2017年02月18日

青いねと言うとき空の声が変【週俳12・1月の俳句を読む】

週刊俳句第512号(2月12日)【週俳12・1月の俳句を読む】に感想を書きました。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/02/121_52.html

【週俳12・1月の俳句を読む】は週刊俳句の第511号(2月5日)と第512号(2月12日)に、
石橋芳山さん 瀬戸正洋さん 赤野四羽さん 安岡麻佑さん 柴田 健さん 三木基史さんが書いておられます。

瀧村小奈生 いいにおい 10句も対象作品でした↓
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/01/10_29.html
脱ぎ捨てたものがかさこそ鳴っている」が好評のようです。
青いねと言うとき空の声が変」も。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/
週刊俳句には
柳本々々さんの「あとがきの冒険」も連載中です。
おもしろいです。


posted by 江口ちかる at 13:59| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月12日

ダンス・ウィズ・モスラ:200字川柳小説  川合大祐

まこと、モスラさんのまえでで踊る舞子さんちゅうもんはな、えれえずくのいるお役目だもんで、はあるかこっち、つとめる者もおらんくなっちまった。見らし、モスラさんも呆れて卵から孵って来ないに。若えのには、モスラさんが寝てたほうが平和でいいっちゅうもんもおるけど、奴らだって、ほんとは見てえずら。モスラさんがもう一遍、卵から這い出して、羽広げてけえってくるところ。まあ、卵が腐ることあねえ。ここは冬の国だに。

  おいそれと腐りはしないフラダンス  榊陽子(「ユイイツムニ」/『川柳サイド Spiral Wave』より)

posted by 川合大祐 at 00:00| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月07日

5ぽ ぽ色の研究 安福望×柳本々々

安福 もう一回、荻原さんのぽに戻りたいんですけど、

  恋人と棲むよろこびもかなしみもぽぽぽぽぽぽとしか思はれず  荻原裕幸

のぽぽぽぽぽぽって一緒に棲む恋人と私にしかわからないことになってるのかなあって柳本さんと御前田さんのぽの文章読んでやっとわかった、って感じなんです。
だからこのぽぽぽぽぽぽってなんなのかって考えてもわかんないんですよね。二人にしかわかんないことだなって。恋人と私だけのぽなのかなあって。だからぽぽぽぽぽぽのなかには、よろこびもかなしみもあと他にもいろいろ入っていて、でもそれは恋人と私以外にはぽぽぽぽぽぽとしか伝わらないことなのかなあって。他人にはぽぽぽぽぽぽというぽの音にしか聴こえないんだけど、恋人にはそれがなにか伝わってるんですよね。
御前田さんがいっていた、「ぽぽぽぽぽぽ・ぽぽ・ぽ(訳:愛している)」も恋人には訳がなくても伝わるんですよね。ぽはたった一人にだけ伝わればいいんだなあって思いました。みんなそれぞれ、自分のぽを持っていて、伝わるひとには伝わるんだなって。

  世界っていろんなものがあるからさ、きっと森の奥深くに忘れられたようなぽとか、深い海の底で深海魚がつついてるようなぽとかあるんだろうね

って柳本さんの「ぽ譚」でいってたけど、ほんとひとそれぞれみんな、ぽを持ってるんじゃないかと思った。ぽって定型みたいですね。なんでも入るかんじする。

柳本 昔、国会図書館で、荻原さんが書かれたものをとにかくずっとピックアップして読んでたときがあったんですよ(それは実は、加藤治郎さんや穂村弘さんのもずっとピックアップして読んでたんだけれど)。そのときに、2000年前後の『短歌』か『短歌研究』で荻原さんが「ぽ」の連作は万葉仮名から発想しているってたしか書かれてたんですよ。

安福 えっ。

柳本 ただ、作者の発言の答え合わせみたいのってあんまり好きじゃなくて、考えてなかったんです。でも今回、いい機会だったので考えてみたんです。
たしかに万葉仮名って特殊ですからね。

安福 わたしぜんぜんしらないですね、万葉仮名について。

柳本 万葉仮名って漢字の当て字みたいなものなんですよ。夜露死苦(よろしく)みたいにね。当時まだ今ある文字が開発されてなかったから、そうやって漢字を借りて文を書いてた。『万葉集』とかそれで書いたんです。だから『万葉集』ってほんとはどういう音なのかってわかんない部分もあるんですよね。
それでね、『万葉集』って奈良時代ですよね。で、この時代のひとってね、「はひふへほ」を「ぱぴぷぺぽ」って発音してたらしいんです。たとえばね、大塩平八郎(おおしおへいはちろう)って発音できなくて、おおしおぺいぱちろう、になる。ほーほっほっほっ、ってわらうときも、ぽーぽっぽっぽっ、ってなるんです。鼠先輩みたいだけど。

安福 えっそうなんですか!

柳本 かんたんにいうとですよ。でね、となるとね、奈良時代のひとはぽぽぽ言語だったことになりますよね。万葉仮名をつかってたころのひとびとは。
そうなるとね、荻原さんの同棲生活の歌ですけどね、このぽぽぽぽっていうのは、〈そういわざるをえない生活〉にふたりがいたってことなのかなあと思うんですよ。万葉人みたいにね。もうある音しか発せない状況。しかもそれは奈良時代の音のありかたのように、システムがそうさせてる。
個人の問題じゃなくて、システムの、ふたりの生活のもんだい。

安福 なるほどなあ。

柳本 万葉人がぽぽぽと発音してたように、ぽぽぽっていうのは、システムにしばられたことばなのかも、個人をこえた。

安福 ああ、そうかあ、システムにはいってしまって、よろこびもかなしみもぽぽぽぽぽぽになってしまったのかな。

柳本 でもそれは万葉仮名のようにあとでシステムがかわるものかもしれない。またシステムがつくりかえられてそのシステムはまるでなかったかのようにわすれさられるものかもしれない。だって今のわたしたちはもう万葉仮名なんて使えないですからね。

安福 あ、そうかあ。つねに変化してるんですね。ぽの短歌のこと考えてるとき、千早茜さんの「男ともだち」って小説思い出してて、その小説の主人公は同棲してるんですけど、話がすすむにつれて、どんどん同棲生活が膿んでいくんですよ。なんか生活が膿むというか腐っていくかんじをぽにちょっとだけかんじてたんですよ。生活が破たんしていくかんじ。でもそれは外からはわかんないんですよね。二人にしかわかんないことで。日本語の変化と一緒で、生活も変化してくんだなあっておもいました。

柳本 あ、そういえばそういうこと考えるときよく思い出す歌があるんですよ。

  わたくしの口癖があなたへとうつりそろそろ次へゆかねばならぬ  斉藤斎藤

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写真・雪男:安福望(句集は田島健一さん、モールサンタは購入品)


posted by 柳本々々 at 21:37| 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月06日

4ぽ 俳句の感想って言ってもいいのかどうか罰せられないかどうか 安福望×柳本々々

安福 田島さんの句集『ぽ』、ぱらぱらしたとき川柳っぽいなあっておもったけど、最初からめくってると、やっぱり俳句なきがしました。季語って昔からあるから難しい字が多かったりもするんですよね。だから俳句を読むってことは俳句をやってないひとには不安になる行為になることもあるんじゃないかなって思いました。

柳本 季語がね、すごくふしぎなんですよね。季語ってなんなんでしょうね。ときどきものすごく季語がぬーっと立ってみえるときがある。ダイダラボッチみたいに。季語って共有言語だとはおもうんですよ。それは歳時記があるからそうじゃないですか。それに決まりもちゃんとありますよね。春の季語をわたしだけきょうから夏の季語にします、とかはできないじゃないですか。
でも、季語って共有言語とはいいながら共有言語でもない部分ありますよね。「浮いてこい」って夏の季語なんですけど、ふつうに暮らしてたらちょっとわかんないですよね。季語ってわからないものがけっこうたくさんあって。そのときの季節感ってなんだろうと思うんですよ。ほんとうはそれによって季節がざわっと感じられるはずなんだけれど、文字のざわざわした感じをむしろ今は感じる場合もあるわけですよね。
あと、間違えちゃうこともある。イチゴは季語ですっていわれても、えっ、そうなのと思ったり。でも俳句は基本的に季語を使う。
そうすると、なんかこう理解不能な場所にじぶんからわざわざつっこんでゆく行為なわけですよね。それってずっと不思議で。わたしにとって俳句の不思議ってたぶんそういうことなんだろうなと思います。それで興味もってるんだとおもいます。それってなんなんだろ。なんのためなんだろうって。
季語ってそのいみで魅力的でこわいんですよ。よくわからないところがある。安心させてくれるとともにつきおとすような。
ただし、この季語って広げてみると、定型にもなってくるとおもいます。だから短歌とか川柳も無縁ではないとおもう。なんのためにわざわざ定型という理解しにくいかたちでひとは発話するんだろうって。それはすごく不思議なことですよ。定型って生まれつきそなわってるものじゃないし、たぶん、もしかしたらだけど、自然なリズムでもないのかもしれないし。8音とかのほうがナチュラルなのかもしれないし。

安福 そうですね。たしかに安心させるようで、わかんないとつきおとされるところがあるかもしれない、季語は。

柳本 つきおとされるといえばね、象徴的自殺っていろんなかたちがあるとおもうんですよ。一日ふとんにもぐって家からでない、とか。
俳句もすこし近いのかなとおもうときがあるんです。なんていうか、季語がね、刀にみえるときがあるんです。
ただ象徴的自殺ってわるいことじゃないですね。なにかのきっかけになるし、生き返る。
こないだNHKのハートネットTVで、新宿歌舞伎町屍派のドキュメンタリーがやっていて、北大路翼さんが、生きることの不思議、みたいなことについてさいご話されてたんですよ。死んでも生きる、みたいな。だから、屍なんだよ、って。で、ああそうかあ、なんか、俳句って象徴的自傷というか象徴的自殺があるのかなあって。そこからの再生というか。
うまくいえないですけどね。でも、うーん、屍派の俳句ドキュメンタリーをみていて、そのなかで生きることと俳句が結びついていたんですよね。生きること、生きないことと結びついていく。なんかそこからいろいろ考えられないかって。そうおもいながら、何度か繰り返し、深夜に、みました。

安福 テレビで俳句先生とかやってて、母とかよくみてるから、やりはじめるひと多そうですよね。どこまで奥にすすむかなのかなあ。奥にすすむとやっぱりおそろしくなっていきますね。でもどんな奥にいくかなのかなあ。そもそも奥があるってことなのかなあ。

柳本 だから、たぶん、俳句って高層ビルみたいなもんで、いろんな場所でエレベーターから降りていくひとがいるんですよ。だからものすごくみあげながら相手と話してる場合もあるんじゃないかな。
俳句ってなんなんですかね。ただ田島さんの俳句みてると、なんか俳句やったことないひとにも抜け道みたいのを示してる気もして。それはなんなのかはよくわからないんだけど。
なんかこう、高校のいちばん暗いころに、田島さんの俳句みてたら、ちょっと俳句に対する考え方が変わってたんじゃないのとはおもうときあるんですよ。ああこんなこともできるのかって。ちょっとだけ明るくなれる、っていうかね。そのときの生が。

安福 なるほど、

  いちご憲法いちごの幸せな国民  田島健一

この「いちご憲法」の「いちご」が季語なんですね。

柳本 こうみてみると、季語ってファンシーなものなんだなっておもいますよね。俳句だからいちごって季語がはいってくるんだけど、そのいちごが憲法とか国民とくっついてファンシーなものになっていく。この句の中のすべてのことばがそわそわしてるかんじがある。季語のいちごも憲法も国民も落ち着いていなくてね、あっそうか、落ち着いてない俳句なんだ、っておもう。
だから、幸せだっておもってることって、その同一性がじつは落ち着いてないかもしれないんだよとも、おもう。幸せなときってがーっといっちゃいますもんね。季語がトリガーみたいになって、ことばをそわそわさせていく。でもここまで読んじゃっていいのかなあ。読みすぎかもしれない。

安福 なるほどなあ。私も俳句を読むといろいろ感想をもつんですけど、ときどきいっていいものなのかなっておもうんですよね。それはなんだろう。季語があるからなのかな。でも季語がわかったからといって感想いえるようになるのかなあ。そもそも俳句と感想がどうむすびつくかもわからないところがあるのかな。

柳本 そうなんですよね、私もずっと考えてるんですよ。昔、西原天気さんとお話させていただいたときにやっぱり、季語がこわい、って話したんですよね。なんかすごくこわいものだと。
俳句を読む、ってどういうことなんですかね。わたしもよくわからないんです。わたしは俳句を詠んでないし。ただ田島さんみたいにおもしろい俳句があるから、なんだ俳句ってへんなことが起こってるのかなと思ってきょうみもつんだけど。
俳句ってなんなんでしょうね。ふしぎなものです。で、ときどき感想を書いてみるんですけど、たぶん、決定的に間違えてることもあるとおもうんですよ。致命的な、とんでもない間違いを。こいつとんでもない誤読してんな、って。そういうとき、少しだけ死ぬわけですよね、感想をもつことが。だから、俳句の形式ってふしぎだなあとおもう。
なにかね、ときどき罰せられることもあるのかもしれないなって。饒舌さにたいして。

安福 誰から罰せられるんですか。

柳本 俳句から。

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(写真・白鳥:安福望。作品名「白鳥のつかいみち」)


posted by 柳本々々 at 22:02| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月05日

3ぽ ぽ概論 安福望×柳本々々−田島健一『ただならぬぽ』から−

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柳本 短詩のことを考えていると、人生でぽにむきあわねばならなくなるときってあるじゃないですか。なんだかちょっとおもしろいなとおもって。短詩、短歌とか俳句とか川柳ってなんなんだろうと思って。ぽをひとに真剣に考えさせるって。

安福 そうですね。荻原裕幸さんのぽのことをかんがえてたんですよ。

  恋人と棲むよろこびもかなしみもぽぽぽぽぽぽとしか思はれず   荻原裕幸

あれ、なんかインフルエンザみたいな、悪いぽに感染しちゃったのかあっておもったんですよね。ぽに侵略されたというか。ぽにのっとられて、ぽしか考えられなくなったのかなっておもったんですよね。

柳本 いろんなぽをみてきておもうのは、ぽにはじつはこまかさがあるってことなんじゃないかと思うんですよ。

安福 えっぽにこまかさが

柳本 そう。

 ぽ「なんでもいっしょくたにすんな!」
 
って微分化されたぽたちが言ってるような気がして。
短歌とか俳句を読んでるといろんなぽをめぐる短歌・俳句があるでしょう。けっきょくそこに気づくというか。そうしたときにはじめて、

 ぽ「ありがとう」

ってぽがいってくれるんじゃないかとおもって。いろんなぽがあるなあってしみじみとあらためて思ったんですけどね。ぽって抑圧されるものなのかもしれないですね。ぽって記憶できないんじゃないのかなとおもって。

安福 あっそうかもしれないですね。あの、昔、やぎもとさんが書いた文章なんですけど、

  最近〈ぽぽぽぽ〉だけで話す訓練をしており、「火を起こす」まではなんとかぽぽぽぽだけで伝えられるようになった。ただ、「愛している」が、まだいえない。微妙なぽぽぽぽのニュアンスが要るようだ。

柳本 ああ。だから、わすれちゃってんですよね。荻原さんのぽの話にもどるんですけどね。ぽ、って言語化不可能ななにかですよね。ふつう言語化不可能なときって、まじめなほうにいくとおもうんですよ。言葉にならない事件とか。

安福 ああ。

柳本 だけど、なんていうか、ふざけというわけでもないんだけど、なにか得体の知れない陽気さのほうにいくっていうのがおもしろいとおもうんですよね、ぽぽぽぽぽぽって。

安福 たしかに言葉にならないってまじめなほうにいくのかもしれない。

柳本 なんか、言葉にならないことがうれしいっていうか。言葉いらんよ、って。

安福 あっ、ぽってなんかうれしそうなかんじですね。

柳本 でも、いらんよといいながら、ぽを必要としたんですけどね。それが、恋人とか愛のふりきれなさなのかなあ。なんかそれでも、ことばでいいたくなっちゃったんですよね。それでぽでいったのかなあ。荻原さんの川柳連作のタイトルで「るるるると逝く」ってのがあるんですけど、やっぱ「逝く」なのに楽しそうなんですよね。ぽとかるとか、ことばをふりきりそうにしながらも、またことばにけっきょくもどっていくんですよ。それって、言葉のかなしみ、じゃないかとおもうんですよね。

安福 へーそうなのかあ。

柳本 なんかお別れしたはずなのに、けっきょく部屋にかえってきちゃった、っていう。ぽ、ってそういうかんじなんですかね。

安福 ああ、なんかわかります。さよならってわかれて家かえったら、またいるっていうかんじ。

柳本 あの、さいきん、尾崎放哉さんの捨てるはなしをフシギな短詩に書いたんですけどそれにもちかいんじゃないかと思う。いちどすてたらもうすてられないって。ぽってことばの意味、をすてたんだけど、すてちゃったのに、ぽが残って、あっ、もう、すてらんないよ、って。

安福 なるほどなあ。

柳本 あの、ぽぽぽぽってたのしいけどかなしいんですよね。

安福 なにもいってないのがかなしいんですかね。咳みたいなかんじで。

柳本 ひとって結局どこにもいけないんだ、ってことなのかなあ。ぽ、にせっかくいけたけれど、けっきょくは、ぽにかえってきてしまっていることもわかる。尾崎さんもそうだとおもうけど、すててどっかいこうとしてもまたかえってきてしまう。

 ぽ「ここにいろ」

安福 ぽがひきとめるんですね。

柳本 そうですね。

 ぽ「酷使するのはやめろ」

安福 ぽってなんか鏡みたいですね。

柳本 ちょっとぽの響きのことについて話してみたいんですけど、ポエムっていうばかにされてる言葉ありますよね。ポエム(笑)、みたいなかんじで。でも、ポエムってことばってもともとは意味深長なんですよ。なんかちゃんとした意味がある。だけど、ばかにされてるのはポのひびきがわるいんじゃないかとおもって。

安福 ああ、ぽがふざけてるようにおもうんですかね。

柳本 ぽって、なんかこう、チャンネルがきょくたんにかわるんですよね。ぽ、っていわれたしゅんかん。

安福 ぽいっとすてるとか。すてるも、ぽ、ってかんじですよね。

柳本 中沢新一さんのことばなんですけど、ちょっと長いですけど、

  「ポエム」という言葉の原形になった、古代ギリシャ語の「ポイエーシス」は、もともと「何かが、立ちーあらわれてー来る」という意味を持っていた。それまでは隠されていた何ものかが、自然のうながしや人の技によって、存在の世界の中に立ちあらわれてくる。冬枯れの植物の中に、隠されてあったものが、春の訪れとともに、みずみずしい芽吹きや花の花開きとなって、自分をあらわにしめす時が来る。自然はそのようなポイエーシスを本質としている。そして、人の作る詩歌の本質もまたポイエーシスなのである。隠されてあったものを、あらわに立ちあらわれさせるための言葉の技、それがポエムであるからだ。だから、世界中いたるところで、詩の発生の現場には、いつも恋の現象が、いっしょに立ち会ってきたのである。恋は人の心の見えない奥で生まれる。はじめそれは隠されていたもので、その恋心が表にあらわになるとき、人々の心には驚きや興奮が生まれる。恋はポイエーシスの現象そのものなのである。そのために、詩と恋とは切っても切れない関係にある。
  (中沢新一『日本文学の大地』)


柳本 ポエムってなにかがたちあらわれてくる現場だとおもうんですよ。もともとの原義は。でも、いまは、あまったるいことばの羅列みたいになってますよね。で、響きだけで、かんがえてみると、あの荻原さんの歌って、ぽぽぽぽを、ポエムポエムポエムに変換するのもありなのかもとおもったりするんですよ。恋人といろんなものがたちあらわれてくる現場として。

安福 なるほど。

柳本 たとえばほんとはポエムポエムポエムポエムポエムだったのが、はやくちでいえなかったのかもしれないとか。いきいそいでいてね。エムなんてはっきりしたことばじゃないでしょ。だから耳としてきくと、ぽぼぽぽになる。

安福 ポエムポエム、かあ。

柳本 ポエムってはやくちでポエムポエムポエムポエムっていうとけっきょくぽぽぽぱぽになりますよね。今はやくちでいってみたんですけど。

安福 なるほど、エムがいいにくくてぽっていいやすいんですよね。

柳本 ポとエムが格差がありすぎるんですよね、発声のしかたの。どっちかになっちゃうから。さきにあらわれたポのほうになっちゃうんですよね。

安福 わかれる運命ですねポとエムは。

柳本 ただエムっていうといみがもうわからないですよね。たぶん海外のひとのポエムの発音ってほとんどポ一音なんじゃないですかね。

安福 ああ、ほんとですね。ぽにアクセントが。エムはつけたしってかんじ

柳本 「po・em /póʊəm」だから。

安福 「ぽはpo」

柳本 ここで発音がきけますね。

安福 poより日本語のぽのほうがいいですね、なんかぽってかんじする。ぽがこの「ぽ」って形がいちばんしっくりきてるかんじ。poだとpとoにわかれるからかなあ。

柳本 それはほがぽとぜんぜんちがうからじゃないですかね。ほになんか付着してぽになるっていう事態が、なんな。

安福 あ、ほんとだな。ぜんぜんちがいますね。

柳本 ぽって変形物なんですよね。ほが変態したもの。なんかそれが同棲的なのかな。ぽをしっちゃうとほにもどれませんよね。ほにもどるとき、うしなうことになる。○を。

安福 pとoがpoになっていつのまにかぽになるの同棲的っておもいました。pとoだったのに、ぽになっちゃうのかなあ、同棲すると。そんでぽになっちゃうと、わかれるときpとoにはもどれなくて。

柳本 英語だとわかれられるんですけど、日本語だと○をうしなうことになりますよね。ということは、日本語だとほと○が一体化しちゃうってことですよね。英語とちがって。埋め込まれちゃう、○が。

安福 ぽはほになるとき〇をうしなうしかないってことですかね。

柳本 傷がついたり、へこんだりするんでしょうね。うしなうと。

安福 そうですね。もうもとの自分にはもどれないんですよね。

柳本 ○はでもまたどこかでぴとかぷになるかのうせいがある。あっそうだ、トレンディエンジェルの斉藤さんもヒントになるかもしれませんね。なにかしらの。ぺぺぺぺぺぺって。くまのプーさんなんかもそうかもしれない。そういう圏内。ムーミンパパとか。

安福 あっほんとですね。いっぱいいますね。

柳本 ペンギンプルペイルパイルズとか。

安福 あとピコ太郎さんね。

柳本 あんまり名前にじつは破裂音ってないんですよね。柳本ぽ、とかになんないじゃないですか。江戸川乱歩くらいじゃないかな。乱歩かペリーくらいじゃないでしょうか、日本でぽとかぺだったひとは。大塩ぺの乱とかなんないから。あっ、でも、いなかっぺいさんがいるか。あっ、でも、林家三平がいた。だから、いなかっぺいさんと林家三平のふたりがいなくなると、日本からぺの一族が途絶えるんじゃないかなあ。あっでも、林家ペーパー夫妻がいるか。

安福 あっほんとだ。ともだちが、衛星ペポってなまえで絵とか立体をつくってたことありますよ。

柳本 あとPontaカードがありますね。まあだいたいそのひとたちがせおってるってことですかね、歴史的には。

安福 ぽをせおってるんですね。

柳本 ポーの一族ってことですね。

安福 はい。


posted by 柳本々々 at 20:51| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする