2019年01月03日

【小津夜景】喫茶江戸川柳 其ノ壱【飯島章友】


小津 こんにちは。今日は飯島さんが古い川柳を出す喫茶店を始めたというので、さっそくお邪魔しました。

飯島 いらっしゃい小津さん。喫茶江戸川柳へようこそ。このお店では江戸川柳、つまり江戸時代の川柳を楽しみながら珈琲を召し上がっていただけるんですよ。

小津 私、あまり川柳に馴染みがないんですよ。それで、まずは本歌取りの句を味わってみたいのですが…

飯島 わかりました。では、本日の本歌取り川柳セットはいかがでしょう?

小津 いいですね。それでお願いします。 

      * * *

飯島 おまたせしました、本日の本歌取り川柳セットです。百人一首の歌が分かりやすいと思いまして、その本歌取りを選んでみました。

  来ぬ人は花と風との間に見え
  あはで此世を過してるしやぼん売
  しのぶれど色に出にけり盗み酒

江戸川柳には本歌取りがたくさんあります。それに、百人一首や歌人にかんする教養を踏まえた句もたくさんあるんですよ。

小津 わあ、どれも薫り高いですね。わたしは、上から順に好きかなあ。浮世のはかなさが感じられて。

飯島 最初の「来ぬ人は」の句は、

  来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ

という権中納言定家(藤原定家)の歌の本歌取りです。定家は平安末期〜鎌倉初期の歌人で、百人一首を撰した人としてとても有名ですよね。この歌、「待つ」と「松」、「焼け焦げる」と「思い焦がれる」とをかけているんで、模擬試験なんかの問題によく出ていました。こっそり言います。わたしはお勉強ができない落ちこぼれだったんで、ある時期までこの歌はつらい思い出の一部だったんです。でも、短歌を詠み始めてから改めて定家の歌を読んでみると、この言語操作能力はすばらしいなと。

小津 ふむふむ。

飯島 川柳に話を移すと、「来ぬ人は花と風との間に見え」は、なぞなぞとして機能していると思うんです。読み手は、花と風との間って何だろう? と少し考えるのではないでしょうか。でも、当時は百人一首がいまよりもずっと身近だったんで、すぐにピンとくるひとが多かったかも知れませんね。

小津 どういうことでしょう?

飯島 定家の「来ぬ人を」の歌の前は、入道前太政大臣(藤原公経)の「花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり」。後の歌は、従二位家隆(藤原家隆)の「風そよぐならの小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける」です。そこに気づくとなぞなぞは解けます。ただ、そういうのを抜きにしてもいい作品だなと。言葉の取り合せがいい。

小津 そうですね。手品みたい。トリックに気づかなくても素敵だし、楽しめます。

飯島 おなじような仕掛けの句として、「打ち出て見れば左右に鳥と鹿」「我庵は月と花との間なり」「赤人の尻に猿丸きついこと」というのもあるんですよ。小津さんが詳しいと思いますけど、たしか蜀山人(大田南畝)の狂歌に「わが庵は都の辰巳午ひつじ申酉戌亥子丑寅う治」なんてのがありましたね。江戸時代のひとは百人一首が好きだったんでしょう。

小津 蜀山人も「狂歌百人一首」を書いていますし、百人一首は武術でいうところの基本功なんでしょうね。

飯島 次の「あはで此世を過してるしやぼん売」の本歌は、平安前期〜中期の花形歌人で三十六歌仙の一人でもある伊勢の歌ですね。

  難波潟短き葦のふしのまもあはでこの世を過ぐしてよとや

それに対して「あはで此世を過してるしやぼん売」は、「逢は」と「泡」とをかけてきちんとしゃぼん売りで回収しています。

小津 はい、さらりとスマートに。

飯島 泡ってはかないものですよね。たとえば『方丈記』の冒頭では、「うたかた」「水の泡」という言葉でこの世の無常が示されています。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世中にある人と栖と、またかくのごとし。……住む人もこれに同じ。所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。」

これを踏まえると、掲句のしゃぼん売りの存在そのものが、はかなく想われてくる。このひとは此岸と彼岸のあわいに存在しているんじゃないか、という感じに。

小津 エラスムスに「人間はうたかたである(Homo bulla est)」といった格言があって、しゃぼん玉は西洋で人生の虚しさを意味する代表的イコンだったそうです。東西で感覚が同じなのがおもしろいな。次の句はいかがでしょう?

飯島 最後の「しのぶれど色に出にけり盗み酒」、これは世間のひとがイメージする川柳にいちばん近いかも知れませんね。本歌は、平安中期の歌人である平兼盛の歌。この人も三十六歌仙の一人です。

  しのぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで

村上天皇が催した歌合のとき、「恋」というお題で、兼盛と壬生忠見が勝負を競った話は有名ですよね。忠見が提出した歌は「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」。このとき、判者の左大臣藤原実頼は、どちらもよい歌なので優劣がつけられず、困ってしまいました。

小津 どちらもいい歌ですものねえ。

飯島 ええ。でも、そのとき帝が「しのぶれど」と口ずさまれたので、実頼は兼盛の勝ちと判定を下した。そんなお話です。ただ、実頼は後のちまでずっと、あの判定で良かったのかと疑問に思っていたそうです。この背景を知っていると、「色に出にけり盗み酒」なんてのは、ハリセンですぱーんとしておかなきゃならない。

小津 あはは。確かにしょうもないボケだから、ツッコミには切れ味がほしいかも。

飯島 ここまで百人一首の本歌取りの句を見てきました。やはり共有文化があったからこそ成立していたように思います。わたしはお笑いが好きなんですが、むかしのコントを思い起こすと、忠臣蔵や国定忠治、森の石松なんかのパロディがありました。それというのも、老若男女に共有されているお話だったからだと思います。江戸川柳に「雪のなぞ解けて御簾を捲きあげる」という句があります。「解けて」は雪と謎の両方を受けている。それはいいんですが、この句は清少納言の「香炉峰の雪」を、当時の庶民が知っていたから出来たんだと思います。香炉峰は小津さんのほうが詳しいでしょうか。

小津 白楽天でしょうか。香炉峰ネタも多そうですね。「簾をかかげてきよらかな雪見也」。今日は素敵な本歌取り川柳をご紹介いただきありがとうございました。謎がとけてすっきりしたところで、窓の外の雪景色を眺めながら、残りの珈琲をのんびりいただくことにします。

《本日の本歌取り川柳セット》
来ぬ人は花と風との間に見え    トリック度 ★★★★☆
あはで此世を過してるしやぼん売  うたかた度 ★★★★★
しのぶれど色に出にけり盗み酒   ハリセン度 ★★★☆☆


posted by 飯島章友 at 21:00| Comment(0) | 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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