2019年10月30日

今月の作品 米山明日歌「次の音」を読む

@「桐」「梨の芯」「白い花」「草いきれ」といった植物のあしらい
A「行き先のある風だけにある香り」、「その次の音を求めてたつうぶ毛」に見られる触覚(風は肌で感じるものだ)と嗅覚の、また聴覚と触覚の親密な結びつき
B「この先」「行き先」「明日」「その次」といった空間的・時間的に未来を志向する言葉たち(その中にあって、「草いきれ日傘の骨にある記憶」だけが異質である。)
これらの特徴から、繊細にして清冽な連作という印象を受けた。

ぬかるみに落としてもまだ白い花

「落としても」という動詞から、白い花を敢えてぬかるみへ落そうとする意図を読み取らないことは難しい。それでいて「なぜ花をぬかるみに落そうと思ったのか」「花をぬかるみに落としてどう思ったか」と人間の心理を追うのではなく、花の白さだけを言うのが潔い。「ぬかるみ」と拮抗する花の白さに、塚本邦雄の〈芍藥置きしかば眞夜の土純白にけがれたり たとふれば新婚〉も思い起こされる。

貫乳からもれだす夜の歯ぎしり

連作中ではこの句にもっとも惹かれた。貫乳とは陶磁器の釉(うわぐすり)の表面に入った細かなひびのこと。「歯ぎしり」、すなわち歯と歯が擦り合わされる音と陶磁器同士が擦れ合う音が似ているという、ほとんど生理的な納得のうえにこの句の世界は立ち上がる。「夜の歯ぎしり」という下の句からは、時間帯が夜であるということ以上に「夜」そのものが陶磁器に憑依して歯ぎしりをしているかのようなイメージを受け取りたくなる。「行き先のある風にだけある香り」が(ほんらい風に行き先はないはずなのに)「行き先のある風」とそうでない風を嗅ぎ分けるすごい嗅覚の句であるとすれば、これは(ほんらい歯ぎしりをしないはずの)「夜」の歯ぎしりを聴きとってしまうすごい聴覚の句なのである。

posted by 暮田真名 at 02:07| Comment(0) | 今月の作品・鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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