2019年06月28日

【お知らせ】第84号カレイドスコープ鑑賞

「川柳文学コロキュウム」85号(2019.7)に飯島章友の「第84号カレイドスコープ鑑賞」を掲載していただきました。会員作品の鑑賞記事です。

コロキュウムには、スタイルやエコールにとらわれず川柳界全体の情報が載っている感じです。また鑑賞記事もたいへん充実していて、川柳にたいする真摯な態度が伝わってきます。川柳界を俯瞰する姿勢と鑑賞を重視する姿勢。これは簡単なようでなかなか出来ることではありませんよね。こうした誌面作りには、代表である赤松ますみさんの誠実さが反映されているように思います。

川柳文学コロキュウムの連絡先等についてはこちら。
川柳文学コロキュウム
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2019年06月26日

【お知らせ】所謂現代川柳を考える

6月25日発行の「川柳杜人」262号(2019夏)に、飯島章友の「所謂現代川柳を考える」を掲載していただきました。

このテーマについては広瀬ちえみさんと昨年末に決めました。しかしその後、1月に発行された「川柳木馬」159号にくんじろうさんが、3月に発行された「川柳スパイラル」5号に小池正博さんが、それぞれ現代川柳について文章を書かれたので、ありゃ被ってしまった……とちょっぴり慌てたものです。お二方と違いが出ていればいいのですが。

でも、この時期におなじテーマの文章が書かれたのですから、現代川柳とは何かが問われるべき段階になったのかも知れません。

川柳杜人の連絡先等ついてはこちら。
川柳杜人社

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2019年06月13日

今月の作品 なかはられいこ「終わる平成」を読む


おや指とひとさし指で広げる空

1句目。たとえばどこかへ行こうとして、スマートフォンで表示した地図に触れるとき、「地図を移動させるには指2本で操作します」という警告に動作を阻まれて苛ついた経験がある人は多いだろう。私たちは「おや指とひとさし指で」ちいさな画面の中の地図や、画像を拡大することに慣れている。ここで広げられているのは「空」である。天窓のように四角く区切られた空なのか、頭上いっぱいに広がる空なのか、詳しい状況はわからないが、ここには「クローズアップ」の動きがある。

部屋の四隅のほこり談合
偶然というのは鳥でやはり羽

2、3句目も、「クローズアップ」を手掛かりに読み解きたい。
日頃は見逃してしまう、それどころか見なかったことにしてしまう「部屋の四隅のほこり」。川柳はそこに目をつけ、何をしているかを観察する。それらは「談合」をしているようだ。取り除かれる運命にあるものたちの談合は、われわれ人間が行っているものよりもはるかに切迫感がありそうだ。メンバーの入れ替わりも激しいかもしれない。あるいは案外おだやかな時が流れているのだろうか。
3句目。「偶然」=「鳥」である、としたあとに「やはり」と付け加える形で「偶然」=「(鳥の)羽」であるという。ここにもクローズアップ−−「鳥」から「羽」に至る視線の動き−−がある。偶然は爪でも嘴でも翼でもなく、「羽」なのだ。爪や嘴のように鋭くはなく、翼よりも軽い……読者は「偶然」と「羽」の共通点を探しだす。そして頭の中に、「偶然」と「羽」をむすぶ道があらわれ始める。

おぼろ昆布を巻けばわすれる

個人的にはこの句にもっとも惹かれた。忘れたいことがあるとして、それを土に埋めるのでもなく、ガムテープでぐるぐる巻きにするのでもなく、加工してうすくスライスした昆布を巻けば忘れられるらしい。「おぼろ昆布」のふしぎな浮遊感に、七七形式のかろやかさがよく似合っている。「巻けばわすれる」という静かな言い切りからは、今まで何度もそうしてきたのであろうということが伝わってくる。
posted by 暮田真名 at 23:10| Comment(0) | 今月の作品・鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月07日

「川柳木馬」第160号

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川柳木馬第160号 2019・春(平成31年4月発行)
発行人 清水かおり
編集室 山下和代
定価 500円 1年分2000円


【木馬座】

私を積分するとタコになります  西川富恵

嬉々としてついて行ったら月の人  内田万貴

戸袋の木耳「くノ一」かもしれぬ  萩原良子

嘶きをためて国道を渡る  清水かおり

敵将の馬も発情期と見える  古谷恭一

コンビニで産まれた意味を温める  小野善江

つまずけばネギをつっかい棒にする  山下和代



木馬座は「川柳木馬」の会員作品欄。今号の木馬座句評は畑美樹さんが担当されています。なお木馬誌が長年続けている特集「作家群像」ですが、今回は、わたくしめを取り上げていただきました。飯島章友の川柳60句に加え、作家論・作品論を川合大祐さんと清水かおりさんにご執筆いただきました。このような歴史のある特集ページにわたしが載ってよかったのかと、ただただ恐縮するばかりです。


  走り終え少年たちの九十九折
 九十九は、永遠に百にならない。終わってしまうゆえの「少年たち」の永遠性。(川合大祐「飯島章友さんの六十句を読む〜ひらすらに〜」)


  梅雨の冷えかふかかふかと咳をする
 とても好きな一句だ。ここにきて好きという鑑賞では作者に叱られそうだが、昔読んだカフカの短編集をヴワッと思い出したのだ。「咳」が絶妙に効いていると思うのも、共鳴につきるのだろう。だから、作者も読者も川柳を放せない。(清水かおり「飯島章友の風景」)
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2019年06月04日

図書館や大型書店

図書館や大型書店を巡っていると、川柳のコーナーにあるべき書物が俳句のコーナーにあることがけっこうあります。

図書館でいちばん多いのは、時実新子著『有夫恋』が俳句の場所に配架されているケース。いままでに何回か、ガー! ガー! とヒステリックに……いえいえ、故児玉清さんのような紳士的な口調で「これは川柳の句集ですから、置く場所を正していただけると幸甚です、アタックチャンス!」と、図書館司書さんに申したことがあります。

また先日、某大型書店に、八上桐子著『hibi』が二冊置かれていてとても嬉しくなりました。が、喜びもつかのま、なんと『hibi』までが俳句のコーナーに置かれてあったのです。まあ、図書館のときと同様、児玉清口調で事情を説明したところ、きちんと川柳のコーナーに置いていただけるようになりました。

短詩型文学に興味がある人でもない限り、句集と言えば俳句句集をイメージするのでしょうかね。図書館司書や書店員ですらそうだとすれば、世間一般はさらに句集=俳句という認識なのではないでしょうか。でも実際、これまで川柳人はあまり句集を出版してこなかったわけですから、仕方ないことですよね。

いずれにせよ、短詩型文芸としての川柳は、まだまだ世間に知られていないということだと思います。尤もそのおかげでわたしは、マグロの美味さを外国人に知られてしまう前の日本人のように、川柳をじっくり味わえているわけですが。