2016年12月13日

【生き抜く川柳 ⌘ 川合大祐『スロー・リバー』を読む 3】

第2回 フュージョン感覚

小津夜景


『スロー・リバー』の巻頭を飾るのは次の句です。

ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む  川合大祐

ぐびゃら岳で、じゅじゅべき壁に、びゅびゅ挑んでいる、といったシーン。「ぐびゃら」も「じゅじゅ」も歩いたり掴んだりしにくそうな、一筋縄ではゆかない質感です。「びゅびゅ」についてはふだん「風がびゅうびゅう吹く」などと言うだけあってなんらかの身を切るような状況を連想させますが、どちらかというとわたしはこの語に超人的びゅーんを感じとりたい派です。石ノ森章太郎に「超神ビビューン」なんてのもありましたし、余計に。

そんなわけでこの句、実はかなり《山岳文芸度》が高い。ありえない困難に立ち向かうさまが涙(と笑い)を誘います。

それはそうと「この句の『ぐびゃら』『じゅじゅ』『びゅびゅ』はオノマトペかハナモゲラか?」といった素敵な問いを飯島章友さんが立てているようです。わたしはこれ、オノマトペとハナモゲラのダブルミーニングになっていると思いました(ハナモゲラには意味がないので「ミーニング」と呼ぶのも変なのですが)。どの言葉も出自はオノマトペっぽい。つまり音になんらかの質感の喚起力がある。しかしながら意味に回収できるほどの具体性はない。このおおざっぱなフュージョン感覚が、雑種性の強いSFっぽくていいんですよ。

(次回につづく)

posted by 飯島章友 at 20:00| Comment(0) | 川合大祐『スロー・リバー』を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【フシギな短詩・裏の話】安福望×柳本々々「菜の花菜の花子供でも産もうかな」をめぐる

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菜の花菜の花子供でも産もうかな  時実新子

安福 今回のフシギな短詩の新子さんの句、菜の花菜の花って菜の花が分裂してるかんじなんですかね。
 菜の花にはなしかけてるのかとおもいました。だからひとりごとっていうのはおもってたんですよ。
 入っていますの句がおもしろかった。寝る前にかんがえてて。電話していってるかんじっていう結論にひとりでなってました。この世じゃないところから電話がかかってきて、今この世だよって。着きましたか?みたいな電話かなって。

柳本 ああなるほど。

安福 この世に入国してるところだから、いそがしいのって。

柳本 トイレだとおもったんですよね。

安福 トイレ! なるほどなあ。おもしろいですね。ノックされてるんだ。

柳本 でも個室トイレって書きたくなくて、「個室」にしたんですよ。

安福 あ、そうなんだ。「入っています」をくり返すのっていそいでますよね。
 二回くりかえすって、相手に伝えようとしてるかんじするんですよ。だから菜の花も二回くりかえしてるから、ほんとは伝えたいんですよ。子供でも産もうかなって伝わってほしい気がしました。

柳本 そうかあ。たしかに新子さんの句はくりかえしばかりですよね。

安福 一回じゃ伝わらないってわかってるから二回いうのかなあって。菜の花はそんなかんじしました。

柳本 うーん、こんなこと言っていいのかな。菜の花菜の花って二回繰り返すと脳内お花畑って気もするんですよね。わざとそういう感じを出すっていうか。

安福 菜の花が一面に咲いてる感じ。二回くりかえされてるから。

柳本 アハハアハハみたいな。

安福 (笑)。なんかわかります。なんでだろう。菜の花かな。春だからかな。

柳本 「子供でも産もうかな」っていうのは、どこかなにかがくるわないといえない発言なんじゃないかと思うんですよね。通常の状態では言えないんじゃないかって。この発言のこわさってなんか童謡に近い気もします。さいきんアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』の海外ドラマをみていても思ったんですが、童謡って基本的に思考のチャンネルが少しあぶない感じがしますよね。だから殺人事件のモチーフにも使いやすいのかな。
 基本的に繰り返しって童謡ですよね

安福 ああ、ほんとですね。

柳本 「咲いた咲いた」とか。

安福 ほんとだ。童謡にいきなり子供でも産もうかなってくるかんじですね。

柳本 「子供でも産もうかな」っていろんなリミッターを解除しないと言えないんじゃないですかね。

安福 うーんそうかも。なかなかいえないですね。そうですね。こどもを産むって一大事だけど、それをかるくいってる。

柳本 生態を無視してる気がするんですよね。身体知をリセットしようとしているというか。生理学とか医学とかそういう身体知をすべておじゃんにしてしまうというか。

安福 ああ、そういうことかあ。ひとりで産むんですもんね

柳本 子どもも関係ないんですよ。

安福 え、こどももかんけいないの。

柳本 おなじ文法で任意に文をつくってみるとわかりますよ。「カレーでも食べようかな」

安福 ああ、そういうかんじなのか。おなじかんじなんですね。

柳本 カレーでなくてもいいんだよね。こどもでなくても。
 ナノハナナノハナってうわごとっぽいというか。

安福 うわごとっぽいですね。そうかあ、すこしおかしな思考の感じしますね。

柳本 「な」にさそわれてますよね、「かな」が。
 ナノハナナノハナ
 あと母(は・は)がはいってる。

安福 ほんとだ、さそわれてますね。あ、ほんとだ。なんかだんだん怖い句におもえてきた。

柳本 母(ハハ)か花(ハナ)か、なんじゃないですかね。母の名は、ともきこえるから。

安福 あ、きこえますね。

柳本 母か花をえらぶってことなのかなあ。

安福 菜の花にさそわれて、こどもでも産もうかなってぽろっとでたのかな。
 母になるか花になるか? たまたまじゃなくて、えらぶの? 母になるか花になるか。たまたま女のひとにうまれたけど、母になるのは選択ですね。

柳本 産もうかなっていうのは選択ですよね。しないばあいは、うまないでしなせてしまう場合もあるんだろうか。産もうかな産まないことにしようかな、と。そう考えるとすさまじくこわい句ですね。おろしてしまうというか。これそもそも愛がどこか過剰で欠乏してますよね。「あなたでも愛そうかな」みたいなもんだもんね。

安福 あなたでも愛そうかなってかんじしますね。ああ、そういうことかあ。まだ子供がおなかにいないのに、産もうかなっていってるとおもってました。

柳本 ああそれもありますね。うそをついてるばあいもありますね、おとこに。おとこの愛をためすために。こどもでも産もうかなって。

安福 なるほどなあ。

柳本 不倫だったら相手がびびるから。

安福 びびりますね。

柳本 うもうかな、っていわれたらびびりますよね。でも女のひとは不倫のときだって妊娠するかもしれないから、いつも身体レベルで不倫をかんがえてると思うんですよね。男のひとはロマンチックに考えていても。だから男のひとはびびるけど、女のひとにとってびびることでもなんでもない、ずっと考えてなくちゃならないことなのかも。でも、男はびびる。

安福 びびるでしょう。でもそうですね。そういうとき、ふわっといいそうですね。産もうかなって。

柳本 ただし、それを菜の花のレベルでいうんですよ。般若とかのレベルじゃなくて。
 ふつうのレベルですさまじいことをいうっていうのかな、すさまじいことをふつうのレベルでかんがえる。菜の花のレベルで。

安福 川柳ってすさまじいんですね。

柳本 なんか新子さんの句を今回考えているあいだ、本多真弓/本多響乃さんの短歌のことを同時に考えていたので本多さんの歌を引用して終わりにしたいと思います。

  誰からも習つたことはないはずのへんな形になる ひとを恋ふ  本多真弓/本多響乃

posted by 柳本々々 at 19:59| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする