

安福 え、こどももかんけいないの。

柳本 おなじ文法で任意に文をつくってみるとわかりますよ。「カレーでも食べようかな」

安福 ああ、そういうかんじなのか。おなじかんじなんですね。

柳本 カレーでなくてもいいんだよね。こどもでなくても。
 ナノハナナノハナってうわごとっぽいというか。

安福 うわごとっぽいですね。そうかあ、すこしおかしな思考の感じしますね。

柳本 「な」にさそわれてますよね、「かな」が。
 ナノハナナノハナ
 あと母(は・は)がはいってる。

安福 ほんとだ、さそわれてますね。あ、ほんとだ。なんかだんだん怖い句におもえてきた。

柳本 母(ハハ)か花(ハナ)か、なんじゃないですかね。母の名は、ともきこえるから。

安福 あ、きこえますね。

柳本 母か花をえらぶってことなのかなあ。

安福 菜の花にさそわれて、こどもでも産もうかなってぽろっとでたのかな。
 母になるか花になるか? たまたまじゃなくて、えらぶの? 母になるか花になるか。たまたま女のひとにうまれたけど、母になるのは選択ですね。

柳本 産もうかなっていうのは選択ですよね。しないばあいは、うまないでしなせてしまう場合もあるんだろうか。産もうかな産まないことにしようかな、と。そう考えるとすさまじくこわい句ですね。おろしてしまうというか。これそもそも愛がどこか過剰で欠乏してますよね。「あなたでも愛そうかな」みたいなもんだもんね。

安福 あなたでも愛そうかなってかんじしますね。ああ、そういうことかあ。まだ子供がおなかにいないのに、産もうかなっていってるとおもってました。

柳本 ああそれもありますね。うそをついてるばあいもありますね、おとこに。おとこの愛をためすために。こどもでも産もうかなって。

安福 なるほどなあ。

柳本 不倫だったら相手がびびるから。

安福 びびりますね。

柳本 うもうかな、っていわれたらびびりますよね。でも女のひとは不倫のときだって妊娠するかもしれないから、いつも身体レベルで不倫をかんがえてると思うんですよね。男のひとはロマンチックに考えていても。だから男のひとはびびるけど、女のひとにとってびびることでもなんでもない、ずっと考えてなくちゃならないことなのかも。でも、男はびびる。

安福 びびるでしょう。でもそうですね。そういうとき、ふわっといいそうですね。産もうかなって。

柳本 ただし、それを菜の花のレベルでいうんですよ。般若とかのレベルじゃなくて。
 ふつうのレベルですさまじいことをいうっていうのかな、すさまじいことをふつうのレベルでかんがえる。菜の花のレベルで。

安福 川柳ってすさまじいんですね。

柳本 なんか新子さんの句を今回考えているあいだ、本多真弓/本多響乃さんの短歌のことを同時に考えていたので本多さんの歌を引用して終わりにしたいと思います。

  誰からも習つたことはないはずのへんな形になる ひとを恋ふ  本多真弓/本多響乃

posted by 柳本々々 at 19:59| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

【生き抜く川柳 ⌘ 川合大祐『スロー・リバー』を読む 3】 

第1回 砂金をさがして

小津夜景


さいきん川合大祐『スロー・リバー』を読み直している。あとがきで少しだけ触れられているが、この本の選句は柳本々々が中心となって行われた。で、わたしはその作業の手順を少しだけ聞いているせいか、読めば読むほど《柳本セレクトショップ》の色彩が強烈だ、と思う。

柳本さんの選句には明確な批評と攻めの姿勢とがある。さもなくば、こんな選句はなかなかできない。仮にじぶんが選句を依頼されたとしたら、たとえば

白鳥を解き放つため汁でいる  川合大祐
巨大像ナゾナゾのまま祈り出す
画ではなく体のほうのピカソ裂く  
肉片のバーバパパなり花筏


あたりはきっと句集に入れたと思う。あと時と場合によっては

最強がとなり町へと逃げて来る   
麺類と人類が遭う歴史秘話


なども入れてしまったかもしれない。また実は私小説風川柳を多く詠んできたらしい川合さんには、

飛べない日くらいは翼出しておく  
愛されてしまったあとの傷薬


といった雰囲気の句も少なくない。

けれども、もしも今挙げたような安定感のある句、すなわち言い方をかえれば意味構成が無難で、世間とのかみ合いが良く、読者が何か言うのに便利な句ばかりが目につくような体裁だったら、『スロー・リバー』はここまで"もの珍しい"句集にはならなかったにちがいない。柳本さんは、川合さんという人間の表皮ではなく、その割れ目やすきまに挟まっている砂金をごっそりさらったのだ。ふつうの人は澱や塵とみなしてしまいがちな、かけがえのない輝きを求めて。

(次回につづく)

posted by 飯島章友 at 20:00| Comment(0) | 川合大祐『スロー・リバー』を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本日より

小津夜景さんによる川合大祐著『スロー・リバー』の鑑賞を毎日掲載してまいります。
続き物です。
どうぞお楽しみに。
posted by 飯島章友 at 19:51| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月11日

終始の始末:200字川柳小説  川合大祐

「一人一殺の原理でゆくと」と、そのツイートは始まっていた。「百億人の人類を滅亡させるには、百億人の人類がいれば足りる」。それがどういう刺激をもたらしたのか解らない。ただ、みんなもううんざりしていたのだろう。何もかも投げ捨てて、誰もが懸命に一人一殺に励んだ。多摩川を、カスピ海を、太平洋をなきがらが埋め尽くした。それは、戦争だったのかもしれない。そして今、町に二人が残った。名を、アダムとイブと言った。

  はじまりか終わりか夜明けの号砲  西田雅子(ゲスト作品「遠浅の夜」より)

posted by 川合大祐 at 00:00| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月08日

【川柳トーク】時実新子「目の前に水晶玉がある逢える」の句をめぐる 安福望×柳本々々

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  目の前に水晶玉がある逢える  時実新子

柳本 この句の「逢える」って言い切っちゃう、強気なのってやっぱり新子さんだなっておもったんですね。「水晶玉」って幻想ですよね。でも「逢える」っていいきっちゃうのがしんこさんだとおもったんです。

安福 水晶玉を媒介に逢うってことなのかな。このひとにとって水晶玉が夢とかそういう人とあうためのものなんですよね。

柳本 水晶玉を媒介にするのって逢えないひとですよね。だって「水晶玉」にゆきつくしかないんですから。

安福 ほんとですね。

柳本 逢えないんだっていうのをある意味割り切れないんだと思うんですよ。その意味では「逢えない」句でもあるんですよ。

安福 あれですよ、魂の移動のひとなんですよ。身体はあえないんですよ。

柳本 ああ。身体っていえば、「目の前に水晶玉がある」っていう言い方が冷たい気がしたんですよね。さめてないかなこれ。

安福 あ、そうなの。さめてるのかな。それおもわなかったです。たぶん自分は逢いたいけど、あっちゃだめなひとだから、水晶玉をとおしてあうんですよ。水晶玉であうってこっそりあってるってことでしょう。

柳本 だってですよ。「目の前」にあるのをわざわざ「目の前」なんていわなくていいでしょう。じぶんの目を「目」って記述するひとってさめてるとおもうんですけどね。

安福 ああ、そうかあ、「目の前に」っていってるのわすれてた。「水晶玉がある逢える」ばっかり気にしてましたよ。

柳本 なんていうのかなあ、わたしがわたしに会ってる。私の目に、わたしがいままず会ってる。だからこれ、わたし=わたしでもう閉じてるのかもしれないですね。「逢える」はだから打ち消されるのかな。そういうなんか不思議な句じゃないかな。

安福 じゃああれかな、記憶にあるあなたに逢ってるのかな。閉じてる感じしますね。

柳本 きょうごめんいけないんだの認識なのかもしれないですね。ひとつの。あるいは、もしかしたらわたしの目にあってるってことかな、目からわたしのなかのあなたに。

安福 「逢える」がものすごくつよいですよね。やっぱりひとりで完結してる気がしますね

柳本 ただ「る」で韻をふんでるのがきになるんですよ。システマティックなんですよね。なんかさめてるんですよ、それも。

安福 水晶玉にね、あなたが閉じ込められてるかんじがしてきました。やっぱりさめてるのかあ。

柳本 感情はほとばしってない気がするなあ

安福 それは水晶玉にとじこめてるんじゃないですか。水晶玉って記憶のかたまりみたいなかんじがしますね。たくさんあるんですよ、水晶玉。そのなかの一つをみてるんですよ

柳本 水晶玉かあ。あ、○の力学なのかなあ。目も○でしょう。

安福 〇ですね

柳本 「る」って文字も○が入ってますね。下の方に。新子さんってかたちのひとだと思うんですよ。Zの椅子にすわるとかそういう句があるんですよ。

安福 あ、そうなんだ。水晶玉は〇だからえらばれたかんじしますね。

柳本 未来は三角形に折るとかね。そもそも新子さんは絵を描いてたひとなんですよ。

安福 そうなんですね。だから、「たましいのかたちとわれてまるくかく」なんですね。

柳本 新子さんの絵はがきがあって。新子さんが絵を描いてましてね。へえってこないだみてたんですけど。でもかんがえてみると、□とか○ってひとつの水晶玉ですよね。形をとおして概念にあってるわけですよね。

安福 そうですね。形って重要ですね。わたしも形からはいりますね

柳本 ひとってかんぺきな○にはであえないじゃないですか、あたまのなかだけでしか。プラトンがたしか言ってたのかな。かんぺきに○や△かこうとしてもミクロン単位でゆがむわけですから。水晶玉でであってもかんぺきなあなたにはであえないですよね、像はゆがむから。

安福 なるほどー

柳本 会えることはできないですよね。ゆがんだあなたにしか逢えない

安福 かんぺきなあなたというか、ほんとうのあなたにはあえないですね。記憶ってどうしても改ざんされるから。あ、そうそう、記憶のあなたはゆがんでるんですよね。

柳本 水晶玉とか形って規定ですよね、定型もそうかも。

安福 あ、ほんとですね。定型って不完全なものを完全にみせてくれるようなきがします。完全というかなんかおぎなってくれるきがする

柳本 完全のなかの不完全をかんがえるのが絵や定型なのかもしれないですね。新子さんのこれを恋愛句だとしても、たぶんでもたとえば恋愛って完全のなかの不完全をたえずつきつけられることですよね。こうありたいとかおもうんだけど、不完全さにうちのめされるっていうか。ひととひとの関係がそもそもそうなのかな。

安福 ああ、なるほどなあ。不完全にうちのめされますね。自分の完全とひとの完全ってずれてますしね

柳本 定型が神さまならやっぱりふかんぜんな民はうちのめされるんじゃないですかね、なんどもなんども挑戦しては。水晶玉ってあるいみ、かんぺきな○ですよね。○だからイメージをうつせる気がするし。

安福 かんぺきな〇ですね

柳本 でもそれは不完全なわたしの幻想かもしれないってことですよね。転移の句ですよね、精神分析的には。これは。

安福 あ、なるほど、ほんとですね

柳本 そう考えれば、ひとって水晶玉なんですよね。ほんきにならないでよねって。好きとかってそうでしょって。転移ってそういうことですよね。

安福 そうなのかも。水晶玉みたいに自分をゆがんでみてるのかな

柳本 だからこわいのは、言葉で組み立てられて韻をふまれるとその言葉のノリでうそかどうかわかなんくなっちゃうことですよね、本気になっちゃう。あと、これってたった3音しかないんですよ、じぶんの場所が。ほとんど場によってコントロールされているんですよね、句の比率としては。「逢える」しかない、じぶんの場所は。

安福 ほんとだ。「水晶玉が目の前にある」っていうのがほとんどですもんね。

柳本 「水晶玉」だけでもよかったのに。

安福 でもだから逢えるがすごく強いんですよ。そうかあ、「目の前に」っていわなくても「水晶玉」っていうだけで目の前にありますもんね

柳本 「会いたい」でもないわけですからね。「会う」でもないし。3音のちからなんだなあ

安福 「逢える」ですもんね。

柳本 3音では「会えない」はいえないですよね。

安福 水晶玉がある=逢える世界ですね。水晶玉があるから逢えるってどういうことなんでしょ

柳本 「逢える」って言い方よくよく考えてみると不思議な言い方じゃないですか。目の前にあるんだったら逢ったらいいじゃないですか、もう。「会う」って。「あえる」ってまだあってないわけですよね。

安福 あってないですね。やっぱりあえないんじゃないですか、じっさいには

柳本 だからこれひきさかれてる句なんだとおもうなあ。いろいろ

安福 そうですね

柳本 なんかね、句が句をうらぎっていくと思うんですよね

安福 なんかぐるぐるしてきましたね。

柳本 新子さんって実はそういう少し深いつくりかたをしているんじゃないかとおもうんですよ。めまいのような。

安福 そうなんですね

柳本 読者をいい意味で裏切っていくような。素直に読みたいときはそう読めるし、そうじゃない場合もそうじゃなく読める。つまり枝分かれできるようになってる。それって文学ですよね。

安福 枝分かれできるのかあ。「目の前に水晶玉がある 逢える」って一字あけありそうなのにないから、逢えるがすごくつよくかんじました。

柳本 そうすると「る」が離れちゃうんですよね。「あるあえる」って巻き舌になってまきこまれていくかんじしますよね。

安福 しますね。あるあえる。あえるの「え」がなかったら、あるが重なりますね。えーえんとくちからみたいに。

柳本 だからこれ違和感があるのは、「ある」っていうのはモノなんだけど「逢える」はヒトで、でもそれがくっついちゃってんのね。

安福 ああ、そうですよ

柳本 ひとがあるとはいわないし、モノに逢えるとはいわないから

安福 ほんとですね。水晶玉とひとが一緒になってるんですね

柳本 あと現在形なのにたどりつかないんだよね。「逢える」ってまだあえてない。現在形なのに。

安福 そうですよね、それおもいました

柳本 「あう」ってそもそもなんだってことですよね。なにをやったらひとはひとにあえるのか、あうといっていいのか。あうことはほんとうにあうことなのか。ひとはひとに一度でもあうことができるのか。

安福 うーん、逢えるっていってるけど、まだ逢ってないですね。

柳本 どうやったらひとってひとにあえるんだろうって

安福 あう。なんですかね。あ、触れたらかな。逢えてますよってことでみんな握手するのかな。あうってつながるってかんじします。

柳本 触れたらかあ。コンタクトしないとだめですよね。でも、「あえる」ってふつう、明日あえるとかですよね。明日あえる、っていうふうに使いますよね。ちょっとさきの未来ですよね。

安福 そうですね、あしたあえるです。みらいですね

柳本 なのに、「目の前」なんですよね

安福 あ、ほんとだなあ

柳本 目の前なのに。逢えるってわざわざ離れて。

安福 はなれてますね

柳本 「逢える」じゃなくて「あなた」とかだったらもうあえてるんですけどね

安福 そうですね、目の前にいますね。逢えるはそのひとが逢えるって思ってるだけだから、相手は逢えるかわかってないんじゃないですか。あ、あれかなあ、目の前にいるんだけど、あなたにはみえてないんですよ。水晶玉がある逢えるっていっているひとは死んじゃってるとか、幽霊とかで。じぶんにはみえてるけど、あなたがみえてるけど、あなたは私がみえないんですよね。え、でもそしたら結局あえないのかあ。なんかわかんなくなってきましたね。

柳本 しんでるばあいありますね。

安福 水晶玉わりたくなりますね。あえなかったらわってますね

柳本 いや、それは(笑)。ちょっと安福バイオレンスが出てますね。そうか、暴力性もひきだす句なのかなあ。うーん、でもこの句ってちょっとスパイシーなところはあるんですよね。過激なというか。水晶玉で逢えるんだっておもったら、ほんとうの会うの意味もかわっちゃいますよね。そういうのがありますよ。この句のなにかこうスパイシーなかんじはそこにあるとおもいます。メディア論なんですよね。それネットそのものなんだから。

安福 あ、それ思いました。水晶玉がメディアなのかなって。スマホみたいなもんなんじゃないですか、水晶玉

柳本 あとは性でもないなってことですよね。性を特権化しない恋愛ですよねこれは。水晶玉っていうのは脱身体の世界だから。でも目の前っていう身体性も描かれてる。けっきょく身体を脱臭しても身体くささってどこかにはのこるんですよね。

安福 あ、そうですね、身体がない。そうなのかあ、のこるんですね。なんかちょうど最近、スマホをさわってるひとを電車でみてて、祈ってるみたいっておもって、祈るって無防備な姿勢っていってたじゃないですか。スマホさわってるひとも無防備なんですよね。どこかとつながってるひとって無防備な姿勢になるんだなと思いました。祈るひとは神とつながろうとしてるかんじ。寝て夢をみるのも無防備な姿勢で、夢は過去のじぶんとつながってるのかなって思いました。握手も目の前のひととつながってるから、目の前のことでいっぱいで無防備ですよね

柳本 ああ、握手って無防備になることなんですよね。だから、手をつなぐ恋愛ってね、ふたりで破滅していこうとする行為にちかいですね。ふたりで世界に対して無防備になっていくというか。

安福 そうか、これ、無防備になる句なのかあ。目の前を支配されるってそういうことなんですね。この水晶玉の句って、相対性が絶対性になる句なんだ。

柳本 でも、こんな絶対性を相対性にしてしまう句もあるんですよ。つまり、最後になりますが、

  菜の花菜の花子供でも産もうかな  時実新子

posted by 柳本々々 at 22:47| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする