
去るときにスキップしないようにする いわさき楊子
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M 『川柳 裸木2』(2014年11月)のいわさき楊子さんの「2センチ」からの一句です。
Y そ、そういえばMさんて、わたしとの話が終わるといつもスキップして帰っていきますよね。あれは。
M いやあ、うれしくて。いつも。スキップしちゃうんです。
Y しかもあのスキップ、いつもすごく全力でスキップしているようにみえるんですけど。
M うれしいんですよ、話が終わったのが(あなたとさよならするのが)。うれしくてたまらないんだ。
Y そうですか……。この楊子さんの句の語り手も、全力でうれしくて、でも、そのうれしさをがまんしたのかな。だから、Mさんよりも《相手に思いやりがある》語り手ということになるんでしょうか。
M そうですね。これってだから自分に対する自分をめぐる句という、ちょっと込み入った構造をもった自意識の句ともいえるんですよ。〈思わず去るときにうれしくスキップしそうになる自分〉←〈あ、相手に失礼になるからスキップしちゃだめだよ自分、と呼びかける自分〉←〈よしわかった、じゃあスキップしないようにいま脳からちゃんとスキップ禁止令だすね、と指令をだす理性的な自分〉。そんなふうな自分の多重構造になっている。アルチュセール風にいえば、重層的決定がなされているわけです。
Y でもそれが複雑さを吹き払うような「スキップ」というなんだか遊戯的で児戯的な身体行為をめぐっているところにこの句のおもしろさもまたあるんですね。
M そういえば、楊子さんにこんな句もあるんですよ。
黙っていると点線で囲まれる いわさき楊子
Y うああ! どうしよう。わたしはいつも春の新学期の教室にいくと黙っておびえているから、点線で囲まれてしまう。
M だいじょうぶです、だいじょうぶです、もうあなたの小学生時代は終わってしまっていますから。あとですね、こんな句もありますよ。
2センチの壁にぶつかるときもある いわさき楊子
Y うわあ! どうしよう、わたしも壁にぶつかってばかりなんだ。春の新学期にやたらと壁にぶつかってしまう。壁ばかりなんだ。どうしよう……。
M (たしかにそれは今でも否定はできないな……)
Y、うずくまる。M、スキップで帰る。

コメント、ありがとうございます!
ようこさんの書かれるコメント、いつもいろんな場所で拝見しておりました。
こうしてようこさんにご挨拶できて嬉しく思います。
『裸木』、ようこさんのおっしゃるとおり、だいすけさんからいただきました。
楊子さんの連作、とても面白くて、とくにわたしがスキップってすごく好きだったので、川柳のなかでスキップをかんがえることができてすごくうれしかったです。
スキップしながらようこさんの連作にかんがえたり、黙り込んだまま点線で囲まれたりしていました。
2センチの壁というのも、2センチという破れそうで破れなさそうな具体的数字がステキでした。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。