2018年06月02日

英田柚有子さんを読む、のと、ほんとうにおもいだせそうにないんですか?/柳本々々

 もう蓋の話す言葉がわからない  英田柚有子


さいきん、川柳って、絵本リアリズムにちかいのかなあとおもう。柚有子さんの川柳を読んでいるとそんなふうなことを教えられるようにおもうのだ。

「もう〜わからない」っていうのは、いままでは、蓋と話せたということであり、蓋と話せる世界は、絵本の世界ではごくふつうに、自然に存在する。NHKの朝の教育をみてみるといい。ビーグルや羊や椅子と話している。

川柳のわかる/わからない論ってよくあるのだが、それは、想像力の幅をどこまでひろげるか、で決まってしまうのではないか。でもべつに想像力をひろげればいいというわけでもない。川柳はこうあるべきだから、という立場も大事だから(だから「わからない」も実は大事で捨てちゃいけないとおもう)。

でも、もし、〈読むひと〉になろうとするなら、想像力の境界をひろげたうえで読んでみるのもありなんじゃないだろうか。とくに川柳においては。

去年、青森県の川柳ステーションでも述べたのだが、柚有子さんの「蓋」を「母」にするだけで、(とりあえず)だれでも読めるものになる(「ジジ」にして魔女の宅急便のことを考えてもいい)。わたしはじつはわかる・わからないってそれくらいの差であって(たぶん鍵は「任意性」)、でもこの句は「母」でなく「蓋」をえらんだのだから、蓋と日常的に話す世界からこの句にちかづいてみたらどうなんだろうとおもうのだ。そしてそういうことは現代川柳にはおおいんじゃないかと。

わたしはよく樋口由紀子さんの非常口をセロテープで止める句をおもいだすんだけれど、由紀子さんは、〈そうとしか書けなかった〉と書いていた。だったら、読者もいったん、〈そうとしか考えられない世界〉から考えてみるのはどうなんだろう。

本気であなたは蓋と話そうとしたことがありましたか?

いやもしくはこうでもいい。

ほんとうにあなたはかつて蓋と話していた記憶を思い出せそうにないんですか?




posted by 柳本々々 at 01:24| 今月の作品・鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする