2020年08月04日

夏目漱石と素晴らしき格闘家たちA

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夏目漱石と素晴らしき格闘家たち@

ところで、漱石が観た興行についてネットで調べてみると、その興行と思しきものに言及した文章がいくつか見つかりました。いちばん詳しく載っていたのは、1902年1月の『サンドウズ・マガジン・オブ・フィジカル・カルチャー』の記事です。その記事では、1901年12月11日にセントジェームズホールで催された「バーティツ」の大会がレポートされています。以下、そこから引用させていただきます。

But truth to tell I could not go far; for it was with the intention of learning, so to please the Fates and Mr. Barton-Wright, that I recently attended the Tournament which was recently promoted by the latter, and held at the St. James's Hall on December 11th last, with a view to placing before the public a scientific exposition of his much-discussed system of self-defence - Bartitsu.

The retirement of the Japs brought on the chief event set down for decision. This had nothing to do with Bartitsu, but was a wrestling match for £50 between A. Cherpillod, Swiss Champion of the Continent, and Joe Carroll, Professional Champion of England, under catch-as-catch-can Rules.

(引用元はどちらも「Journal of Western Martial Art」
https://ejmas.com/jmanly/articles/2001/jmanlyart_sandows_0301.htm)

バーティツ。シャーロック・ホームズが好きな方には有名かも知れません。スイスのライヘンバッハの滝の上で、ホームズが宿敵モリアーティ教授と揉み合いになった際、日本の格闘術「バリツ」を使ってモリアーティを滝壺に落とし助かった、というエピソードがあります。『空き家の冒険』でのホームズの述懐です。そこでコナン・ドイルが記したバリツなのですが、正確には「バーティツ」だという説が現在は有力なんです。

バーティツは、イギリス人のエドワード・ウィリアム・バートン=ライトが始めた自己防衛術・総合格闘術です。柔術・ボクシング・レスリング・サバット・ステッキ術などの要素で成り立っていました。彼は仕事で日本にいたとき、柔術を学んだことがあったのです。わたしが子供の時分は、バリツの正体は日本の武術だとか、柔術・柔道だとか、相撲だとか、馬術だとか諸説あったものですが、イギリス人が確立した格闘術のことだったわけです。

バーティツの拠点となったのは、バートン=ライトが設立した通称「バーティツ・クラブ」(正式にはバーティツ・アカデミー・オブ・アームズ・アンド・フィジカル・カルチャー)です。ここでは、ステッキ術・サバットの専門家、プロレスラー、柔術家などが雇われ、指導にあたっていました。女性のための護身教室も開かれていたみたいですよ。

漱石がレスリングを観たと書いた書簡の日付は、1901年12月18日であり、バーティツの大会と日にちの前後関係で整合性がとれています。また、会場もセントジェームズホールで同じです。加えて、スイスの王者vsイギリスの王者という点も合致しており、漱石が観た興行はこの可能性が高いと思われます。

なお、引用文中に出てくるスイス王者のArmand Cherpillodは、バーティツ・クラブでレスリングの指導員をしていたプロレスラーです。指導員時代には、日本人指導員との交流を通じて柔術の技術を習得。スイスに戻ってからは、日本の武術を教えていたということです。

さて、このバーティツの大会では、日本の柔術家たちによるデモンストレーションやエキシビションが行われました。しかしながら、柔術家による本式の試合は行われなかった模様。もし漱石の書簡にあったように、柔術家vsレスラーの勝負が実現し、柔術が勝利していたなら、説得力が格段に増していたと思います。きっとバートン=ライトとしては、小さい柔術家が大きいレスラーを投げ飛ばすシーンを観客に見せつけ、あっと言わせる腹積もりだったのでしょう。仮にそうなっていたら、漱石はどんな風に子規へ書き記していたことか。見てみたかったものです。
(つづく)

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