2019年04月10日

万葉集における言葉派

先日は、万葉集の笑いとして戯笑歌・嗤笑歌について書きました.

万葉集におけるマイク合戦

しかし万葉集には、それとは質の違う笑いも掲載されています。
おなじ巻16には「無心所著むしんしょぢゃく歌」(心のく所無き歌)二首が載っています。「心」とは、現在でも謎かけ芸人が「その心は?」というように、意味・内容ということですから、無心所著歌とは意味を成さない歌というところでしょうか。

あるとき、天武天皇の第三皇子の舎人親王が側に仕えている者に、由の有って無い歌をつくる者がいたら褒美を与える、と言われました。難しいお題です。ところが、すぐに二首つくった人がいました。安倍朝臣子祖父こおじです。子祖父の歌は親王に認められ、みごと褒美をもらったそうです。

そのとき子祖父がつくった二首は以下のとおり。男女のカップルの体裁をとっていて、先の歌が男から女へ、後の歌が女から男へ書かれています。

  我妹子わぎもこが額にふる双六のことひの牛の鞍の上のかさ(3838)
  
  わが背子が犢鼻たふさぎにする円石つぶれいしの吉野の山に氷魚ひをぞ下がれる(3839)

・我妹子→男性が、妻や恋人などを親しんでいう語。
・瘡→はれもの。できもの。
・背子→男性を親しんでいう語。多くは、女性が夫や恋人などを親しんでいう。
・犢鼻→今で言うふんどしのようなもの。
・氷魚→鮎の幼魚。琵琶湖産、宇治川産が有名。

男女が互いにからかい合う図式になっています。直訳すると先の歌は、彼女の額に生えている双六盤の強く大きな牡牛の鞍の上のできもの。後の歌は、彼がふんどしにしている丸石の吉野の山中に鮎の幼魚がぶら下がっている。まあ、おおよそこんなところでしょうか。

何か、言葉派の川柳を想わせる二首です。意味が取れそうなのに全体としては意味を取り切れない。由が有って無い歌としての基準を満たしています。子祖父が川柳を書いたらさぞ面白い句を書くでしょうね。

ところで言葉派といえば……川柳の世界には「意味のない句」を目指す方がまれにいらっしゃいます。でも、わたし思うのです。意味のない句というものを言語的動物である人間が作れるのでしょうか。(将来は分かりませんが)いまの段階でのわたしは、それは厳しいんではないかと思います。

簡単に言うと、意味というものは、どうしたって発生してしまうからです。じつは上掲の二首も、親しい男女(夫婦?)が互いの局部を詠んでいる、という解釈があるのです。あくまでも局部を示唆している、という程度かも知れませんが、それでも意味に違いはありません。意味が生じてしまっている。

そもそも何もないところにすら意味を見出すのが鍛えられた鑑賞者です。詩歌でも音楽でも演劇でも、そこでどんなに空白や無音や間が使われたとしても、鍛えられた鑑賞者ならそこに意味付けをする。これは経験上、分かる方も多いと思います。

それに上掲二首で使われた言葉の間には、意味的な対応もあるのです。二首はそれぞれ反対概念で構成されています。「我妹子」「わが背子」という男・女、「額」「犢鼻」という上部・下部、「双六」「円石」という四角・円、「牡の牛」「氷魚」という大・小/強・弱、「鞍の上」「下がれる」という上方・下方。即詠だけに意味上の対応が働いたのでしょうか。それとも先行する歌に言葉を当てはめ直したのでしょうか。いずれにせよこのような対応は、子祖父が言葉の意味をしっかり理解した上で二首をつくった痕跡です。そうであれば、単語レベルでなく一首全体としても意味は生じてくるでしょう。

と、いろいろ書きましたが上掲二首は、けっして明快な意味はなさない。由の有って無い歌というお題に見事適っています。万葉の頃から言葉派がいたのですから、それは何も特殊な書き方ではなく、詩歌一般にあって然るべきなのでしょう。そんなことを考えました。

2019年04月09日

万葉集におけるマイク合戦

新元号が令和に決まりましたね。その由来になったということで、いま『万葉集』が脚光を浴びています。わたしの住まい周辺の書店や図書館では、新元号が発表されてすぐに万葉集のコーナーが出来ていました。

万葉集といえば……先日、歌人集団かばんの会では、「笑える歌」で競う歌会が開かれました。わたしは詠草を提出する前に、笑いと短歌の関係について歴史を遡って調べてみました。すると、やはり『万葉集』にいきついたわけです。最古の和歌集ですものね。巻16の戯笑歌・嗤笑歌が笑いや滑稽に関わっています。次の歌は、平群朝臣(へぐりのあそみ)という人が、穂積朝臣(ほづみのあそみ)という人をおちょくっている歌です。
 
  わらはども草はな刈りそ八穂蓼やほたでを穂積の朝臣あそが腋草を刈れ(3842)

・「な〜そ」→〜するな
・「八穂蓼を」→多くの穂のついた蓼を刈って積む意から、人名「穂積」にかかる枕詞。
・「腋草」→腋毛。腋毛を草に見立てた語。一説に、「草」に「臭」の意をかけて「腋臭」のことともいう。

子供たちよ、草なんか刈らないでいいから、ぼうぼうと生えた穂積朝臣の臭い腋毛を刈っちまえ。これくらいの意味でしょうか。穂積朝臣は腋臭なんでしょうね。こういうディスり方は、現代の一部のお笑いやラップミュージック、ネット書き込みにも通じるかも知れませんね。

さて、こんなことを言われては穂積朝臣も黙っていません。こう返します。
 
  いづくにぞ真朱掘る岡薦畳こもだたみ平群の朝臣が鼻の上を掘れ(3843)

・「真朱」→まそほ。顔料にする赤い土。赤い色。
・「薦畳」→マコモで編んだ畳。枕詞としては、いく重にも重ねて編む意から、「重 (へ) 」と同音を持つ地名「平群 」の「へ」にかかる。

何処にあるんだろうか真朱を掘る丘は? 平群朝臣の赤い鼻の上を掘れ。まあ、こんな意味なのでしょう。じぶんの腋臭をディスられた仕返しをしているのですね。赤土はどこだ・・・(あ、そうだ!)平群朝臣の鼻は赤いからそこを掘ろう! って。

どちらも相手の身体的なハンディをおちょくっているのですから、二人の間に信頼関係がないとできない書き方です。わたしたちが公に発表する短歌の参考にはならない。でも、くだけた中にも機知がある二人の応酬を見ていると、現代の種々の興行で見られる「マイク合戦」に似た娯楽性を感じます。そう、嗤笑歌もマイク合戦も、表現者同士の信頼関係によって、また表現者と観客の信頼関係によって娯楽となり、笑いや滑稽への道筋がうまれるのです。

2019年04月01日

蟹の腹/赤松ますみ


真実は水ようかんの底あたり

ジェラートでそっとなぞってゆく邪心

満月のテイクアウトはできますか

金箔はごめんこうむる笹だんご

ミルクソフトでしっかりまるめこみました

たわごとに酔うかがり火も夜桜も

羽二重餅へゆっくり沈む九谷焼

自白する覚悟はできた蟹の腹



【ゲスト・赤松ますみ・プロフィール】
川柳を書き始めて二十四年と七ヶ月が過ぎた。川柳で今一番興味があるのは吟行や印象吟を通じて非日常の扉を潜りながら言葉を五七五に紡ぐこと。現在、川柳文学コロキュウム代表。印象吟勉強会・ぜりぃびぃんず代表。


縦書き画像をご覧になるばあいは以下をクリックしてください
蟹の腹.gif

posted by 飯島章友 at 00:13| Comment(0) | 今月の作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする