2017年03月15日

走る走る走るから考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第11話「さよなら、DJ」(犯罪者:中浦たか子【ディスクジョッキー】=桃井かおり)

安福 この桃井かおりの回は、殴ったときの「いたい?」ってきいたのがこわかったですね。

柳本 あれは桃井かおりのアドリブなんですよね。

安福 えー、そうなのか。はみだしたとこなんだ、あれ。

柳本 三谷幸喜作品のせりふじゃないかんじしますよね。あそこだけ。

安福 そうですね。古畑って、異常殺人者ってでてこないじゃないですか。最後ちゃんと解決する。

柳本 そうですね。そこらへん、『踊る大捜査線』と違いますね。『踊る大捜査線』はわりとアブノーマルな殺人者いっぱいでてきますからね。

安福 でも、この桃井かおりのだけ、なんかあの「いたい?」でちょっと異常なかんじしたんですよ。犯人のひとって、みんなちゃんと会話できるかんじだけど。ももいかおりはちょっと会話できないかんじのひとにおもえて。いままでのひとはみんな自分から、会話してくるじゃないですか

柳本 三谷幸喜さんはアドリブをさせないんですよね。昔、三宅裕司さんと対談してたときそういってました。だからそこだけ突出したかんじになったんじゃないですかね。三宅裕司さんと小倉久寛さんの劇団はアドリブがおもしろい劇団だから。

安福望 そうなんですね。

柳本 そもそも桃井かおりさんってちょっとクレイジーが役柄がおおいですよね。『男はつらいよ』にでてたときも結婚式で走ってにげる。花嫁の役をやってたけど。とつぜん結婚したくなくなって布施明からにげるんだけど。
走るで思い出したんですけど、この回の桃井かおりも今泉も全速力で走ってますけど、三谷幸喜作品のなかでは〈走る〉ってひとつのテーマになってるんですよね。『ラジオの時間』でも『笑の大学』でもみんな走ってる。全速力で。
三谷幸喜作品では走るっていっぱいでてくるんですよね。ドラマでも映画でも舞台でもよく走ってる。
で、走ると、物語がおおきく展開するんですよね。
漱石の小説って横たわると物語がおおきく展開するんですけど、三谷幸喜作品では走ると物語がおおきく展開する。
そうかんがえると三谷幸喜作品って会話劇の要素だけでもないんだなっておもうんですよ。走るっていうことばをかなぐり捨てたときになにかがおこるというか。
走るって純粋な欲動ですよね。そのときひとってピュアな欲動がでるんだとおもうんですよ。あの吉本ばななの『キッチン』でもカツ丼もってたしか走ってましたよね。このカツ丼を届けたいって。愛のカツ丼。

安福 たしかに走るって純粋ですね。

柳本 だから三谷幸喜劇では言葉の汚染をふりきるように走るんじゃないですかね。
あと三谷幸喜の作品は閉鎖的空間がおおいんですけど、
そこにおおきな穴をあけますよね、走ると。

安福 風なのかもしれませんね。

柳本 あの『笑の大学』でもほんとよくはしるんですよぐるぐるぐる。すごくいいシーンなんだけど。舞台版も映画版も。西村雅彦も近藤芳正も役所広司も稲垣吾郎もみんな素敵に本気に走ってる。

安福 そうなんですね。

柳本 真面目な検閲官と弱気な喜劇作家が一所懸命、一緒に走ってる。そうするとだんだんふたりの関係がピュアになって物語が動きはじめる。ふたりの関係がピュアになるんですよ。
どれだけ思いが錯綜していても、走る行為って、勘違いから遠く離れてある身体なんじゃないかな。なんか〈これしかない、これなのだ〉って状態になるんだよ。

安福 なるほど。まよってるときは走れないですね。目的地がわかんないから。決めてないから。

柳本 走るは、希望ですよ。ひとは、希望があるから走るんじゃなくて、走っているうちにひとは希望そのものになっていくんですよ。

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安福望:古畑任三郎「さよなら、DJ」の絵

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柳本々々:古畑任ザブ子「さよなら、今泉くん」の絵

posted by 柳本々々 at 20:10| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする