2015年02月26日

川柳雑誌「風」95号と瀧正治

川柳雑誌「風」 95号
編集・発行 佐藤美文
年4回発行(1・4・7・10月)

十四字詩【風鐸抄】

  
  父の形で乾く作業着    林マサ子
  

  まひの右手に止まる秋の蚊    武智三成
   

  増税前に眠いお財布    土田今日子

  
  ショートコントに湧くプチトマト    森吉留里惠

  
  ペンケースから本音飛び出す    井手ゆう子

  
  主張が違う十指それぞれ    若月葉

  
  昼の酒にも言い分がある    藤田誠

  
  独身主義を通すコンビニ    戸田美佐緒

  
  上げ底景気冬を身籠る    坂本嘉三

  
  銀河鉄道星を掴んだ    神野きっこ

  
  思い出ばかり溜める掃除機    佐藤美文

  
  父より深い穴を掘る僕    瀧正治

  
  ムンクが叫ぶマグロ競る市

  
  黄泉の手前で消えるカーナビ

  
  ビニールごみへ卵産む魚


川柳雑誌「風」は平成9年1月に創刊された。
同誌の作品からほんの一部を引用してみたが、上に挙げた句を見て(おや?)と思われた方もいることだろう。

そう、同誌の会員作品欄「風鐸抄」には5・7・5の計17音からなる一般的川柳とともに、7・7の計14音からなる十四字詩(じゅうよじし)の欄も設けられている。
「風」誌の特徴は十四字詩に力を入れているところといっていい。
上の引用句は「風鐸抄」の十四字詩欄から選んでみた。

十四字詩。

この詩型の名前ををみなさんはお聞きになったことがあるだろうか。
吟社に所属して川柳を作句している方なら十四字詩、十四字、短句、七七、武玉川調といった、いずれかの名称ですでにご承知のことと思うが、現在は5・7・5とは別個の形式として川柳界で創作されている。

なぜこの十四字詩が川柳のもう一つの形式として残っているのかという事情は、それだけで一つのテーマになるのでここでは言及しない(簡潔にまとめられている書籍としては、尾藤三柳(監修)尾藤一泉(編集)の『川柳総合大事典〈第3巻〉用語編』の十四字の項目)。

ただし、川柳のもう一つの形式とはいったが、呼称が十四字詩、七七、短句etcと統一されていないことからも察せられるように、マイナーな川柳形式である。
十四字詩を川柳とは別の詩型と考えたい作家も存在するだろうし、あるいは十四字詩の存在すら知らない人もいる可能性はある。


さて、今号の「十四字詩・風鐸抄」の中で殊にわたしが惹かれたのは、瀧正治の作品群だ。
穴の深さから父への思いや関係性を喚起させる力、ムンクの叫びとマグロの競りのほどよい即(つ)き方、死世界への道中に現代技術を登場させるおかしみ、産卵の現状をつうじた現代社会にたいする批評性、瀧の川柳における可動域のひろさを感じる。

「父より〜」の句を見たときは、どこかしら寺山修司の「蝶とまる木の墓をわが背丈越ゆ父の思想も超えつつあらむ」「向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し」などとつうじる叙情性があると思った。

瀧正治については、月刊「川柳マガジン」2010年7月号の「十四字詩の作り方、味わい方。」で佐藤美文が次のように書いている。

正治作品を特徴付けるものの一つにリズムがある。彼には十四字詩についてある拘りを持っている。それは四三止めの忌避である。四三止めとは、下七を四三で止めることである。これがリズムを狂わすと古くから言われている。たとえば《三軒目からアリバイ不要 美文》である。この句は簡単に「要らぬアリバイ」とすれば解決すると、評者の津田暹は指摘している(『風 十四字詩作品集』)。


このように述べたのち佐藤は、『川柳学』10号「十四字詩のリズム」における瀧の次の言葉を紹介している。

現代の十四字詩において、四三止め忌避を定型とするのは、制約の中で美を求める、定型の恩恵を重視する故に他ならない


そこで瀧の先ほどの作品を見てみると、

父より深い穴を掘る僕 → 43・34   
ムンクが叫ぶマグロ競る市 → 43・34
黄泉の手前で消えるカーナビ → 34・34
ビニールごみへ卵産む魚 → 7・34

このようにリズム分けしてみたが、たしかに下句が四三でおわるものはない。
ちなみに、十四字詩のルーツともいえる『俳諧武玉川』初篇にも、また二篇と三篇にも、この四三止めがないことは確認されているという(月刊「川柳マガジン」2010年5月号「十四字詩の作り方、味わい方。」)。

先ほどの「三軒目からアリバイ不要」という佐藤の句は、たしかに「不要」の3音が尻切れ蜻蛉な感覚を与え、逆に「要らぬアリバイ」と4音にすると、どっしりと重りのついたような完結感が出る。
四三止めの忌避は先人の作句経験から導かれた知恵なのだろう。

ところで、尾崎放哉の自由律俳句に

  入れものが無い両手で受ける

という有名な句があるが、奇しくも十四字詩と同じ形になっていながら、下句は四三止めとなっている。
そして、ここでは四三の頼りなさが句の叙情に適しているとわたしは思うのだ。
川柳人的発想の十四字詩と俳人的発想の自由律俳句でリズムの効用に違いが生まれているのだろうか。
ただ、その問題は今のわたしの手に余るので、今後の課題としておこう。
posted by 飯島章友 at 00:01| Comment(0) | 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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