2015年02月23日

勇気のための川柳処方箋S 勇気について語るときに我々の語ること。

生きてればティッシュを呉れる人がいる  丸山進

  *

『週刊俳句』に始めて感想文を載せていただいたのが、この丸山さんの句の感想文だった。

いきてればいいことあるよ

というクリシェ(決まり文句)がある。
もちろん、そうだけれども、ってわたしはおもう。
でも、いきてればわるいこともあるよね、とも。

でも、生きてればティッシュをくれるひとはいるだろう。確実に。

それは、ティッシュなのだ。たいしたことじゃない。
みんながもってる。街で、じゃんじゃん、くばってる。そこらへんにおちてる。夢のなかでさえ、おちてる。

どこでもてにはいる。

でも、ティッシュには、あなたがくれた心情の厚みがある。
あなたが、なみだやなみだじゃないもので顔がぐしゃぐしゃになっていたときにもらったいちまいのティッシュがどれだけうれしかったか。どれほど救われるか。

それは、使用価値だけの問題なんかではない。
交換価値の、そして交換価値だけれども、使用はするのだろうから、決定的な使用価値の問題でもある。

いつも手にはいるのに、よくなくなるもの。それが、ティッシュだ(交換価値)。

こんな紙切れいちまいなのに、使えたら決定的に救われるもの。それが、ティッシュだ(使用価値)。

「生きていれば」ではなく、「生きてれば」という決していいやすくはないフレーズに注目してみよう。
わたしたちの人生は、そう生きやすくはできていない。
語りやすいものでも、ない。

それでもただたんに「くれる」ではなく、そうでしかありえないような「呉れる」をしてくる人間に、あなたは、にもかかわらず「生きてれば」であうことが、できる。

わたしは、悩んだり寝込んだり電信柱に抱きつきそうになったりしたときは、いつもこの丸山さんの句から、はじめようとおもう。やりなおそうとおもう。生き直そうと、おもう。

生きてればティッシュを呉れる人がいる

ささやかで、ある。
でも、ささやかだけれども、のっぴきならないくらいに、大切なことだ。
『ささやかだけれど役にたつこと(A Small, Good Thing )』を書き、人生はグレイヴィーだと言ったレイモンド・カーヴァーもきっとそんなふうにいって、喜んだんじゃないかな、って、わたしは、おもう。

生きて、ティッシュをもらうこと。それって、スモール・グッド・シングだよね、って。

posted by 柳本々々 at 00:00| Comment(0) | 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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