2015年03月15日

勇気のための川柳処方箋40 押す。

短縮ボタンひとつの距離に居るあなた  大西俊和

   *

M 『あざみ通信』14号から大西俊和さんの一句です。とつぜんですが、先日、吉岡太朗さんの『ひだりききの機械』について考える機会があってですね、で、ちょっと思ったのが吉岡さんのこの歌なんですよ。

ようわからんひとがしっこをするとこを見にきてしかもようほめる  吉岡太朗

この歌なんですけどね、《だれ》がおしっこをしているかでぜんぜん位相のちがう歌になるんですよ。たとえばですね、これを語っているのが〈犬〉だったとしましょう。犬がおしっこをしているのを人間が誉める図式。『吾輩は猫である』のように犬がそれを語っているというふしぎな歌になります。じっさい一首だけでみたときわたしはそういう歌なのかなあと思ったんですよ。でもですね、『歌集 ひだりききの機械』のなかで連作のなかの一首としてみてみると、〈介護詠〉としても読める。そうするとふしぎというよりは、むしろ日常的な歌なんだということになります。なんのふしぎもない。つまり、どういうふうな〈読み〉の枠組みを設定するかでこの歌の置かれる位相がぜんぜん変わってきます。

Y となると、この大西さんの「短縮ボタンひとつの距離に居るあなた」も、どこに・どんなふうに〈読み〉の枠組みを設定するかで意味が変わってきたりしますか?

M ええ。たとえば、ボタンひとつ押すことであなたを呼び出す〈介護詠〉としても読むことができるかもしれないし、ぜんぜん関係なくたとえばネットを介してですね、ワンプッシュであなたと通じあえるデジタルネットワークの歌として読んでもいいし、ロボットのようなSFとしても読める。どこに・どんなふうに枠組みを置くかで短詩というのは〈読み〉の位相が変わってきたりするんですよね。

Y なんだかそれこそこの大西さんの句に語られているように、短詩っていうのは短縮ボタンが内蔵されていて、でもどのようなボタンとして押すかによって「あなた」の現れかたも変わってくるんですね。

M 〈短詩〉=〈短縮〉っていうのはどこかでそうした距離感の圧縮がなされているかもしれないですよね。でもひとはそれを読むときにボタンを押す。そのボタンの押し方にもいろいろある。だからなにが〈正しい読み〉かではなく、どのような〈読みの枠組み〉のなかでじぶんは読もうとしているのか、そういうふうな〈枠組みに対する気づきの意識〉が割合重要なのかなとおもったりしたんですよね。

Y なるほどねえ。おしっこひとつとってもいろんなおしっこがあるんだ。

M ええ。

Y なるほどね……。

M ……。

Y …。

M ………。

Y (やだな。気まずいな。もう終わったのかな)

M ……………。

Y ……!?………(勇気だ……勇気を出すんだ……人間を押すんだ……)。

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posted by 柳本々々 at 20:21| Comment(0) | 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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