2015年05月11日

問と答・短歌と川柳の合わせ鏡〜曾呂利亭雑記をきっかけに〜@

曾呂利亭雑記の亭主である曾呂利が、「詩型と笑いと」という記事をアップした。とてもオモシロい内容で一気に読み進めた。そこでは俳句・短歌・川柳をお笑いのジャンルに喩えて三分野を考察している。俳句についてはわたしの勉強不足のためなかなか反応できないのだが、短歌と川柳にかんしてはこの記事を起点にいろいろ考えを巡らせることができた。

まず短歌についての喩えを同記事から引いてみよう。曾呂利は若手歌人と話し合う機会があって、短歌と俳句と川柳の違いについて話し合ったという。そのとき「短歌は漫才だと思っているんです」という発言が出たそうだ。それを受けて曾呂利は、「いま適当な短歌の構造論を引くだけの余裕がないが、上の句(五七五)、下の句(七七)の対話性が短歌の生理なのだという見立ては、ある種の説得力を持つ」と書いている。

上の句と下の句の「対話性」。厳密にいうと短歌は一人称文学なので独話形式なのだけれど、独話といっても実際は仮想の他者を自分の頭の中に出現させて問答しているのだから、たしかに「対話」「漫才」というのは巧みな表現だ。

漫才、すなわち「上の句(五七五)、下の句(七七)の対話性」という表現を読んで思い出した歌論がある。それは永田和弘著『表現の吃水──定型短歌論』(1981・3 而立書房)の中におさめられた「『問』と『答』の合わせ鏡」だ。以下、かんたんに「問と答の合わせ鏡」論をみていきたいと思う。

 退くことももはやならざる風の中鳥ながされて森越えゆけり 志垣澄幸

上掲歌を引いて永田は、上の句と下の句が「問」と「答」の関係にあると説く。

……「退くことももはやならざる」という上句は、その時点で作者を表現行為へと促した自己認識、つまり問題意識である。それを内部状態と言ってもよいが、広い意味でここでは「問」と言い換えて差しつかえなかろう。即ち作者は「退くことも……」という「問」をもって、その「問」を支えるに足る対象を外界に求めたのであり、下句は言わば上句に対する「答」であるとも言い得る。


そして永田によれば、下の句「鳥ながされて……」を「問」、上の句「退くことももはやならざる……」を「答」と見ることもできるという。問と答をイコールと捉えるならば、上下句の問答関係が逆転することに矛盾はない。

永田の「問と答の合わせ鏡」論はこれだけでは終らない。

だがまだそれだけでは十分ではないのであって、作品が本当に緊張したものとなるのは、その「答」がさらに新たなる「問」となって作者を、従って最初の「問」を問いかえすという場合であろう。


「鳥ながされて森越えゆけり」という「答」がそのままで充足せず、それが新たに「問」として「退くことももはやならざる」に反っていくのである。これをわたしなりに言い直すと、「答」が正・反・合の〈反〉となって、ふたたび「問」=〈正〉に判断を迫っていく事態なのだと思う。

 三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや 山中智恵子

この歌について永田は次のように説明する。

上句から下句へと、山中智恵子はいっきょに時間を越えて歴史の彼方へと飛翔するのであるが、下句における「はじめに月と呼びしひとはや」という、その「はや」に籠めた彼女の感動はそのままおうむ返しに上句に返って、何の疑念をさしはさむこともなく「月」を「月」と呼び慣わしている彼女自身、およびわれわれの現在を鋭く問いかえすことになるのだ。


もういちどこれを正・反・合で説明してみる。まず上の句「三輪山の背後より不可思議の月立てり」において主人公が見ている「月」が〈正〉である。その〈正〉としての「月」にたいして、下の句で表明された感覚「はじめに月と呼びしひとはや」が〈反〉となって最初の「月」に対立される。主人公は下の句で時空を遡り、「ツキ」と最初に呼んだひとの心情に同化したうえで、上の句の「月」を問いかえしているのだ。この上下句、問と答のあいだに起こる緊張した相互照射が、たんに自分の認識や判断を表明するだけの問答を回避する働きとなる。それを永田は「問と答の合わせ鏡」と表現したのである。

「答」を出すことが一つの自己充足となるのではなく、答えるということが、すなわちさらに深い「問」の断崖に目覚めることであること、そのような「問」と「答」の相互転換が充足されるとき、作品は文字どおり読者を引き込み、読者をもまた、その「問」の断崖にまで追いつめることができるのである。このような事情を、私自身は「問」と「答」の合わせ鏡構造≠ニでも呼びたく思っている……。


ここでちょっと思うことが一つある。さきほどわたしは、短歌の上下句の問答を、正・反・合の〈正〉と〈反〉で説明した。しかし、結局どうしたって、575・77の対句構造の中では〈合〉に至らないのではないかと思うのだ。〈正〉←→〈反〉の往復をくり返すのが短歌形式ではないだろうか。たしかに「答」が〈反〉となって最初の「問」を問いかえせば〈合〉が立ち顕れるのかも知れないが、その〈合〉はあくまでも通過点である。その〈合〉もまた新たに〈反〉をつきつけられる、いわば〈取りあえずの合〉である。そのようにいえる根拠は、ほんとうに〈合〉に至れるのであれば、もう「問」と「答」の記述など必要がなくなるはずだからだ。575・77という対句構造の檻は、いやがおうでも正←→反の往復をくり返して〈合〉に至らない。その意味で短歌の対話性、いわば問答構造は、まるで砂時計のように「問」と「答」を往復しつづけ、〈絶対的な合〉に至らない構造だといえるかもしれない。そしてそれが、昭和の短歌からじめじめした〈私〉がつよく感じられた主因なのではないだろうか、などと思ったりする。

ここまで短歌の「問と答の合わせ鏡」論とそこから敷衍したわたしのお喋りを書いてきたが、誤解が生じるといけないので一言断わっておくと、短歌の定型に絶対の規則性があるわけではない。問答の働きもその例外ではない。その点は永田和宏も議論の中で示唆している。また、「問と答の合わせ鏡」という短歌の基本的構造が書かれてから四十年近く経過した現在、当時の説得力をどこまで保っているかは分からない。だが、「もしドアの開閉を望むならば、蝶番は固定されていなければならない」というウィトゲンシュタインの言葉のとおり、短歌性を考えるには、問答の構造という固定された蝶番がなくてはならないのではないだろうか。
(つづく)
posted by 飯島章友 at 00:00| Comment(0) | 川柳論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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