2019年06月13日

なかはられいこ「終わる平成」を読む


おや指とひとさし指で広げる空

1句目。たとえばどこかへ行こうとして、スマートフォンで表示した地図に触れるとき、「地図を移動させるには指2本で操作します」という警告に動作を阻まれて苛ついた経験がある人は多いだろう。私たちは「おや指とひとさし指で」ちいさな画面の中の地図や、画像を拡大することに慣れている。ここで広げられているのは「空」である。天窓のように四角く区切られた空なのか、頭上いっぱいに広がる空なのか、詳しい状況はわからないが、ここには「クローズアップ」の動きがある。

部屋の四隅のほこり談合
偶然というのは鳥でやはり羽

2、3句目も、「クローズアップ」を手掛かりに読み解きたい。
日頃は見逃してしまう、それどころか見なかったことにしてしまう「部屋の四隅のほこり」。川柳はそこに目をつけ、何をしているかを観察する。それらは「談合」をしているようだ。取り除かれる運命にあるものたちの談合は、われわれ人間が行っているものよりもはるかに切迫感がありそうだ。メンバーの入れ替わりも激しいかもしれない。あるいは案外おだやかな時が流れているのだろうか。
3句目。「偶然」=「鳥」である、としたあとに「やはり」と付け加える形で「偶然」=「(鳥の)羽」であるという。ここにもクローズアップ−−「鳥」から「羽」に至る視線の動き−−がある。偶然は爪でも嘴でも翼でもなく、「羽」なのだ。爪や嘴のように鋭くはなく、翼よりも軽い……読者は「偶然」と「羽」の共通点を探しだす。そして頭の中に、「偶然」と「羽」をむすぶ道があらわれ始める。

おぼろ昆布を巻けばわすれる

個人的にはこの句にもっとも惹かれた。忘れたいことがあるとして、それを土に埋めるのでもなく、ガムテープでぐるぐる巻きにするのでもなく、加工してうすくスライスした昆布を巻けば忘れられるらしい。「おぼろ昆布」のふしぎな浮遊感に、七七形式のかろやかさがよく似合っている。「巻けばわすれる」という静かな言い切りからは、今まで何度もそうしてきたのであろうということが伝わってくる。
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2019年06月07日

「川柳木馬」第160号

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川柳木馬第160号 2019・春(平成31年4月発行)
発行人 清水かおり
編集室 山下和代
定価 500円 1年分2000円


【木馬座】

私を積分するとタコになります  西川富恵

嬉々としてついて行ったら月の人  内田万貴

戸袋の木耳「くノ一」かもしれぬ  萩原良子

嘶きをためて国道を渡る  清水かおり

敵将の馬も発情期と見える  古谷恭一

コンビニで産まれた意味を温める  小野善江

つまずけばネギをつっかい棒にする  山下和代



木馬座は「川柳木馬」の会員作品欄。今号の木馬座句評は畑美樹さんが担当されています。なお木馬誌が長年続けている特集「作家群像」ですが、今回は、わたくしめを取り上げていただきました。飯島章友の川柳60句に加え、作家論・作品論を川合大祐さんと清水かおりさんにご執筆いただきました。このような歴史のある特集ページにわたしが載ってよかったのかと、ただただ恐縮するばかりです。


  走り終え少年たちの九十九折
 九十九は、永遠に百にならない。終わってしまうゆえの「少年たち」の永遠性。(川合大祐「飯島章友さんの六十句を読む〜ひらすらに〜」)


  梅雨の冷えかふかかふかと咳をする
 とても好きな一句だ。ここにきて好きという鑑賞では作者に叱られそうだが、昔読んだカフカの短編集をヴワッと思い出したのだ。「咳」が絶妙に効いていると思うのも、共鳴につきるのだろう。だから、作者も読者も川柳を放せない。(清水かおり「飯島章友の風景」)
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2019年02月22日

月刊「おかじょうき」2019年2月号


月刊「おかじょうき」2019年2月号
発行人 むさし
編集  Sin

月刊「おかじょうき」を発行している「おかじょうき川柳社」は、青森県を拠点に活動して川柳グループです。創立は昭和26(1951)年といいますから、宮城県の「川柳杜人社」同様、歴史のあるグループなのですね。社名が陸蒸気(蒸気機関車)から取られているところからもそれは感じられます。初代代表は杉野十佐一。この方から名前を取り、おかじょうき川柳社は毎年、全国誌上大会の「杉野十佐一賞」を開催しています。また、それとは別に誌上句会の「0番線」や、ゲストを迎えてトークセッションなどを行う「川柳ステーション」もあります。会員は青森県の方が中心ですが、福岡や島根、京都、奈良など西日本の会員の方もいらっしゃいます。

さて、今号の表紙には「祝!300号!」とあります。後記によると、不定期発行の時期もあったとのことですが、通巻300号はやはり素晴らしいですね! わたし、長く続けることは力だと考えています。プロレスリングの業界を見ても、現在人気のある団体というのは日本でも海外でも長い歴史があります。支持不支持は別にして、政党なんかもそうですね。分裂を繰り返してしまうと、UWF系プロレスのようにたとえ若くて志が高くても……いえ、その話は関係ないのでやめておきましょう。

会員雑詠集【無人駅】
ばったの目 Light and Darkness and Darkness  柳本々々
正座してなりきってみる三杯酢  熊谷冬鼓
闇市のキリンの馘は三ツ折りに  田久保亜蘭

【月例句会】
システムを更新してもおバアさん  むさし(席題「新」まきこ・熊谷冬鼓選)
勾留延長もうバナナには戻れない  まきこ(宿題「留」土田雅子選)
栞はずして魂の進化系  土田雅子(宿題「カバー」奈良一艘選)
ともすれば月の裏には中華街  吉田吹喜(宿題「自由詠」むさし選)

七句引用させていただきました。作風的には所謂「言葉派」の作品が多いように見えますが、伝統川柳に近しい作品もあれば、時事性や私性の作品も散見され、全体として懐の深さが感じられます。もともと杉野十佐一が師事していたのは川上三太郎だったのですから示唆的です。そのほかに鑑賞欄、句会報、リレーエッセイ、インフォメーションなど、内容はコンパクトに豊富です。誌面だけからの印象ですが、すこし歌誌「かばん」の雰囲気と似ているかも知れません。

おかじょうき川柳社のサイトはとても充実しているので、興味を持たれた方はぜひ参考になさってください。

おかじょうき川柳社 オフィシャル・ウェブサイト


posted by 飯島章友 at 23:51| Comment(0) | 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月13日

久保田紺句集『大阪のかたち』

久保田紺句集『大阪のかたち』(2015年・川柳カード)
編者 小池正博

ざぶざぶと醤油をかけて隠すもの
ひまなところに稲荷寿司詰め合わす
ショッカーのおうちの前の三輪車
絶叫のカバ誰が妖怪やねん
唐揚げになるにはパンツ脱がないと
高島屋ですが大根売ってます
遠くから見るといいやつだった島
きれいなカマキリに食べてもらいなさい
褒められたあたりにはもう行けないね
あいされていたのかな背中に付箋
着ぐるみの中では笑わなくていい
撒いた餌くらいは食べて帰ってね
呑み込んであげるカプセルにお入り


人は、或る人が亡くなってから生前の仕事や才能に関心を抱くことが多いと思います。わたしもそんなひとりです。でも、久保田紺さんにかんしては違います。お会いしたことこそありませんが、亡くなる前からずっと彼女の作品に注目し、愛読してきました。紺さんの川柳はとにかく愉しい。なので、何かに迷っているときなどには紺さんの川柳を読み、気持ちをリフレッシュさせていました。それは今でも変わりません。彼女が作句を始めたのは2005年だそうです。だからそれほどベテランというわけではなかった。やはり言語の才能に恵まれていたのでしょう。これからも紺さんの川柳が読み継がれていってほしい。切にそう思います。

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2019年01月27日

定金冬二句集『一老人』

定金冬二句集『一老人』(2003年・詩遊社)
編者 倉本朝世

余所のピアノでボクは静かに風邪をひく
ぼくが倒れたのは引力のせいなのか
紙ヒコーキから落ちて 少年兵勃起
一老人 交尾の姿勢ならできる
ぼくのためにぼくがいて哀しみはふえる
軍事評論家のはるかなる風景画
頭が悪いので天皇にあいに行く
俺は 12月の風船なのか 神よ
かすかな期待で柩の蓋をする
神に手を合わすぼくにも手を合わす
一老人 風の割れ目で息をして
お祝いとして少年の瞳をもらう
てのひらの汚れをてのひらでぬぐう



倉本朝世編。「一枚の会」「新京都」「アトリエの会」「韻」「CIRCUS」「連衆」と「津山川柳大会」の発表誌を参考に、1984年〜1995年までの240句が選ばれている。これ以前、冬二には『無双』(1984年)という句集があり、そこには〈穴は掘れた死体を一つ創らねば〉など、1945年〜1983年までの1200句が収められている。ちなみに『無双』は、なかはられいこさんのブログ「そらとぶうさぎ」で閲覧することができる。

定金冬二(1914年〜1999年)の川柳には、作者の境涯から発せられる臭いをつよく感じる。だが、作者の境涯を素直に叙述しているということではない。冬二の川柳は作者の境涯から出発しつつも、川柳というステージで自身を演じている雰囲気がどこかある。それは、冬二と同じ年齢の歌人・山崎方代にも通じる雰囲気だ。こうなるともう、境涯派か言葉派かという分け方は意味がなくなってしまうかも知れない。

あざみエージェント『一老人』

posted by 飯島章友 at 11:56| Comment(0) | 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする