2017年02月28日

「川柳木馬」第150・151号 合併号

川柳木馬 第150号・151号 合併号
発行人 清水かおり
編集室 山下和代

今年最初の「川柳木馬」誌は、恒例の特集「作家群像」が掲載されている。この「作家群像」は、現在活躍する川柳人ひとりにスポットを当て、そのプロフィール、作者のことば、自選60句、および二名の評者による作家論・作品論で構成された記事。

今回取り上げられている川柳人は徳長怜さん。わたしも大好きな作家さんであり、以前川柳スープレックスにも作品をご寄稿いただいた(Fw:舌)。また評者は新家完司さんと八上桐子さん。なんとも豪華である。
何はともあれ、掲載されている徳長さんの60句から数句引用してみよう。

 リエゾンであなたと波の音になる
 ちょんまげのあったところで感じてる
 デアゴスティーニそろそろ届く僕の首
 午前中なら消印は海ですが
 出し汁を煮詰めてみればジャコメッティ
 年表にネットカフェ紀がすべりこむ
 バス停は武士になる気で立っている


「リエゾン」「デアゴスティーニ」「ジャコメッティ」、このあたりは歌人ならいかにも使いそうだが、川柳人に使われると意表をつかれる。所属はふあうすと川柳社とプロフィールにあるが、もし毎回このような作品を提出しているのだとすれば、社内ではさぞかし異彩を放っておられるのではないか。それにしても徳長さんの作品、わたし好みだ。

評者の新家さんと八上さんは、徳長作品についてほぼ共通した印象をいだいているようだ。

独自性を目指しつつ伝達性をも考慮するのは難儀なことではあるが、それが生みの苦しみであり遣り甲斐のあることでもある。徳長怜作品には、その「独自性と伝達性」を併せ持たせた苦心の作品が多く見られる。(新家完司「徳長怜川柳を読む 〜多様な作品を生む自在な想い〜」)

詩的飛躍が過ぎると、良い悪いは別にして難解になる。その点で、共感性、大衆性のラインぎりぎりへ決まるスマッシュのような鮮やかさだ。(八上桐子「徳長怜を読む 〜海辺の時間〜」)

現代川柳には、コトバの可能性を模索する代償として、ともすれば読者を置いてけぼりにしかねない表現も見られる。またそれとは逆に、〈一読明快〉をテーゼとするあまり、既にひろく流通している観念をわざわざ川柳に仕立てあげ、既成観念を補強してしまう傾向も見られる。その意味で、「独自性と伝達性」「共感性、大衆性のラインぎりぎり」という葛藤は、表現にたずさわるあらゆる人間にとって大きな課題となる。と同時に、そこを突破するのが遣り甲斐につながっていく。

【会員作品・木馬座】
麦秋のぞわりとそよぐポピュリズム  畑山弘

納豆の疑心暗鬼をもてあます  大野美恵

栗の実のラストシーンは皆快楽けらく
  西川富恵

光源を探し求める展開図  岡林裕子

差し障りなければ図形に戻ります  内田万貴

うれしいを辿ってゆけば喉ちんこ  萩原良子

ハレルヤと女ともだち去ってゆく  清水かおり

片っぽの靴に余った夜がいる  小野善江

今号の木馬句評は小池正博さんが担当している。読んでいただくと分かるのだけど、こころなしかいつもより厳しい評になっている。しかし、いずれも肯ける正当な理由を示したうえでのこと。現代短歌や伝統川柳とは違い、詩性川柳には入門書が見当たらない。だから、こうした句評を参考にしながら徒手空拳で模索していくしかない。それは不安ではあるが、同時に開拓精神を刺激されもする。それこそがこのジャンルの魅力といえるのではないだろうか。


posted by 飯島章友 at 00:15| Comment(0) | 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

今月の作品・岩田多佳子「くぐもる」を読む

みなさ〜ん。お元気ですかあ〜。
などと妙なテンションになっているのも、今月のゲスト作品「くぐもる」を読んでしまったからで、特に一句、というより一文字にこだわって鑑賞を書いてみたい。

 「たすけて〜」と干ぴょうは叫べない  岩田多佳子

これを読んだ時、「うっ」となる。
原因はわかっていて、「たすけて〜」と言っているからである。特にこの「〜」に鋭い突きを食らった感じになる。
というのも、「〜」って、所謂「正しく美しい日本語」とは認められていない、はずで、僕も正しい日本語なんて「けっ」と思っているが、句で「たすけて〜」と言い切る自信はない。
ちょっと遠回りになるが、なんで「〜」は「正しい日本語」と認められていない(はず)なのか、愚考してみることにしよう。
たとえば、長音を延ばしたいのだったら、「ー」だ。「ー」のほうが、一応日本語として認められている(しつこいが、はず、の話である)。それは何故かと言えば、「ー」は、「書き手のコントロールが効くから」じゃないかと思っている。
掲出句を少し変えて「たすけてー」にしてみるとしよう。この場合、読み手は「たすけてえ」と、まっすぐに「音」を受け取るだろう。これは書き手が「こう読んでくださいよ」という支配下に読み手を置いていることになる。
それが「たすけて〜」になったとき、どうなるか。
「〜」は、どう発音するか。イントネーションは、起伏は、長さは、読み手が百人いれば百通りの読み方になるだろう。つまり、書き手のコントロールが効かないのだ。
「正しい日本語」というものが、まさに「正しい」ルールで規定されるものならば、そこに「〜」が「正しくない」とされる理由があるような気がする。
掲出句に戻ろう。
「「たすけて〜」と干ぴょうは叫べない」。ではこの句は書き手のコントロールを放棄した、読み手にすべてを委ねる句なのか。
どうもそうではないように思う。
「干ぴょうは叫べない」を目にしたとき、多くの人は「わからない」と言うだろう。「わからない」ということは、同時に「どのようにもわかることができる」ということでもある。「干ぴょうは叫べない」を相手に、読み手は、無限の可能性を持たされている、ような感覚をおぼえる。
だが、ここでもう一度「〜」を目に留めてみよう。
ここに「〜」が配置されているのは、まぎれもない、書き手の意志である。
「〜」は作者のコントロールが効かない、とさっき書いた。だがそれは、「たすけてー」と読まれない、という次元においてである。
「〜」が自由に見えるのは、「〜」という記号が置かれた上で成り立つ、放牧に近い。自由に読める、ということは、自由に読ませられているということに他ならない。
「たすけて〜」を自由に読ませているのは、書き手なのだ。
「私の命令を聞くな」というパラドックスに近いものが、この「〜」にはある。
もちろん、「干ぴょう」も「叫べない」も、作者の意志によって統御された、読み手の自由である。
このへん、「自由」というもののパラドックスに踏み込むことになりそうだが、今回はあくまで川柳の一句の範疇にとどめておく。
川柳の一句として見た時、この句は書き手に支配された句である、と言いたいわけではない。
この句が句として成立するためには、読み手の「自由」が必要とされている。しかしその自由は書き手によって与えられたもので、だがその自由を賦活するためには読み手の力が必要で……キリがない。
これはあれだ、「書き手と読み手の共犯関係」というやつだ。
どちらが欠けても、川柳は成立しない。そんなのは当たり前のことだが、その構造を暴いてみせるという点で、この句は「川柳」を超越している。
そしてそのキーになるのは、「〜」の一文字だと思うのだ。
余談になるが、「〜」を入力するとき、「から」と打って変換している。もしかしてこの句は、「ここ『から』はじまる」という句なのかもしれない。何がはじまるのかは、共犯者同士の黙契ということにしておこう。

posted by 川合大祐 at 17:16| Comment(0) | 今月の作品・鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

噓だと言ってよ、マミー:200字川柳小説  川合大祐

折り鶴の展開図を見ていて、「山折り」ということがどうしてもわからなかった。ママに訊いた。「どうしてこれが山なの。山って、地面がへこんだところのことじゃないの」。ママは「そうよ」と笑って、その笑顔のまま、歳を取っていった。白髪が増え、皺が刻まれても、ついに鶴が折れることはなかった。臨終の場で、ママは「ごめん、山って地面が盛り上がってるところなの」。なんで、と訊くと「そのほうが、おもしろいと思って」。

  君の噓くらいで山は折れないよ  小池正博(「人体は樹に、樹は人体に」/『川柳サイド Spiral Wave』より)

posted by 川合大祐 at 00:00| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

岩田多佳子を描く柳本々々

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「たすけて〜」と干ぴょうは叫べない/岩田多佳子
       (「くぐもる」『川柳スープレックス』)
posted by 柳本々々 at 23:41| 川柳画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月19日

薔薇の名前:200字川柳小説  川合大祐

「1877年、マーシュとコープとの間に勃発した〈化石戦争〉において」と〈博士〉は語りはじめ、「結果として、〈ブロントサウルス〉の名前を」と続けた時、〈偉人〉が乱入してきて、「〈ブロントサウルス〉はその名前であり続けるべきだ」と銃を振り回すのを〈下駄日和〉が制止して、「名前などどうでもいいだろ」、「いや」と〈水母に似た彗星〉が異議を唱え、「私達のあだ名は考えるべきだ」、ところで、吾輩は〈猫〉である。

  おまえのせぼねにあだ名をつけてやる博士泣きながら  柳本々々(「そういえば愛している」/『川柳サイド Spiral Wave』より)

posted by 川合大祐 at 00:00| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする