2015年02月20日

勇気のための川柳処方箋O おいここはぼくの場所でもない。

まなうらにいくにんひとをためている  渡辺和尾

  *

「まなうら」っていうのは、目の奥っていう意味なんですが、瞳でも、こころでも、脳でも、思い出もなく、「まなうら」に「ひと」がたまっている状態がこの句で大事なことですよね。

「まなうら」って、奇妙な場所です。とても。

なぜ、か。

目の奥って、相手からはみえませんよね。
相手がいくら眼の奥をみようとしても、目の奥ですから、相手は目の表面しかみえない。

ところが、じぶんでも目の奥はみえません。
目くらいはみえるかもしれないけれど、目の奥はみえません。むしろ、みようとしているその部分が、目の奥です。
みようとしてるまさにその部分、絶対的な誰にもみられない視線の真空空間のなかにたまっていくひとたち。

なんにんいるかはわかりません。
それでもそこにはわたしもあなたもわからないような、であったひとたちが、ベンチに座る野球選手のように、たまっている。わたしやあなたに呼び出され、ひっぱりされるのを待ちながら。だれにも知られずに。それでもまなうらですから、ときどきはわたしやあなたに働きかけるようにごそごそと。

ホワイトブランクのひかりのなかに、わたしやあなたを待ち続けているひとびと。それは死者たちの乗る宮沢賢治の〈銀河鉄道〉のような場所かもしれないけれど。

でも、わたしはわたしからだけで構成されるわけではない。奇しくも宮沢賢治の作品にも通底する主題になってしまいましたが、勇気とは、わたしがわたしでなくなる瞬間に、わたしからあふれでたひとびとのことです。

「そしてみんながカムパネルラだ。おまへがあふどんなひとでも、みんな何べんもおまえといつしよに苹果をたべたり汽車に乗つたりしたのだ。」
   宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
posted by 柳本々々 at 06:11| Comment(0) | 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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