2018年07月31日

ひとり静「野原いっぱい」を読む

7月の作品はひとり静さんの「野原いっぱい」だった。ひとり静。すてきな筆名だ。「一人静」というのは、しろい花を咲かせる多年草。このような名称を見ると、名づけた先人の詩心を感じる。作者のひとり静さんも、その名のとおりガツガツせず、ひとり静かに作句をなさっているのではないか、なんて想像をしてしまう。

今回も作品群も、作中に登場する植物のイメージが、別種のモノやコトになぞらえられ、照応している印象をもった。

原っぱにいると隙間ができそうだ
ヒメジョオン今は文字より音符でしょ
嵌ってしまうヤブガラシ的思う壺
蔓草よ愛を殺したのはどっち
舟なんかよこし聞き分けないハコベ
ため息も出ないママコノシリヌグイ
夏草が時間を止めているのです
夕暮れはハサミを持っているようだ


「ヒメジョオン」と「音符」、「ヤブガラシ」と「嵌ってしまう」、「蔓草」と「愛を殺した」、「ハコベ」と「舟」、「ママコノシリヌグイ」と「ため息も出ない」、「夏草」と「時間を止めている」。これらは読み終えてすぐ、感性の次元で合点させられた。言ってみれば、両者が地下水脈でつながっているように感じられたわけだ。けれど、その後によくよく分析してみると、どこで一脈相通じているのか、すぐには分からなかった。

このように、いっけん関係のなさそうなものどうしが、それにもかかわらず呼応するとき、明快な散文的世界から解き放たれる快感がある。いま自分は韻文を読んでいるのだ、という心地がするのだ。植物ではないけれども、同じことが「原っぱ」と「隙間」、「夕暮れ」と「ハサミ」の関係性にもいえる。

さて、群作中でもっともシンパシーをいだいたのは次の句だ。

夏草が時間を止めているのです

たぶん、自分がかつて書いた短歌を思い出したからだと思う。歌誌デビューして間もないころの若書きで恥ずかしいのだけど、それはこんな歌だ。

積雪に音飲まれ行く夜のみち無条件降伏してもいい  (「かばん」2009年11月号)

「行く」と漢字で書かれている。いまなら「ゆく」とひらがなで書くだろう。この歌、三句目までは、一面を覆う圧倒的な雪のしろさに音すらも奪われ、何かこの世が停止してしまったかのような、ひどく頼りない気配がある。そしてその後、「無条件降伏してもいい」と句跨りで一気に表現されることで、いまにも自分が無化されそうな、切迫した気持ちが伝わってくる。

ひとり静さんの句も、圧倒的な「夏草」の量と生命力によって世界が押さえ込まれ、時間すら無効になってしまったかのようだ。別言すれば、時間という小川に生い茂る夥しい「夏草」が、時の流れをせき止めてしまっているかのようだ。春草や秋草では、「時間を止めて」しまう感覚は出ない。

ただ、わたしの歌と違うところもある。ひとり静さんのほうは、切迫した感じがあまりないのだ。世界の外側から、ですます調で静かに語りかけている、そんなゆとりを感じるのである。

さびしいと人を食べてはいけません  ひとり静

posted by 飯島章友 at 23:52| Comment(0) | 今月の作品・鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月26日

お笑いと短詩  柳本々々

あるとき漫才を見ていて漫才って定型的だなあとおもったのだが(ボケ・ツッコミ、時間、立ち位置、落とし)、漫才と短詩は似ているのではないか。

たとえば、漫才には、ボケとツッコミという構造があって、そのふたつでひとつの意味作用が出るようになっているが、短歌は、上の句と下の句の構造的なワンセットで意味作用がでるようになっている。

これは言うなれば、上の句がボケで、下の句がツッコミのようなものだ。

  サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい  穂村弘

「サバンナの象のうんこよ聞いてくれ」というボケがあったとする。そこに「だるいせつないこわいさみしい」とでも言うのかとツッコミが入る。このワンセットで意味作用が出る。

この下の句がなくなると現代川柳になる。

現代川柳は芸人でいうとピンのひとに似ている。ボケはボケのまま浮かび上がる。「サバンナの象のうんこよ聞いてくれ」の何を聞いてほしいかは不思議のまま解明されない。

  なにもない部屋に卵を置いてくる  樋口由紀子

なんで置いてくるのかは解明されない。このボケはボケのまま漂いつづける。たとえば無理にこうすると短歌になる。

  なにもない部屋に卵を置いてくるだるいせつないこわいさみしい

なんで置いてきたかはツッコミによって解明される。もし無理にくっつければ。

短歌が構造的漫才なら、現代川柳は未構造的な漂うボケと言ったらいいか。

俳句はどうなるだろう。

小澤實さんが、俳句は謙虚な詩と書かれていたが、俳句は、ボケない。たとえば、ボケようとしても立派なひとがそばにいてなかなかボケられない。立派なひととは季語だが。

そうすると、俳句は、構造外ということになるだろう。構造的でも、未構造的でもない。脱構造的といったらいいか。

『カモメの日の読書』で小津夜景さんは、俳句は質感(テクスチャー)と書いていた。構造じゃないんだ、と。もしこれを無理にバラエティーにあてはめるなら、俳句は、食のレポートに近いかもしれない。食のレポートは、まず食ありき(季語ありき)なので、食を超えてはいけない。謙虚でなくてはならない。質感なのである。構造になってはいけない。

  人参を並べてみればわかるなり  鴇田智哉

  別のかたちだけど生きてゐますから  小津夜景

  ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ  田島健一

ボケているわけでもないし、ツッコミを待っているわけでもない。わける「なり」、だし、ゐます「から」、だし、「ぽ」だから。終わろうと思えば終わりだし、無理にふくらませようとすればふくらませられる。つまり、質感がある。食のレポーターが大切な語り口とする質感が。

漫才師のひとがそのうちトーク番組に出るように、短詩人は散文も書く。でも漫才師のひとが漫才の感性をいかしてトークするように、短詩も短詩定型をいかした散文を書く。

わたしはテレビが好きなのだが、テレビは短詩とよく似ているとおもう。というか、テレビと文学は奇妙な親和性がある。わたしはそのことを森茉莉からおしえてもらった。

『おもしろ荘』をガーゼケットにくるまりながら静かに横になりながら見ていてそんなことをおもった。

下はテレビが大好きだった森茉莉の直筆原稿。壁に貼って勇気をもらっている。やっぱりテレビのことが書いてある。


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posted by 柳本々々 at 20:47| 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月19日

根岸川柳作品集『考える葦』 A


根岸川柳作品集『考える葦』 @

さて、徐々に作風が変化しはじめた根岸川柳ですが、それはどのような考えに裏付けられていたのか。『考える葦』の序文にそれが示されています。

川柳の有り方、これはどう考えようと自由だが、およそすべての現象は定着を否定していつも前進する、これが本質である。要するに目に見えない速さで、冷酷に前進して行く時代の感覺は、當然何ものにも足踏みすらゆるさず、前へ前へと歩み續けている。これがモノの生きている姿で、進歩の法則である。進歩のないところに生活(いのちも人生も)を考えられないとしたら、川柳だからといつて、この法則から除かれるいわれはない。初代川柳が破門されても、當時の俳諧師仲間から異端者扱いをされても、泰然と時代感覺と密着した路線を、大股で歩き通したことも考えられる。私には彼ほどの才能はないけれど尖鋭な精~は受け繼ぎたい。

作風に変化の兆しが見えはじめた昭和29年は、プロレスリングを観るため街頭テレビに人びとが群がり、映画「ゴジラ」が公開され、若者にヘップバーンスタイルが流行した年。時代はまさに脱戦後へと向かっていました。根岸川柳がもともと備えていた「尖鋭な精神」と、脱戦後への気運が高まっていた「時代感覚」。それらが相まって作風に変化をもたらしたように思います。

昭和20年代から昭和30年代初頭というのは、現代川柳が形成されていった時期です(現代川柳を広義に解釈すればダダイスムの影響が見られる「新興川柳」がそのルーツともいえそうですが、ここでは戦後の革新川柳を「現代川柳」と呼びます)。「現代川柳作家連盟」が発足したのも昭32年5月。ちなみに戦後の現代川柳は、昭和23年に関西で河野春三が「私」を創刊したことと、昭和26年に関東で中村冨二が「鴉」を創刊したことが発端です。

汽車に轢かれるのも 一つの舞踏です  中村冨二『中村冨二句集』(S.35)
魔法使いが生きていた頃の 夕焼よ

十指なき日や棒立ちの鶴といる  河野春三『無限階段』(S.36) 
死蝶 私を降りてゆく 無限階段の 縄 
 

現在の現代川柳派の作品では、五七五の定型に頓着しない川柳が沢山あります。また一字空け、句跨りなんかも罪悪感なく使われている感じで、そのため音節と分節が一致しない川柳も多い。そして言葉の飛躍は、特定の川柳グループにかぎっていえば、もはや爛熟期に入っているくらいかも知れない。これは、春三や冨二に代表される戦後の現代川柳作家の工夫と創意が、いまや当たり前の技術となったからです。根岸川柳のいうように、川柳が「前進」した結果です。

しかし、こういう人もいるでしょう。前進ばかり続けていては、川柳は基準も何もないアナーキーな文芸になってしまう、と。確かにそのとおりです。しかしわたしは、現在の前進した現代川柳が放縦な文芸とはとても思えません。

現在の現代川柳を俯瞰してみれば、定型順守、もしくはそこから大きく外れない準定型の川柳が大半です。また分節を無視している川柳でも、総音数は十七音前後で創られているのが普通です。言葉の飛躍についても、言葉が飛びっぱなしで終わっている川柳は、句会では採られにくいという現状があります。してみるとどうやら、川柳という場でも〈時間〉の経過にともなって、知らず識らずのうちに〈調整機能〉が働いている、ということではないでしょうか。言い換えれば、川柳として心地よいと感じる〈枠〉がメタ的に共有されている、と考えられるのです。だからこそ、短歌にも似た長律を書く作家は「これは自由律の川柳です」と言うでしょうし、定型という目安が苦痛で仕方ない作家は、たとえば「短詩」を名乗るなどして、川柳から離れた場所で創作活動を始めるわけです。

一般的にいって、〈正統〉には必ず〈異端〉が流入してきます。やがて、二つの間にはせめぎ合いが起こる。しかし正統と異端は、〈時間〉の中で調整され、上書きされながら次のステップへと進んでいく。つまり更新されていくわけです。時間には三つの〈器〉があります。すなわち、@先人が確立した知識(川柳でいえばフォルムやレトリックなど)を蓄える〈容器〉、A異物を精錬する〈濾過器〉、Bそれらを伝える〈伝達器〉です。川柳も、これらの器の恩恵にあずかっている。したがって川柳とは、オーガニゼーション(組織)から一律的なルールで縛られた文芸ではなく、オーガニズム(有機体)として生成を繰り返し、前進する文芸だといえます。

わたしは、上記ようなあり方が〈伝統〉だと考えています。つまり伝統とは、前進と調整が表裏一体をなしている。辞書で Tradition を引くと、すぐ近くに Traffic が載っています。冗談めかしていえば、伝統も交通も、人びとがいろいろな可能性を選択し、調整しながら前進していくものでしょう。したがって、もし川柳に〈伝統川柳〉というものがあるのだとしたら、根岸川柳がいうように「前へ前へと歩み續けてい」く姿勢が何ほどかなくてはならない。もしその姿勢がないとしたら、それは伝統というよりむしろ、ひたすら過去のかたちを展示する「保存」であるか、根岸川柳流にいえば「定着」でしかないのですから。


俺の血を見ろ蚤が跳躍する  根岸川柳
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2018年07月10日

根岸川柳作品集『考える葦』 @


根岸川柳作品集『考える葦』
著者  根岸川柳
発行  昭和34年10月23日
発行所 根岸川柳作品集刊行会

今日取り上げる川柳作品集は、十四世根岸川柳の『考える葦』です。根岸川柳は明治21年、東京生まれ。明治20年生まれの川上日車や、明治22年生まれの木村半文銭と同世代ということになります。日車と半文銭は、大正末期から昭和初期にかけて「新興川柳運動」を牽引してきた川柳家です。

川柳を開始したのは大正8年のようです。『考える葦』の序に、大正8年以降昭和23年頃までの作品は僅かしか残っていない云々とあるからです。大正8年。時期的には、明治末期の「新傾向川柳」と大正末期の「新興川柳」の間になります。十四世川柳の柳号を継いだのは昭和23年。もし川柳家として広く知られるようになったのがその時からだとしたら、日車や半文銭と比べ遅咲きといえるでしょう。

『考える葦』は、昭和34年6月までの1000作品が収録されています。まず昭和28年までの作品をいくつか見てみましょう。

お喋りのあとに風鈴だけのこり
驛長のあごに夕日を置いて發ち
男の子どこからとなく砂が落ち


これらは近現代の風景ではあるけれど、古川柳的な情緒を受け継いでいる感じがします。「ずぶぬれになつてしまつてからの虹」という作品もあるのですが、これなんか『誹風柳多留』の「本降りになつて出て行く雨やどり」に付けて読みたくなってしまいます。同書は、前のほうに「初代柄井川柳に捧げる」と書かれたページがあります。当たり前かも知れませんが、川柳の歴史を相当意識していたのだと思います。
上掲で特にわたしが気に入っているのは、最初の「お喋りの〜」という作品。写生の川柳なので、多弁になっていないのがいい。お喋りの音から風鈴の音へ。量も質もまったく違う二つの音を対比させることによって、〈動〉から〈静〉へと移りゆく場景がありありと伝わってきます。映画の技法にも通じそうです。
なお、三作品とも連用止めです。連用止めは、俳諧の平句や前句付の名残りを想わせるほか、完結感がなくなるので嫌う人もいます。しかし好いか悪いかは、連用止めがテクストの中で上手く機能しているかどうかで判断されるべきでは、と現在のわたしは考えています。

本とうに笑い入齒を手で押え
應接に番茶と蠅と俺を置き
つまりそのこういうことになつた酒


これら、おかしみのある作品群もやはり、古川柳からの脈が感じられます。特にお気に入りは最初の「本とうに〜」で、いままでこの主人公が形式的な愛想笑いをしてきたことがうかがい知れます。加えて、人柄までも想像できる。「入齒を手で押え」ることを通じて、身体の生理(自然)と統御(理性)とのせめぎ合いを活写しているのが技術といえるでしょう。

鏡からくさつた俺がついてくる

このあと述べることになりますが、根岸川柳の作風は、昭和29年頃から徐々に表現の可動域が広がっていきます。上掲のようなドイツ表現主義にも通じる心象作品を見ると、オーソドックスな川柳に収まり切らない資質は潜在的に備わっていたように思えます。

次に昭和29年以降の作品を見ていきます。昭和29、30年頃から、五七五の定型に頓着しない一行詩的なリズムも見られるようになってきます。そして年を経るごとにその傾向は強まっていく。また内容面でも発想がより自在になってきます。他律的な定型から徐々に自由になっていくことと、発想が自在になっていくこととが連動し、作風が変化しはじめたのです。

桃の中の虫の恍惚で死のう
ゴリラの聲帶模寫でみそかそば
註D袴で千枚の舌を贈る
茹でたらうまそうな赤ン坊だよ
肉の抒情を運河が流していつた
失禮 ~のむくろにパンツはかせる
聖者がいる、便器眞ッ白
ぐる、ぐる、ぐる、ぐる、目玉だけの一日
スケジユールの先きは月の輪の中のおばさん
ビルを踏ンずける、足を迎える


「失禮 ~の〜」は、深読みしようと思えば幾らでもできるのでしょうが、わたしは書かれてある状況だけを素直に愉しみました。不敬と崇敬、その相反する要素が同居しつつ戯画化されている。「カミサマはヤマダジツコと名乗られた」(江口ちかる)という、わたしの大好きな川柳があるのですが、およそ日本人の想念におわすカミサマというのは、戯画化を許してくれる大らかさがある、と勝手に思っています。
また「聖者が〜」は、好きというよりも気になる作品でした。作品集全体を読んでみると分かるのですが、彼の川柳には実生活に密着した体臭や生活臭をすごく感じる。生きていれば当然、下(しも)のことだって避けては通れない。彼にはそういう作品も散見されます。だからこの作品は、「聖者=眞ッ白い便器」と見立てるばかりではなく、豊かになるにつれ人間の有様や言葉遣いが漂白されていく社会をも何ほどか風刺しているのかも、なんてことを考えました。

(つづく)
posted by 飯島章友 at 07:00| Comment(0) | 川柳論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月01日

野原いっぱい   ひとり静


原っぱにいると隙間ができそうだ

ヒメジョオン今は文字より音符でしょ

嵌ってしまうヤブガラシ的思う壺

蔓草よ愛を殺したのはどっち

舟なんかよこし聞き分けないハコベ

ため息も出ないママコノシリヌグイ

夏草が時間を止めているのです

夕暮れはハサミを持っているようだ



【ゲスト・ひとり静・プロフィール】
無所属で長く詠んできました。
今はおかじょうき川柳社の隅っこに席があります。
句集「海の鳥・空の魚」「海の鳥・空の魚U」「川柳作家ベストコ​レクション」
奈良県大和郡山市在住


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野原いっぱい.gif

posted by 飯島章友 at 00:00| Comment(0) | 今月の作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする