2019年07月23日

「川柳スパイラル」6号発行

「川柳スパイラル」第6号が7月25日に発行されます。
今回の「小遊星」は本間かもせりさんと短句(七七句・十四字詩)について論じあっています。川柳同様、短句も未開拓なジャンルなのでしがらみがなく、やりたいことがやれるためとても楽しいです。短句に興味がある方は是非お読みください。

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【川柳スパイラル6号・内容】
・巻頭写真  入交佐妃
・川柳を届けるということ  小池正博
・【ゲスト作品】
  滋野さち・森山文切・くんじろう・八上桐子
・ 同人作品Spiral Wave
・【同人作品評】猥雑な祝祭  石田柊馬
・【特集】現代川柳の縦軸と横軸
  京都柳壇伝統と革新の歴史  藤本秋声
 「川柳雑誌」発刊までの麻生路郎  繻エ道夫
・会員作品 Plastic Wave
・現代川柳あれこれ Biotope  小池正博
・小遊星 連載第6回  飯島章友×本間かもせり
・本格川柳小説 第六話  川合大祐
・【リレー・エッセイ】「水玉」と「めるくまーる」  悠とし子
・妄読 ノススメ  兵頭全郎
・川柳スパイラル 東京句会・大阪句会
・GAKKOの川柳な人たち  月湖
・投句規定・合評句会案内
・編集後記


川柳スパイラル
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2019年07月21日

【お知らせ】おかじょうき川柳社 誌上句会「0番線」作品募集


おかじょうき川柳社 誌上句会「0番線」作品募集

題:『個』

選 者:飯島章友(東京都)/Sin(青森県)
締 切:2019年7月31日
投句料:1,000円(発表誌呈・おかじょうき会員は無料)

「0番線」投句はコチラ
http://okajoki.com/toku/0line.html

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2019年07月14日

【お知らせ】「川柳カモミール」第3号

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7月1日発行の「川柳カモミール」第3号で、羽村美和子とともに飯島章友が一句評を担当させていただきました。
発行人は笹田かなえさん、レイアウト提案は「あざみエージェント」です。
定価500円(送料別)。
よろしくお願いします。

竜宮へ行こう生八ツ橋渡る  笹田かなえ(川柳カモミール第3号より〉


川柳日記 一の糸

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2019年07月10日

喫茶江戸川柳 其ノ伍

小津 みなさんこんにちは。 今月も喫茶江戸川柳のお時間がやって参りました。

飯島 いらっしゃいませ。このお店では江戸川柳、つまり江戸時代の川柳を楽しみながら珈琲を召し上がっていただけます。

小津 このところ何人かの方から励ましのお便りをいただきました。曰く「江戸川柳を読む機会なんてないから面白いです。連載楽しみにしています」と。マスターのメニュー、とても評判でしたよ。

飯島 ご報告ありがとうございます。じつは私、事務処理能力がまったくなくて会社を辞めてしまったんですが、かといって資格もない、コネもない、おまけに妻とも別れてしまって途方に暮れていた時期があるんです。そんなとき、知り合いが短詩型文学を中心に売る小さな書店を始めたと聞いて、いろいろと考えるようになりました。ささやかな儲けでもいいじゃないか、じぶんもそんな文化的な環境で暮らしてみたいと。そう思って、小さいながらも始めたんですよ、この喫茶江戸川柳を。ま、そんな経緯があるもんですから、さきほど小津さんからここの評判をうかがったとき、 とても嬉しかったです。思い切って開店して本当によかった……なーんて、深夜に放送している緩めのドラマみたいな台詞を言っちゃいました! わたし中学の頃は放送委員、高校の頃は演劇部だったんです。もっとも、大学では辞世の句研究会とドリフターズ愛好会に入っていたんですけどね。

小津 あはは。そんなサークルがあったんですか。ところで今月のおすすめは何でしょうか。

飯島 「化粧」などいかがでしょう? 先日ある句会で〈掛け算が散らばっているメイク室〉という句が抜けて(入選して)、少々気をよくしているもので。

小津 あら。佳い句ですね。メイク室のイメージがすんなり膨らみます。其ノ肆で読んだ〈花の雨寝ずに塗つたをくやしがり〉もすごく新鮮でしたし、ぜひ「化粧」でお願いします。

飯島 かしこまりました。それでは少々お待ちください。

      * * *

お待たせいたしました、本日の白・黒・赤・ももんがあセットです。

 十三ぱつちり顔中へ塗り散らし
 引眉で又一ツ目へ化けて出る
 丑の日に嫁の小指は紅生姜
 化粧の間不時にあけるとももんぐわあ


橋雅夫『化粧ものがたり 赤・白・黒の世界』という本があって、日本人の化粧の配色を赤・白・黒に分けて解説しています。この本によると、日本人は化粧以外でも、たとえば花嫁衣裳なんかでも赤・白・黒の三枚襲(さんまいがさね)でした。「この、日本人の感性にあった『赤・白・黒』という配色美の根元は、やはり日本人の髪の漆黒と、その黒に調和して美しく見えるように化粧した肌の白と、唇の赤、という美意識から生まれたものではないでしょうか」と著者は考えています。というわけで、今回の川柳セットも紅・白粉・眉墨で配色し、そこにももんがあを添えてみました。

小津 老舗感ただよう配色にももんがあ添えとは! 味わいも手応えがあります。平たく言うと、とてもむずかしい。たとえば〈十三ぱつちり顔中へ塗り散らし〉。この〈十三〉は年齢ですか?

飯島 はいそうです。あと〈ぱつちり〉もわかりにくいと思うのですが、これは首筋や項、胸元に塗るための白粉です。襟白粉とも言いました。

小津 ほんとですね(スマートフォンで確かめながら言う)。

飯島 水に浸すとぱっちりと音がするのでこう呼ぶようになったとか。何でわざわざ襟白粉が使われたかというと、顔白粉よりも濃く塗れたこと、それと衣服に白粉が移らなかったからだそうですよ。当時、首筋は顔よりも白粉を濃く塗るものだったし、顔白粉は襟に移りやすい難点があったんです。

小津 襟足、祖母の世代くらいまでは剃っていましたね。今は塗らないので剃らないですけれど。

飯島 事情がわかったところで掲句にいきますが、これは顔白粉と襟白粉の違いもわからない思春期の子が、ぱっちりを顔に塗り散らした様子です。バカ殿みたいになっちゃったんでしょうかね。〈十三ぱつちり〉というと私などは、大人に目覚めたときの擬態語にも想えたりします。そういえばじぶんも思春期のころ、母の化粧台でメイクをしてよく叱られたものです。遊び道具のような感覚でした。

小津 男の子って変身願望があるのでしょうか。うちの弟もするんです。化粧して、agnes.bのワンピを着て、ピンクのウィッグかぶって、ベッドに仰向けになってる。

飯島 ちなみに大人になると、〈ぱつちりと雪のなだれる後ろ不二〉というぐあいに襟化粧をすることが出来ました。〈後ろ不二〉は襟足のかたちです。表の富士額ばかりでなく裏側も富士のかたちにするのがオシャレだったんだとか。

小津 うふふ、ちょっとヤンキーっぽいですね。2番目の句〈引眉で又一ツ目へ化けて出る〉。これはぜんぜん意味がわかりません。

飯島 そうですね、解説書を読むまでは私もわかりませんでした。じぶん、いまだにコンプライアンスとかコンセンサスの意味がよくわかりません。おなじように江戸川柳を読むときも、その時代特有の言葉遣いや呼び名、風俗が出てくるとネックになるんですよね。

小津 本当に。たまに日本のニュースを見るのですけれど名詞がわからない。AKBってなんだろうとか。

飯島
 掲句の言葉の意味ですが、〈引眉〉は眉毛を剃った痕に黛で眉を描くこと、また〈一ツ目〉は一つ目弁天のことです。今の東京都墨田区に江島杉山神社というところがあるんですが、そこは江戸時代には一つ目弁天と呼ばれていたんです。この一つ目弁天の前には有名な岡場所がありまして、掲句の〈一ツ目〉はそこを示唆しています。遊女をしていた女が所帯をもち、出産して眉を剃ったんですが、いろいろな事情があってまた遊女に戻らなくてはならなくなった。そこで黛で眉を描き、綺麗になったうえで岡場所に戻ったということなのでしょう。江戸中期以降、妊娠・出産をすると眉剃りをしたんです。ですから引眉をして再び岡場所に行くというだけで、当時の人なら女の境涯を推理出来たんではないかと思います。あとレトリックについていうと、〈一ツ目〉と〈化ける〉が縁語、そしてその化けるは化粧と通じますから、いかにも江戸川柳らしい手法ですよね。

小津 そうだったのですね。意味がわかると、縁語の巧みさが伝わってきます。3番目の句〈丑の日に嫁の小指は紅生姜〉は少しだけわかりました。寒中の丑の日に紅をさすと薬になるということで、女性が紅猪口を買ったのですよね。高浜虚子に〈土産には京の寒紅伊勢の箸〉という句があります。この川柳は、なんでしょう、奥さんの手先が不器用だってことを言いたいのかしら?

