2017年03月04日

定型から考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第2話「動く死体」(犯罪者:中村右近【歌舞伎役者】=堺正章)

柳本 短詩にとって主体ってたぶん定型だとおもうんですよ。定型や構造が主体になっている。ただそうした定型観ってじつはけっこう生活のあちこちにあるんじゃないかと思って。
たとえば、『古畑任三郎』を観ていて似ているなと思うのが、死体なんですね。死体って定型みたいだなとおもって。

安福 ああ、なるほど。たしかに定型ってほんと死体みたいですよね。なんかあるだけで、なにもしてくれない。でもすごい存在感。死体の存在感ってすごいですよね。生きてる人間よりある。ミステリーだと一番大事にされますね、死体。

柳本 あの、古畑の第二話って「動く死体」ってタイトルなんですけど、一話目のタイトルが「死者からの伝言」であったように、一話二話目で、もう、死体が主体っていうのがはっきりきまってるんですよね。だから古畑ってなんだったかっていうと《死体への苦労》なんだとおもうんですよ。死体にふりまわされる話。死体は伝言もってきたり、動いちゃったりするから。死体、たいへんだよ! ってなる。死体に引っ張られて古畑もくるし。

安福 なるほどなあ。

柳本 「犯罪者はつらいよ」、みたいな話になってる。コロンボもそうですけどね。

安福 死体が主役なんですね。

柳本 なんか力学の中心なんですよ、死体が。ちょっと京極夏彦さんの『姑獲鳥の夏』みたいだけど。あれは「動かない死体」か。

安福 ほんとですね。

柳本 ただ三谷幸喜さんのコメディの基本的な構造は、《主体はつらいよ》なんですよ。なにかの核があってそれにみんながばたばたふりまわされるというか。

安福 えっそうなのか。

柳本 それが喜劇の核になってるとおもうんですよ。だれかとまちがえられたり(『君となら』)、潰れる間際のレストランをなんとかしなきゃいけなかったり(『王様のレストラン』)、ラジオドラマをさいごまでやりぬかなきゃならなかったり(『ラジオの時間』)、家たてなきゃならなかったり(『みんなのいえ』)、なにかをなんとか・どうにかやりぬくっていう主体。
だいたいでも一話目でも話したみたいに建物をめぐる話でもありますよね。『真田丸』も真田丸っていう建物のタイトルがつけられていたし。今回の二話目も歌舞伎の舞台装置が事件の鍵になっている。だから建物に主体がある。これも定型という音数律=構造が主体っていうのとよく似てるとおもう。短詩をする人間はともすれば定型にふりまわされて、コメディにもトラジディにもなる。
そういうみんながどうにもならないものを前にしてなにかをどうにかこうにかやりぬく。それが三谷さんのドラマツルギーというか作劇だとおもうんですよ。だから犯罪者も死体をまえになんとかやりぬこうとする。

安福 古畑さんは、後始末してるかんじしました。

柳本 だから、『古畑任三郎』の一話目と二話目のタイトルにそういう《主体はつらいよ》ってかんじがよくあらわれてるとおもうんですよ。「死者からの伝言」に対処しなければならない、「動く死体」に対処しなければならない。
死体はいきいきしてるんですよね、いきているにんげんよりも。

安福 いきいき。

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古畑任三郎「動く死体」の回の絵:安福望

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古畑任三郎「動く死体」の回の絵:柳本々々


posted by 柳本々々 at 20:59| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする