2020年07月23日

前田光世の先進性

先日、川合大祐さんとお話をしたときのこと。どんな脈絡からそうなったのかは憶えていませんが、いつしか話題が前田光世の先進性に及びました(わたしと川合さんがお喋りをすると、川柳よりも格闘技の話題が多いのです)。その先進性とは、明治後期〜大正期の格闘家である前田がすでにオープンフィンガーグローブを考えていた、ということです。

わたしがそのことを知ったのは1980年代半ば。まだ少年の時分です。べつに前田光世が好きな少年だったというわけではありません。本当に時たまだったのです。当時、古本屋さんで小島貞二著『力道山以前の力道山たち―日本プロレス秘話―』(三一書房・1983年)という本を偶然見つけたのですが、わたしはまるで魔法にでもかかったかのように、この本を買わなければいけないと確信し、すぐに購入したのです。

さて、その本の中には、海外から前田が東京の親友にあてた通信が紹介されていました。ほんの一部ですけどね。それは次のような内容です。

彼ら外人は勝負も見ないうちから、自国の角力や拳闘には、柔道はとても敵わないと勝手にきめている。親の目にはわが子の醜いのも美しく見える流儀で、自分は先進国だから、何でも日本に勝っているときめるのだ。この迷夢を打破するには、われわれはもう一度、当てる蹴るの練習からやり直す必要がある。
(中略)
僕はいま、ゴム製の拳闘用手袋風にして、指が一寸ばかり(約三センチ)出るようなものを新案中だ。それから、軽い丈夫な面を、これもゴム製にして、目と鼻腔の呼吸をなし得るものを新案中だ。胸は撃剣の胴のようなものをつけてもよい。これで当てることと蹴ることの練習をやる。それから袖をとりに来る手の逆を取ること。以上の練習は柔道家には、ぜひとも必要と考える。

『燃えよドラゴン』でのブルース・リー、チャック・ウェプナー戦でのアントニオ猪木(佐山聡考案のグローブを使用)より60年以上前のことです。また現代のフルコンタクト空手や、合気道、少林拳に通ずる発想もあります。まさに総合格闘技です。

MMA(Mixed Martial Arts)は1990年代に始まったわけではありません。柔術家や柔道家が欧米の格闘技と交わったとき、すでに始まっていたのです。20世紀初頭は、今でいうグローバリズムの時代。1990年代と状況が似ていました。その時期、柔術・柔道とプロレスリング・ボクシングの戦いは頻繁に行われていたのです。そのような他流試合の経験をとおして、前田光世の発想も生まれたのであります。

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