2015年03月09日

取りはずす目玉はあって小劇場    一戸涼子

2011年の「バックストローク」33号より。

以前、角川の「短歌」2011年7月号に「助詞力を磨く!」という特集があったのだが、上掲句には助詞力がある。
「目玉は」の「は」に、わたしの川柳アンテナがピーン!と反応したのだ。
辞書によれば、助詞の「は」には、〈他と区別して取り出していう意を表す〉という用法がある。
たとえば「僕が帰るから、君〈は〉いなさい」「辛く〈は〉あるが頑張る」みたいな感じ。

かりに、「取りはずす目玉があって小劇場」としたらどうだろう。
ああ小劇場のアングラ演劇ならあるかも知れませんねえ、と妙に納得してしまい、〈あるある川柳〉の域でおわってしまう可能性がある。

だが、「取りはずす目玉はあって小劇場」としたばあいはどうか。
取りはずす髭や耳や指はないけれど「目玉ならあるよ」、という趣やニュアンスが出てくるのではないだろうか。
いろいろな物の中から「目玉はある」と表現したことで、目玉に妙な現実感や生々しささえ出た気もする。

まあ助詞の「は」と「が」のニュアンスは人のセンスによる部分が大きいので一概にはいえないけれど、「取りはずす目玉があって小劇場」では言葉の流れがよすぎて、少なくともわたしの川柳アンテナには引っかからなかったと思う。

もし不思議で怖い川柳ばかりを集めた本が出版されるなら、ぜひ収録してほしい作品である。
posted by 飯島章友 at 07:00| Comment(0) | 飯島章友・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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