飯島 1838年に刊行された『東都歳事記』には、「寒中丑の日。丑紅と号(なづけ)て女子紅を求む」とあります。紅屋さんが女性客で賑わったわけです。それは小津さんが仰ったように、薬効があると信じられていたからなんです。掲句は、紅色に染まった小指を〈紅生姜〉と見立てたわけですが、その感性が可愛いなと思ってこの句を選びました。べにさしゆび・べにつけゆび、なんていうように、通常は薬指か筆で紅をつけるんですが、このお嫁さんは小指を使ったのでしょうね。薬効があるからって頬、目元、爪まで広く付けたからなのか、たんに不器用だったからなのかはわかりませんけど、紅生姜のようになってしまった小指が何とも可愛らしいなと。ちなみに、ぱっちりも寒の丑紅も大正期まで続いたらしいです。

小津 可愛らしい? そうか、こういうのが可愛いってことなんだ…うーんだんだんわかってきたぞ…自分が「日常の化粧」というものにこれっぽっちも肯定的なイメージを持っていないということが…。4番目の句〈化粧の間不時にあけるとももんぐわあ〉。これはどうして〈ももんぐわあ〉に見えるのでしょうか。ごめんなさい、直観力がなくて…。

飯島 ももんがあは、以前も用いた『江戸語の辞典』によりますと、@むささびの異名、A児戯に、両肘を張り、むささびが翅をひろげた身振りをし、「ももんがあ」と叫んで人をおどすこと、B化物。人を罵っていう、といった意味があります。掲句に該当するのはAかBでしょうね。〈美しく化るをもつて化粧の間〉という江戸川柳があるんですが、掲句もふいに化粧の間を開けたら「化け物の正体見たり」という光景があったのでしょう。その驚きをももんがあで示したわけです。

小津 なるほど。ところで、解説を聞いていて思うのは、首に富士山をあしらったり、引眉を描いたりと、江戸時代の化粧がとても人工的だなということです。素材を活かすという感覚がないのか、とにかくこってり塗って、その白地の上に形式どおりの記号をおいていったというか。それだと、たしかにビフォーとアフターが驚愕するほど違ってきますし、そういう前提あっての〈ももんぐわあ〉なのでしょうね。それにしてもバカ殿の化粧っていいですね。まさに〈ぐわあ〉って感じ。それがアフターだってのが、さらにいい。

飯島 身分が上の人たちは屋敷の暗い中にいることが多かったので、白い顔のほうがよく映えたようですよ。それはそうと江戸時代の化粧ですが、身分や地域で化粧法が違いました。あと265年続いた時代ということもあって、流行も意識も、前・中・後期では違っていました。後期の江戸庶民は薄化粧もしくは素顔でいることが普通で、そのぶん美肌を重視していたみたいです。糠袋や洗粉(あらいこ)なんかで顔をやさしく洗ったり、化粧水みたいなものでちゃんとスキンケアしたり。

小津 糠袋は「芸者さんの肌が綺麗な理由」として女性誌でよく紹介されています。

飯島 そうなんですか。客室乗務員は酢をまぜた水で顔を洗うとテレビでいっていました。肌が綺麗になるんだそうです。江戸の化粧水なのですが、花の露、菊の露、江戸の水、美人水といろいろあったようです。で、そんな庶民層とは逆に、しきたり重視の武家は厚化粧でした。あと、上方は庶民でも厚塗り文化だったといいます。だから〈ぐわあ〉な人も多かったかもしれませんね。

小津 椿油とか、いまでも健在ですよね。

飯島 ええ。そうした庶民の化粧に対する意識の高さをみると、江戸時代というのは中流が増えた時期だったんだなあと感じます。精神面や経済面でそれなりのゆとりがないと美容に関心を向けられないはずです。総合美容書も出ていたし。園芸、釣り、学問、そして文芸。庶民の道楽が増えたことと化粧文化の興隆からは、安定した時代背景が感じられます。点取り俳諧や前句附の点者があらわれたのも、中流の増大があったからだと私は考えています。

小津 川柳は江戸の文化史を知るための良い資料にもなるのですね。本日もありがとうございました。

《本日の白・黒・赤・ももんがあセット》
十三ぱつちり顔中へ塗り散らし  おちゃっぴい度★★★☆☆
引眉でまた一つ目へ化けて出る  なれのはて度★★★★☆
丑の日に嫁の小指は紅生姜  裏メロドラマ度★★★☆☆
化粧の間不時にあけるとももんぐわあ  ももん「ぐわあ」度★★★★★

posted by 飯島章友 at 20:00| Comment(0) | 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月09日

今月の作品 内山佑樹「宇宙とか、現代川柳とか謎。」を読む

「宇宙とか、現代川柳とか謎。」と題された連作である。 
 宇宙、と謎は対立しあうもの(こと)ではない。宇宙=コスモスとは秩序であり、謎、とはその秩序が一次的に不順に陥っている状態である。謎を謎として成立させるのは、我々がコスモスの上にいることを前提としているからだ。
 だから、この内山作品が「謎」を残すとして、それは秩序の撹乱ではなく、秩序の回復への希求を読み取る、という向き合いかたもあるはずだ。無論それは「謎解き」ではない。私にできるのは、謎の成立を観測することだけだ。星空の下で万華鏡を覗くように、眩惑されてみようと思う。

  地球(初版、強いヤケ・シミ) 月あり

 たとえばここにあるのは非常に計算された論理である。地球、と古本が共存しているところに、「月あり」と締められることによって、二つの世界がここで合流する。逆を言えば、「月あり」となるまで、地球/古本は共存しているが、比喩で関係付けられているわけではない。あくまで二つの世界認識が、一句の中に並行しているのだ。世界を撹乱しながら、コスモスを成り立たせていること。それ自体が撹乱であり、「謎」が発生する動きなのだ。

  月光の譜面から溢れ出す夜

 この句においても、「譜面」が二重の意味を持たされている(あるいは、何の意味も持たされていない)。しかし先ほどの句が「月あり」で締めくくられていたのに対して、この句は「月光」から始まっている。すなわち、先ほどとは逆に、この「月光」から二つの世界が分岐を始めていると読むことは可能だろうと思う。世界の始まりと終わりに立つ、「月」とは地球の衛星、すなわち自己と他者の間にあるものとして、これ以上ふさわしいものは無いように思う。

  綺羅星のバスターミナルのイルミ

 ここでも、「綺羅星」は「バスターミナルのイルミ」の比喩なのではない。比喩が二つの世界の融合なら、この句において綺羅星/イルミは接近しすぎている。だからこそ、この句にあっても、二つの世界は融合ではなく、分離と読むことがふさわしいのではなかろうか。
 
  革命の覚悟や彗星の軌道や

 二物衝撃、と読むべきなのかもしれないが、ここにあるのは「〜や」で並列された等価である。ここにひとつのコスモスが形成されていること。しかし一見隔絶された世界と見えること。そこに「謎」の発生を見ることは、ひとつの愉楽である。

  盗聴器よりも静かな戦争を

  また行こうねって聞こえる虹の空


 この二句で宇宙を構成しているのは、聴覚である。と言っても、何かが聞こえる、という動作を示すのではない。「聴覚」という概念自体が、ある素材として、そしてそれを乗り越えてゆくものとして設定されている。ここにあるのは、すべてを客体として(コスモスの一部分として)把握してしまう、建設的なニヒリズムとでも仮に言おうか。この世界の切り取り方を、何と故障したらいいのか、正直、評者は捉える言葉を持たない。間違いなく、新しい時代の前触れを予感しながらも。

  風船は枢機卿の義眼だろう

 仮にニヒリズムと呼んだが、この句はそんな仮称をやすやすと超える。恐らくは「意味」をつけ出したら、どこまでも「意味」を持たせることができる句である。だがこの句の佇まいに、「意味」に回収されるのを拒む、何かがあるのだ。恐らくはひとつひとつの単語に「意味」が過剰だからではないかと思う。意味というのがコスモスを目指したいという欲望であることは言うまでもない。この句においては、その欲望は屈折した形で表現されている。だからこそ、「謎」という「意味」が生じるのではないか。

  追ってまた追われ手のなるほうへ、批評

 今まで読んできた連作のすべての要素が、この句には収容されている。その中で、二つの世界の共存という要素に注目してみれば、世界と世界の関わりによる世界の更新、それを人は「批評」と呼ぶのではないか。自らを「批評」と呼ぶ、その言葉自体に批評性を読むべきではない。むしろ、八句を貫き通すこの宇宙に「いない感じ」こそが逆にこの宇宙を意識させるのであり、それが作品でありながら批評性を持つダイナミズムになり得ているのではないか。
 これ以上の「批評」はもはや評者の手に余る。むしろ、評者の手に余ることを想定されて書かれた、「現代川柳」ではないか、ということだけを想像しつつ、とりあえずのひと区切りとする。
posted by 川合大祐 at 18:54| Comment(0) | 今月の作品・鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする