2016年10月17日

「ふらすこてん」第47号

「ふらすこてん」第47号
発行人 筒井祥文
編集人 兵頭全郎

テロ予報シャッター街で雨宿り  湊圭史
上空にポットが浮かぶ国富論  同
隠語にも交替制を取り入れる  蟹口和枝
ロボットカーにも紅葉マークを付けますか  黒田忠昭
遠心分離器を逆進するタガメ  兵頭全郎
つくつくぼうし殺人計画できました  阪本きりり
レバ刺しが妙に美味しい白日夢  徳田ひろ子
マジシャンの指に返ってくる夕陽  同
モッコウバラにまとわりつかれる運命だ  いなだ豆乃助
舌足らずですがと開くパラシュート  月波与生
触角は海を感じるカタツムリ  増田えんじぇる

一句目。『誹風柳多留』の「本降りに成て出て行雨やどり(本降りに成つて出て行く雨宿り)」を踏まえて二句目をつくるなら、〈本テロに成って出て行く雨宿り〉なんてね。

三句目。この10年くらい、日常語として既存の「隠語」をつかうひとが増えていて複雑な気分になる。インターネットの発達で各業界の楽屋がなくなってしまったからだろうか、それとも言葉から歴史性・文化性が剥ぎ取られてきているからだろうか。いずれにせよ、所定範囲を越えて日常社会にまで隠語が広まってしまったのなら「交代制」をとるしかないか。

四句目。酒飲みにもマークを付けますか。

五句目。「遠心分離器」でタガメはメダカに、メダカはタガメになるのかな。

六句目。「つくつくぼうし」の鳴き声って起承転結になっている気がする。田村正和主演のドラマ「古畑任三郎」の展開でいうならば、犯行動機の発生→殺人実行→古畑と犯人の知恵比べ→逮捕、という感じかな。「つくつくぼうし」の鳴き声はミステリーなのである。

七句目。白日夢とは思えないほど、それはそれは鮮やかなレバ刺しなのでございましょう。

八句目。「指に返ってくる」がいい。関係ないけれど、このマジシャンの指は細くて長くてキレイなんだろうな。

九句目。〈木香薔薇〉を片仮名表記にしただけで、こうも薔薇の艶やかさが解体されるものかと興味深かった。

十句目。「舌足らず」と「開くパラシュート」とのズレが巧みな一句。

十一句目。「ふらすこてん」誌全体から受ける作風と毛色が違う感じがして目を留めた。こういう句、好きです。


◇ ◇ ◇


さて、今号でいちばん考えをめぐらせたのは湊圭史の次の句。

 上空にポットが浮かぶ国富論  湊圭史

『国富論』は、アダム・スミスが著した経済学の古典。さすが古典となっているだけあって経済に特化した内容、というよりも、世をおさめ民をすくう〈経世済民〉の書という印象だ。スミスのもう一冊の大著『道徳感情論』とあわせて読むことをお勧めしたい。と言いつつ、わたしがまるまる読んだのは『道徳感情論』の方だけなのだ。また、おなじ道徳原理の哲学書ならスミスと深い親交があったデイヴィッド・ヒュームの『人間本性論』第三篇の方が好きだったりする。

さて、大雑把にいって『国富論』では、自由競争を阻害する独占や寡占はよくないものとして、開放された貿易を行うことが説かれている。そして人間各人が自分の利益を追求することは無秩序になるどころか、〈見えない手〉に導かれて意図せず市場や社会の利益を高めることに貢献する、というのだ。〈見えない手〉とは自動調整メカニズム、というくらいの意味だ(ただし行為者を自由放任にすれば〈見えない手〉が発動するという意味では決してなく、みなが守るべきルールを遵守する道徳的な行為者が想定されているので要注意。『国富論』の内容は、スミスのもう一冊の大著『道徳感情論』を前提にしなければ意味がない)。
スミスの影響を強く受け、20世紀の自由主義の代表的な思想家であるフリードリヒ・ハイエクも「自生的秩序」(※1)という概念を提示し、スミスの「見えない手」をより発展させた。上記のようなスミスの考え方は現在、規制を緩和して市場にまかせておけば自動調整機能が働いて市場や社会を安定へと導く、という市場原理主義のルーツとされる向きもある。

※1 スミスの「見えない手」は、とにかくそうなるのだ!という概念なので、正直たんなる性善説に思えなくもない。対してハイエクの「自生的秩序」はより具体的だ。人びとの意図しない行為の繰り返しの中でおのずと精製されて成った「自生的秩序」には、暗黙の〈知識〉と暗黙の〈ルール〉の側面があり、それがわたし達の制度の根拠になっているという。これは社会主義国家に見られたような、一部のエリートが意図的に設計した人為的秩序とはまったく違う。そして彼は、「自生的秩序」の典型は、言語や貨幣や(慣習)法なのだという。言語──たしかに日本語も日々更新されて成った≠烽フだし、これからも成っていく性質のものだろう。卑近な例でいえば「かわいい」という言葉。今では若い女の人が中高年やシニアに対して「かわいい」というのもごく一般的な現象となったが、これは文部科学省のエリートが意図的に設計して推進した現象だろうか。もちろん違う。

ところで、こういう市場や社会の自動調整メカニズム──スミスの考えでいえば〈見えない手〉にもとづいた効果として〈トリクルダウン〉(※2)と呼ばれるものがある。これは、富の再配分政策を強化したりせず富裕層が心おきなく儲けられるようにすれば、蜜が滴るように中・下層の労働者にも富が落ちてくる、という効果だ。新自由主義政策を押し進めた小泉構造改革のころから頻繁に見かけるようになった言葉だ。

トリクルダウンという響きはいかにもカッコいいが、小さな共同体でならともかく、国レベルで、ましてグローバル市場のレベルで考えるなら空想にすぎない気もする。それに懸念も生じる。〈トリクルダウンを起こす〉ことが手段や過程ではなく〈目的〉になってしまったとき、それは社会主義や進歩主義と類似してしまう。社会主義や進歩主義は意図的に設計して社会を創りかえることが大好きだからだ。未来は不確実であるにもかかわず、〈トリクルダウンを起こす〉ことや、各国の国柄としての慣習や文化を含めた〈規制を取り払う〉のが目的化してしまったとき、人間の知性や理性に対する〈過信〉を感じずにいられない。まあ、話がどんどん川柳から離れていってしまうのでこの話はもうやめないといけないだろう。

 ※2 スミス自身は〈トリクルダウン〉などという概念は示していないけど、それに相当するような考え方は示している。以下の引用は、訳文なのでとても読みにくいけれど、要は地主が得た収穫が意図せず労働者に還元される、というお話だ。
「高慢で無感覚な地主が、かれの広い畑を眺め、かれの兄弟たちの欠乏についてはすこしも考えないで、そこに生育した全収穫を想像のなかでかれ自身が消費してみても、なんの役にもたたない。……かれの胃の能力は、かれの諸欲求の巨大さにたいして、まったくつりあいをもたず……残りをかれは……分配せざるをえない。こうして、かれら(労働者)すべては、かれ(地主)の奢侈と気まぐれから、生活必需品のその分け前をひきだすのであって、かれらがそれを、かれの人間愛またはかれの正義に期待しても、むだだったろう。」(『道徳感情論(下)』アダム・スミス著/水田洋訳・岩波文庫・上記引用カッコ内飯島)


ここでようやう上掲句の話をしたい。湊の句の「国富論」は、アダム・スミスの本を直接指しているのではないと思う。貝原益軒の『養生訓』にならって「〇〇流養生訓」という本がよくある(?)と思うけど、それと同じ用い方だろう。「グローバル時代の国富論」なんて書名、いかにもありそうではないか。
それでもわたしは、「国富論」と聞くとアダム・スミスを想像しないではいられないため、この句も最初、高いところに浮かぶポットから高級な紅茶が下層に注がれんとする〈トリクルダウン〉の喩と捉えた。

だけど、この句では空中に「ポットが浮か」んでいるだけでしかない。これでは高級な紅茶が中・下層に注がれることはない。注がれたところで火傷してしまうし。そう考えると、〈富が滴り落ちる〉というトリクルダウンの幻想と、実体経済から金融経済にシフトした〈ふわふわとした豊かさ〉を一般庶民の視点から描いた句なのかも知れない。

アベノミクスのもと円安・株高になり、名目GDPも上がって雇用も増えた反面、実質賃金上昇率はほぼマイナス、消費税が8%に上がってからは個人消費も低迷している。高度成長期のような経済成長などもはや見込めないうえ、金融経済が中心となった現在、資産運用を巧みに行っているひとでもないかぎり、格差はいっそう拡大しているのではないかと肩を落とさざるをえない状況もあるだろう。そういった一般庶民の気分を「上空にポットが浮かぶ国富論」と表したのではないか、と捉えてみた。

ふらすこてん・ねっと

posted by 飯島章友 at 08:00| Comment(0) | 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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