2019年11月13日

山村祐集『肋骨の唄』

山村祐 著『肋骨あばらの唄』
1998年発行
近代文芸社


剝製の鳥のに 世界は閉ざされた
皮膚よかなしめ 神は皮膚持たず
鳥 地を這い にんげん蒼穹へ堕ち
小鳥泳ぐ空 海底の これは一匹の鮟鱇であるか
摺りへった活字が歩いてく 鳥打かぶって
裸身かな 扇にひらくうおの骨
眼の前で巨大になる蟻 美事な顎だ
死ヲ殺セ!吊サレタ男ノ靴ホド重クハナイ
しろい皿はいつも空腹
蝙蝠傘 空を漂う ふぐりを吊し



山村祐は中村冨二、河野春三、松本芳味、墨作二郎らとともに創成期の「現代川柳」を牽引した重要人物だ。わたしが短歌をはじめた当初から愛用している小高賢編著『現代短歌の鑑賞101』(新書館 /1999年)では、新興短歌の前川佐美雄から始まっている。それを川柳にあてはめるなら新興川柳に関わった田中五呂八や川上日車、木村半文銭、渡辺尺蠖などから現代川柳といえそうだ。しかし河野春三は、現代川柳という呼称へ「進歩的な川柳」の意味合いを込めたのは昭和30年以後のことであって、戦後の現代川柳が戦前の新興川柳・革新川柳・自由律川柳運動と直ちにつながるわけではない、という旨を述べている(『現代川柳への理解』/1962年/天馬発行所)。

山村祐は1911(明治44)年生まれ。大学のころから劇作に関心を向け、人形劇の老舗「人形劇団プーク」に入団、国際人形劇連盟日本側常務理事をつとめるまでになった。また同じく大学のころから近・現代詩に興味を持ち、現代詩を創作しはじめるのだが、のちに活躍の場を川柳や一行詩へ移していった。これは「一行で表現が完結される点に牽かれたからである」と、『肋骨の唄」のあとがきで述べている。山村のキャリアについては小池正博著『蕩尽の文芸─川柳と連句』(まろうど社/2009年)所収の「山村祐とその時代」が大変よくまとまっており、お勧めだ。

新編日本全国俳人叢書18『山村祐集 肋骨あばらの歌』に収録された山村の作品をみて気づくのは、一字空けが多用され、大半が自由律の作品だということ。この点では現在の書き手よりも徹底している。これは山村個人の志向が、川柳でも俳句でもない非定型の「短詩」に向かっていたからだと思われる。ただし、昭和30年代の現代川柳じたいにそのような志向性があったようである。河野春三の『現代川柳への理解』には、春三が考える「現代川柳の立場」が列挙された箇所があるのだが、そこには「一、必ずしも5・7・5の一定のリズムでなしに、自分の内部要求に即応した短詩のリズムを見出してゆくこと」と書かれている。

肋は鳥籠 囚われた時間啄ばむ
肋骨あばらかげから別の空の月 見ている
死は 手袋のように垂れている
曇天──巨大な胃袋垂れさがる


『肋骨の唄』というタイトルどおり、同集は肋骨を詠んだ作品がとても多い。また何かが垂れていたり、吊り下がったりしている作品もじつに多い。人形劇に携わっていたことと関係しているのかな、とも思ったが、もしかしたら戦争や敗戦後の情景を作品化した面もあるかも知れない。というのは同集に、「巨大ナガ 死を蝙蝠傘アンブレラノヨウニ開ク」「死ヲ殺セ!吊サレタ男ノ靴ホド重クハナイ」といった片仮名表記の句が散見されること、また「肋骨」と「垂れる」とが骸、檻、血のしたたりを想像させるからである。

さて、川柳でも俳句でも短歌でもない短詩、すなわち一行詩という領域はどのようなものなのか。短詩型文学の総合化ということなのか。もしそうであるなら、格闘技でいえば総合格闘技ということになる。とすれば、山村祐=佐山聡(初代タイガーマスク)ということになるのだろうか。ちなみに佐山聡は、総合格闘技を競技化した格闘家である。一行詩がどのようなものであるのかは今後も考えていきたい。
posted by 飯島章友 at 00:00| Comment(0) | 川柳論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする