小津 こんにちは、また来ました。
飯島 いらっしゃいませ。
小津 前回の言葉遊びの川柳はとても新鮮でした。あのあとしばらく変わったことがしたくて、いろんなリズムの本を読んでみました。
飯島 リズムといえば私はこのごろ、都々逸のリズムに関心をもっているんですよ。前回、生き物でそろえた万葉仮名〈馬聲蜂音石花蜘蟵荒鹿〉というのを見ましたよね。「夜露死苦」や「仏恥義理」のルーツみたいなあれです。あのあと、興のおもむくままに動物の都々逸を作ってみました。〈美女のうなじに気を付けなさい盆の窪には蛇がいる〉なんてね。そこでどうです、小津さんも動物の都々逸を作ってみませんか?
小津 動物の都々逸ですか。ではわたしも即興でひとつ。ええっと 〈土手でぱくつくハンバーガーが今日はなんだか犬の味〉。
飯島 犬の味! 生類憐みの令の時代ならとんでもない事態ですね、それは。
小津 すみません、私、おなかがペコペコみたいです。
飯島 では小津さんの空腹を満たすタンパク質たっぷりの川柳をお出ししましょうか?
小津 ぜひお願いします。
飯島 それでは少々お待ちください。
* * *
お待たせいたしました、本日の萌え萌え動物セットです。
犬のたいくつ縁側へあごを乗せ
まけた猫鼠花火のやうに逃げ
小笠原流ではひ出るひきがへる
突あたり何かささやき蟻わかれ
蚊になつて金魚売をくつてやる
動物そのものを詠んだ句を選んでみました。たとえば〈亭主とはぐるにやあでゐる猫上り〉は猫上り=芸妓上りのことですし、〈酔覚に河童は皿の水をのみ〉の河童はUMAですから、今回は入れておりません。
小津 情景が一瞬で浮かぶ句が多いですね。
飯島 動物は動きとか姿態自体が面白いので、それをしっかりと活かしたものに佳句が多い気がします。
小津 〈犬のたいくつ縁側へあごを乗せ〉、おかしみがありつつも、ふざけているのではなく、あくまで写生なところがいいですね。
飯島 犬カレンダーにありそうな姿です。
小津 確かに! はっきり〈たいくつ〉と言っているのが効果的だと思いました。次の〈まけた猫鼠花火のやうに逃げ〉も舌を巻くような写生です。
飯島 花火にことよせて猫を鼠に転化しています。
小津 そうなんですよね。トムとジェリーみたいなウイットが効いています。次は〈小笠原流ではひ出るひきがへる〉。これとても好きです。
飯島 小笠原流は室町時代から続いている礼法ですね。ひきがえるの動きを小笠原流に見立てるのが川柳の流儀です。
小津 なんでもない風景を、大言壮語的に見立てたところに、川柳的な笑いがありますね。
飯島 次の句ですが、私は子供の時分、まさにこんなふうに思いながら蟻を観察していました。まあ実際、蟻は口を付けあうことで情報伝達しているようですけどね。
小津 この〈突あたり何かささやき蟻わかれ〉は写生といっても、他の句とは違って動物学者みたいです。ファーブルっぽい。作者自身の把握しきれていない知見が含まれているところが。
飯島 最後の句ですが、この句の主体は何者だと思いますか?
小津 〈蚊になつて金魚売をくつてやる〉の〈蚊〉になったのは誰かということですか? うーん難しい。ここがわからないと、句意自体がわからないのですね?
飯島 この句は、作者が「ぼうふら」の気持ちを代弁しているんです。成り代わりの句と言えばいいのでしょうか。ほら、ぼうふらって金魚の餌にされるでしょう。
小津 なるほど。こういった復讐劇というのは当時の人々にとっては飲み込みやすい見立てだったのでしょうね。マスター、今日は本当に萌え萌えな感じでした。おなかもいっぱいになりましたので、川べりを散歩してきます。ごちそうさまでした!
飯島 またどうぞ。──タンパク質かあ。河童ってどんな肉質なんだろう。
《本日の萌え萌え動物セット》
犬のたいくつ縁側へあごを乗せ 動物カレンダー度 ★ ★ ★ ★ ★
まけた猫鼠花火のやうに逃げ トムとジェリー度 ★ ★ ★ ★ ★
小笠原流ではひ出るひきがへる マナーの達人度 ★ ★ ★ ★ ☆
突あたり何かささやき蟻わかれ アンリ・ファーブル度 ★ ★ ★ ☆ ☆
蚊になつて金魚売をくつてやる 江戸の演劇空間度 ★ ★ ★ ★ ☆
2019年12月08日
2019年11月04日
喫茶江戸川柳 其ノ捌
小津 こんにちは。
飯島 いらっしゃいませ。あ、小津さん。さいきんお越しにならなかったのでどうしたのかなと思っていたんですよ。
小津 さいきんは家にこもって、言葉遊びの俳句を作っていたのですが、少し手づまりになってきて。今日は江戸川柳で気分転換しようと思って来ました。何か面白いメニューはありますか?
飯島 江戸時代は言語遊戯の全盛期ですよね。でも、万葉時代からすでに言語遊戯的なことは行われていたみたいです。たとえば有名なところでは、『万葉集』巻12の2991番〈たらちねの 母が養 ふ蚕 の 繭隠 り いぶせくもあるか 妹に逢はずして〉。ご存じのように万葉集は平仮名・片仮名ができる前だったので、この歌も「垂乳根之 母我養蚕乃 眉隠 馬聲蜂音石花蜘蟵荒鹿 異母二不相而」と漢字で記されています。この四句目にあたる箇所がくせものです。ここでは「い」=「馬聲」、「ぶ」=「蜂音」、「せ」=「石花(カメノテのこと)」、「くも」=「蜘蟵」、「あるか」=「荒鹿」というふうに対応しますが、「い」を馬聲に、「ぶ」を蜂音にしているのがとても興味深くないですか?
小津 はい。書いた人も読解した人もすごいです。
飯島 「いななく」や「ぶんぶんぶん」に通じますよね。ついでにいうとこの四句目、すべて生き物で当てています。
小津 5種の動物「馬聲・蜂音・石花・蜘蟵・荒鹿」か。楽しんでいるのが伝わってきますね。華やかなところもいいな。
飯島 それでは私が言語の権化となって言葉遊びの句を揃えてみましょう。少々お待ちください。
* * *
お待たせいたしました、本日の言葉遊びセットです。
同じ字を雨雨雨と雨るなり
分散に世をうつせみのから箪笥
おまんまをはりはりで喰ふ按摩取 都々一
雪は鴨を煮て飲んで算段す
日のくれの門にしばらく母はたち (歌人考)
最初のはけっこう有名な句で、「おなじじを あめさめだれと ぐれるなり」と読みます。
小津 字面がめちゃめちゃ実験的で面白いです! 春雨(はるさめ)のサメ、五月雨(さみだれ)のダレ、時雨(しぐれ)のグレ。〈雨はあめさめだれぐれと読むべけれ木綿の袖をぬれとほるまで/小池純代〉という短歌はこの川柳に由来するのですね。
飯島 次の句の分散は「@身代限り。破産。A屋材家財一切を売り払って家を畳むこと。B芸娼妓が借金返済などのため、自己の所有物一切を売り払うこと」です。空蝉の〈殻〉と〈空〉箪笥とのダブルミーニングになっているほか、〈うつせみ〉は〈世〉にかかる枕詞ですから複雑な構造です。なんか説明しながら頭がこんがらがってきました。私はどこ、ここは誰。
小津 あはは。掛詞って、短歌狂歌ではマニエリスムの域に達していますけれど、俳諧川柳では複雑なのがあんがい少ないかも。この〈分散に世をうつせみのから箪笥〉は物悲しい句ですね。掛詞、蝉、無常観といった特徴から〈朽ち果てしその蜩の寺を継ぐ/佐山哲郎〉を思い出します。
飯島 次の句のはりはりは「はりはり漬け」のことです。切り干し大根を酢と醬油に漬けたもので、私も子供のころよく食べていました。これは都々逸を完成させた都々一坊扇歌の句です。彼は川柳もよく作っていて柳多留に何句も収録されています。掲句は漬物の「はりはり(漬け)」、肩の「張り張り」、按摩の「鍼鍼」が掛けてあるのがわかりますが、もしかしたら漬物を食べる「ぱりぱり」も意識しているかもしれません。
小津 都々一坊さんだけあって寄席で受けそうな感じがします。3つ以上の語彙が掛かるのもすごいし、〈おまんま〉と〈あんま〉の韻の踏み方も上手です。
飯島 ああ、そう言われればそうですね。ところで、私は昔の歌だと西條八十作詞・服部良一作曲の「蘇州夜曲」が好きなんですが、この歌は歌詞が都々逸調になっています。ってか、そもそも昭和の歌謡曲って都々逸調がすごく多いです。江戸時代以来の都々逸調と西洋由来のモダンなメロディ。歌謡曲からも近代日本のあり方が見えてくるような気がいたします。
小津 都々逸が小唄から歌謡曲にそのまま移行しているのかしら。今まで気づいたことがありませんでした。次の〈雪は鴨を煮て飲んで算段す〉は?
飯島 これは歌謡曲ではなく、謡曲「鉢木」にある一節「雪は鵝毛 に似て飛んで散乱し」をもじったものです。言わば地口的な手法、語呂合わせみたいなものですね。たとえば「猫に小判」→「下戸にご飯」、「舌切り雀」→「着た切り娘」という感じ。さて掲句は、雪の降る日に友人たちと鴨鍋をつつき、お酒を酌み交わしつつ、遊びに行くための算段をしている場面です。原文とはまったく違った内容に作り変えています。
小津 なるほど。これが一番現代でも生きている言葉遊びかもしれませんね。音一辺倒の「空耳系」ってことですもんね。次の〈日のくれの門にしばらく母はたち〉。これどこに言葉遊びがあるのでしょうか。
飯島 これは『誹風たねふくべ』に収録されている「隠句」です。隠句は謎謎句のことで、句に隠されている謎を読み手が当てるために作られた川柳です。
小津 この連載でも、百人一首の回でマスターが取り上げていらっしゃいましたね。あのあと自分でも調べて、問〈三人で一人魚食ふ秋の暮れ〉、答〈藤原定家〉なんてのを知りました。
飯島 たねふくべにはヒントとなるイラストもついているので、読者は楽しみながら謎解きができる内容になっています。まあ、ここではイラストをお出しすることはできませんが、川柳だけからでも十分に謎解きが楽しめますよ。たとえば〈馬鹿だけに身をかへり見てりんきする〉(食物考)という隠句。これは、身をかえりみる馬鹿→かば、りんき=焼きもち、ということから食べ物を考えていくと、答えは「蒲焼き」になります。あと〈しやくやくに和名はなしと思ひけり〉、これは〈しゃくやくに〉を四八九八九二と見てそれを合計すると四十、和名はなし→唐となりますから、答えは「四十雀」。なんか「どこにいる?」→「105216」といったポケベルの暗号メッセージを思い出します。では同じ要領で小津さんに、〈日のくれの門にしばらく母はたち〉(歌人考)の謎を解いていただきましょう。歴史上の歌人から導き出してください。
小津 うーん、柿本人麻呂〈燈火の明石大門に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず〉でしょうか? この和歌には「日のくれ」に相当する語がないけれど、そこは枕詞の「燈火の」で代用して…。
飯島 わあ! 答え云々よりも教養の深さに驚いてしまいました。なにか答えを申し上げるのが怖くなってしまいましたが、正解は「小野小町」です。日が暮れても子供が帰らないので、お母さんが心配して門で待っている情景から、子待ち→小町となるわけです。
小津 あ、「子待ち」か! 早押しクイズとしては抜群の問題ですね。考えすぎてしまいました。
飯島 言葉というのはおもしろいですね。言葉には伝達的な側面がありますけど、歌や句も含めた詩的な領域では伝達におさまらない側面があると思います。その意味では現代の短詩型文学でももっと言葉遊びが見直されていいのに、なんて思うことがあります。偉い方々からは怒られそうですが。
小津 今日は楽しい言葉遊びがいっぱいで、とてもリフレッシュできました。家に帰って、私も心機一転、言葉と戯れてみようと思います。マスター、今日もありがとうございました。
《本日の言葉遊びセット》
同じ字を雨雨雨と雨るなり 滴る教養度 ★ ★ ★ ☆ ☆
分散に世をうつせみのから箪笥 マニエリスム度 ★ ★ ★ ★ ☆
おまんまをはりはりで喰ふ按摩取 寄席芸人っぽい度 ★ ★ ★ ★ ☆
雪は鴨を煮て飲んで算段す 空耳アワー度 ★ ★ ★ ☆ ☆
日のくれの門にしばらく母はたち 早押しクイズ度 ★ ★ ★ ★ ★
飯島 いらっしゃいませ。あ、小津さん。さいきんお越しにならなかったのでどうしたのかなと思っていたんですよ。
小津 さいきんは家にこもって、言葉遊びの俳句を作っていたのですが、少し手づまりになってきて。今日は江戸川柳で気分転換しようと思って来ました。何か面白いメニューはありますか?
飯島 江戸時代は言語遊戯の全盛期ですよね。でも、万葉時代からすでに言語遊戯的なことは行われていたみたいです。たとえば有名なところでは、『万葉集』巻12の2991番〈たらちねの 母が
小津 はい。書いた人も読解した人もすごいです。
飯島 「いななく」や「ぶんぶんぶん」に通じますよね。ついでにいうとこの四句目、すべて生き物で当てています。
小津 5種の動物「馬聲・蜂音・石花・蜘蟵・荒鹿」か。楽しんでいるのが伝わってきますね。華やかなところもいいな。
飯島 それでは私が言語の権化となって言葉遊びの句を揃えてみましょう。少々お待ちください。
* * *
お待たせいたしました、本日の言葉遊びセットです。
同じ字を雨雨雨と雨るなり
分散に世をうつせみのから箪笥
おまんまをはりはりで喰ふ按摩取 都々一
雪は鴨を煮て飲んで算段す
日のくれの門にしばらく母はたち (歌人考)
最初のはけっこう有名な句で、「おなじじを あめさめだれと ぐれるなり」と読みます。
小津 字面がめちゃめちゃ実験的で面白いです! 春雨(はるさめ)のサメ、五月雨(さみだれ)のダレ、時雨(しぐれ)のグレ。〈雨はあめさめだれぐれと読むべけれ木綿の袖をぬれとほるまで/小池純代〉という短歌はこの川柳に由来するのですね。
飯島 次の句の分散は「@身代限り。破産。A屋材家財一切を売り払って家を畳むこと。B芸娼妓が借金返済などのため、自己の所有物一切を売り払うこと」です。空蝉の〈殻〉と〈空〉箪笥とのダブルミーニングになっているほか、〈うつせみ〉は〈世〉にかかる枕詞ですから複雑な構造です。なんか説明しながら頭がこんがらがってきました。私はどこ、ここは誰。
小津 あはは。掛詞って、短歌狂歌ではマニエリスムの域に達していますけれど、俳諧川柳では複雑なのがあんがい少ないかも。この〈分散に世をうつせみのから箪笥〉は物悲しい句ですね。掛詞、蝉、無常観といった特徴から〈朽ち果てしその蜩の寺を継ぐ/佐山哲郎〉を思い出します。
飯島 次の句のはりはりは「はりはり漬け」のことです。切り干し大根を酢と醬油に漬けたもので、私も子供のころよく食べていました。これは都々逸を完成させた都々一坊扇歌の句です。彼は川柳もよく作っていて柳多留に何句も収録されています。掲句は漬物の「はりはり(漬け)」、肩の「張り張り」、按摩の「鍼鍼」が掛けてあるのがわかりますが、もしかしたら漬物を食べる「ぱりぱり」も意識しているかもしれません。
小津 都々一坊さんだけあって寄席で受けそうな感じがします。3つ以上の語彙が掛かるのもすごいし、〈おまんま〉と〈あんま〉の韻の踏み方も上手です。
飯島 ああ、そう言われればそうですね。ところで、私は昔の歌だと西條八十作詞・服部良一作曲の「蘇州夜曲」が好きなんですが、この歌は歌詞が都々逸調になっています。ってか、そもそも昭和の歌謡曲って都々逸調がすごく多いです。江戸時代以来の都々逸調と西洋由来のモダンなメロディ。歌謡曲からも近代日本のあり方が見えてくるような気がいたします。
小津 都々逸が小唄から歌謡曲にそのまま移行しているのかしら。今まで気づいたことがありませんでした。次の〈雪は鴨を煮て飲んで算段す〉は?
飯島 これは歌謡曲ではなく、謡曲「鉢木」にある一節「雪は
小津 なるほど。これが一番現代でも生きている言葉遊びかもしれませんね。音一辺倒の「空耳系」ってことですもんね。次の〈日のくれの門にしばらく母はたち〉。これどこに言葉遊びがあるのでしょうか。
飯島 これは『誹風たねふくべ』に収録されている「隠句」です。隠句は謎謎句のことで、句に隠されている謎を読み手が当てるために作られた川柳です。
小津 この連載でも、百人一首の回でマスターが取り上げていらっしゃいましたね。あのあと自分でも調べて、問〈三人で一人魚食ふ秋の暮れ〉、答〈藤原定家〉なんてのを知りました。
飯島 たねふくべにはヒントとなるイラストもついているので、読者は楽しみながら謎解きができる内容になっています。まあ、ここではイラストをお出しすることはできませんが、川柳だけからでも十分に謎解きが楽しめますよ。たとえば〈馬鹿だけに身をかへり見てりんきする〉(食物考)という隠句。これは、身をかえりみる馬鹿→かば、りんき=焼きもち、ということから食べ物を考えていくと、答えは「蒲焼き」になります。あと〈しやくやくに和名はなしと思ひけり〉、これは〈しゃくやくに〉を四八九八九二と見てそれを合計すると四十、和名はなし→唐となりますから、答えは「四十雀」。なんか「どこにいる?」→「105216」といったポケベルの暗号メッセージを思い出します。では同じ要領で小津さんに、〈日のくれの門にしばらく母はたち〉(歌人考)の謎を解いていただきましょう。歴史上の歌人から導き出してください。
小津 うーん、柿本人麻呂〈燈火の明石大門に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず〉でしょうか? この和歌には「日のくれ」に相当する語がないけれど、そこは枕詞の「燈火の」で代用して…。
飯島 わあ! 答え云々よりも教養の深さに驚いてしまいました。なにか答えを申し上げるのが怖くなってしまいましたが、正解は「小野小町」です。日が暮れても子供が帰らないので、お母さんが心配して門で待っている情景から、子待ち→小町となるわけです。
小津 あ、「子待ち」か! 早押しクイズとしては抜群の問題ですね。考えすぎてしまいました。
飯島 言葉というのはおもしろいですね。言葉には伝達的な側面がありますけど、歌や句も含めた詩的な領域では伝達におさまらない側面があると思います。その意味では現代の短詩型文学でももっと言葉遊びが見直されていいのに、なんて思うことがあります。偉い方々からは怒られそうですが。
小津 今日は楽しい言葉遊びがいっぱいで、とてもリフレッシュできました。家に帰って、私も心機一転、言葉と戯れてみようと思います。マスター、今日もありがとうございました。
《本日の言葉遊びセット》
同じ字を雨雨雨と雨るなり 滴る教養度 ★ ★ ★ ☆ ☆
分散に世をうつせみのから箪笥 マニエリスム度 ★ ★ ★ ★ ☆
おまんまをはりはりで喰ふ按摩取 寄席芸人っぽい度 ★ ★ ★ ★ ☆
雪は鴨を煮て飲んで算段す 空耳アワー度 ★ ★ ★ ☆ ☆
日のくれの門にしばらく母はたち 早押しクイズ度 ★ ★ ★ ★ ★
2019年09月23日
喫茶江戸川柳 其ノ漆
小津 こんにちは。
飯島 いらっしゃい小津さん。今日はどこかに寄っていらしたんですか?
小津 バスを降りたあと、少し遠回りして商店街を通ってきました。商店街でひさしぶりにバナナのたたき売りの実演を見ましたよ。
飯島 むかしの物売りって「たーけやー さおーだけー」みたいに独特の売り声がありましたし、がまの油にみられるような売り口上もありましたよね。演劇やアナウンス、ナレーションの世界だと「外郎売」という口上が今もって練習されています。元演劇部の私も暗記しておりますよ。「さてこの薬、第一の奇妙には舌のまわることが銭独楽がはだしで逃げる。ひょっと舌が回り出すと矢も楯もたまらぬじゃ。そりゃそりゃ、そらそりゃ、まわってきたわ、まわってくるわ」といったあと、早口言葉をつっかえずに言いつづけるんです。「のら如来のら如来三のら如来に六のら如来。一寸先のお小仏におけつまずきゃるな、細溝にどじょにょろり。京の生鱈奈良なま学鰹、ちょと四五貫目、お茶立ちょ茶立ちょちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹茶筅でお茶ちゃっと立ちゃ」。ふぅ、ブ、ブランクが……。
小津 マスター、芸達者すぎます!
飯島 洒落や付け足し言葉でテンポよく構成されていて、活舌練習にすごくいいんです。これって二代目市川團十郎が演じた「外郎売」の台詞で、今も歌舞伎十八番の一つとされています。
小津 なんだか江戸のお仕事に興味が湧きました。今日は働くことについてのセットをお願いできますか。
飯島 それでは少々お待ちください。
* * *
お待たせいたしました、本日の江戸働き方セットです。
三千世界しよひあるく貸本屋
柔術 の師かういたしたらどうなさる
生酔 にからくり一つらりにされ
虫売りのむなしくかへる賑やかさ
あんどんで真赤なうそを売て居る
小津 わあ、とても懐かしい香りが漂ってきました。〈三千世界しよひあるく貸本屋〉。これは宣伝文句みたいですね。お得意さん回りですか。
飯島 はい、そうです。江戸庶民の生活用具全般はレンタルが主だったんですね。一つの理由として、江戸は火事が多かったんでいちいち買い換えていられなかったんだと思います。だから損料屋、今でいうリース業者が庶民の生活を支えていました。衣服、食器、布団、家具、装身具といろいろ貸し出していたそうです。で、書物もレンタルなわけです。掲句は三千世界を背負っているんですから、当然エッチな世界についても抜かりがありません。〈貸本屋密書三冊持つて来る〉というような句もけっこう残っています。
小津 地下活動みたい。禁書の多い時代だし、貸本屋さんは大活躍でしたでしょうね。いまスマホで調べてみたら、江戸だけで十万軒に及ぶ貸本読者がいたとありましたよ。すごい。
飯島 ただ、現代と同じような悩みもありました。〈筆まめな得意にこまるかし本屋〉〈無料見物にはこまる貸本屋〉。貸本への書き込みや立ち読みがあったようです。
小津 本に書き込む人って何考えてるのかな。次読む人とのコミュニケーションかしら。
飯島 わたし、20代のころは自分の本に直接メモしていたんです。いまは付箋に書いて貼り付けますけどね。なので20代のころ買った哲学書や政治思想書なんかには書き込みが多いんですけど、今それを読み返すと昔の自分とコミュニケーションを取っているような不思議な感覚をおぼえます。こんなこと考えていたのかって。でも一回、図書館から借りた本に、誤字が校正してある書き込みがありましたよ。正しいんだけどダメだろみたいな。
小津 あはは。そういえば私、明治の狂詩を読む時は、先人たちの書き込みにすごく助けられていますよ。正直、手書きの校正や注釈がないと困ってしまいます。次の〈柔術 の師かういたしたらどうなさる〉は、柔術が仕事に入るのがなんだか新鮮です。わたし、あの時代の人たちが先生に月謝を払っていたイメージをどうしても抱けなくて。
飯島 これもね、今と昔でおんなじです。よくプロレスラーに「技を掛けてください」と気安く頼むひとがいますけど、掛けるっていうことは技をキメるってことですからね。レスラーが手加減をして掛けたふりだけしたら「たいしたことねえな」と思われるし、もしそこそこ本気で技を掛けでもしたら、このご時世なんで大騒ぎされそうだし。今でもよくあるといえば〈追剥に逢つて見たがる下手柔術〉という句もあります。武術を始めてしばらくすると、自分が強くなったと錯覚してしまうのですね。
小津 素人は厄介ですよね。次の〈生酔 にからくり一つらりにされ〉。これは意味がわからない…。でも音の響きの綺麗な句ですね。
飯島 「らり」は乱離骨灰の略で「めちゃくちゃになること」という意味です。
小津 なるほど。「らりにする」という言い回しが江戸っぽい。
飯島 あと覗きからくりについても一応ご説明します。これは、ガラスレンズが嵌め込んである穴を中腰で覗くと、その向こうにある絵が拡大されて見えるって趣向です。口上師の物語を聴きながら、次々と変わっていく絵を覗き見て楽しむんです。江戸川乱歩の『押絵と旅する男』に、浅草十二階近くの覗きからくり屋が描かれていますよね。
小津 ハイカラとレトロとが織りなす幻想小説ですね。次の〈虫売りのむなしくかへる賑やかさ〉は…。
飯島 この句はペーソスが漂っていますよね。
小津 ええ。笑いの表情で書かれた哀しみが絶妙です。それにしても虫売りが仕事になるなんて、江戸はどれだけ都会だったのだろうと思います。都会暮らしの旬との出会いってことなんですよね。また虫売りは、虫のいない季節には何を売っていたのかしらという疑問も。
飯島 江戸の働き方を調べてみると、季節によって売り物を変えることが多かったみたいです。たとえば現代の焼芋屋さんなんかも、さすがに秋と冬だけの商いでは暮らせませんから、春や夏は別のお仕事をしている方が多いと聞きますね。竿竹屋さんとか。江戸川柳にも〈行灯は赤いまんまで薩摩芋〉という焼芋屋さんの句があるのですが、ちょっと最後の句とあわせて読んでみましょう。
小津 最後の句というと、〈あんどんで真赤なうそを売て居る〉ですか。
飯島 はい。この句は夜商いの西瓜売りです。夜の営業では西瓜の中身をくり抜いて蝋燭を立てたり、赤紙を貼った行灯を照らしたりしてムードを演出していたようです。ここで、あらためて先ほどの〈行灯は赤いまんまで薩摩芋〉を見ますと、夏の西瓜売りがそのまま焼芋屋になったことがわかると思います。
小津 ほんとだ! 夏は西瓜屋さんで、すぱっと切る実演をしたり、中も赤いしで、縁日的なスペクタクルが似合いますよね。そして冬は焼き芋屋さんかあ。庶民の生活が目に見えるようですね。今日もとてもお腹がいっぱいになりました。いつもよりも現代の味覚に近かったように思います。また来月も遊びにきます。
《本日の江戸働き方セット》
三千世界しよひあるく貸本屋 禁書借りてみたい度 ★ ★ ★ ☆ ☆
柔術 の師かういたしたらどうなさる 素人は怖い度 ★ ★ ☆ ☆ ☆
生酔 にからくり一つらりにされ 普遍性度 ★ ★ ★ ★ ★
虫売りのむなしくかへる賑やかさ 江戸川柳っぽいぞ度 ★ ★ ★ ★ ★
あんどんで真赤なうそを売て居る 実演販売王道度 ★ ★ ★ ★ ☆
飯島 いらっしゃい小津さん。今日はどこかに寄っていらしたんですか?
小津 バスを降りたあと、少し遠回りして商店街を通ってきました。商店街でひさしぶりにバナナのたたき売りの実演を見ましたよ。
飯島 むかしの物売りって「たーけやー さおーだけー」みたいに独特の売り声がありましたし、がまの油にみられるような売り口上もありましたよね。演劇やアナウンス、ナレーションの世界だと「外郎売」という口上が今もって練習されています。元演劇部の私も暗記しておりますよ。「さてこの薬、第一の奇妙には舌のまわることが銭独楽がはだしで逃げる。ひょっと舌が回り出すと矢も楯もたまらぬじゃ。そりゃそりゃ、そらそりゃ、まわってきたわ、まわってくるわ」といったあと、早口言葉をつっかえずに言いつづけるんです。「のら如来のら如来三のら如来に六のら如来。一寸先のお小仏におけつまずきゃるな、細溝にどじょにょろり。京の生鱈奈良なま学鰹、ちょと四五貫目、お茶立ちょ茶立ちょちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹茶筅でお茶ちゃっと立ちゃ」。ふぅ、ブ、ブランクが……。
小津 マスター、芸達者すぎます!
飯島 洒落や付け足し言葉でテンポよく構成されていて、活舌練習にすごくいいんです。これって二代目市川團十郎が演じた「外郎売」の台詞で、今も歌舞伎十八番の一つとされています。
小津 なんだか江戸のお仕事に興味が湧きました。今日は働くことについてのセットをお願いできますか。
飯島 それでは少々お待ちください。
* * *
お待たせいたしました、本日の江戸働き方セットです。
三千世界しよひあるく貸本屋
虫売りのむなしくかへる賑やかさ
あんどんで真赤なうそを売て居る
小津 わあ、とても懐かしい香りが漂ってきました。〈三千世界しよひあるく貸本屋〉。これは宣伝文句みたいですね。お得意さん回りですか。
飯島 はい、そうです。江戸庶民の生活用具全般はレンタルが主だったんですね。一つの理由として、江戸は火事が多かったんでいちいち買い換えていられなかったんだと思います。だから損料屋、今でいうリース業者が庶民の生活を支えていました。衣服、食器、布団、家具、装身具といろいろ貸し出していたそうです。で、書物もレンタルなわけです。掲句は三千世界を背負っているんですから、当然エッチな世界についても抜かりがありません。〈貸本屋密書三冊持つて来る〉というような句もけっこう残っています。
小津 地下活動みたい。禁書の多い時代だし、貸本屋さんは大活躍でしたでしょうね。いまスマホで調べてみたら、江戸だけで十万軒に及ぶ貸本読者がいたとありましたよ。すごい。
飯島 ただ、現代と同じような悩みもありました。〈筆まめな得意にこまるかし本屋〉〈無料見物にはこまる貸本屋〉。貸本への書き込みや立ち読みがあったようです。
小津 本に書き込む人って何考えてるのかな。次読む人とのコミュニケーションかしら。
飯島 わたし、20代のころは自分の本に直接メモしていたんです。いまは付箋に書いて貼り付けますけどね。なので20代のころ買った哲学書や政治思想書なんかには書き込みが多いんですけど、今それを読み返すと昔の自分とコミュニケーションを取っているような不思議な感覚をおぼえます。こんなこと考えていたのかって。でも一回、図書館から借りた本に、誤字が校正してある書き込みがありましたよ。正しいんだけどダメだろみたいな。
小津 あはは。そういえば私、明治の狂詩を読む時は、先人たちの書き込みにすごく助けられていますよ。正直、手書きの校正や注釈がないと困ってしまいます。次の〈
飯島 これもね、今と昔でおんなじです。よくプロレスラーに「技を掛けてください」と気安く頼むひとがいますけど、掛けるっていうことは技をキメるってことですからね。レスラーが手加減をして掛けたふりだけしたら「たいしたことねえな」と思われるし、もしそこそこ本気で技を掛けでもしたら、このご時世なんで大騒ぎされそうだし。今でもよくあるといえば〈追剥に逢つて見たがる下手柔術〉という句もあります。武術を始めてしばらくすると、自分が強くなったと錯覚してしまうのですね。
小津 素人は厄介ですよね。次の〈
飯島 「らり」は乱離骨灰の略で「めちゃくちゃになること」という意味です。
小津 なるほど。「らりにする」という言い回しが江戸っぽい。
飯島 あと覗きからくりについても一応ご説明します。これは、ガラスレンズが嵌め込んである穴を中腰で覗くと、その向こうにある絵が拡大されて見えるって趣向です。口上師の物語を聴きながら、次々と変わっていく絵を覗き見て楽しむんです。江戸川乱歩の『押絵と旅する男』に、浅草十二階近くの覗きからくり屋が描かれていますよね。
小津 ハイカラとレトロとが織りなす幻想小説ですね。次の〈虫売りのむなしくかへる賑やかさ〉は…。
飯島 この句はペーソスが漂っていますよね。
小津 ええ。笑いの表情で書かれた哀しみが絶妙です。それにしても虫売りが仕事になるなんて、江戸はどれだけ都会だったのだろうと思います。都会暮らしの旬との出会いってことなんですよね。また虫売りは、虫のいない季節には何を売っていたのかしらという疑問も。
飯島 江戸の働き方を調べてみると、季節によって売り物を変えることが多かったみたいです。たとえば現代の焼芋屋さんなんかも、さすがに秋と冬だけの商いでは暮らせませんから、春や夏は別のお仕事をしている方が多いと聞きますね。竿竹屋さんとか。江戸川柳にも〈行灯は赤いまんまで薩摩芋〉という焼芋屋さんの句があるのですが、ちょっと最後の句とあわせて読んでみましょう。
小津 最後の句というと、〈あんどんで真赤なうそを売て居る〉ですか。
飯島 はい。この句は夜商いの西瓜売りです。夜の営業では西瓜の中身をくり抜いて蝋燭を立てたり、赤紙を貼った行灯を照らしたりしてムードを演出していたようです。ここで、あらためて先ほどの〈行灯は赤いまんまで薩摩芋〉を見ますと、夏の西瓜売りがそのまま焼芋屋になったことがわかると思います。
小津 ほんとだ! 夏は西瓜屋さんで、すぱっと切る実演をしたり、中も赤いしで、縁日的なスペクタクルが似合いますよね。そして冬は焼き芋屋さんかあ。庶民の生活が目に見えるようですね。今日もとてもお腹がいっぱいになりました。いつもよりも現代の味覚に近かったように思います。また来月も遊びにきます。
《本日の江戸働き方セット》
三千世界しよひあるく貸本屋 禁書借りてみたい度 ★ ★ ★ ☆ ☆
虫売りのむなしくかへる賑やかさ 江戸川柳っぽいぞ度 ★ ★ ★ ★ ★
あんどんで真赤なうそを売て居る 実演販売王道度 ★ ★ ★ ★ ☆
2019年08月09日
喫茶江戸川柳 其ノ陸
小津 こんにちは、また遊びにきました。もうあいてますか?
飯島 いらっしゃいませ。もうあいていますよ。おや? 今日は何だかお疲れのご様子ですね。お仕事、お忙しいんですか?
小津 今日はまだ朝ごはんを食べてないんですよ。で、ここに来る途中、お腹がぺこぺこで何度もよそのお店に入りそうになりました。
飯島 うわ、デフレが20年も続いて、うちみたいな個人経営はお得意様が頼りなんです、どうぞご贔屓にお願いします……。なんていきなり生々しいことを言っちゃいましたが、うちは川柳でおなかを満たしていただけるのが売りの店です。お任せいただければ順番に「食べ物」の川柳をご用意しますよ。
小津 それは嬉しい! ぜひお願いします。
飯島 かしこまりました。それでは少々お待ちください。
* * *
まずは枝豆でもつまんでください。
枝豆は旦那のかほへつつぱじけ
枝豆でこちら向せるはかりごと
ちなみに突弾けるは、「勢いよくはじける。はじけ飛ぶ」という意味です。
小津 うんうん、急いで食べようとしたんですね。あ。すみません、私も枝豆飛ばしちゃいました。2句目は、何か企みがあるのでしょうか?
飯島 これが男から女へのはかりごとだとすればナンパでしょうかね。あるいは後ろ姿の顔を確かめようとしたのかな。
小津 「ほら、枝豆がありますよ。一緒に飲みませんか」という感じで誘っているのかしら。状況を想像すると可笑しいですね。
飯島 では、いよいよ江戸の食の四天王を召し上がっていただきます。
下手のそば日本の絵図をのしてゐる
串といふ字をかばやきと無筆読み
妖術といふ身で握る鮓の飯
天麩らの店に蓍 を建てて置き
小津 わあ。喫茶店とは思えない! 最初の句は、ええと、延し棒がうまく使えなかったのかしら。
飯島 そうでしょうね。のす前の水加減や練りからして駄目だったのかな。〈日本の絵図〉という見立ては、いかにも初心者の失敗という雰囲気が出ていて感心しました。
小津 うふふ。次の鰻もなるほどです。串という字は蒲焼きに似てる。
飯島 像的な見立てですね。
小津 それからお鮨。これは板前さんの忍法めく手つきを描写したのですね。
飯島 忍びの者、陰陽師、山伏がむすぶ印を想像したのでしょう。蕪村に〈なれすぎた鮓をあるじの遺恨かな〉〈夢さめてあはやとひらく一夜鮓〉という句がありますけど、江戸っ子はせっかちなんで醗酵に時間がかかるなれ鮨はとても待ってられない、一夜鮨ですらまどろこしくて、ついに即席の握り鮨が考案されたんです。
小津 そんな理由だったんですか。すごいな。
飯島 で、そんな握り鮨が普及したころに作られたのがこの句。なれ鮨や押し鮨だとこうは詠めますまい。
小津 江戸ならではのスピード感。そういえば、川柳という文芸自体にも当意即妙の空気がありますよね。なれ鮨的じゃない。
飯島 最近の俳句はどうかわかりませんが、俳句の季語はなれ鮨的かもしれない、なんて今思いました。ちなみに蕎麦、鰻、鮨、天麩羅は屋台で発展していきました。なので鮨なんかは板前さんが座って握り、お客さんが立って食べていたみたいですよ。いまと反対なの。
小津 板前が座るのは面白い。最後は天麩羅ですか。〈蓍〉は占いの串棒ですよね。もしかして江戸時代は、天ぷらに串を突き刺して食べたのですか。
飯島 ええ。月岡芳年の「風俗三十二相」の中にある「むまそう」(むまさう)を検索してください。絵でみるとよくわかりますよ。
小津 (もぞもぞ…)ほんとだ。これなんだろ。海老天かな。衣がぺったりしてるけど…。
飯島 海老天ですね。串の話に戻りますけど、いまでもスーパーで売られているフライには竹串が刺してあるものがありますよね。 わたしは紅生姜天をよく買うんですが、近所のスーパーは紅色の串に刺して売っています。
小津 よく考えたら外食にも、串の天ぷら屋さんがありました。それにしても、ふう、いっぱい食べました。
飯島 最後にデザートもご用意しました。
菓子鉢は蘭語でいふとダストヘル
白玉にかける砂糖も露ときえ
小津 あら。一品目は皿の上に何もない……あ。もしかして〈ダストヘル〉は「出すと減る」の掛詞ですか?
飯島 そうなんです。学のある人の句なんでしょうかね。採るほうも採るほうですが。
小津 あはは。そういえば昔、平賀源内が、自分の考案した商品に外来語風ネーミングをつけていた話を読んだことがあります。袋入り糊が「オストデール」(押すと出る)、風車式蚊取器が「マアストカアトル」(回すと蚊取る)とか。現代でも医薬品業界ではこの風習が廃れていませんが、こういうのって、一体いつごろから流行り出したんでしょうね。
飯島 有名な胃腸薬の「ウルユス」はいかにも西洋由来の商品名ですよね。これは1811年の発売です。でも、本当は蘭語のハナモゲラ、なんちゃって蘭語で、「空シウス」の心から「空」の字を分解して「ウ」「ル」「ユ」+「す」ということみたい。なぞかけ全盛の江戸時代的なセンスを感じます。あと解熱剤ですが「うにこおる」というのもありました。グリーンランド近辺に棲息する一角獣の角から作ったという触れ込みで、ユニコーンが由来です。
小津 ユ、ユニコーン…。
飯島 こういうキャッチーな商品名がいつから始まったかというと、わたしは平賀源内あたりからではないかと思います。というのは江戸時代の商品のネーミングをみると、山東京伝、式亭三馬、柳亭種彦が付けたものが多くて、みな源内以降のクリエイターなんです。あ、「天麩羅」も山東京伝の命名という説がありますよ、「魁!!男塾」でいう民明書房並みの信憑性ではありますが。ただ、天麩羅という漢字を当てたのは確かに京伝の可能性があるんです。いずれにせよ、京伝がネーミングの名手だったことが窺い知れます。
小津 興味深い話をありがとうございます。さて、最後のデザートは締めにふさわしい味です。江戸の人々は白玉に砂糖をかけて食べたんですか。
飯島 夏は「冷水売」がいて、冷や水に白糖と白玉を入れて売っていました。追加料がかかりますけど砂糖増しもできたそうですよ。「ひやつこい ひやつこい」が売り詞でね。白玉は俳句だと夏の季語でしたっけ。ところで小津さんにお訊きしたいんですが、フランスにも旬の食べ物ってあるんですか? 日本と同じように四季がはっきりしていると聞いたことがあるんですが。
小津 はい。今週はスイカとメロンがキロ100円、プラムがキロ300円くらいでまさに旬です。毎日スイカを食べています。
飯島 ああ、スイカの江戸川柳をお出しすればよかったかも。うちもスイカのメニューを考えようかな。
小津 では、その時はまた遊びに来ますね。
《本日の江戸グルメセット》
枝豆は旦那のかほへつつぱじけ せっかち度★★★☆☆
枝豆でこちら向せるはかりごと まぐれ当たり度★☆☆☆☆
下手のそば日本の絵図をのしてゐる 言い得て妙度★★★★☆
串といふ字をかばやきと無筆読み 御明察度★★★★★
妖術といふ身で握る鮓の飯 ストリートパフォーマー度★★★★★
天麩らの店に蓍 を建てて置き 早食い度★★★☆☆
菓子鉢は蘭語でいふとダストヘル ははーん度★★★★☆
白玉にかける砂糖も露ときえ 夢うつつ度★★★★☆
飯島 いらっしゃいませ。もうあいていますよ。おや? 今日は何だかお疲れのご様子ですね。お仕事、お忙しいんですか?
小津 今日はまだ朝ごはんを食べてないんですよ。で、ここに来る途中、お腹がぺこぺこで何度もよそのお店に入りそうになりました。
飯島 うわ、デフレが20年も続いて、うちみたいな個人経営はお得意様が頼りなんです、どうぞご贔屓にお願いします……。なんていきなり生々しいことを言っちゃいましたが、うちは川柳でおなかを満たしていただけるのが売りの店です。お任せいただければ順番に「食べ物」の川柳をご用意しますよ。
小津 それは嬉しい! ぜひお願いします。
飯島 かしこまりました。それでは少々お待ちください。
* * *
まずは枝豆でもつまんでください。
枝豆は旦那のかほへつつぱじけ
枝豆でこちら向せるはかりごと
ちなみに突弾けるは、「勢いよくはじける。はじけ飛ぶ」という意味です。
小津 うんうん、急いで食べようとしたんですね。あ。すみません、私も枝豆飛ばしちゃいました。2句目は、何か企みがあるのでしょうか?
飯島 これが男から女へのはかりごとだとすればナンパでしょうかね。あるいは後ろ姿の顔を確かめようとしたのかな。
小津 「ほら、枝豆がありますよ。一緒に飲みませんか」という感じで誘っているのかしら。状況を想像すると可笑しいですね。
飯島 では、いよいよ江戸の食の四天王を召し上がっていただきます。
下手のそば日本の絵図をのしてゐる
串といふ字をかばやきと無筆読み
妖術といふ身で握る鮓の飯
天麩らの店に
小津 わあ。喫茶店とは思えない! 最初の句は、ええと、延し棒がうまく使えなかったのかしら。
飯島 そうでしょうね。のす前の水加減や練りからして駄目だったのかな。〈日本の絵図〉という見立ては、いかにも初心者の失敗という雰囲気が出ていて感心しました。
小津 うふふ。次の鰻もなるほどです。串という字は蒲焼きに似てる。
飯島 像的な見立てですね。
小津 それからお鮨。これは板前さんの忍法めく手つきを描写したのですね。
飯島 忍びの者、陰陽師、山伏がむすぶ印を想像したのでしょう。蕪村に〈なれすぎた鮓をあるじの遺恨かな〉〈夢さめてあはやとひらく一夜鮓〉という句がありますけど、江戸っ子はせっかちなんで醗酵に時間がかかるなれ鮨はとても待ってられない、一夜鮨ですらまどろこしくて、ついに即席の握り鮨が考案されたんです。
小津 そんな理由だったんですか。すごいな。
飯島 で、そんな握り鮨が普及したころに作られたのがこの句。なれ鮨や押し鮨だとこうは詠めますまい。
小津 江戸ならではのスピード感。そういえば、川柳という文芸自体にも当意即妙の空気がありますよね。なれ鮨的じゃない。
飯島 最近の俳句はどうかわかりませんが、俳句の季語はなれ鮨的かもしれない、なんて今思いました。ちなみに蕎麦、鰻、鮨、天麩羅は屋台で発展していきました。なので鮨なんかは板前さんが座って握り、お客さんが立って食べていたみたいですよ。いまと反対なの。
小津 板前が座るのは面白い。最後は天麩羅ですか。〈蓍〉は占いの串棒ですよね。もしかして江戸時代は、天ぷらに串を突き刺して食べたのですか。
飯島 ええ。月岡芳年の「風俗三十二相」の中にある「むまそう」(むまさう)を検索してください。絵でみるとよくわかりますよ。
小津 (もぞもぞ…)ほんとだ。これなんだろ。海老天かな。衣がぺったりしてるけど…。
飯島 海老天ですね。串の話に戻りますけど、いまでもスーパーで売られているフライには竹串が刺してあるものがありますよね。 わたしは紅生姜天をよく買うんですが、近所のスーパーは紅色の串に刺して売っています。
小津 よく考えたら外食にも、串の天ぷら屋さんがありました。それにしても、ふう、いっぱい食べました。
飯島 最後にデザートもご用意しました。
菓子鉢は蘭語でいふとダストヘル
白玉にかける砂糖も露ときえ
小津 あら。一品目は皿の上に何もない……あ。もしかして〈ダストヘル〉は「出すと減る」の掛詞ですか?
飯島 そうなんです。学のある人の句なんでしょうかね。採るほうも採るほうですが。
小津 あはは。そういえば昔、平賀源内が、自分の考案した商品に外来語風ネーミングをつけていた話を読んだことがあります。袋入り糊が「オストデール」(押すと出る)、風車式蚊取器が「マアストカアトル」(回すと蚊取る)とか。現代でも医薬品業界ではこの風習が廃れていませんが、こういうのって、一体いつごろから流行り出したんでしょうね。
飯島 有名な胃腸薬の「ウルユス」はいかにも西洋由来の商品名ですよね。これは1811年の発売です。でも、本当は蘭語のハナモゲラ、なんちゃって蘭語で、「空シウス」の心から「空」の字を分解して「ウ」「ル」「ユ」+「す」ということみたい。なぞかけ全盛の江戸時代的なセンスを感じます。あと解熱剤ですが「うにこおる」というのもありました。グリーンランド近辺に棲息する一角獣の角から作ったという触れ込みで、ユニコーンが由来です。
小津 ユ、ユニコーン…。
飯島 こういうキャッチーな商品名がいつから始まったかというと、わたしは平賀源内あたりからではないかと思います。というのは江戸時代の商品のネーミングをみると、山東京伝、式亭三馬、柳亭種彦が付けたものが多くて、みな源内以降のクリエイターなんです。あ、「天麩羅」も山東京伝の命名という説がありますよ、「魁!!男塾」でいう民明書房並みの信憑性ではありますが。ただ、天麩羅という漢字を当てたのは確かに京伝の可能性があるんです。いずれにせよ、京伝がネーミングの名手だったことが窺い知れます。
小津 興味深い話をありがとうございます。さて、最後のデザートは締めにふさわしい味です。江戸の人々は白玉に砂糖をかけて食べたんですか。
飯島 夏は「冷水売」がいて、冷や水に白糖と白玉を入れて売っていました。追加料がかかりますけど砂糖増しもできたそうですよ。「ひやつこい ひやつこい」が売り詞でね。白玉は俳句だと夏の季語でしたっけ。ところで小津さんにお訊きしたいんですが、フランスにも旬の食べ物ってあるんですか? 日本と同じように四季がはっきりしていると聞いたことがあるんですが。
小津 はい。今週はスイカとメロンがキロ100円、プラムがキロ300円くらいでまさに旬です。毎日スイカを食べています。
飯島 ああ、スイカの江戸川柳をお出しすればよかったかも。うちもスイカのメニューを考えようかな。
小津 では、その時はまた遊びに来ますね。
《本日の江戸グルメセット》
枝豆は旦那のかほへつつぱじけ せっかち度★★★☆☆
枝豆でこちら向せるはかりごと まぐれ当たり度★☆☆☆☆
下手のそば日本の絵図をのしてゐる 言い得て妙度★★★★☆
串といふ字をかばやきと無筆読み 御明察度★★★★★
妖術といふ身で握る鮓の飯 ストリートパフォーマー度★★★★★
天麩らの店に
菓子鉢は蘭語でいふとダストヘル ははーん度★★★★☆
白玉にかける砂糖も露ときえ 夢うつつ度★★★★☆
2019年07月10日
喫茶江戸川柳 其ノ伍
小津 みなさんこんにちは。 今月も喫茶江戸川柳のお時間がやって参りました。
飯島 いらっしゃいませ。このお店では江戸川柳、つまり江戸時代の川柳を楽しみながら珈琲を召し上がっていただけます。
小津 このところ何人かの方から励ましのお便りをいただきました。曰く「江戸川柳を読む機会なんてないから面白いです。連載楽しみにしています」と。マスターのメニュー、とても評判でしたよ。
飯島 ご報告ありがとうございます。じつは私、事務処理能力がまったくなくて会社を辞めてしまったんですが、かといって資格もない、コネもない、おまけに妻とも別れてしまって途方に暮れていた時期があるんです。そんなとき、知り合いが短詩型文学を中心に売る小さな書店を始めたと聞いて、いろいろと考えるようになりました。ささやかな儲けでもいいじゃないか、じぶんもそんな文化的な環境で暮らしてみたいと。そう思って、小さいながらも始めたんですよ、この喫茶江戸川柳を。ま、そんな経緯があるもんですから、さきほど小津さんからここの評判をうかがったとき、 とても嬉しかったです。思い切って開店して本当によかった……なーんて、深夜に放送している緩めのドラマみたいな台詞を言っちゃいました! わたし中学の頃は放送委員、高校の頃は演劇部だったんです。もっとも、大学では辞世の句研究会とドリフターズ愛好会に入っていたんですけどね。
小津 あはは。そんなサークルがあったんですか。ところで今月のおすすめは何でしょうか。
飯島 「化粧」などいかがでしょう? 先日ある句会で〈掛け算が散らばっているメイク室〉という句が抜けて(入選して)、少々気をよくしているもので。
小津 あら。佳い句ですね。メイク室のイメージがすんなり膨らみます。其ノ肆で読んだ〈花の雨寝ずに塗つたをくやしがり〉もすごく新鮮でしたし、ぜひ「化粧」でお願いします。
飯島 かしこまりました。それでは少々お待ちください。
* * *
お待たせいたしました、本日の白・黒・赤・ももんがあセットです。
十三ぱつちり顔中へ塗り散らし
引眉で又一ツ目へ化けて出る
丑の日に嫁の小指は紅生姜
化粧の間不時にあけるとももんぐわあ
橋雅夫『化粧ものがたり 赤・白・黒の世界』という本があって、日本人の化粧の配色を赤・白・黒に分けて解説しています。この本によると、日本人は化粧以外でも、たとえば花嫁衣裳なんかでも赤・白・黒の三枚襲(さんまいがさね)でした。「この、日本人の感性にあった『赤・白・黒』という配色美の根元は、やはり日本人の髪の漆黒と、その黒に調和して美しく見えるように化粧した肌の白と、唇の赤、という美意識から生まれたものではないでしょうか」と著者は考えています。というわけで、今回の川柳セットも紅・白粉・眉墨で配色し、そこにももんがあを添えてみました。
小津 老舗感ただよう配色にももんがあ添えとは! 味わいも手応えがあります。平たく言うと、とてもむずかしい。たとえば〈十三ぱつちり顔中へ塗り散らし〉。この〈十三〉は年齢ですか?
飯島 はいそうです。あと〈ぱつちり〉もわかりにくいと思うのですが、これは首筋や項、胸元に塗るための白粉です。襟白粉とも言いました。
小津 ほんとですね(スマートフォンで確かめながら言う)。
飯島 水に浸すとぱっちりと音がするのでこう呼ぶようになったとか。何でわざわざ襟白粉が使われたかというと、顔白粉よりも濃く塗れたこと、それと衣服に白粉が移らなかったからだそうですよ。当時、首筋は顔よりも白粉を濃く塗るものだったし、顔白粉は襟に移りやすい難点があったんです。
小津 襟足、祖母の世代くらいまでは剃っていましたね。今は塗らないので剃らないですけれど。
飯島 事情がわかったところで掲句にいきますが、これは顔白粉と襟白粉の違いもわからない思春期の子が、ぱっちりを顔に塗り散らした様子です。バカ殿みたいになっちゃったんでしょうかね。〈十三ぱつちり〉というと私などは、大人に目覚めたときの擬態語にも想えたりします。そういえばじぶんも思春期のころ、母の化粧台でメイクをしてよく叱られたものです。遊び道具のような感覚でした。
小津 男の子って変身願望があるのでしょうか。うちの弟もするんです。化粧して、agnes.bのワンピを着て、ピンクのウィッグかぶって、ベッドに仰向けになってる。
飯島 ちなみに大人になると、〈ぱつちりと雪のなだれる後ろ不二〉というぐあいに襟化粧をすることが出来ました。〈後ろ不二〉は襟足のかたちです。表の富士額ばかりでなく裏側も富士のかたちにするのがオシャレだったんだとか。
小津 うふふ、ちょっとヤンキーっぽいですね。2番目の句〈引眉で又一ツ目へ化けて出る〉。これはぜんぜん意味がわかりません。
飯島 そうですね、解説書を読むまでは私もわかりませんでした。じぶん、いまだにコンプライアンスとかコンセンサスの意味がよくわかりません。おなじように江戸川柳を読むときも、その時代特有の言葉遣いや呼び名、風俗が出てくるとネックになるんですよね。
小津 本当に。たまに日本のニュースを見るのですけれど名詞がわからない。AKBってなんだろうとか。
飯島 掲句の言葉の意味ですが、〈引眉〉は眉毛を剃った痕に黛で眉を描くこと、また〈一ツ目〉は一つ目弁天のことです。今の東京都墨田区に江島杉山神社というところがあるんですが、そこは江戸時代には一つ目弁天と呼ばれていたんです。この一つ目弁天の前には有名な岡場所がありまして、掲句の〈一ツ目〉はそこを示唆しています。遊女をしていた女が所帯をもち、出産して眉を剃ったんですが、いろいろな事情があってまた遊女に戻らなくてはならなくなった。そこで黛で眉を描き、綺麗になったうえで岡場所に戻ったということなのでしょう。江戸中期以降、妊娠・出産をすると眉剃りをしたんです。ですから引眉をして再び岡場所に行くというだけで、当時の人なら女の境涯を推理出来たんではないかと思います。あとレトリックについていうと、〈一ツ目〉と〈化ける〉が縁語、そしてその化けるは化粧と通じますから、いかにも江戸川柳らしい手法ですよね。
小津 そうだったのですね。意味がわかると、縁語の巧みさが伝わってきます。3番目の句〈丑の日に嫁の小指は紅生姜〉は少しだけわかりました。寒中の丑の日に紅をさすと薬になるということで、女性が紅猪口を買ったのですよね。高浜虚子に〈土産には京の寒紅伊勢の箸〉という句があります。この川柳は、なんでしょう、奥さんの手先が不器用だってことを言いたいのかしら?
飯島 1838年に刊行された『東都歳事記』には、「寒中丑の日。丑紅と号(なづけ)て女子紅を求む」とあります。紅屋さんが女性客で賑わったわけです。それは小津さんが仰ったように、薬効があると信じられていたからなんです。掲句は、紅色に染まった小指を〈紅生姜〉と見立てたわけですが、その感性が可愛いなと思ってこの句を選びました。べにさしゆび・べにつけゆび、なんていうように、通常は薬指か筆で紅をつけるんですが、このお嫁さんは小指を使ったのでしょうね。薬効があるからって頬、目元、爪まで広く付けたからなのか、たんに不器用だったからなのかはわかりませんけど、紅生姜のようになってしまった小指が何とも可愛らしいなと。ちなみに、ぱっちりも寒の丑紅も大正期まで続いたらしいです。
小津 可愛らしい? そうか、こういうのが可愛いってことなんだ…うーんだんだんわかってきたぞ…自分が「日常の化粧」というものにこれっぽっちも肯定的なイメージを持っていないということが…。4番目の句〈化粧の間不時にあけるとももんぐわあ〉。これはどうして〈ももんぐわあ〉に見えるのでしょうか。ごめんなさい、直観力がなくて…。
飯島 ももんがあは、以前も用いた『江戸語の辞典』によりますと、@むささびの異名、A児戯に、両肘を張り、むささびが翅をひろげた身振りをし、「ももんがあ」と叫んで人をおどすこと、B化物。人を罵っていう、といった意味があります。掲句に該当するのはAかBでしょうね。〈美しく化るをもつて化粧の間〉という江戸川柳があるんですが、掲句もふいに化粧の間を開けたら「化け物の正体見たり」という光景があったのでしょう。その驚きをももんがあで示したわけです。
小津 なるほど。ところで、解説を聞いていて思うのは、首に富士山をあしらったり、引眉を描いたりと、江戸時代の化粧がとても人工的だなということです。素材を活かすという感覚がないのか、とにかくこってり塗って、その白地の上に形式どおりの記号をおいていったというか。それだと、たしかにビフォーとアフターが驚愕するほど違ってきますし、そういう前提あっての〈ももんぐわあ〉なのでしょうね。それにしてもバカ殿の化粧っていいですね。まさに〈ぐわあ〉って感じ。それがアフターだってのが、さらにいい。
飯島 身分が上の人たちは屋敷の暗い中にいることが多かったので、白い顔のほうがよく映えたようですよ。それはそうと江戸時代の化粧ですが、身分や地域で化粧法が違いました。あと265年続いた時代ということもあって、流行も意識も、前・中・後期では違っていました。後期の江戸庶民は薄化粧もしくは素顔でいることが普通で、そのぶん美肌を重視していたみたいです。糠袋や洗粉(あらいこ)なんかで顔をやさしく洗ったり、化粧水みたいなものでちゃんとスキンケアしたり。
小津 糠袋は「芸者さんの肌が綺麗な理由」として女性誌でよく紹介されています。
飯島 そうなんですか。客室乗務員は酢をまぜた水で顔を洗うとテレビでいっていました。肌が綺麗になるんだそうです。江戸の化粧水なのですが、花の露、菊の露、江戸の水、美人水といろいろあったようです。で、そんな庶民層とは逆に、しきたり重視の武家は厚化粧でした。あと、上方は庶民でも厚塗り文化だったといいます。だから〈ぐわあ〉な人も多かったかもしれませんね。
小津 椿油とか、いまでも健在ですよね。
飯島 ええ。そうした庶民の化粧に対する意識の高さをみると、江戸時代というのは中流が増えた時期だったんだなあと感じます。精神面や経済面でそれなりのゆとりがないと美容に関心を向けられないはずです。総合美容書も出ていたし。園芸、釣り、学問、そして文芸。庶民の道楽が増えたことと化粧文化の興隆からは、安定した時代背景が感じられます。点取り俳諧や前句附の点者があらわれたのも、中流の増大があったからだと私は考えています。
小津 川柳は江戸の文化史を知るための良い資料にもなるのですね。本日もありがとうございました。
《本日の白・黒・赤・ももんがあセット》
十三ぱつちり顔中へ塗り散らし おちゃっぴい度★★★☆☆
引眉でまた一つ目へ化けて出る なれのはて度★★★★☆
丑の日に嫁の小指は紅生姜 裏メロドラマ度★★★☆☆
化粧の間不時にあけるとももんぐわあ ももん「ぐわあ」度★★★★★
飯島 いらっしゃいませ。このお店では江戸川柳、つまり江戸時代の川柳を楽しみながら珈琲を召し上がっていただけます。
小津 このところ何人かの方から励ましのお便りをいただきました。曰く「江戸川柳を読む機会なんてないから面白いです。連載楽しみにしています」と。マスターのメニュー、とても評判でしたよ。
飯島 ご報告ありがとうございます。じつは私、事務処理能力がまったくなくて会社を辞めてしまったんですが、かといって資格もない、コネもない、おまけに妻とも別れてしまって途方に暮れていた時期があるんです。そんなとき、知り合いが短詩型文学を中心に売る小さな書店を始めたと聞いて、いろいろと考えるようになりました。ささやかな儲けでもいいじゃないか、じぶんもそんな文化的な環境で暮らしてみたいと。そう思って、小さいながらも始めたんですよ、この喫茶江戸川柳を。ま、そんな経緯があるもんですから、さきほど小津さんからここの評判をうかがったとき、 とても嬉しかったです。思い切って開店して本当によかった……なーんて、深夜に放送している緩めのドラマみたいな台詞を言っちゃいました! わたし中学の頃は放送委員、高校の頃は演劇部だったんです。もっとも、大学では辞世の句研究会とドリフターズ愛好会に入っていたんですけどね。
小津 あはは。そんなサークルがあったんですか。ところで今月のおすすめは何でしょうか。
飯島 「化粧」などいかがでしょう? 先日ある句会で〈掛け算が散らばっているメイク室〉という句が抜けて(入選して)、少々気をよくしているもので。
小津 あら。佳い句ですね。メイク室のイメージがすんなり膨らみます。其ノ肆で読んだ〈花の雨寝ずに塗つたをくやしがり〉もすごく新鮮でしたし、ぜひ「化粧」でお願いします。
飯島 かしこまりました。それでは少々お待ちください。
* * *
お待たせいたしました、本日の白・黒・赤・ももんがあセットです。
十三ぱつちり顔中へ塗り散らし
引眉で又一ツ目へ化けて出る
丑の日に嫁の小指は紅生姜
化粧の間不時にあけるとももんぐわあ
橋雅夫『化粧ものがたり 赤・白・黒の世界』という本があって、日本人の化粧の配色を赤・白・黒に分けて解説しています。この本によると、日本人は化粧以外でも、たとえば花嫁衣裳なんかでも赤・白・黒の三枚襲(さんまいがさね)でした。「この、日本人の感性にあった『赤・白・黒』という配色美の根元は、やはり日本人の髪の漆黒と、その黒に調和して美しく見えるように化粧した肌の白と、唇の赤、という美意識から生まれたものではないでしょうか」と著者は考えています。というわけで、今回の川柳セットも紅・白粉・眉墨で配色し、そこにももんがあを添えてみました。
小津 老舗感ただよう配色にももんがあ添えとは! 味わいも手応えがあります。平たく言うと、とてもむずかしい。たとえば〈十三ぱつちり顔中へ塗り散らし〉。この〈十三〉は年齢ですか?
飯島 はいそうです。あと〈ぱつちり〉もわかりにくいと思うのですが、これは首筋や項、胸元に塗るための白粉です。襟白粉とも言いました。
小津 ほんとですね(スマートフォンで確かめながら言う)。
飯島 水に浸すとぱっちりと音がするのでこう呼ぶようになったとか。何でわざわざ襟白粉が使われたかというと、顔白粉よりも濃く塗れたこと、それと衣服に白粉が移らなかったからだそうですよ。当時、首筋は顔よりも白粉を濃く塗るものだったし、顔白粉は襟に移りやすい難点があったんです。
小津 襟足、祖母の世代くらいまでは剃っていましたね。今は塗らないので剃らないですけれど。
飯島 事情がわかったところで掲句にいきますが、これは顔白粉と襟白粉の違いもわからない思春期の子が、ぱっちりを顔に塗り散らした様子です。バカ殿みたいになっちゃったんでしょうかね。〈十三ぱつちり〉というと私などは、大人に目覚めたときの擬態語にも想えたりします。そういえばじぶんも思春期のころ、母の化粧台でメイクをしてよく叱られたものです。遊び道具のような感覚でした。
小津 男の子って変身願望があるのでしょうか。うちの弟もするんです。化粧して、agnes.bのワンピを着て、ピンクのウィッグかぶって、ベッドに仰向けになってる。
飯島 ちなみに大人になると、〈ぱつちりと雪のなだれる後ろ不二〉というぐあいに襟化粧をすることが出来ました。〈後ろ不二〉は襟足のかたちです。表の富士額ばかりでなく裏側も富士のかたちにするのがオシャレだったんだとか。
小津 うふふ、ちょっとヤンキーっぽいですね。2番目の句〈引眉で又一ツ目へ化けて出る〉。これはぜんぜん意味がわかりません。
飯島 そうですね、解説書を読むまでは私もわかりませんでした。じぶん、いまだにコンプライアンスとかコンセンサスの意味がよくわかりません。おなじように江戸川柳を読むときも、その時代特有の言葉遣いや呼び名、風俗が出てくるとネックになるんですよね。
小津 本当に。たまに日本のニュースを見るのですけれど名詞がわからない。AKBってなんだろうとか。
飯島 掲句の言葉の意味ですが、〈引眉〉は眉毛を剃った痕に黛で眉を描くこと、また〈一ツ目〉は一つ目弁天のことです。今の東京都墨田区に江島杉山神社というところがあるんですが、そこは江戸時代には一つ目弁天と呼ばれていたんです。この一つ目弁天の前には有名な岡場所がありまして、掲句の〈一ツ目〉はそこを示唆しています。遊女をしていた女が所帯をもち、出産して眉を剃ったんですが、いろいろな事情があってまた遊女に戻らなくてはならなくなった。そこで黛で眉を描き、綺麗になったうえで岡場所に戻ったということなのでしょう。江戸中期以降、妊娠・出産をすると眉剃りをしたんです。ですから引眉をして再び岡場所に行くというだけで、当時の人なら女の境涯を推理出来たんではないかと思います。あとレトリックについていうと、〈一ツ目〉と〈化ける〉が縁語、そしてその化けるは化粧と通じますから、いかにも江戸川柳らしい手法ですよね。
小津 そうだったのですね。意味がわかると、縁語の巧みさが伝わってきます。3番目の句〈丑の日に嫁の小指は紅生姜〉は少しだけわかりました。寒中の丑の日に紅をさすと薬になるということで、女性が紅猪口を買ったのですよね。高浜虚子に〈土産には京の寒紅伊勢の箸〉という句があります。この川柳は、なんでしょう、奥さんの手先が不器用だってことを言いたいのかしら?
飯島 1838年に刊行された『東都歳事記』には、「寒中丑の日。丑紅と号(なづけ)て女子紅を求む」とあります。紅屋さんが女性客で賑わったわけです。それは小津さんが仰ったように、薬効があると信じられていたからなんです。掲句は、紅色に染まった小指を〈紅生姜〉と見立てたわけですが、その感性が可愛いなと思ってこの句を選びました。べにさしゆび・べにつけゆび、なんていうように、通常は薬指か筆で紅をつけるんですが、このお嫁さんは小指を使ったのでしょうね。薬効があるからって頬、目元、爪まで広く付けたからなのか、たんに不器用だったからなのかはわかりませんけど、紅生姜のようになってしまった小指が何とも可愛らしいなと。ちなみに、ぱっちりも寒の丑紅も大正期まで続いたらしいです。
小津 可愛らしい? そうか、こういうのが可愛いってことなんだ…うーんだんだんわかってきたぞ…自分が「日常の化粧」というものにこれっぽっちも肯定的なイメージを持っていないということが…。4番目の句〈化粧の間不時にあけるとももんぐわあ〉。これはどうして〈ももんぐわあ〉に見えるのでしょうか。ごめんなさい、直観力がなくて…。
飯島 ももんがあは、以前も用いた『江戸語の辞典』によりますと、@むささびの異名、A児戯に、両肘を張り、むささびが翅をひろげた身振りをし、「ももんがあ」と叫んで人をおどすこと、B化物。人を罵っていう、といった意味があります。掲句に該当するのはAかBでしょうね。〈美しく化るをもつて化粧の間〉という江戸川柳があるんですが、掲句もふいに化粧の間を開けたら「化け物の正体見たり」という光景があったのでしょう。その驚きをももんがあで示したわけです。
小津 なるほど。ところで、解説を聞いていて思うのは、首に富士山をあしらったり、引眉を描いたりと、江戸時代の化粧がとても人工的だなということです。素材を活かすという感覚がないのか、とにかくこってり塗って、その白地の上に形式どおりの記号をおいていったというか。それだと、たしかにビフォーとアフターが驚愕するほど違ってきますし、そういう前提あっての〈ももんぐわあ〉なのでしょうね。それにしてもバカ殿の化粧っていいですね。まさに〈ぐわあ〉って感じ。それがアフターだってのが、さらにいい。
飯島 身分が上の人たちは屋敷の暗い中にいることが多かったので、白い顔のほうがよく映えたようですよ。それはそうと江戸時代の化粧ですが、身分や地域で化粧法が違いました。あと265年続いた時代ということもあって、流行も意識も、前・中・後期では違っていました。後期の江戸庶民は薄化粧もしくは素顔でいることが普通で、そのぶん美肌を重視していたみたいです。糠袋や洗粉(あらいこ)なんかで顔をやさしく洗ったり、化粧水みたいなものでちゃんとスキンケアしたり。
小津 糠袋は「芸者さんの肌が綺麗な理由」として女性誌でよく紹介されています。
飯島 そうなんですか。客室乗務員は酢をまぜた水で顔を洗うとテレビでいっていました。肌が綺麗になるんだそうです。江戸の化粧水なのですが、花の露、菊の露、江戸の水、美人水といろいろあったようです。で、そんな庶民層とは逆に、しきたり重視の武家は厚化粧でした。あと、上方は庶民でも厚塗り文化だったといいます。だから〈ぐわあ〉な人も多かったかもしれませんね。
小津 椿油とか、いまでも健在ですよね。
飯島 ええ。そうした庶民の化粧に対する意識の高さをみると、江戸時代というのは中流が増えた時期だったんだなあと感じます。精神面や経済面でそれなりのゆとりがないと美容に関心を向けられないはずです。総合美容書も出ていたし。園芸、釣り、学問、そして文芸。庶民の道楽が増えたことと化粧文化の興隆からは、安定した時代背景が感じられます。点取り俳諧や前句附の点者があらわれたのも、中流の増大があったからだと私は考えています。
小津 川柳は江戸の文化史を知るための良い資料にもなるのですね。本日もありがとうございました。
《本日の白・黒・赤・ももんがあセット》
十三ぱつちり顔中へ塗り散らし おちゃっぴい度★★★☆☆
引眉でまた一つ目へ化けて出る なれのはて度★★★★☆
丑の日に嫁の小指は紅生姜 裏メロドラマ度★★★☆☆
化粧の間不時にあけるとももんぐわあ ももん「ぐわあ」度★★★★★