2020年07月20日

広瀬ちえみ『雨曜日』を読むA


 かき混ぜるだけで戦争できあがる

先にも引用した『広瀬ちえみ集』所収の「『思い』の問題」をいま一度見てみましょう。

「思い」で書けと言われ納得したかのように川柳を書いてきた。そしていまその「思い」に揺れている。短さを逆手に取った「思い」の表現はできないものだろうか。

掲句は戦争に事寄せつつも、まさに「短さを逆手に取っ」て寓喩的に、現代のムードを描出した川柳ではないでしょうか。政治学者や経済学者、社会学者らはデータに基づいて時代を論ずるものです。それに対して優れた小説家や映画監督・画家・音楽家などは、〈直観〉によって時代のムードをえぐり出すものでしょう。学者がまだ知的に分析できていない時代性を直観によって描出してみせるのですね。柳人はそれをたった17音でやってみせます。17音だからこそ、漠然とした時代のムードを可視化できるといえばいいでしょうか。

「かき混ぜるだけで戦争できあがる」――もちろん、現代のムードの寓喩などではなく、戦争の起こり方それじたいを詠んでいるとも取れます。あらためていうまでもありませんが、世界では軍需産業が大きな力を持っています。軍産複合体なんて言葉も報道番組ではしばしば出てきますよね。その人たちの実態はわかりませんが、戦争や局地的な紛争に関与し、ばあいによってはテロにも関与して利益を生むイメージがある。また、最新兵器が余ってしまうと困りますから、在庫処分のために戦闘状態をこしらえる、なんてこともよく聞きますね。もちろん証明はできません。でも、少なくない一般庶民がそういう疑念をいだいているのは確かです。その疑念をイメージ化すると掲句のようになる、とも読めます。

ただし、川柳が短さを逆手に取る表現分野であるならば、書かれてあること以上のものが暗示されている、と見なすべきでしょう。すなわち掲句は、戦争のできあがり方を描きつつ〈現代的な不安〉を読み手に示唆している、と読むほうが上等です。現代は情報量こそ最高潮に達しております。でも、そのわりに人びとは疑心暗鬼と同居しているのです。この世界にはデータで把握しきれない深層があって、自分たちはそれを知らされていないのではないか。そんな現代的な不安を掲句から受け取りたい。

ちなみに、わたしが社会性川柳を作るときにお手本としている句があります。ただ、作者は社会性なんて全然考えていなかったかも知れませんよ。あくまでもわたしが勝手に現代を描出した句として読んでいるのです。

 明るさは退却戦のせいだろう  小池正博

掲句は、日本があらゆる局面で退却戦を余儀なくされ、水際まで追い詰められたバブル期〜平成初期(1995年の前まで)を想起せずにいられません。退却戦の只中なのに、明るさと軽さでデコレーションされていたのがあの時期です。また別の読み手ならば、21世紀になってからの日本の空騒ぎを想起するひともいるでしょうか。わたしが社会を詠むばあい、政治をかたる悪癖があるためか、具体的な政治・経済問題を狙い撃ちしてしまいます。でも、それだと散文の政治批評や小説にはなかなか太刀打ちできない。どうすれば「短さを逆手に取っ」て現代のムードなり全体像なりを詠めるか。わたしはいま、模索中なのです。

 秋日和ここを塗り忘れていぬか

掲句を見てすぐに思い出したのは、松本典子さんの「赤き傘ひらけば秋はいそぎ脚もみぢの色の塗りのこし見ゆ」という短歌作品です。内容が似ているからでしょうかね。似ているのですが、やはり広瀬さんの川柳は17音、松本さんの短歌は31音でなければならない。そんなフィット感があります。川柳と短歌それぞれの分量にフィットすることが作品の完成度にかかわってくる。ふたつのジャンルを見比べたとき、あらためてそう感じました。

 脱臼をしている今日の噴水は

杉ア恒夫さんの短歌「噴水の立ち上がりざまに見えているあれは噴水のくるぶしです」「噴水のシンクロナイズドスイミングたくさんの脚の立つ時のある」を思い出しました。広瀬さんの「脱臼」は川柳っぽく、杉アさんの「くるぶし」「シンクロナイズドスイミング」は、どちらかというと短歌っぽい。わたしにはそう思えます。また、それ以外にもジャンルの「っぽさ」を感じます。杉アさんのばあい、噴水が人間でないことを分かった上で見立てている感じがする。それに対して広瀬さんのほうは、そもそも噴水と人間の区別が曖昧な雰囲気がある。文は短くなればなるほど物事の区別を書けなくなります。分量の違いから、川柳と短歌それぞれの「っぽさ」が生まれるのかも知れませんね。

 軍服の下はパジャマですみません

句集の中でいちばん好きな句というか、いちばん笑った句です。笑ったのだけど、テクスト以上の奥行きがある作品です。

言葉の響き合いと反発、慣用語の脱臼、擬人法、短さを逆手に取った表現。これらは『広瀬ちえみ集』にも散見されましたが、本句集では前面化しているように思えます。それでも前句集と同一人格だとわかりましたから、ご自分の文体を持っていらっしゃるということなんでしょうね。広瀬さんの文体はとても親しみやすいです。そんなわけで『雨曜日』はみなさんにお勧めの句集なのであります。
(おわり)

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posted by 飯島章友 at 00:00| Comment(0) | 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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