2017年03月05日

音数律から考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第3話「笑える死体」(犯罪者:笹山アリ【精神科医】=古手川祐子)

安福 この第3話は、料理苦手な犯人に料理させながら古畑さんがきくのがいじわるだよなあっておもいながらみてたんですよ。
古畑さんのコンタクトのしかたって、詰めてきますよね。近寄ってくるというか。古畑さんってやたら握手したりとか。あれきになりますけど。なんかあるんですかね。

柳本 うーん、相手を動揺させようとしてるんだと思いますよ。ふいうちのコンタクトで。

安福 一話目も二話目も握手してるなあっておもって。まあでも一話目は漫画家で、二話目は歌舞伎役者だからかなあ。なんか低くいるんですよね、古畑さんって。油断させようとしてるかんじ。

柳本 コロンボもそうなんですけど、犯罪者たちが基本的にみんな偉いひとたちに設定されていますよね。

安福 ああ、そうかあ。明石家さんまの回でも、「先生」ってよばれることからさんまを追いつめてましたよね。

柳本 えらいひとって、ふだんは動じないひとじゃないですか。だから、スタンドプレイというか、奇妙な行動に出て相手を動揺させていくとおもうんですよね。
第3話は、精神科医の古手川祐子ですけど、精神科医なんてまさに動じないひとじゃないですか。だからこの回で古畑はいちばん動揺させることをやってのけるというか、タイツかぶって煙草吸ったりしてますよね。古手川祐子は冷たい眼でみてたけど笑
これは田村正和がやってくれないかなあって三谷さんは思ったらしいんだけど、やってくれたそうですよ。
だからファーストシーズンって暗いんですけど、奇矯でもあると思うんですよね。変人というか。

安福 そうですね、変人。

柳本 この精神科医の話は、みえてるのに・みえないがポイントになるんですけど、ただ一話目も二話目もやっぱり、ふだんみえてなかったことにきづくはなしだとおもうんですよ。殺人をしてはじめてきづいたことがおおかった、って。犯罪者が、気づく。

安福 ああ、そうですね。

柳本 だから殺人は後悔してるけど、きづけたこともあった。殺人もきっかけですよね。なにかがわかる。そんなかんじの構造になってるとおもう。

安福 なるほどなあ。

柳本 だからちょっと古畑って、カウンセリングみたいなかんじなんですよ。

安福 ああ、そうですね。はなしききますもんね。すごく、ささいなことも。

柳本 むしろ犯人が話そうとしてこなかったことさえ、きいてますよね。ささいな、ふともらしたようなことを。でもそのことによって、みえなかったものがみえてくる、殺人をとおして。ひとって、話す主体って、じつは、話してないことも話してるんですよね。でもその話してないことを話したときに、主体の核みたいなものがぽろっとでる。

安福 ほんとですね。

柳本 でも、それは定型っていうか音数律もそうだとおもうんですよ。音数律をとおしてふだんみえなかったけど、実はもっていたことばがでてくる。

安福 ああ。

柳本 ここは五音とか、ここは七音とか。

安福 ほんとですね。

柳本 音数律に捕まるっていうんですかね。でも捕まってはじめてわかることもあるから。言葉を殺してね。言葉を殺して音数律に捕まる。

安福 この言葉ほんとはいらなかったとかわかりそうですね。つかまってみないとわかんないですね。

柳本 定型も話してなかったのに話したことを教えてくれるとおもうんですよね。

安福 みえてるのに・みえなかったみたいなね。

柳本 でも、みえてるのに・みえなかったってミステリーの基本ですよね。なんかすべてといっていいんじゃないかと思う。だって犯罪者っていうか、たいてい証拠は、ミステリーにおいてはいつもはじめからめのまえにあるんですよね。ぜんぶそろえられて、最後がくる。はじめにぜんぶがある。だからミステリーって精神分析学的なんだとおもうんですよ。みえてるのに・みてないだけっていう。この古畑の第3話のラストみたいに。
ひとはみえてるのに・みてない世界のなかで生きている。そのみかたを教えてくれるのが精神分析だったりカウンセリングだったりするとおもうんですよね。だから、治療者と探偵は似てるとおもう。精神分析医と探偵は。

安福 ああ。

柳本 だから以前、「あとがきの冒険」で定型と認知行動療法について書いてみたことがあるんですけど、音数律って精神分析医的役割をすることがある気がするんですよね。

安福 数が私たちを癒してくれる場合もあるんだね。ジョジョのプッチ神父みたいだけど。

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安福望:古畑任三郎「笑える死体」の回の絵

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柳本々々:古畑任三郎「笑える死体」の回の絵

posted by 柳本々々 at 22:35| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

〈引きこもり〉と『アナと雪の女王』をめぐって 安福望×柳本々々

『アナ雪』のレリゴーってぜんぜんポジティブな歌じゃないよね。だって、エルサが力を解放して、これからはたった一人で氷の城にひきこもろう、ってことなんだから。ひきこもりで超OK! みたいな歌だよ。
  (斎藤環『おたく神経サナトリウム』)


