2019年01月03日

【小津夜景】喫茶江戸川柳 其ノ壱【飯島章友】


小津 こんにちは。今日は飯島さんが古い川柳を出す喫茶店を始めたというので、さっそくお邪魔しました。

飯島 いらっしゃい小津さん。喫茶江戸川柳へようこそ。このお店では江戸川柳、つまり江戸時代の川柳を楽しみながら珈琲を召し上がっていただけるんですよ。

小津 私、あまり川柳に馴染みがないんですよ。それで、まずは本歌取りの句を味わってみたいのですが…

飯島 わかりました。では、本日の本歌取り川柳セットはいかがでしょう?

小津 いいですね。それでお願いします。 

      * * *

飯島 おまたせしました、本日の本歌取り川柳セットです。百人一首の歌が分かりやすいと思いまして、その本歌取りを選んでみました。

  来ぬ人は花と風との間に見え
  あはで此世を過してるしやぼん売
  しのぶれど色に出にけり盗み酒

江戸川柳には本歌取りがたくさんあります。それに、百人一首や歌人にかんする教養を踏まえた句もたくさんあるんですよ。

小津 わあ、どれも薫り高いですね。わたしは、上から順に好きかなあ。浮世のはかなさが感じられて。

飯島 最初の「来ぬ人は」の句は、

  来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ

という権中納言定家(藤原定家)の歌の本歌取りです。定家は平安末期〜鎌倉初期の歌人で、百人一首を撰した人としてとても有名ですよね。この歌、「待つ」と「松」、「焼け焦げる」と「思い焦がれる」とをかけているんで、模擬試験なんかの問題によく出ていました。こっそり言います。わたしはお勉強ができない落ちこぼれだったんで、ある時期までこの歌はつらい思い出の一部だったんです。でも、短歌を詠み始めてから改めて定家の歌を読んでみると、この言語操作能力はすばらしいなと。

小津 ふむふむ。

飯島 川柳に話を移すと、「来ぬ人は花と風との間に見え」は、なぞなぞとして機能していると思うんです。読み手は、花と風との間って何だろう? と少し考えるのではないでしょうか。でも、当時は百人一首がいまよりもずっと身近だったんで、すぐにピンとくるひとが多かったかも知れませんね。

小津 どういうことでしょう?

飯島 定家の「来ぬ人を」の歌の前は、入道前太政大臣(藤原公経)の「花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり」。後の歌は、従二位家隆(藤原家隆)の「風そよぐならの小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける」です。そこに気づくとなぞなぞは解けます。ただ、そういうのを抜きにしてもいい作品だなと。言葉の取り合せがいい。

小津 そうですね。手品みたい。トリックに気づかなくても素敵だし、楽しめます。

飯島 おなじような仕掛けの句として、「打ち出て見れば左右に鳥と鹿」「我庵は月と花との間なり」「赤人の尻に猿丸きついこと」というのもあるんですよ。小津さんが詳しいと思いますけど、たしか蜀山人(大田南畝)の狂歌に「わが庵は都の辰巳午ひつじ申酉戌亥子丑寅う治」なんてのがありましたね。江戸時代のひとは百人一首が好きだったんでしょう。

小津 蜀山人も「狂歌百人一首」を書いていますし、百人一首は武術でいうところの基本功なんでしょうね。

飯島 次の「あはで此世を過してるしやぼん売」の本歌は、平安前期〜中期の花形歌人で三十六歌仙の一人でもある伊勢の歌ですね。

  難波潟短き葦のふしのまもあはでこの世を過ぐしてよとや

それに対して「あはで此世を過してるしやぼん売」は、「逢は」と「泡」とをかけてきちんとしゃぼん売りで回収しています。

小津 はい、さらりとスマートに。

飯島 泡ってはかないものですよね。たとえば『方丈記』の冒頭では、「うたかた」「水の泡」という言葉でこの世の無常が示されています。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世中にある人と栖と、またかくのごとし。……住む人もこれに同じ。所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。」

これを踏まえると、掲句のしゃぼん売りの存在そのものが、はかなく想われてくる。このひとは此岸と彼岸のあわいに存在しているんじゃないか、という感じに。

小津 エラスムスに「人間はうたかたである(Homo bulla est)」といった格言があって、しゃぼん玉は西洋で人生の虚しさを意味する代表的イコンだったそうです。東西で感覚が同じなのがおもしろいな。次の句はいかがでしょう?

飯島 最後の「しのぶれど色に出にけり盗み酒」、これは世間のひとがイメージする川柳にいちばん近いかも知れませんね。本歌は、平安中期の歌人である平兼盛の歌。この人も三十六歌仙の一人です。

  しのぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで

村上天皇が催した歌合のとき、「恋」というお題で、兼盛と壬生忠見が勝負を競った話は有名ですよね。忠見が提出した歌は「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」。このとき、判者の左大臣藤原実頼は、どちらもよい歌なので優劣がつけられず、困ってしまいました。

小津 どちらもいい歌ですものねえ。

飯島 ええ。でも、そのとき帝が「しのぶれど」と口ずさまれたので、実頼は兼盛の勝ちと判定を下した。そんなお話です。ただ、実頼は後のちまでずっと、あの判定で良かったのかと疑問に思っていたそうです。この背景を知っていると、「色に出にけり盗み酒」なんてのは、ハリセンですぱーんとしておかなきゃならない。

小津 あはは。確かにしょうもないボケだから、ツッコミには切れ味がほしいかも。

飯島 ここまで百人一首の本歌取りの句を見てきました。やはり共有文化があったからこそ成立していたように思います。わたしはお笑いが好きなんですが、むかしのコントを思い起こすと、忠臣蔵や国定忠治、森の石松なんかのパロディがありました。それというのも、老若男女に共有されているお話だったからだと思います。江戸川柳に「雪のなぞ解けて御簾を捲きあげる」という句があります。「解けて」は雪と謎の両方を受けている。それはいいんですが、この句は清少納言の「香炉峰の雪」を、当時の庶民が知っていたから出来たんだと思います。香炉峰は小津さんのほうが詳しいでしょうか。

小津 白楽天でしょうか。香炉峰ネタも多そうですね。「簾をかかげてきよらかな雪見也」。今日は素敵な本歌取り川柳をご紹介いただきありがとうございました。謎がとけてすっきりしたところで、窓の外の雪景色を眺めながら、残りの珈琲をのんびりいただくことにします。

《本日の本歌取り川柳セット》
来ぬ人は花と風との間に見え    トリック度 ★★★★☆
あはで此世を過してるしやぼん売  うたかた度 ★★★★★
しのぶれど色に出にけり盗み酒   ハリセン度 ★★★☆☆


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2018年03月20日

小津夜景さんの好きな川柳・俳句・短歌(聴き手:飯島章友)


【川柳】
手加減の中で殺したものばかり  菅原孝之助
お別れに光の缶詰を開ける  松岡瑞枝
追伸のあかるい雨をありがとう  普川素床
さびしくて他人のお葬式へゆく  石部明
一本の縄とはしゃいでいる命   同


【俳句】
ずぶぬれて犬ころ  住宅顕信
なんと気持ちのいい朝だろうああのるどしゅわるつねっがあ  大畑等
半円をかきおそろしくなりぬ  阿部青鞋
夏の河赤き鉄鎖のはし浸る  山口誓子
白魚を載せて気球の飛び立てり  松井真吾


【短歌】
おほきなる鯉落ちたりとおらび寄る時雨降る夜の簗のかがり火  若山牧水
なが雨によみがへるいかりいんぱあるのくさむら中の骨の累積  加藤克巳
手にならす夏の扇と思へどもただ秋風のすみかなりけり  藤原良経

 巻物の正体は、まさか大宝律令?
租庸調おひはぎながらコンビニもないころなりに愛しあつてた  謎彦
ゆふさりのひかりのやうな電話帳たづさへ来たりモーツァルトは  永井陽子




章友 今回は、夜景さんに「好きな川柳・俳句・短歌」を5作品ずつ選んでいただきました。上掲の句歌がそれです。みなさんはどんな感想をお持ちになるでしょう。イメージどおりだったか、それとも意外だったか。

夜景 おひさしぶりです。よろしくお願いします。

章友 まずは川柳から見ていきましょうか。菅原孝之助ですが、『現代川柳鑑賞事典』に掲載された時点での情報によると柳都川柳社の方のようです。〈少年の視野渺々びょうびょうと浜続く〉〈五分前男はきっとバラを買う〉〈キリストのかたちで鮭が干しあがる〉という句もあります。選んでいただいた「手加減の〜」の句は、川柳作家全集『菅原孝之助』に収録されているそうすが、こちらはどのへんが?

夜景 この方はね、型の中でことばが窮屈そうにしていないところがいい。この句と〈ゆっくりと父を裸にした柩〉とどちらかにしようか迷ったんですが、こちらの方が句意の伸縮性が高いので選びました。

章友 句の本意と関係なくなってしまうけど、この句はシュートレスラーであるカール・ゴッチやダニー・ホッジの台詞として読むとぞくぞくする。あ、すみません……。

さて、松岡瑞枝の句は『光の缶詰』からですね。同書には師匠・時実新子の序文があって、その冒頭には「こんなに痛々しい子が私の腕の中にいる」と書かれています。松岡さんの句については?

夜景 松岡瑞枝は言葉の一回性を信じていて、書くたびに奇蹟を起こそうとするタイプの人ですよね。成功した句には、手練にはぜったいに出せない徒手空拳のオーラがあります。

章友 次の普川素床の句は、【川柳スープレックス】の記事「小津夜景さんに聴く〜普川素床さんの明るい追伸への追伸〜」で取り上げられているので、ここでは省略しましょう。ちなみに川柳作家全集『普川素床』が文庫とKindle版で出ていて、「追伸の〜」の句もその中に入っています。

次の石部明の2句は、第一句集『賑やかな箱』が初出です。どっちの句も「川柳スパイラル」創刊号で夜景さんが言及しているので、省略してもいいんですが、あらためて何かありますか?

夜景 石部明はね、作句中に困ったことがあると「彼はどんな感じで書いていたっけ」と見にゆきますね。答えがあるかなと期待して。

章友 石部明は、セレクション柳人『石部明集』という作品集が邑書林から出ているのですが、残念ながら邑書林のほうではソールドアウトになってしまったようです。あとは書店に残っているものを除けば古本しかないのかな。これから石部作品を読むとしたら、現代川柳のアンソロジー『現代川柳の精鋭たち』や文学フリマで手に入るフリーペーパー「THANATOS」の1〜4(現時点で3/4まで発行)で代表作を見ることができます。

では次に俳句を見ていきましょうか。住宅顕信の句は、彼の中でいちばん有名な作品かもしれない。

夜景 これは他ジャンルの導入といった観点から。ブルーハーツっぽい。でもパクリになったり、パンク・ロックの劣化版になったりせずに、するりと俳句の中に呑み込んでいる。

章友 ブルーハーツかあ。すこし前に「ヨルタモリ」っていうCXのテレビ番組があって、タモリと宮沢りえが進行役だったの。その番組に甲本ヒロトがゲストにきたとき、宮沢りえがうっとりしちゃってね。あれは素面だったと思う。

で、宮沢りえといえば栄養ドリンクのCMでシュワルツネッガーと共演していたのが思い出されるんだけど、その少し前、シュワちゃんはカップヌードルのCMに出ていた。彼が車を肩に担いで歩いていたCMです。その中でシュワちゃんは、カップヌードルを食べたあと気持ちよさそうに伸びをして力瘤をつくる。次の大畑等の句を見ると、自分はなぜかあのカップヌードルのCMを思い出すんです。バックでは遊佐未森の「地図をください」っていう曲が流れていたんだけど、その曲ともどこかシンクロしてしまう。この句では「ああのるどしゅわるつねっがあ」と平仮名で記すことで、固有名詞が質的変化を起こしている。面白いなあ。

夜景 この「ああのるどしゅわるつねっがあ」って切れ字でしょ? こうゆう切れ字を発見したい。そう考えると、作句ってふだんからの素材集めが大事なんですよね。

章友 素材集めが最大のレトリックかもしれない。さて、次の阿部青鞋は、【―俳句空間―豈weekly】の「俳句九十九折(12) 俳人ファイルW 阿部青鞋」という記事で作品を見るかぎり、川柳人からも親しみを持たれそう。記事にもあるように「俳壇から少し離れたところに位置していた」ことも影響しているのかなあ。

夜景 これは自分の素の感じに近い。自分にとって一番わかりやすい世界です。まだ俳句を書いていなかったころは青鞋の他、小川双々子、岩尾美義あたりが好きでした。一方河原枇杷男は句の観念性が単純で、全くのロマン主義だと感じたりとか。

章友 次の山口誓子の句は、【フラワーズ・カンフー】の「そういえば、の流儀。」という記事で、その次の松井真吾の句も【フラワーズ・カンフー】の「宇宙間について・前編」という記事で言及されているので省略します。

夜景 松井さん、あのブログをお読みになったようで「実は私、講談社学術文庫の『現代の俳句』を読んだ折、大西泰世さんの句に感動して俳句をはじめたんです」とメールを下さいました。〈わが死後の植物図鑑きっと雨〉という句が大好きだったそうです。それから何年かして、巴書林『超新撰21』の清水かおりさんの句に衝撃を受け、そこで初めて現代川柳というものがあるのを知り、北宋社『現代川柳の精鋭たち』をお読みになったそうです。

章友 では短歌のほうを見ていきましょうか。僕の知る範囲でいうと、選んでいただいた若山牧水と加藤克巳の歌は、語られることの少ない作品だと思います。ちなみに牧水の歌は『山櫻の歌』、克巳の歌は『宇宙塵』に収録です。

夜景 牧水の歌は「かがり火」というラスト一語に至るまでのカメラの動きが抜群。克巳の歌は「いんぱある」の意味を知らない頃からことばの力のすごい作品だなあと思っていて、意味を知ったあとは「長雨」の一語がいきなり深まった。

章友 インパールと書かずに「いんぱある」とした。漢字の「長雨」をきっかけに「よみがへるいかりいんぱあるのくさむら」と平仮名がつづき、漢字の「骨の累積」に収斂していく。「骨の累積」が徐々によみがえってくる雰囲気が伝わってきます。冷静な歌作だ。

さて良経の歌は、「ただ秋風のすみかなりけり」という看取に自分なんかは魅かれる。

夜景 さらりときれいな情趣の代表みたいな歌。実は哲学的なところもいいですね。

章友 古典和歌はわりと読んできたほうですか?

夜景 残念ながらほとんど読んでいません。これから読みたいと思っています。

章友 次の謎彦の歌は【フラワーズカンフー】の「謎彦、その文体のエチュード」という記事がありますので省略します。

最後、永井陽子の歌は『モーツァルトの電話帳』からですね。わたしの大好きな歌集です。〈あまでうすあまでうすとぞ打ち鳴らす豊後ぶんごの秋のおほ瑠璃るりの鐘〉〈つるばみにぶらさがりゐる蓑虫が「あ、いや、しばらく」などともの言ふ〉〈軒先へ法師蟬来てをしいをしいほんにをしいとつらつら鳴けり〉など、好きな歌がいっぱい収録されている。おととし『佐藤佐太郎全歌集』を買ったんですが、次は『永井陽子全歌集』をと思っています。選んでいただいた「ゆふさりの〜」については?

夜景 私、永井陽子・紀野恵・小池純代が、今までいちども飽きたことのない「お気に入り三大歌人」なのです。その中で一番早く知ったのが永井陽子で、なんて言うんでしょう、この人の歌は風と光と音楽からできていて、これはその象徴のような作品だと思います。「モーツァルトは」と「は」で終わるところも、感動的な展開を予感させていいですね。

章友 永井陽子の歌は風と光と音楽からできている。いい言葉ですね。本日はありがとうございました。


【参考】
『現代川柳鑑賞事典』(2004・田口麦彦 編著・三省堂)
『菅原孝之助』(2009・新葉館出版)
『光の缶詰』(2001・編集工房 円)
『普川素床』(2009・新葉館出版)
『賑やかな箱』(1988・手帖舎)
『石部明集』(2006・邑書林)
『現代川柳の精鋭たち』(2000・樋口由紀子,大井恒行 編集協力・北宋社)
「THANATOS」(knot:小池正博・八上桐子)
『現代の俳句』(1993・平井照敏 編・講談社)
『超新撰21』(2010・筑紫磐井, 対馬康子, 高山れおな 編・邑書林)
『山櫻の歌』(1923・新潮社)
『宇宙塵』(1956・ユリイカ)
『モーツァルトの電話帳』(1993・河出書房新社)
『佐藤佐太郎全歌集』(2016・現代短歌社)
『永井陽子全歌集』(2005・桐葉書房)

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2017年06月14日

ファミコンソフト『サラダの国のトマト姫』(1984)と読むをめぐって 安福望×やぎもともともと

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柳本 短歌や俳句や川柳にときどきゲームをとりいれたものがあるけれど、たとえばドラゴンクエストだったら短歌は工藤吉生さん、俳句だったら外山一機さん、川柳だったらSinさんみたいに。
でももともとゲームってとっても文学に近いんじゃないかとはおもってるのね。
例えばファミコンソフトで『サラダの国のトマト姫』っていうのがあるんですけど、これはアドベンチャーゲームというか、〈読み物ゲーム〉なのね。テキストをどんどん読んで選択していくっていう。
ゲームって読み物なんだってことがすごくよくわかるとおもうんですよ。もうそれはファミコン初期からあったんだっていう。
つまり、文学少女や読書少年もゲームに入る余地があるぞっていう。
こういうのはあとでスーパーファミコンの『弟切草』とか『かまいたちの夜』としてもでてくるんですね。
小説しか読まないようなひとたち、とくにゲームをしない女の子たちが〈読み物ゲー〉があることで入ってきたんじゃないかっていうのは『弟切草』をやっている女の子をみてて昔おもったことがあるんですよ。なんていうのかな、プレイじゃなくて〈読む〉なんですよ。でも、この〈読む〉っていうのがドラゴンクエストとかファイナルファンタジーなんかもそうなんだけど、すごく大事で、読書家たちは意外とその点でゲームをやってたんじゃないか。わたしなんて、街のにんげん全員とかならず会話してましたもん。
だから小説好きとゲームって意外と親和性高いぞっていうのがあるとおもうんですよ。文学とゲームってそれほどかけはなれてないですよっていう。サラダの国がそれをおしえてくれた気がする。

安福 これ、ゲーム画面のコマンドみてみると、たたくとたたかうはべつなのかな? ほめるとかすてるとかあるんだなあ。ほめるってどういうことなんだ

柳本 そういう意味のわからない弁別がゲームにはあって。ゲームって過剰性なんですよね。とくに初期は。よくわからないもんをためこんでた。

安福 ここはセロリの森っていって、柿がたおれてるっていって、意味わからないなっておもった笑。意味わからなくてもゲームだからうけいれられるんですよね。ゲームの枠だと。
これ短歌といっしょだなあっておもった。なんか意味わかんないこといわれても短歌ですよっていわれたら
 
柳本 ああほんとですね。たぶんファミコンなんか制限がおおかったからじゃない。ちょっと定型だよねその意味では。
ゲームって境界が未熟なぶん、世界がゆたかだったんですよ。べつにサラダの国があってもいいよね、みたいな。あと、初期のファミコンはドットだったから、プレイヤーの想像力にゆだねられるぶん、こうこうこうです!っていわれたらもう「そうなっちゃう」のね。それがファミコンのよさでもあったとおもうけど。
ただ絵とかもそうだとおもう。絵の額のなかって限られてるじゃないですか。こうこうこうです!って絵としてバーンって提示されたら、受け入れるしかないじゃないですか。そうかあ、って。そういうのあるんじゃないかな。
世界を提示したらそのまんまうけいれるっていう。枠の世界観ってそういうものじゃない。写真も映画も。
やすふくさんて野菜をテーマにした絵だけをかいてるじゃないですか。

安福 いやぜんぜんそんなことないけど笑。そういえば木下さんの短歌を思い出した。

  ああサラダボウルにレタスレタスレタス終わらないんだもうねむいのに/木下龍也

これもひとつのサラダの国だ。

柳本 ゲームって初期からずっとわりとそういう〈なになに尽くし〉の世界観って感じだったんじゃないかな。『パロディウス』っていうシューティングゲームでも、ケーキのなかを弾をうってすすんでいく面があるのね。それは昔、大阪のイベントでやすふくさんが語ってたうる星やつらの巨大ケーキの世界観ともにてるとおもいますよ。

安福 いや語ってないですよ。やぎもとさんが説明してただけで。

柳本 なるほどなあ。そうですか。

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任天堂ゲーム『MOTHER』と歌うをめぐって 安福望×柳本もともと


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柳本 そういえば『マザー』ってゲーム、糸井重里さんがつくったゲームがあって、そのなかのまちのひとにはなしかけるとあるひとが、「おまえよくやったよなあ」っていってくれるんだけど。

安福 へー、それいいなあ。

柳本 たぶん『マザー』ってゲームは〈おまえよくやったよなあ〉ってゲームなんだとおもう。母親や父親が「よくいきたよねよくやったよ」っていってくれるゲーム。ちょっと岡野さんの短歌みたいだけど。
もちろんそのうらめんとして、それをいってくれないいきかたをえらんじゃうひとがでてくるんだけど。ギーグとかポーキーとかね。
だからそのいみではすごくあたたかくてすごくざんこくなゲームなんだけど。なきたくなるような。なんだかよくわかんない感情で泣きたくなるような。
マザーってよくいわれるけど、他人のアザーとかみひとえだもんね。
ラスボスが赤ちゃんなんだよ。

安福 えっ、そうなんだ。

柳本 だからそのあかちゃんがもとめてたことはたぶんたったひとつで、よくやったよなあおまえ、っていってくれるひとをみつけることだったんだとおもう

安福 なるほどなあ。

柳本 そういえばラスボスをうたうことでたおすんだよね。ちからじゃなくて。だから短歌とも無縁じゃないとおもうんだよ。

安福 えっ。へー

柳本 うたうってコマンドがきゅうにあらわれるのね。うたうことといのることで倒す。

安福 短歌ですね

柳本 そうそう。うたうといのるはにてるとこがあって、とどくかどうかわからないことだよね。魂の賭けというか。パンチはとどくから。チョップも。でも、うたうやいのるはとどくかどうかわからない。

安福 ほんとですね。わかんないね

柳本 ラスボスは宇宙人だからとどかないばあいもあるし。それでもひとってうたったりいのったりすることあるよね。だから短歌って、魂の賭けにちかいぶぶんがあるんじゃないかって。でも、おまえよくやったよなあ、っていってくれるひとがあらわれるばあいもあるのかもって。ずっとうたったりいのったりしてると。

安福 あんた、いろんなはなしするなあ。

柳本 ほんとだね笑

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2017年04月27日

【小連載】トラ(「安福望キャラクター辞典」)

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やぎもと さいきんじぶんの拙歌で描いていただいたやすふくさんのポストカードを部屋に飾ってみてるんですけど。こないだの個展で販売してた四枚の絵ですね。これは一度描いてもらったものの別バージョンというか、どれも二枚目の絵なんですけど、さいきんのやすふくさんの絵、手がこんでるよね。虎の絵のしましまなんかもそうだけど。やすふくさんはよく御前田あなたの絵をみて、シンプルに描くと、いいね、ってやっと評価してくれるんだけど。シンプルがすきなのはわかるんだけど、やすふくさんはだんだんシンプルじゃない方にむかってんのかなって。こないだの個展で宇宙の絵をみてたときもおもったんだけど。

やすふく ああ、ほんと。でもそうだよ。宇宙の絵とか時間かかる。星をね、白い絵具で点々かいてくのが時間かかるね。

やぎもと 時間性と奥行きが出てきたのかね。それともなれていって、おなじ時間でも手をもっとかけられるようになったのかな。

やすふく 絵の具ぬるのは一瞬な感じ。宇宙は時間かかるけど。苦痛ではないからできるね。

やぎもと それはなれたからでしょ。

やすふく なれたからかあ。

やぎもと わたしの拙歌で「すきなひとのすきなひと」の歌は2バージョン書いてもらったけれど、あとのにまいめのほうはこわくなってるね。とらでしょ。

やすふく そうね笑。こわいね。これだって、とらがこっちむいたら、死ぬよね。うしろむいたら。

やぎもと そうね。そうか。たしかにね。虎ってこわいねたしかに。ブローティガンの小説『西瓜糖の日々』でメルヘンな数学好きの虎が出てきて、両親をばりばり頭からメルヘンに食べちゃうけど。ちなみに中村安伸さんの『虎の夜食』って句集はじめてみたときそれ思い出したんですよ。どこか中村さんのあの句集のなかに挟まれた散文もブローティガンのような加工=仮構された世界を感じさせるし。
このやすふくさんのむっちりしたとらってふしぎだよね。こういうとらってあんまみないね。運動できるとらじゃないでしょ。とらをむっちり描くってあんまりみたことないなあ。ふしぎなとら。

やすふく そうだね笑

やぎもと やすふくさんはおなじ歌を二度目に描くときはこってこわくなってるね。「体育座り」の歌のも玉子サンドから結晶みたいなのになってるし。

やすふく ほんとだ、結晶もそうね。とらはね、ほとんどかかないね。

やぎもと ギャラリートークでこういう話すればよかったなあ。学校に行けなくなった話をふたりでしてたから。あれは、よくないね笑

やすふく そうね笑。まあでも学校に行けなくなるひとって意外にいるんじゃないかな。だからあれはあれでよかったのよ。

やぎもと 最後、すみませんでした、って謝って終わったけど笑。うーん。

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posted by 柳本々々 at 21:58| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする