2018年04月28日

【短句】誹諧武玉川の短句と近現代の川柳十四音【十四字詩】@


【誹諧武玉川の短句】

津浪の町の揃ふ命日  (初篇)
陰間の声の二筋にたつ  (二編)
闇のとぎれるうどん屋の前  (同)
恋しい時ハ猫を抱上だきあげ  (同)
酒買時さけかふときに灯のうつる川  (同)
洗ッた馬のかハく松かぜ  (三篇)
うつくし過て入れにくい傘  (五篇) 
むすめの箱へ戻る夕ぐれ  (同)
白い所ハ葱のふと股  (六篇)
屋ねから落た人と酒もり  (七篇)
蛇の惚れたる娘見にゆく  (同)
蓮にふたりハ狭いやくそく  (九篇)
鶴の死ぬのを亀が見てゐる  (十篇)
鞠の上手の女顔也  (同)
握られた手を抱て来る尼  (十一篇)
化した狐土手に手まくら  (同)
干シたら何ぞ云そふな夜着  (十二篇)
娘ひとりで世界うごかす  (十三篇)
めかけひそかに臍の緒を干ス  (十五篇)
除夜元日ハ年の唇  (十六篇)


※ふりがなは投稿者が適宜付けた 

『誹諧武玉川』(はいかいむたまがわ)初篇〜十八篇の中より、わたしの好きな二十句を挙げてみた。善いことを書こうとしていないぶん、現在の所謂「伝統川柳」よりも面白い(伝統川柳と便宜的に呼ばれているスタイルは、じつは近代になって再構築された書き方で、詩性川柳、私性川柳、時事川柳と歴史的長さはさほど変わらない)。

 真じ目に成るが人の衰へ (武玉川・三篇)

川柳十七音形式の発端が『誹風柳多留』(初篇1765年)とされているのに対し、川柳十四音形式の発端は『誹諧武玉川』(初篇1750年)とされている。武玉川の編者は、慶紀逸(けい・きいつ)という俳諧の判者で、武玉川は俳諧の高点附句集である(ただし十六篇からは二世紀逸の編)。つまり、俳諧での前句を省略して附句だけを収録したわけである。その構成は、のちに『誹風柳多留』の手本になったといわれている。とはいえ武玉川は、附句一句を独立した文芸形式にしようと企図したわけではない、という見方がある。

 『武玉川』はこういう市井の作者の手に成った連句の中から、紀逸の以ってよしとした附句の一句を抜いて集としたものであって、後の『柳多留』の如く、前句附の附句の単句独立を図ったものではない。
『川柳探求』(前田雀郎著/有光書房)

俳諧には長句(575)と短句(77)があるため、武玉川でも長句と短句が入り混じって収録されている。川柳の十四音形式の発端とみなされているが、けっして短句集というわけではないから注意が必要。ちなみに川柳人の清水美江(しみず・びこう)が、武玉川初篇での長句と短句の割合を調べてみたところ、短句が67%だったそうだ(『川柳学』2008冬・春号所収の「十四字詩の現況」/佐藤美文)

武玉川は俳諧の附句集なので十四音形式は川柳とはまた違う、という意見はあると思う。川柳の発端は柳多留であり、その柳多留は前句(お題)を省略した前句附の附句集である、という筋道でいけばそうなる。ただ、@前句附は俳諧の一部であり、両者は血縁関係にあるということと、A近代になって十四音形式(武玉川調)を取り込み創作してきたのは川柳界であり、それが取り立てて他分野から異を唱えられたことがないのを考えると、十四音形式は、川柳のもう一つの定型と「みなす」べきだと思う。あまり事の発端に重点を置きすぎると、現状が見失われてしまう。たとえば言葉の語源に重点を置きすぎると、日々暗黙的に更新されつづけている〈今ここ〉の言葉遣いなど、途端に正当性と正統性を失ってしまう。それと同じだ。

現在、川柳の十四音形式は、短句、七七、十四字、武玉川調など、さまざまな呼ばれ方をしている。十四音形式の専用雑詠欄を設けている川柳雑誌「風」では、「十四字詩」という名称を採用している。

わたしの感覚では、〈川柳十四音〉もしくは単に〈十四音〉と呼んだほうがしっくりくる。それというのも、十四〈字〉よりは十四〈音〉というのが実状だからである。その一方で、かりに川柳とは別の文芸として十四音を広めるとしたら、「短句」という名称が良いと思う。短歌、俳句、連句がそうであるように、三音の名称が定着しやすいと考えるからだ。ただし、短句という名称を前面に出したばあい、連句における短句との関係が紛らわしくなるし、連句人がどのように思うかも考慮しなければならないだろう。

なお、『誹諧武玉川』をこれから読まれる方にお勧めする本は、朝日選書337『「武玉川」を楽しむ』(神田忙人著/朝日新聞社)だ。同書は、武玉川収録の12253句から著者が1000句を選び出し、現代人にも分かるよう簡単な評釈が付けられているため、とても読みやすい。また武玉川を全部読みたい方には、岩波文庫の『誹諧武玉川』1〜4(山澤英雄校訂/岩波書店)がいいだろう。初篇から十八篇まで読むことができるほか、同書4巻には総句索引が付いているため、大変便利である。

posted by 飯島章友 at 22:05| Comment(0) | 川柳論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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