2017年03月08日

服飾から考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第6話「ピアノ・レッスン」(犯罪者:井口薫【ピアニスト】=木の実ナナ)

安福 今回の木の実ナナの回なんですが、一番きになったのが、ネックレスだったんですよね。なんか、巨大な数珠みたいなネックレスつけてて、自分をなんか封印してるかのようにみえた。でっかいネックレスだなあっておもった瞬間にばらばらになったからびっくりしました。

柳本 たしかにそう言われてみると今回は井口薫の派手な帽子を古畑がかぶってみたりと服飾への留意が出てましたよね。
私がこの回でおもしろいなって思うのが、古畑が白いシャツを着てますよね。これって今回の犯人のピアニストのピアノの白黒の鍵盤とあわせてるわけですよね。シャツのカラーを、今回の犯人のテーマと。
こんなふうにファーストシーズンの古畑は事件のカラーにあわせてシャツを着替えていくんですよね。前回は、将棋がテーマだったから駒の色にあわせてシャツも黄土色というか薄い茶色だった。
ということは、古畑にとってはひとつひとつの事件ってとっても思い入れがつよいはずなんですよ。ファーストシーズンはとりわけて。だって、ひとつひとつの事件ごとにその事件にあわせてシャツを着替えているんですから。
この白いシャツのときはピアノの事件だったなあとかね。
だから、黒を着たときも、「わざわざ」黒を「選んで」着ているってことなんですよ、小説家の幡随院の狂言誘拐のときに黒を着ていたんだけれども、たぶん幡随院のひとをひととも思わないようなこころが真っ黒な感じともかかってるのかなと思うんだけれども。
ファーストシーズンはそんなふうに事件ごとにシャツを着替えていた。色が変わっていた。
ところがセカンドシーズンはシャツが黒一色になるんですよね。それは古畑が事件のカラーにもはやじぶんをあわせないで、すべての事件のうえにいく、超越者みたいな存在になっちゃったっていうことだとおもうんですよ。ちょっとした神様みたいに。
だからわたしはファーストシーズンがすきなんですね。このころって古畑は犯人たちといっしょに成長してたんだとおもうんですよ。だからシャツの色が定まってない。
犯人とであい、対話し、さまざまなことを教わり、別れ、ときどき犯人のことを好きになり、成長していく。変化していく。
わたしはそれが事件のカラーにあわせたシャツのカラーの変化にあらわれていたんじゃないかとおもう。

安福 そうかあファーストシーズンは犯人たちといっしょに成長していってたのかあ。まだ未熟な状態だったんですね。完璧な古畑じゃなかったんだなあ。シャツが黒に固定になって、完全な古畑になったんですね。
木の実ナナの回って、堺正章の回に似てるなって思ったんですよ。
木の実ナナはピアノが入れ替えられたのを知らなかったじゃないですか。みんなは知ってたのに。堺正章も、あのなんだっけ、舞台装置の下げ方を自分だけ知らなかった。殺人って、犯人しか知らないことだなあっておもって。
なんか逮捕の決め手が、犯人だけが知っていることと犯人だけが知らないことになるんだなあって思いました。

柳本 たぶんひとってどんなにじぶんが優秀だと思っても去勢を受け続けるってことだとおもうんですよ。それは短詩の定型もそうだけれど、なにかを自由に発話しようとしても定型によって去勢されるわけですよね。定型は目にみえるかたちでの去勢だけれど、実は目にみえない去勢っていっばいあるとおもうんです。
犯罪を犯すとそういう去勢ってもろにわかるんじゃないかな。ああじぶんは完璧な人間じゃないって。
このあとの話で出てくる桃井かおりが「完全犯罪って難しいのね」って言ってますが、ひとがどうして完全犯罪ができないのかというといろんな局面で去勢を受けてるからだとおもう。
たとえば男性らしく動いてしまったり、女性らしく動いてしまったり、自分がこうしようとおもっても他者は別なふうに動いてしまったり。
そういう去勢のなかで、ひとって生きてるとおもうんですよ。
だから、短詩ってときどき、去勢の練習をしているんじゃないかって思うときがあるんですよ。
そういえば今回の古畑の話はラストで古畑が去勢をうけますよね。今ここで演奏してもらえませんか?って井口薫に提案すると、わきまえなさい、と怒られる。古畑が去勢されて話が終わる。完璧な人間がひとりもいないで終わる話です。

安福 (まさか去勢の話になるとは。でもそうか、なるほどー去勢かあ。そうだよな、やぎもとが言ったことから今までのことを考えてみても、犯人は殺人を隠すために、被害者が生きてたようによそおったりする、でも必ず失敗するんだ。他者を模倣しようとしても必ず自分がでてしまう。そういうことだろ。いやいやちょっと待てよ。あ、そうか、この人と全く同じことしようとしたときに、でてくる違う部分が個性なのかなあ。まねしようとしても結局失敗するんだ。そういうことだろ。絵もいっしょだろ。その失敗の部分がそのひとの個性なのかなあ。そうだろ。違うか)

柳本 ?


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安福望:古畑任三郎「ピアノ・レッスン」の回の絵

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柳本々々:古畑任三郎「ピアノ・レッスン」の回の絵

posted by 柳本々々 at 21:21| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

運命から考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第5話「汚れた王将」(犯罪者:米沢八段【棋士】=坂東八十助)

柳本 この回は、飛び散った血痕が鍵になるんですが、このことでわかってくることって、殺人って、犯罪者という当事者でさえ気づけずにいることがでてくることだとおもうんですよね。
だからその意味では、殺人ってミラクルを人生にもちこむことだと思うんですよ。へんな言い方ですけど。豊かな偶然性というかな。それをテーマに映画にしたのが、阪本順治監督の『顔』だと思う。妹を殺したことで姉は人生が豊かになっていく。それまで引きこもりがちだった姉は殺人をきっかけにいろんな人間に出会っていく。
だからへんな言い方なんですけど、人生の偶然性を引き入れることだとおもうんですよ、殺人って。犯罪者にとっては。
犯罪者はその人生の偶然性に古畑任三郎といっしょにたちあっていく。

安福 古畑に会ってみんな運命変わりますもんね。中森明菜も堺正章もあなたに会わなかったらみたいなこといってましたよね。

柳本 その意味では、殺人事件って、すごく運命的なきがします。必然性と偶然性の相互作用というか。
運命って、そういう必然性と偶然性がむすびついたときに、あ! ってなることだとおもうんですよ。どっちかががーっとなっていてもだめなんだとおもう。
今回の米沢八段のキャラクターは合理性を大事にするキャラクターなんですよね。
納豆はたれをいれるまえにかきまぜるとねばりがでるとか、着物は余計なものがついてないから合理性のある服とかそういう合理的なシステムのなかで生きてきたひとだった。
ところが殺人、それも予想外の殺人によって偶然性にたちあうことになっちゃって、その偶然性にあしもとをすくわれることになるんだけど、でももしかしたら米沢八段にとっての救いはさうした偶然性にあったのかもしれないなって。

安福 将棋って先がみえるものなんだけど、そこに偶然性が事件をとおしてやってきたって感じなのかあ。

柳本 たぶんじぶんのなかの外部にきづくってそうした偶然性がつよく作用するとおもうんですよね。
で、その偶然性をじぶんのちからで必然性にできたときに、運命っていえるんじゃないかと思うんです。それがニーチェのいってた永劫回帰でもあると。これが人生か、だったらもう一度! って。
だから米沢八段は勝つとか負けるっていう差異にとらわれてたんだけど、そうではなくて、勝っても負けてもどっちでもいい境地に最後たてたんじゃないかな。だから笑顔だったんじゃないかと。

安福 へー。なんか一段上にいったというか抜けたかんじしてましたね。

柳本 たぶんじぶんの根強いシステムをかえてくれるのって偶然性だとおもうんですよ。
だから手紙とかってうれしいんじゃないかな。いつもたまたまやってくるから。

安福 なるほど、おもいがけないものですもんね。「その偶然性をじぶんのちからで必然性にできたときに、運命っていえるんじゃないかな」ってきいたときなんかとっさに短歌のことおもったんですよね。

柳本 ああ。

安福 短歌にするってことは、その出来事に自分はなにかをかんじたから短歌にするんですよね。短歌にしてしまうと、それは、なにか運命みたいなものになるんじゃないですか。

柳本 定型と思いのどっちもかたよっちゃだめってことですよね。偶然性と必然性のどっちにも。

安福 ほんとですね。勝ち負けじゃないし。

柳本 だから平均台みたいなかんじですよね。

安福 あと自分の大事なことがなにか問われるかんじがする。大事じゃなかったら、わざわざ短歌にしなくていいですよね。

柳本 しかもその短歌だったり運命だったりによってじぶんがきづかなかったことにきづくってことですよね。だから短歌も古畑任三郎も神学的だとおもうんですよ。
ふだんきづけなかったことにきづいてしまうところにたどりつくというか。じぶんがコントロールできないぶぶんにふれてしまう、タッチしてしまう。

安福 神さまのはなしかあ。

柳本 古畑任三郎ってマレビト的ですよね。あの民俗学の。村の外からやってくる神様。たぶんこれは金田一耕助もそうなんだけど。そとからやってきて、その村の秩序をかくらんして、またかえっていく。そとからやってきた神様みたいなかんじ。

安福 ほんとですね。

柳本 でもそれによって村がまたいきいきしていく。

安福 やっぱり事件を解決するのは内部のひとじゃなくて、外からやってきたひとなんだなあ。『君の名は。』もそうだったから。

柳本 だから探偵は帰らないといけないひとだとおもうんですよ。まれびととしてたまたまやってきたひとだから。

安福 そうですよね。そこに定住はしないよね。

柳本 だから探偵は恋愛をしないんじゃないかな、愛から遠ざけられている。もちろん、結婚したり恋愛する探偵もいるけど。ベントリーの『トレント最後の事件』みたいに。

安福 ああそういえば、金田一も、なんかいい雰囲気になってたのに、電線に止まった鳥見て、「俳句だ!」ってさけんでましたね。

柳本 ポワロとかホームズも独身者ですしね。コロンボのかみさんも、かみさんかみさんとは言いながら出てこないので、どっちかっていうとコロンボの〈症状〉に近いですよね。じぶんにはかみさんがいるんだっていう症状。ラカンが症状のなかでしか男女は出会えないっていってたけど、コロンボなんかはそういう症状のなかでしか奥さんに出会えない。古畑も愛についてどうかんがえてるのかわからないし。探偵たちはみんななんか症状のなかで愛に出会ってる気がしますね。

安福 古畑さんの愛への考え方ってたしかにわかんないですね。

柳本 「魔術師の選択」で山城新伍にこどもはってきかれたときわらうだけでなにもこたえないんですよね。だからいるのかもしれないですけどね。

安福 謎にしてるんですね。

柳本 そもそも、愛が、必然性と偶然性の場所じゃないですか。なんかだから探偵自身が愛そのものだともいえるような気がするんですよね。

安福 あ、そうですね。探偵自身が。

柳本 事件って偶然性だけど、それを必然としてひきうけていくのが探偵だから。だから、探偵はもう愛そのものなんじゃないかって。構造として。短歌もちょっとそういう偶然を必然に変えて詩にしあげていくところ、似てるとおもいます。穂村さんがよく詩のジャンプっていうのって、偶然を必然に跳躍できたときのことだと思うんですよね。だから短歌もちょっと愛に似た部分があるんだとおもう。
そういう必然と偶然のバランスを考えるのが神学とか宗教学だとおもうんですよ。お祈りって行為をかんがえるのもそうだとおもう。
こんなことして意味があるのか(必然性)。
でも届くかも(偶然性)。
でもいやそうかそのどっちでもいい、とどいたってとどかなくたっていいんだ!(運命)
それがお祈りですよね。お祈りをつづけること。
でもそのバランスってひとそれぞれだし、永久にわからないですよね。だから、神がいたり、愛があったり、運命をひとはときどき口にしたりするのかなって思うんですよ。

安福 古畑任三郎と愛をめぐって、かあ。

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安福望:古畑任三郎「汚れた王将」の回の絵

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柳本々々:古畑任三郎「汚れた王将」の回の絵

posted by 柳本々々 at 20:24| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする