2018年04月30日

HEART OF SWORD:200字川柳小説  川合大祐

ひとりでは遠い明日を夜明けのままで超えてゆくポチがいた。ポチの鼻はいつも濡れていたが、神様は何も禁止なんかしてないので星占いもあてにならないという説明をあてにすほど、ポチは愚かではなかった。海岸のない砂浜で、ポチは思った、斜に構えてたほうが楽になると。その論理に従って、ポチはポチ自身を見た。ポチのようにポチである存在は世界に唯一であると知りながら、気がつけばこの星はポチのみで充満しているのだった。

  耳元で叫んでT・Mレボリューション  樹萄らき(今月の作品「ガラス越し」より)
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【短句】誹諧武玉川の短句と近現代の川柳十四音【十四字詩】A


【短句】誹諧武玉川の短句と近現代の川柳十四音【十四字詩】@


さて、武玉川の次には、近現代の川柳十四音を挙げてみよう。

白粉も無き朝のあひゞき  川上三太郎 
はつかしいほど嬉しいたより  岸本水府
今出た月を捨てる行水  前田雀郎
女のいない酒はさみしき  麻生路郎
水 水 水 と 笑 止 千 万  木村半文銭   
柿を知らないカール・マルクス  川上日車 
おれのひつぎは おれがくぎうつ  河野春三
胸の
 氷河の
  軋む
   交媾
  松本芳味
クラス会にもいつか席順  清水美江
予定の言葉うばうくちづけ  江川和美
カバン叩くと軽い脳味噌  佐藤美文
死ぬまで喋るTELTEL坊主  渡辺隆夫
起立している気絶している  普川素床
カーテンらしくふるまっている  佐藤みさ子
チャーシュー麺は春に似ている  樋口由紀子
君の胎児を恋人にする  小池正博
切り離されて列車気化する  岩田多佳子
うなじ付近で謝罪会見  本間かもせり
月の墓場をだれも知らない  飯島章友
虹の下にも道化師ピエロはいるさ  いなだ豆乃助


こうして明治から平成にかけての表現の変遷を見ると、川柳十七音とほぼ同じ軌跡を辿ってきているのが分かる。まあ、川柳人が書いているから当たり前ではあるが。

ところで、川柳十四音=7・7句を創作したり鑑賞したりしていると、ちょっとしたメリットとデメリットに気づくことがある。しかも、そのメリットとデメリットは、表裏一体の関係にあるようだ。通常の5・7・5形式と比較して説明しよう。

通常の5・7・5の形式は、三つのパートから成るので、中七で意味に〈捩れ〉ができることが多い。

 かんざしもさか手に持てばおそろしい  (柳多留二篇)
 いもうとは水になるため化粧する  石部明


両句とも、「かんざし→おそろしい」「いもうと→化粧する」と下五で着地するわけだが、中七でそれぞれ「さか手に持てば」「水になるため」という〈条件〉〈理由〉が組み込まれている。そのため、下五へ一直線に着地する単調さを回避し、意味に捩れを生んでいる気がするのだ。

ところが、7・7の形式のばあい、二つのパートしかないのだから、中間で〈捩れ〉ができない。試みに、柳多留のかんざしの句を7・7に仮構してみよう。

 おそろしいのは逆手かんざし

これだと「おそろしい→逆手かんざし」と一直線に意味が結ばれるので、捩れが生まれない。このため、川柳十四音を群作にすると、読者に一本調子な印象を与えてしまうデメリットがあると思うのだ。しかも、川柳十四音の定型は、「◯◯◯◯◯◯◯・◯◯◯◯◯◯◯」と音も等量である。いってみれば、上七と下七で、意味と韻律とがきれいに対応する構造をもっている。この円環構造が単調さを招く。もちろん5・7・5形式にも、

 色気だだ漏れのみたらし団子だな  飯島章友

のように句跨りによって、「色気だだ漏れ→みたらし団子」と一直線に意味がつながるケースもある。だが、7・7形式のばあいは、句跨りや一字空けを用いた変則的なパターンは出てきていないし、7音+7音以外のパターンは、むしろ「自由律」の印象を与えてしまいそうだ。

 天秤の恐しさにだまり  井上信子
 ありがとうと言う骨のかたち  畑美樹


上掲句は、ともに十四音になっているが、このばあい川柳の自由律といった方がしっくりくる。7・7形式の変則という印象は受けない(もっとも、7・7句がマイナーな形式だからそう思えるだけかも知れないが)。

ひるがえって、ここまで説明してきた川柳十四音=7・7のデメリットは、メリットでもあると思う。だからこそ、この形式が廃れずに残ってきたのではないか。先に述べた捩れのなさというデメリットは、裏を返せば〈小気味好さ〉につながる。春三の〈おれのひつぎは おれがくぎうつ〉の潔さは、7・7形式ならではかも知れない。また、飛躍した発想やコトバで勝負することが多い現代川柳では、〈条件〉や〈理由〉といったアリバイを書かないほうが衝撃力を増す。由紀子の〈チャーシュー麺は春に似ている〉や、正博の〈君の胎児を恋人にする〉といった句は、その好例だと思っている。

なお、平成30(2018)年4月20日に発行された「川柳サイド Spiral Wave」第3号では、川合大祐と飯島章友が川柳十四音の作品も掲載している。また、十四字詩専門の雑詠欄をもつ川柳雑誌「風」に興味がある方は、代表の佐藤美文にご連絡を。「風」はホームページを持っていないが、美文は「大宮川柳会」の代表でもあるので、「風」と事務局が同じである。大宮川柳会のリンクを貼っておく。

大宮川柳会
http://www.nissenkyou.or.jp/map/09saitama/omiya.html


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2018年04月28日

【短句】誹諧武玉川の短句と近現代の川柳十四音【十四字詩】@


【誹諧武玉川の短句】

津浪の町の揃ふ命日  (初篇)
陰間の声の二筋にたつ  (二編)
闇のとぎれるうどん屋の前  (同)
恋しい時ハ猫を抱上だきあげ  (同)
酒買時さけかふときに灯のうつる川  (同)
洗ッた馬のかハく松かぜ  (三篇)
うつくし過て入れにくい傘  (五篇) 
むすめの箱へ戻る夕ぐれ  (同)
白い所ハ葱のふと股  (六篇)
屋ねから落た人と酒もり  (七篇)
蛇の惚れたる娘見にゆく  (同)
蓮にふたりハ狭いやくそく  (九篇)
鶴の死ぬのを亀が見てゐる  (十篇)
鞠の上手の女顔也  (同)
握られた手を抱て来る尼  (十一篇)
化した狐土手に手まくら  (同)
干シたら何ぞ云そふな夜着  (十二篇)
娘ひとりで世界うごかす  (十三篇)
めかけひそかに臍の緒を干ス  (十五篇)
除夜元日ハ年の唇  (十六篇)


※ふりがなは投稿者が適宜付けた 

『誹諧武玉川』(はいかいむたまがわ)初篇〜十八篇の中より、わたしの好きな二十句を挙げてみた。善いことを書こうとしていないぶん、現在の所謂「伝統川柳」よりも面白い(伝統川柳と便宜的に呼ばれているスタイルは、じつは近代になって再構築された書き方で、詩性川柳、私性川柳、時事川柳と歴史的長さはさほど変わらない)。

 真じ目に成るが人の衰へ (武玉川・三篇)

川柳十七音形式の発端が『誹風柳多留』(初篇1765年)とされているのに対し、川柳十四音形式の発端は『誹諧武玉川』(初篇1750年)とされている。武玉川の編者は、慶紀逸(けい・きいつ)という俳諧の判者で、武玉川は俳諧の高点附句集である(ただし十六篇からは二世紀逸の編)。つまり、俳諧での前句を省略して附句だけを収録したわけである。その構成は、のちに『誹風柳多留』の手本になったといわれている。とはいえ武玉川は、附句一句を独立した文芸形式にしようと企図したわけではない、という見方がある。

 『武玉川』はこういう市井の作者の手に成った連句の中から、紀逸の以ってよしとした附句の一句を抜いて集としたものであって、後の『柳多留』の如く、前句附の附句の単句独立を図ったものではない。
『川柳探求』(前田雀郎著/有光書房)

俳諧には長句(575)と短句(77)があるため、武玉川でも長句と短句が入り混じって収録されている。川柳の十四音形式の発端とみなされているが、けっして短句集というわけではないから注意が必要。ちなみに川柳人の清水美江(しみず・びこう)が、武玉川初篇での長句と短句の割合を調べてみたところ、短句が67%だったそうだ(『川柳学』2008冬・春号所収の「十四字詩の現況」/佐藤美文)

武玉川は俳諧の附句集なので十四音形式は川柳とはまた違う、という意見はあると思う。川柳の発端は柳多留であり、その柳多留は前句(お題)を省略した前句附の附句集である、という筋道でいけばそうなる。ただ、@前句附は俳諧の一部であり、両者は血縁関係にあるということと、A近代になって十四音形式(武玉川調)を取り込み創作してきたのは川柳界であり、それが取り立てて他分野から異を唱えられたことがないのを考えると、十四音形式は、川柳のもう一つの定型と「みなす」べきだと思う。あまり事の発端に重点を置きすぎると、現状が見失われてしまう。たとえば言葉の語源に重点を置きすぎると、日々暗黙的に更新されつづけている〈今ここ〉の言葉遣いなど、途端に正当性と正統性を失ってしまう。それと同じだ。

現在、川柳の十四音形式は、短句、七七、十四字、武玉川調など、さまざまな呼ばれ方をしている。十四音形式の専用雑詠欄を設けている川柳雑誌「風」では、「十四字詩」という名称を採用している。

わたしの感覚では、〈川柳十四音〉もしくは単に〈十四音〉と呼んだほうがしっくりくる。それというのも、十四〈字〉よりは十四〈音〉というのが実状だからである。その一方で、かりに川柳とは別の文芸として十四音を広めるとしたら、「短句」という名称が良いと思う。短歌、俳句、連句がそうであるように、三音の名称が定着しやすいと考えるからだ。ただし、短句という名称を前面に出したばあい、連句における短句との関係が紛らわしくなるし、連句人がどのように思うかも考慮しなければならないだろう。

なお、『誹諧武玉川』をこれから読まれる方にお勧めする本は、朝日選書337『「武玉川」を楽しむ』(神田忙人著/朝日新聞社)だ。同書は、武玉川収録の12253句から著者が1000句を選び出し、現代人にも分かるよう簡単な評釈が付けられているため、とても読みやすい。また武玉川を全部読みたい方には、岩波文庫の『誹諧武玉川』1〜4(山澤英雄校訂/岩波書店)がいいだろう。初篇から十八篇まで読むことができるほか、同書4巻には総句索引が付いているため、大変便利である。

posted by 飯島章友 at 22:05| Comment(3) | 川柳論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月18日

【お知らせ】5月5日「川柳スパイラル」東京句会


5月5日「川柳スパイラル」東京句会


日時 2018年5月5日(土) 午後1時〜5時

会場 北とぴあ 802号(定員50名)
東京都北区王子1-11-1  JR王子駅北口 徒歩2分

時程 13:00 開場 13:30 出句締切
   
第一部 13:30〜15:00 対談「短歌と川柳」瀬戸夏子×我妻俊樹

〇我妻俊樹(あがつま・としき)
1968年生まれ。
歌人、作家。著書に『忌印恐怖譚 くちけむり』(竹書房文庫)など。
2016年、『率』10号に誌上歌集「足の踏み場、象の墓場」掲載。
〇瀬戸夏子(せと・なつこ)
1985年生まれ。歌集『そのなかに心臓をつくって住みなさい』
『かわいい海とかわいくない海 end.』
   
第二部 15:30〜17:00 川柳句会

「雑詠(自由吟)」2句
「オノマトペを使った句」2句 (擬声語・擬態語を使って詠んでください)
兼題
「映画」
「Y」
「なめらか」各2句
  
選者及び選句方式は当日発表します。

川柳句会のやり方について

会費 1000円

申込み
小池正博まで
〒594-0041 和泉市いぶき野2-20-8
TEL・FAX 0725-56-2895


川柳句会というのは、経験をつんだ人が上位に入るとは限りません。
ですから俳句、短歌、都々逸、連句など他の短詩型の方々のご参加もお待ちしています。
また川柳をはじめたばかりの方も大歓迎です。
私的には、川柳六大家系のグループの方にもお越しいただきたいです。
スタイルは違えど小池正博さんは本気で川柳を発信し、川柳の公を意識されていますから、おなじ川柳家として共鳴するものがあると思いますし、参考にもなると思います。

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posted by 飯島章友 at 21:46| Comment(4) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月17日

サスペンス読み

短詩の句歌会では「お題」というものがありますよね。ある題にしたがって皆が作品をつくり、ゲームとして優劣を競うわけです。


でも、句歌会だけじゃない。「読み」にもお題ってあると思うんです。こういう方向性でこの作品を読みなさい、とあらかじめ決めておく読み方です。これは、作者の意向と違ってしまうことが多いので、句歌会という公の場では遠慮したほうが良いでしょうね。ただ、一人もしくは仲間内だけの限られた空間でやると面白いんです。


かく言うわたしは「サスペンス読み」というのを独りでよくやっては楽しんでいます。短詩って限られた情報量しかないから、読み方に「サスペンス」というお題があると、まったく印象が変わってしまうのです。それが面白い。


例を挙げますね。

サスペンス読みとしての推し歌≠ヘ次の作品です。


いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり  浅井和代


どうでしょう、サスペンス読みにぴったりじゃないですか?

この歌は俵万智著『あなたと読む恋の歌百首』(朝日新聞社)に収録されているように、本来はミステリーと無関係な内容だと思うのです。でも、読み方しだいで読み手にサスペンスをおぼえさせる。


もう一例。この作品はミステリーの冒頭としてぴったりじゃありませんか? 佐藤弓生著『モーヴ色のあめふる』書肆侃侃房)からです。


縊死、墜死、溺死、轢死を語りたり夕餉の皿に取り分くるごと  佐藤弓生