2017年09月24日

真昼間の音楽室の渦づくし  暮田真名


真昼間の音楽室の渦づくし  暮田真名

掲出句は、今年の7月に行われた川柳スパイラル東京句会での兼題「渦」に提出された作品。

当日は「音楽室」と「渦」の取り合わせに面白味を感じたのだけど、いま改めて見ると「渦」と「づくし」の組み合わせのほうが面白い。「渦づくし」ということは、音楽室にはいろいろな種類の「渦」があるということになる。もし鳴門を舞台にした映画を制作するなら、渦潮を要所要所に組み入れると良いつなぎになりそうだ。おなじように、音楽コンクールを目指す管弦楽部や合唱部の映画を制作するなら、音楽室に発生するさまざまな渦をワンシーンに組み入れると良い感じになりそうだ、なんて思う。

ところで、先月の若草のみちさんの「斉唱」にも、次のような作品があった。
 
 斉唱に音楽室は破裂して  若草のみち

いろいろな種類の「渦」があったり、斉唱で室が「破裂」してしまったり。こうした音楽室の光景を見ると、どちらも音楽室の本分がじつに満たされているなあ、という感慨をおぼえる。というのも、わたしにとっての音楽室は、声を出すことが人生を左右する過酷な場だったからである。

わたしの中高生時代の個人的経験でいうと音楽室っていうのは、管弦楽部や合唱部、軽音楽部、吹奏楽部といった〈専門集団〉にのみ声や音を出すことが許された。対して、一般の生徒たちが音楽の授業で音楽室を利用するときは、極力声を出さない・出せない場所だった。とくに男子は、真面目に歌おうものなら「お前なに大きな声出して歌ってんだよ、恥ずかしくねえのか、あん?」という内容のありがたいご指導ご鞭撻を、口頭または無言でたまわることになる。いわゆる〈同調圧力〉ってやつだ。
だから男子にとっての音楽室は、(声を出しなさいという)大人側のルールに恭順して実利を取るか、(声を出すんじゃないという)子供側のルールに適応して身の安全を確保するか、文字どおり人生をかけた駆け引きの場だったのである。駆け引きに失敗して学校をやめることにでもなれば、とうぜん人生は変わってしまう。

もちろん、これはわたしの通った学校がときたまそうだったというだけのこと。学校、地域、時代、偏差値などによって環境はさまざまだろうから、一般論ではなくあくまでも個人的経験での話である。

まあそんなわけで「音楽室」というのは、いかに声や音を押し殺すかが問われる場、という印象が強いのだ。だから「渦づくし」や「破裂して」しまう音楽室という表現は、わたしにとってこの上なく〈晴れやか〉な世界だ。大人になったいまは、ロックンロールでもポップスでもヒップホップでもジャズでも、気兼ねなくノビノビと歌うことができるけど、おなじことを中高時代の音楽室で出来たらどんなに楽しかったことだろう。

おなじ意味で男子トイレの・・・いや、その話はやめておこう。


posted by 飯島章友 at 00:30| Comment(0) | 飯島章友・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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