2016年12月14日

【生き抜く川柳 ⌘ 川合大祐『スロー・リバー』を読む 3】

第3回 わたしは椅子になりたい

小津夜景


川合大祐の川柳の美点は、破天荒な作品ばかりにもかかわらず、反権威の姿をしたナルシシズムや功名心が感じられないこと。その自意識への執着のなさは奇蹟的です。

人でなしばかりの国で椅子になる  川合大祐

この句においても、無機物萌えによってモノを人格化したり、あるいはその逆に無機物を介して個我を浄化したりといった《密かな自己愛を巡る物語》とは一線を画したところで「椅子=自分」の図式が提示されます。

「椅子=自分」は世界を異化し、それによって新たな意味秩序を編成するための装置ではありません。この辺りの雰囲気は『スロー・リバー』全体を通して眺めないと掴みにくいのですが、そもそも『スロー・リバー』は異化や秩序といったものに無関心なのです。ついでに言えば表現とか説得力とかいったものにも。

ならば作者は何に興味があるのか。

たぶんそれは「生き抜く」ことです。

人でなしばかりの国で椅子になる──決死の選択です。だって人は決して椅子になれないから。にもかかわらず、人でなしの国で生きのびるには人でなし以下のモノに成り下がるしかない時がある。自意識を少しでも抱えていたままでは、到底切り抜けられない局面というのがある。モノには成仏がない。救いがない。思考も感覚もない。しかし成仏も救済も思考も感覚も投げ捨てた圧倒的な《貧しさ》だけが、世界から自分を守る盾となる瞬間が──いや、これ以上繰り返すのはやめましょう。さしあたり今は。

最後に。この句を読んだ時まっさきに思い出したのは楳図かずお『漂流教室』の、主人公の少年が椅子になるシーンでした。生きることの不条理と恐怖を、とてつもない想像力で乗り越えるあの少年の。

(次回につづく)

posted by 飯島章友 at 20:00| Comment(0) | 川合大祐『スロー・リバー』を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする