2015年04月25日

勇気のための川柳処方箋56 いとしさとせつなさとわりきれなさと


素数ものさしを眺めていて、ふと気付いた。私たちが作っている川柳って素数の集まりじゃないかと。
川柳だけではない。俳句も短歌も素数の集まりじゃないかと。……
それ以上約分されない数を素数とするなら、それ以上約分されない言葉、素文あるいは素句というものが存在するのかも知れない。

       くんじろう「放蕩言」『川柳北田辺』55号(2015年4月)


M くんじろうさんの「放蕩言」のことばからです。

Y わたしもときどき定型について考えるんですけど、定型が素数に似てるっておもしろいですよね。そういえば、5と7なんですよね。定型って。割り切れない数なんだ。

M ええ。あとね、そこからすこし発展させると定型って対称じゃないんですよね。575でしょ。まんなかに割れないから、鏡みたいに対称にできない。それに短歌だってね、75757だったらいいけど、57577でしょ。やっぱり対称じゃないんですよね。ふしぎだとおもいませんか、居心地わるいとおもいませんか。

Y たしかにからだのあちこちがむずがゆくなってきました。

M ええ、ええ、そういうことではないんだけど。でもね、なんかかんがえてみると定型ってびしっと決まるというよりは、実は素数みたいに〈きもちわるい〉形式なのかもしれないですよね。いい意味で。

Y いい意味デ、ッテドウイウコトデス?

M 途中からカタカナでしゃべったりしてきもちわるいですね。うーん、きもちわるいことって実はいいことなんじゃないかとおもうんですよ。きもちいいってことばと主体が一致してる状態ですよね。だから実はそれってなにかをいってることにはならないとおもうんですよ。ただ定式や形式や規範に主体を合わせただけで。だけど、なんかこれきもちわるいなってときに、はじめてことばがことばとして生きてくる気がするんですよ。それまでなかったような定式として。だから文学ってね、きもちわるいものだとおもうんですよ。だってハリウッド映画とかって、きもちいいですよね。厳密な時間配分で、設定説明や前フリや葛藤やピンチがつくられているからなんだけど、それはきもちいい定式にそってるからですね。ディズニーランドもきもちいいためのスーパーパースペクティブのようなものを縮尺をゆがめてつくっている。

Y 素数ってなんかじんせいみたいですよね。だって割り切れないものってかならずでてくるでしょ。で、割り切れないぶぶんをごまかそうとするとかえりうちにあうでしょ。それって、まさに定型そのものですよね。

M あ、そうなんですよね。じゃあ最後にくんじろうさんの〈わりきれない〉句でおわりにしましょう。

Y あ、あのすいません。さいきん、勇気の話をぜんぜんしてないとおもうんですけど。これ、勇気のための川柳処方箋って企画なんですよね?

M いま割り切れなさが大事だって話をしたばかりですよね?

Y あ、ええ……。

M そうゆうことです。

お母さん今夜帰ったらシャー  くんじろう

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posted by 柳本々々 at 15:19| Comment(0) | 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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