柳本 斎藤環さんも書かれていたけれど、アナ雪って〈引きこもり〉が軸になっているというか、自分が発動してしまった病(やまい)とどう向き合うかっていう物語な気がするんですよ。メンタルヘルスの物語というか。わたしも高校中退したからわかるんだけど、なんか病んじゃうときって、病みたくて病むわけじゃなくて、なにか自分で制御できないちからが発動して、そのちからに負けて病んじゃうとおもうんですよね。
これだからメンタルヘルスと引きこもりと人間不信の物語なのかなって思ったんですよ。じぶんじゃどうにもならない病み=闇があって、だから引きこもるんだけど、まわりとの軋轢はどんどんそれでも生まれてきて、人間不信になっていって、ATフィールドでつくったような巨大な氷の城に閉じこもっちゃう。
だれにもわかってもらえないし、妹はその日会った男と平気でけっこんしちゃうし。
あの「ありのままで」の歌が力強いのって、もういいや、って吹っ切れたのがすごいとおもうんですよね。べつに病んでてもいいよねって。なんかちょっと仏性ですよね。この世界に〈こう〉じゃなきゃないもんなんてない。〈これでいい〉みたいな。ニーチェみたいでもあるけど、仏(ほとけ)みたいでもある。
なんかもしそんなふうにみとめられたら、たとえどれだけ病んでも、いったんは、病みから解放されるような気もする。
たとえば、学校や会社に行けないとかも、行けなくてどうしよう、がずっとつきまとうと思うんですよね。ただ行かなくていいかと思えたところから出発できることって多いようにも思うんですよ。「なになにできなくてどうしよう」ってちょっと呪いみたいなところがあるんじゃないかと思う。その〈なになに〉にとらわれるというか。
わたしは「行けなくていいか」と思えたときに、そこからばたばた未来が音をたててやってきて、大学に行けたかんじがしました。

安福 「ありのままで」っていろんな「ありのままで」があるんですね。

柳本 ちょっと話を変えますが、『アナ雪』がいいなとおもったのが、はじめて〈口臭〉が感じられるCGをみたっていうことだったんですよ。

安福 えーそうなんですね。

柳本 はい。アナって主人公の女の子なんですけど、そばかすが多いのね。で、肩にまでしみというかそばかすがひろがってんですよ。

安福 へえ、そうですか。

柳本 それってなくてよいことじゃないですか。ただ人間の身体ってなくてよいことのかたまりみたいなもんで、そのなくてよいことのためにアンチエイジングとか必死にやってるわけじゃないですか。だから、そのなくてよいことをCGでたんねんに描くっておもしろいなと思って。しかもおんなのこね。

安福 たしかにそばかすいっぱいありましたね。

柳本 アナ雪のひとつのテーマに〈わたしをきずつけないで〉っていうのがあるとおもうんですよ。氷って傷つきやすいですよね。全面氷の世界って、傷の世界でもあるとおもう。傷つきやすさの世界というか、可傷性の世界っていうのかな。
氷ってそのメタファーなんだとおもったんですよ。氷も傷つきやすいし、氷によって誰かを傷つかせることもできるしね。刃物ざっくざくというか。

安福 なるほど。

柳本 この映画おもしろいなと思ったのが始まりのシーンで、ぶあついこおりを割るところからこの映画はじまってるんですけどね。男たちが仕事として氷をきりだしてるんだけど、つまり、男たちや社会は氷を〈割る〉んですね、ためらいなく、ばんばん。だけど、エルサは、その氷を頑丈で分厚いこころの〈壁〉にしてしまう。そういう社会や男との対比があるのかなって。エルサは社会とおりあえない。アナはそのとき男社会の側に取り巻かれた価値観として対立しちゃう。
わたし、ふっと思い出した短歌があって、

  いちめんのたんぽぽ畑に呆けていたい結婚を一人でしたい  北山あさひ 

エルサって氷の城で「結婚を一人でしたい」っていう価値観だったんじゃないかと思って。それは社会と対立することになるから、しんどい状況だともおもうんだけど、ただそういう場所に立っちゃうことってあるんじゃないかと思って。

安福 ああ、なるほど。

柳本 ディズニー映画って、物語が結婚成立に向けてむかっていきますよね。カップル成立に向かって。でもこのアナ雪って、引きこもり脱出が焦点になってるからそれがちょっとおもしろいなと思ったんですよね。しかも愛する男のひとが助けにくるとかじゃなくて、家族が助けにくる。『美女と野獣』の野獣も引きこもりだったけど、あれはカップル成立すると引きこもり脱出の物語だったじゃないですか。あとあれは〈外見〉の物語でもあったんだけど、アナ雪はカップル単位がなくても家族というか妹の愛によって引きこもりからたちなおるっていう〈内面〉の物語だったっていうのがちょっとおもしろいのかなって。

安福 エルサは氷の城にとじこもって巨大な氷のモンスターまでだしはじめちゃうけど、そういうなんか〈傷〉で社会とつながっていく部分って、竹井紫乙さんの川柳とか思い出したんですよね。柳本さんがフシギな短詩でかいてた、

  階段で待っているから落ちて来て  竹井紫乙

とか。

  ここが好き生まれ育った地下である  竹井紫乙

とか。

柳本 ああほんとですね。うーん、だから、傷によって社会とつながってゆくことってあるんですよね。傷からたちなおっていったり、生き方の路線変更したり。

安福 傷、って可能性かもしれないってことですね。

柳本 痛い、は、可能性かもしれない。

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posted by 柳本々々 at 20:29| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

48→84(よんじゅうはちからはちじゅうよん):200字川柳小説  川合大祐

→のボタンを押したままにすると、いつしか強大な魔王の前に立っている。そう、あれは1984年のことだった、ような気がする。『必殺』が『必殺まっしぐら!』だったのもその頃だった、ような気がする。その一年後には某球団が優勝して、主水がバースになっていたりした、ような気がする。騒がしい日々、だったような気がする。朝、ふと気付けば、スクロールから戻り道がないのだった。←のボタンを失くしていた子供は↓だった。

  カレーから耳だけ出している子供  竹井紫乙(第76回川柳北田辺・席題「から」)
 
posted by 川合大祐 at 00:00| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする