1998年発行
近代文芸社
剝製の鳥の
皮膚よ
鳥 地を這い にんげん蒼穹へ堕ち
小鳥泳ぐ空 海底の これは一匹の鮟鱇であるか
摺りへった活字が歩いてく 鳥打かぶって
裸身かな 扇にひらく
眼の前で巨大になる蟻 美事な顎だ
死ヲ殺セ!吊サレタ男ノ靴ホド重クハナイ
しろい皿はいつも空腹
蝙蝠傘 空を漂う ふぐりを吊し
山村祐は中村冨二、河野春三、松本芳味、墨作二郎らとともに創成期の「現代川柳」を牽引した重要人物だ。わたしが短歌をはじめた当初から愛用している小高賢編著『現代短歌の鑑賞101』(新書館 /1999年)では、新興短歌の前川佐美雄から始まっている。それを川柳にあてはめるなら新興川柳に関わった田中五呂八や川上日車、木村半文銭、渡辺尺蠖などから現代川柳といえそうだ。しかし河野春三は、現代川柳という呼称へ「進歩的な川柳」の意味合いを込めたのは昭和30年以後のことであって、戦後の現代川柳が戦前の新興川柳・革新川柳・自由律川柳運動と直ちにつながるわけではない、という旨を述べている(『現代川柳への理解』/1962年/天馬発行所)。
山村祐は1911(明治44)年生まれ。大学のころから劇作に関心を向け、人形劇の老舗「人形劇団プーク」に入団、国際人形劇連盟日本側常務理事をつとめるまでになった。また同じく大学のころから近・現代詩に興味を持ち、現代詩を創作しはじめるのだが、のちに活躍の場を川柳や一行詩へ移していった。これは「一行で表現が完結される点に牽かれたからである」と、『肋骨の唄」のあとがきで述べている。山村のキャリアについては小池正博著『蕩尽の文芸─川柳と連句』(まろうど社/2009年)所収の「山村祐とその時代」が大変よくまとまっており、お勧めだ。
新編日本全国俳人叢書18『山村祐集
肋は鳥籠 囚われた時間啄ばむ
死は 手袋のように垂れている
曇天──巨大な胃袋垂れさがる
『肋骨の唄』というタイトルどおり、同集は肋骨を詠んだ作品がとても多い。また何かが垂れていたり、吊り下がったりしている作品もじつに多い。人形劇に携わっていたことと関係しているのかな、とも思ったが、もしかしたら戦争や敗戦後の情景を作品化した面もあるかも知れない。というのは同集に、「巨大ナ
さて、川柳でも俳句でも短歌でもない短詩、すなわち一行詩という領域はどのようなものなのか。短詩型文学の総合化ということなのか。もしそうであるなら、格闘技でいえば総合格闘技ということになる。とすれば、山村祐=佐山聡(初代タイガーマスク)ということになるのだろうか。ちなみに佐山聡は、総合格闘技を競技化した格闘家である。一行詩がどのようなものであるのかは今後も考えていきたい。