2017年03月10日

女の子と男の子とみんなから考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第7話「殺人リハーサル」(犯罪者:大宮十四郎【時代劇俳優】=小林稔侍)

*いろいろなミステリのネタバレがあります。

柳本 この小林稔侍の回の話は、もともと渥美清のために書かれた話だったんですよね。

安福 えっ、そうなんだ。

柳本 だかららもし渥美清がやったらそれはとってもすごいエピソードになってたとおもうんですけどね。それは同時に古畑と金田一の出会いでもあったんだろうし。
三谷幸喜さんは『男はつらいよ』の渥美清すきなんですよね。劇作家のひとで渥美清すきなひとおおいですよね。ケラリーノ・サンドロヴィッチさんとかもたしかそうだったと思う。

安福 へー、渥美清と 小林稔侍だとだいぶイメージちがいますね。

柳本 で、前回はみんなから嫌われてるひとの話だったけど、今回はみんなから好かれてるひとの話ですよね。次の回の鹿賀丈史はじぶんが好きなひとの話になるんだけど、そう考えると古畑ってちょっと連句みたいにゆるやかなつながりがありますよね、エピソード間に。さいきん出た『俳誌要覧』の小池正博さんの連句をめぐる記事を読んでいたときに連句っていろんな文化のなかで考えることができるんだなあとおもって。そういうゆるやかな流れとしてのつながりとして。
たとえば三谷幸喜さんはその役者に合わせてホンを書くという《あてがき》をするけれども、これもひとつの連句的要素があるんじゃないでしょうか。
話を戻すと、渥美清さんっていっさい役者たちに怒ったりしなかったらしいですよ。ドキュメンタリーみてたら、倍賞千恵子と前田吟がそう語ってました。家庭ではちがったかもしれないけど。ともかく役者としては愛されてた。ただこれまた小林信彦さんが書いた渥美清の本を読むとまたちょっとイメージ変わってきますけどね。すこしこうナイフのようなとがった部分と奇妙な部分と寛容さを同時にもつ渥美清というか。

安福 この殺人って、みんなの前でおこなわれますよね。血がばーってでるし。みんなが共犯のようなかんじですね。共犯じゃないんだけどみんなあの殺された人より映画が大事。

柳本 そうですね、だから後の松村達雄の回の「灰色の村」みたいになってますね。『オリエント急行殺人事件』みたいなもんですよね。
あのー、でも、『王様のレストラン』とか『ラジオの時間』も似た構造で、みんなで何かをなしとげるためにばれなきゃいいだろイデオロギーみたいなのは三谷幸喜作品にあるとおもう。

安福 ああ、そうですね。

柳本 『王様のレストラン』でデザート職人の梶原善が失恋でいなくなったときに駄菓子を買ってきてそれできゅうきょデザートつくるんだけど、ドラマとしてはおもしろいんだけど、お客だったらやだなっておもいますよね笑。フランス料理として高いお金払って。

安福 そうですね笑

柳本 割とあのレストランはお客側からみると、けっこうやだなっておもうことがいっぱいあるんですよね笑。闇金融のひとが入ってきて暴れたりとか

安福 たしかにね笑。愛人が働いてるし。

柳本 だから三谷幸喜作品って、みんなが感動してればいいじゃない、っていうイデオロギーがあるような気がして。『ラジオの時間』も役者たちのわがままで脚本としてはけっこうひどい状況になっていくけど、でもみんながんばったし感動したからいいじゃないって。
だからなんていうかなこの古畑もね、なんかきりころされた長谷川初範がなんかさいごもうわすれられちゃってるような。

安福 ああ、そうですね。

柳本 べつにそれがわるいってことではないんだけど。でも三谷作品って熱さとか一致団結で、見えなくしてしまうサイドがあるんじゃないかってときどきおもうんですよ。
なんていうかな、わたしはもう一度だってやるつもりだよってさいご小林稔侍がいってますけど、

安福 ああ、いってましたね。

柳本 美談ですけどね。でも裏を返せば結局全く反省してないわけですよね。『相棒』の右京さんなら頬をふるわせて怒ってますよ。

安福 そうですね。でもあれ、殺しても殺さなくても、あそこはなくなっちゃいますよね、たぶん。経営難で。殺しても意味ないんじゃないかっておもった。

柳本 ああそうですね。だからなんか勘違いが、美談になっちゃうときありますよね。そういうのを描いてるともいえるのかなあ。
勘違いがみんなで一致団結すると美談になる。
だから『ラジオの時間』もね、自分がただたんにリスナーとしてきいてたらこのラジオドラマそうとうひどいんじゃないかとおもって。ちなみにDVDの特典でラジオドラマだけ抜き出してきけるんですけどね。

安福 だから聞いてるひととして渡辺謙がでてきたのかな。感動するんですよって。

柳本 ただおもしろいのがね、三谷幸喜さんってときどきわけわからない突発的なシーンをはさむことがあるんですよね、一致団結のあとにあまのじゃくのようなシーンを。『みんなのいえ』で、なんかすごくみんながやっとなかよくなって、ああやっとこれで一致団結してつくれるってときになぜか唐沢寿明が家にペンキをぶちまけるのかな、なんかだいなしにするシーンがきゅうにはいって。え、これ、なんでこんなシーンいれたんだろっておもって。今でもあのシーンだけなんか浮いてるかんじもするけれど、でもたぶん三谷幸喜作品ではそういう、きゆうにみんなの一致団結にたいする反動みたいなひとがときどきぽつぽつでてくるきがする。それがなんかおもしろさとしてある気がします。たぶんこの後にでてくる今泉慎太郎の古畑任三郎への殺意もちょっとそれに似てる気がする。
あの、『総理と呼ばないで』でも小林隆の肖像画家がだんだん狂っていっちゃうんだけど、物語の本筋とは関係ないところで、ああこのひとどうなるのっていう解決しないひとをいれる、っていうか。
解決しないひとやシーンをいれることで、ちょっとみている人間にフックをかけていくのも三谷幸喜作品だとおもう。
『笑の大学』でもそうなんですね。検閲官と喜劇作家はだんだんなかよくなるけど、とつぜんやっばり検閲官がそれをひるがえす。なんかこうた、ひねくれる、ってファクターがとても大事なファクターとして機能してるきがする。みんなみんなイデオロギーに対して。

安福 なんかそれまた、短歌と一緒なんじゃないですか。解決しないとこが必ずあるところ。その解決しないところがずっと読まれたりするじゃないですか。

柳本 なんか季語がそうなんじゃないんかっておもったりもしますけどね。俳句にとっての。季語って解決不能なきがするんですよ。季語って季節を感じさせる言葉というよりは、《逆行》を埋め込むための装置のようなことばじゃないかと思っていて。だからなんかイデオロギーにできなかったり、冷却装置としてはたらいたりいろんなふうに働くんじゃないかと思ってるんですけど。

安福 話変わりますけど、小林稔侍のこの回で気になったのは、あの月でした。小林稔侍だけがあの月のこと知ってるっていうこと、で、それが逮捕のきっかけになりますよね。大事なものって守っちゃうから、ばれるんですね。

柳本 ああ、今回問われてたのって、ほんものとにせものの違いって何かでもありますよね。ドラマだからぜんぶにせものじゃないですか。言ってみれば。月だって舞台装置でしかないし。でもにせものでもおもいがやどるとほんものになってしまう。真剣みたいにひとをころすまでになってしまう。それってみんなイデオロギーもそうですよね。だんだん偽物だったはずの感情がみんなでなんか同じ事を言ってるうちにほんものになっていって執着がでてくる。
なんかこれいい話でおわってるけどじつはすごくこわいはなしだとおもう。

安福 ああ、ほんとですね。本物と偽物の話だ。

柳本 にせものでも思いがこもればひとをころすようなほんものになるって。ただ舞台はいつだってにせものだから。そういう怖いことがいつも舞台のうえではおこなわれてるんだとおもう。
 
安福 「動機の鑑定」とにてるのかなあ。あれも偽物と本物がでてきましたね。

柳本 でも初回の中森明菜からそうですよね。にせものの恋愛だったんだっておもえなかったんだから、わりきれなかったから、殺したんですよね。
ただかのじょは小林稔侍とちがってひとりだったけど。だからそこらへんちょっとジェンダーがでるかもしれないですね。
『真田丸』でも堺雅人の側室の長澤まさみはずっとひとりでしたよね。堺雅人はみんなにたすけられても。『ラジオの時間』でも鈴木京香は孤立してたし。

安福 ほんとですね。

柳本 なぜか三谷作品は男同士はなかよくなっていくけどおんなのひとは孤立してしまう。まあだからこそおんなのひとはつよいともいえるけど、なんかちょっとまちがったつよさな感じもしますよね。おとこのひとがなかよくなるためのおんなのひとのつよさというか。

安福 おんなのひとがなかよくなっていくのってかなり細かいきがするんですよ。おんなのひとがなかよくなっていくかんじっておとこのひとみたいにがーっとわーっとじゃないきがして。

柳本 ああ、そうかあ。

安福 三谷さんのにでてくるおんなのひとってつよいですね。たしかに。だめなひとっていないんじゃないですか。わかんないけど。

柳本 ファムファタールなんですよね。運命の女っていう。男をみちびいていく女というか。

安福 つよいでおもったけど、木の実ナナとかめっちゃ強かったですもんね。

柳本 だからこんかいのはなしみたいに共同体的なはなしのときに男ばっかりっていうのは象徴的かもっておもったんですよ。「灰色の村」の回でもおんなのひとがころされるし。

安福 あっそうだ、今回の蟹丸さんがはしゃいでたのがおもしろかったですね。

柳本 今泉は蟹丸さんの側にいますよね。だから古畑って今泉から決してなつかれてないってことがわかる。あと組織からも信頼されてないんだなあって。じゃあ古畑ってなんなんだろうっておもったんですよね。
結局解決が意味がないんですよ社会的に。解決してもだれもそれを評価してないから。
だから犯罪者は社会的制裁をうけてるきがしないんじゃないかと思って。むしろ、ワークショップな感じというか。ふたりでやるワークショップ。だって犯人も古畑もきづかなかったことにふたりでたどりつくわけだから。しかもそれは『相棒』とちがって組織ぬきで、今泉さえぬきでやるわけでしょ。『相棒』はやっぱり『相棒』のなまえのとおり、『相棒』といっしょだから、組織がはいってきますよね。『古畑任三郎』は『古畑任三郎』ってたいとるだから、『古畑任三郎』ひとりなんですよ。

安福 ああ、ほんとですね。

柳本 古畑任三郎ワークショップ。

安福 ワークショップなのかあ。犯人との。

柳本 だから古畑にはああいう小林稔侍みたいのありえないんですよ。ひとり、だから。だからどっちかっていうと女性性なんじやないかな。男同士なかよくしないし。
だから究極的には、古畑任三郎にとってセックスってなんだ? ってことになるとおもうんですよ
それは金田一にとって、ホームズにとって、ポワロにとって、セックスってなんだ? って問いかけになるけど。
あの漫画のね、金田一一少年もね、セックスのチャンスはすごくいっぱいあるけどけっきょくまったくできないっていうのをみると探偵にとってセックスってなんだろうっておもうけど。

安福 うーん、ほんとですね。なんでしょうね。探偵って、たぶんセックスしてしまったらだめなんじゃない。わかんないけど。というかなんだろうできないのかなあ。去勢されてるのかも。

柳本 セックスってたぶんね、現実界にふれちゃうことだとおもうんですよ。で、現実界ってことばで説明不可能なものだから、説明不可能なものにふれちゃだめなんだとおもう。セックスってことばでせつめいふかのうですよね。
あれはきもちいいもので、なにかこうこうふんするもので、とかいってもせつめいになんないんですよね、性って。それはバタイユを読むとよくわかるけれど。死もそうですよね、生命とかも。

安福 そうかあ。

柳本 そういうのってたぶん、ひとが世界をみるときにみえるものとみえないものの区別について考えたカントの後の19世紀くらいにでてきてると思うんですけど、たぶん探偵もそれくらいからでてきてるんじゃないですかね。
で、たぶんそういう説明できない観念がうまれるのって、部屋、家具があるような自分の部屋っていうものがうまれてくるのとむすびついてるきがするんですよね。部屋って、生活してるとわかるけど、痕跡がうまれてきますよね。そのひとの趣味とか嗜好とか。
で、たとえばきょう突然しんでも、そういう痕跡からしらべられるわけですよね。そういう言葉で説明できない痕跡みたいのがうまれはじめたのがだいたい19世紀だとおもうし、そこで探偵もうまれてくるんだとおもうんですよ。なんかそういうつながりがある気がする。たぶんそれはベンヤミンってひとが書いてたと思うんだけど。

安福 なるほどなあ。

柳本 それはもっといえば、「市民」の誕生ってことになるんだとおもいます。部屋をもって、趣味をもち、労働もし、死にかなしみ、セックスをし、生命をかんがえる、って言う。あとちゃんと理性ももって、立派な市民になり、犯罪者にならないよう日々努力する市民。

安福 市民、いそがしいですね。

柳本 近代市民ですよね。近代の誕生っていうか。上のって漱石の人物ですよね、なんだか、まさに。
だから探偵って近代からうまれたのに近代から疎外されてくようなところがあるのかなあ。漱石の探偵嫌いは有名だけれど、漱石作品では『彼岸過迄』とか探偵ってキーワードになりますよね。でも『吾輩は猫である』の猫なんかさまさに探偵ですよね。探偵だけど猫は猫だから労働やセックスから疎外されてる。
だけどさいご死をひきうけようとしてますよね。あれ、ふしぎですよね。あのとき死をひきうけた猫は「近代市民」になろうとしてんじゃないかとおもう。
そうすると探偵にとって死ってなんだろうなって問いもでてきますけど、ポワロなんかは死をひきうけましたよね。裁きとして。ホームズはどうだったんだろう。古畑任三郎は。御手洗潔は。メルカトル鮎はでてきてすぐしんじゃうけれど。あ、これいっちゃいけないのか。
探偵ってふしぎなんですよね。ジェンダーも。最近NHKのBSでドラマ化された明智小五郎は満島ひかりさんがやってましたけど、違和感がないですよねべつに。もんだいがないっていうか。男性的であるひつようがないんだなあって。探偵は。
疎外されてるひとだから、男性的であるひつようがないんですね。女性的でなくてもいいし。
ひとりだから
『相棒』の右京さんがけっこんできてるのはタイトルが『相棒』だからじゃないかっておもうんですけど。まありこんしてますけど。

安福 ああ、なるほど。

柳本 『相棒』って『相棒』にリビドーをそそぐ物語じゃないかとおもって。タイトルってリビドーのそそぎかたを示すんだと思うんですよ。『古畑任三郎』なら、犯人が『古畑任三郎』にリビドーをそそぐし。
右京さんがみているのは、いつも相棒ですもんね。相棒のすがたですよね。

安福 リビドーがきちゃったかあ。


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安福望:古畑任三郎「殺人リハーサル」の回の絵

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柳本々々:古畑任三郎「殺人リハーサル」の回の絵

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2017年03月08日

服飾から考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第6話「ピアノ・レッスン」(犯罪者:井口薫【ピアニスト】=木の実ナナ)

安福 今回の木の実ナナの回なんですが、一番きになったのが、ネックレスだったんですよね。なんか、巨大な数珠みたいなネックレスつけてて、自分をなんか封印してるかのようにみえた。でっかいネックレスだなあっておもった瞬間にばらばらになったからびっくりしました。

柳本 たしかにそう言われてみると今回は井口薫の派手な帽子を古畑がかぶってみたりと服飾への留意が出てましたよね。
私がこの回でおもしろいなって思うのが、古畑が白いシャツを着てますよね。これって今回の犯人のピアニストのピアノの白黒の鍵盤とあわせてるわけですよね。シャツのカラーを、今回の犯人のテーマと。
こんなふうにファーストシーズンの古畑は事件のカラーにあわせてシャツを着替えていくんですよね。前回は、将棋がテーマだったから駒の色にあわせてシャツも黄土色というか薄い茶色だった。
ということは、古畑にとってはひとつひとつの事件ってとっても思い入れがつよいはずなんですよ。ファーストシーズンはとりわけて。だって、ひとつひとつの事件ごとにその事件にあわせてシャツを着替えているんですから。
この白いシャツのときはピアノの事件だったなあとかね。
だから、黒を着たときも、「わざわざ」黒を「選んで」着ているってことなんですよ、小説家の幡随院の狂言誘拐のときに黒を着ていたんだけれども、たぶん幡随院のひとをひととも思わないようなこころが真っ黒な感じともかかってるのかなと思うんだけれども。
ファーストシーズンはそんなふうに事件ごとにシャツを着替えていた。色が変わっていた。
ところがセカンドシーズンはシャツが黒一色になるんですよね。それは古畑が事件のカラーにもはやじぶんをあわせないで、すべての事件のうえにいく、超越者みたいな存在になっちゃったっていうことだとおもうんですよ。ちょっとした神様みたいに。
だからわたしはファーストシーズンがすきなんですね。このころって古畑は犯人たちといっしょに成長してたんだとおもうんですよ。だからシャツの色が定まってない。
犯人とであい、対話し、さまざまなことを教わり、別れ、ときどき犯人のことを好きになり、成長していく。変化していく。
わたしはそれが事件のカラーにあわせたシャツのカラーの変化にあらわれていたんじゃないかとおもう。

安福 そうかあファーストシーズンは犯人たちといっしょに成長していってたのかあ。まだ未熟な状態だったんですね。完璧な古畑じゃなかったんだなあ。シャツが黒に固定になって、完全な古畑になったんですね。
木の実ナナの回って、堺正章の回に似てるなって思ったんですよ。
木の実ナナはピアノが入れ替えられたのを知らなかったじゃないですか。みんなは知ってたのに。堺正章も、あのなんだっけ、舞台装置の下げ方を自分だけ知らなかった。殺人って、犯人しか知らないことだなあっておもって。
なんか逮捕の決め手が、犯人だけが知っていることと犯人だけが知らないことになるんだなあって思いました。

柳本 たぶんひとってどんなにじぶんが優秀だと思っても去勢を受け続けるってことだとおもうんですよ。それは短詩の定型もそうだけれど、なにかを自由に発話しようとしても定型によって去勢されるわけですよね。定型は目にみえるかたちでの去勢だけれど、実は目にみえない去勢っていっばいあるとおもうんです。
犯罪を犯すとそういう去勢ってもろにわかるんじゃないかな。ああじぶんは完璧な人間じゃないって。
このあとの話で出てくる桃井かおりが「完全犯罪って難しいのね」って言ってますが、ひとがどうして完全犯罪ができないのかというといろんな局面で去勢を受けてるからだとおもう。
たとえば男性らしく動いてしまったり、女性らしく動いてしまったり、自分がこうしようとおもっても他者は別なふうに動いてしまったり。
そういう去勢のなかで、ひとって生きてるとおもうんですよ。
だから、短詩ってときどき、去勢の練習をしているんじゃないかって思うときがあるんですよ。
そういえば今回の古畑の話はラストで古畑が去勢をうけますよね。今ここで演奏してもらえませんか?って井口薫に提案すると、わきまえなさい、と怒られる。古畑が去勢されて話が終わる。完璧な人間がひとりもいないで終わる話です。

安福 (まさか去勢の話になるとは。でもそうか、なるほどー去勢かあ。そうだよな、やぎもとが言ったことから今までのことを考えてみても、犯人は殺人を隠すために、被害者が生きてたようによそおったりする、でも必ず失敗するんだ。他者を模倣しようとしても必ず自分がでてしまう。そういうことだろ。いやいやちょっと待てよ。あ、そうか、この人と全く同じことしようとしたときに、でてくる違う部分が個性なのかなあ。まねしようとしても結局失敗するんだ。そういうことだろ。絵もいっしょだろ。その失敗の部分がそのひとの個性なのかなあ。そうだろ。違うか)

柳本 ?


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安福望:古畑任三郎「ピアノ・レッスン」の回の絵

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柳本々々:古畑任三郎「ピアノ・レッスン」の回の絵

posted by 柳本々々 at 21:21| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

運命から考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第5話「汚れた王将」(犯罪者:米沢八段【棋士】=坂東八十助)

柳本 この回は、飛び散った血痕が鍵になるんですが、このことでわかってくることって、殺人って、犯罪者という当事者でさえ気づけずにいることがでてくることだとおもうんですよね。
だからその意味では、殺人ってミラクルを人生にもちこむことだと思うんですよ。へんな言い方ですけど。豊かな偶然性というかな。それをテーマに映画にしたのが、阪本順治監督の『顔』だと思う。妹を殺したことで姉は人生が豊かになっていく。それまで引きこもりがちだった姉は殺人をきっかけにいろんな人間に出会っていく。
だからへんな言い方なんですけど、人生の偶然性を引き入れることだとおもうんですよ、殺人って。犯罪者にとっては。
犯罪者はその人生の偶然性に古畑任三郎といっしょにたちあっていく。

安福 古畑に会ってみんな運命変わりますもんね。中森明菜も堺正章もあなたに会わなかったらみたいなこといってましたよね。

柳本 その意味では、殺人事件って、すごく運命的なきがします。必然性と偶然性の相互作用というか。
運命って、そういう必然性と偶然性がむすびついたときに、あ! ってなることだとおもうんですよ。どっちかががーっとなっていてもだめなんだとおもう。
今回の米沢八段のキャラクターは合理性を大事にするキャラクターなんですよね。
納豆はたれをいれるまえにかきまぜるとねばりがでるとか、着物は余計なものがついてないから合理性のある服とかそういう合理的なシステムのなかで生きてきたひとだった。
ところが殺人、それも予想外の殺人によって偶然性にたちあうことになっちゃって、その偶然性にあしもとをすくわれることになるんだけど、でももしかしたら米沢八段にとっての救いはさうした偶然性にあったのかもしれないなって。

安福 将棋って先がみえるものなんだけど、そこに偶然性が事件をとおしてやってきたって感じなのかあ。

柳本 たぶんじぶんのなかの外部にきづくってそうした偶然性がつよく作用するとおもうんですよね。
で、その偶然性をじぶんのちからで必然性にできたときに、運命っていえるんじゃないかと思うんです。それがニーチェのいってた永劫回帰でもあると。これが人生か、だったらもう一度! って。
だから米沢八段は勝つとか負けるっていう差異にとらわれてたんだけど、そうではなくて、勝っても負けてもどっちでもいい境地に最後たてたんじゃないかな。だから笑顔だったんじゃないかと。

安福 へー。なんか一段上にいったというか抜けたかんじしてましたね。

柳本 たぶんじぶんの根強いシステムをかえてくれるのって偶然性だとおもうんですよ。
だから手紙とかってうれしいんじゃないかな。いつもたまたまやってくるから。

安福 なるほど、おもいがけないものですもんね。「その偶然性をじぶんのちからで必然性にできたときに、運命っていえるんじゃないかな」ってきいたときなんかとっさに短歌のことおもったんですよね。

柳本 ああ。

安福 短歌にするってことは、その出来事に自分はなにかをかんじたから短歌にするんですよね。短歌にしてしまうと、それは、なにか運命みたいなものになるんじゃないですか。

柳本 定型と思いのどっちもかたよっちゃだめってことですよね。偶然性と必然性のどっちにも。

安福 ほんとですね。勝ち負けじゃないし。

柳本 だから平均台みたいなかんじですよね。

安福 あと自分の大事なことがなにか問われるかんじがする。大事じゃなかったら、わざわざ短歌にしなくていいですよね。

柳本 しかもその短歌だったり運命だったりによってじぶんがきづかなかったことにきづくってことですよね。だから短歌も古畑任三郎も神学的だとおもうんですよ。
ふだんきづけなかったことにきづいてしまうところにたどりつくというか。じぶんがコントロールできないぶぶんにふれてしまう、タッチしてしまう。

安福 神さまのはなしかあ。

柳本 古畑任三郎ってマレビト的ですよね。あの民俗学の。村の外からやってくる神様。たぶんこれは金田一耕助もそうなんだけど。そとからやってきて、その村の秩序をかくらんして、またかえっていく。そとからやってきた神様みたいなかんじ。

安福 ほんとですね。

柳本 でもそれによって村がまたいきいきしていく。

安福 やっぱり事件を解決するのは内部のひとじゃなくて、外からやってきたひとなんだなあ。『君の名は。』もそうだったから。

柳本 だから探偵は帰らないといけないひとだとおもうんですよ。まれびととしてたまたまやってきたひとだから。

安福 そうですよね。そこに定住はしないよね。

柳本 だから探偵は恋愛をしないんじゃないかな、愛から遠ざけられている。もちろん、結婚したり恋愛する探偵もいるけど。ベントリーの『トレント最後の事件』みたいに。

安福 ああそういえば、金田一も、なんかいい雰囲気になってたのに、電線に止まった鳥見て、「俳句だ!」ってさけんでましたね。

柳本 ポワロとかホームズも独身者ですしね。コロンボのかみさんも、かみさんかみさんとは言いながら出てこないので、どっちかっていうとコロンボの〈症状〉に近いですよね。じぶんにはかみさんがいるんだっていう症状。ラカンが症状のなかでしか男女は出会えないっていってたけど、コロンボなんかはそういう症状のなかでしか奥さんに出会えない。古畑も愛についてどうかんがえてるのかわからないし。探偵たちはみんななんか症状のなかで愛に出会ってる気がしますね。

安福 古畑さんの愛への考え方ってたしかにわかんないですね。

柳本 「魔術師の選択」で山城新伍にこどもはってきかれたときわらうだけでなにもこたえないんですよね。だからいるのかもしれないですけどね。

安福 謎にしてるんですね。

柳本 そもそも、愛が、必然性と偶然性の場所じゃないですか。なんかだから探偵自身が愛そのものだともいえるような気がするんですよね。

安福 あ、そうですね。探偵自身が。

柳本 事件って偶然性だけど、それを必然としてひきうけていくのが探偵だから。だから、探偵はもう愛そのものなんじゃないかって。構造として。短歌もちょっとそういう偶然を必然に変えて詩にしあげていくところ、似てるとおもいます。穂村さんがよく詩のジャンプっていうのって、偶然を必然に跳躍できたときのことだと思うんですよね。だから短歌もちょっと愛に似た部分があるんだとおもう。
そういう必然と偶然のバランスを考えるのが神学とか宗教学だとおもうんですよ。お祈りって行為をかんがえるのもそうだとおもう。
こんなことして意味があるのか(必然性)。
でも届くかも(偶然性)。
でもいやそうかそのどっちでもいい、とどいたってとどかなくたっていいんだ!(運命)
それがお祈りですよね。お祈りをつづけること。
でもそのバランスってひとそれぞれだし、永久にわからないですよね。だから、神がいたり、愛があったり、運命をひとはときどき口にしたりするのかなって思うんですよ。

安福 古畑任三郎と愛をめぐって、かあ。

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安福望:古畑任三郎「汚れた王将」の回の絵

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柳本々々:古畑任三郎「汚れた王将」の回の絵

posted by 柳本々々 at 20:24| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月06日

口の快楽から考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第4話「殺しのファックス」(犯罪者:幡随院大【小説家】=笑福亭鶴瓶)

安福 殺人ってかなり重大なことじゃないですか。でも殺人をしてしまったひとは、それをこえた重大な、だいじなことがあったんですよね。人をころすよりも。執着してしまうことが。第2話の堺正章なんかは殺人より舞台がずっとだいじだったんだなあとおもった。だいじなものの順序ってひとによって違うし、瞬間瞬間でかわるんだなあって。

柳本 ほんとそうですね。だいじなものをめぐる物語かもしれませんね、古畑任三郎って。

安福 なんかかっとなって殺すときもその瞬間は人を殺してしまうよりだいじになったものがあるんでしょうね。古畑は、それがわかんなくて、犯人にききまわってるかんじですね。

柳本 骨董商の春峯堂のご主人の回なんかまさにそうですよね。タイトルも「動機の鑑定」だったし。動機が鑑定される。動機は犯人にとっていつも逸品なんですよ。あとで偽物だったって気づく場合もあるけれど。
動機って本人自身にも実はわからなかったりする場合もありますからね。言葉もそうですよね。意識とか言葉ってシステムになってるから。
第四話は犯罪者が小説家の回だから言葉の回ですよね。脅迫文が鍵になる回ですけど、言葉の配列が小説家でしかありえないような配列ってのがヒントになるわけですよね。たとえば歌人が犯罪者だったらなぜか五音七音ばかりで脅迫文を送ってくるから、あれ、このひと歌人なんじゃないの、とか。
古畑任三郎って、言葉が言葉に言及していくドラマだっていうふうにもいえるとおもうんですよ。物理学とか合理性とかではなくて、いかにひとが無意識に言葉のシステムにささえられていて、そこからあしもとをすくわれることもあるかっていうドラマだとおもうんですよね。
小説家は言葉にあしもとをすくわれてしまう、言葉を大事にしていたから。冒頭に話した〈大事〉の話ですよね。
あとなんかこの回で今までなかったのが、誘拐事件なので蟹丸警部たちの警察組織がやってくるんですけど、それによって古畑と組織との関係が明示されるんですよね。それで古畑は徹底的に疎外されてますよね。
古畑って疎外されてるひとなんですよ。で、じつはこの古畑の立場にもうひとり似ているひとがいて、それって殺人者ですよね。
殺人をおかすと、疎外されるわけですよ、もうふつうのひとじゃないから、意識のうえで、やっぱりひとをころしたひとところしてないひとの境界線っておおきいから。それってドストエフスキーの『罪と罰』を読むとよくわかりますよね。あの小説のキーワードって〈踏み越える〉なんですけど、主人公のラスコーリニコフはじぶんが偉いからひとなんて殺したってどうってことないって思うんだけど、ところが殺したあとにどんどん自分自身の意識から追いつめられていくんですよ。それはやっぱり自分が殺しちゃった人間になった、〈踏み越えてしまった〉っていう意識だとおもう。そういえばそのラスコーリニコフを古畑みたいにねちねち追いつめるのがポルフィーリーって予審判事なんだけど、刑事コロンボは彼をモデルにしてつくられてるんですよ。だから古畑の原型は、ポルフィーリーです。
で、話がそれちゃったけど、〈踏み越えたひと〉として犯罪者たちって孤独だとおもうんですよ。でもそれは古畑もおなじで孤独なんですよね、組織から疎外されて排除されてるから。

安福 あ、そうかあ、疎外されてる者同士なんですね。そうですね、殺人ってかなり線ひかれますもんね。

柳本 なんかそういう、孤独のひとどうしが犯罪をとおしてわかりあうやさしい風景が描かれているんじゃないかっておもうんですよ、「古畑任三郎」って。
だけどしんだひとも孤独ですよね。だから孤独の三角関係かな。ちょっと高橋留美子のマンガ『めぞん一刻』や夏目漱石の『こころ』みたいな三角形ですけどね。死者と生者がおりなす三角関係。

安福 あ、ほんとだ! 死体と犯人と古畑の三角関係ですね。

柳本 古畑にとって犯罪者たちとの出会いって、いちどきりなんですよね。であったらわかれなきゃいけないっていう。つかまえないといけないから。ちゃんとであえると、ちゃんとわかれることになる。

安福 ほんとですね。いちどきりですね。

柳本 であえるってことはそのひとがころしたんだってきづくことだから。もっともわかちあえたしゅんかんが別れになる。

安福 なるほど。会話の最終目的地は逮捕ですもんね。

柳本 だから別れにむかって、ふたりでくみたてていく。

安福 ほんとですね。

柳本 あ、そうだ。タイトルの「殺しのファックス」って、まさに言葉が凶器になるってことてすよね。

安福 あ、ほんとですね。

柳本 それは犯罪者自身にもむけられるってことだとおもう。

安福 言葉といえば、今回の犯罪者の幡随院が小説のタイトルは辞書でひらいたとこの単語つなげただけで意味ないって言ってたのが印象的だったんですよね。

柳本 ああ。だからある意味でことばをないがしろにしてんですよね。それで意外なことばの復讐にあうっていうか、ことばに返り討ちにされる。
 
安福 そういえば古畑さんが読んでる幡随院の小説の主人公の名前まちがってましたよね。鮫島(さめじま)刑事だと思って読んでるんだけど、実は鯨鳥(くじらとり)刑事なんですよね。

柳本 あれも、言葉が無意識に支配されてることのあらわれですよね。ひとって意外に言葉のシステムに支配されてる。

安福 あと、古畑さん、今回本読んで、出番が来るのずっと待ってるのがおもしろいですよね。出番待ってる姿が、普通に映ってる感じ。

柳本 ああ、そういうときはわりとむすっとしてるじゃないですか、余計なおしゃべりはしないというか。コロンボもそうなんですけど、犯罪者と会うと言葉のモードというかチャンネルを切り替えてるでしょ。それがよくわかりますよね。それってね、鮫島(さめじま)と鯨鳥(くじらとり)みたいに言葉には位相とかチャンネルがあるってことだとおもう。言葉のチャンネルをきりかえられる。古畑もコロンボも。だから犯人には饒舌にまくしたてて、組織とか蟹丸さんの前ではむすっとしてる。今泉の前でもそうですね。まあちょっとこどもみたいな態度をとる。言葉をそのつど調理していくっていう感じなのかな。

安福 この回で辛子明太子スパゲティ食べてますけどそれも印象的でした。

柳本 古畑任三郎では食っていうのも大事なテーマですよね。食へのこだわり。

安福 ほんとですね。

柳本 明石家さんまの回でもハンバーガーはピクルスをまんべんなくってコンビニ店員に怒ってましたよね。木の実ナナの回でも魚肉ソーセージは最高っていってたし。

安福 食のこだわりありますね。毎回なんかたべてますし。卵スープ、お茶漬け、ミートローフ茶碗蒸し焼きナス、パフェ、スパゲティ、あんかけ豚カツ。

柳本 口への注意だとおもうんですよ。

安福 えっ。

柳本 口唇欲動というか。それって、ことばと口への注意になってるとおもうんですよ。ことばと口のこだわりというか。

安福 ああ。

柳本 だから古畑って口唇期から肛門期への物語なんじゃないですかね。

安福 えっ。

柳本 肛門期ってすっきりすることでしょ、事件解決の。

安福 ああ、まえそういうこと柳本さん書いてましたね、フシギな短詩で。

柳本 いや、肛門の話はしたことないですよ。

安福 あれ、そうでしたっけ。

柳本 肛門の話はしたことないですね。肛門期っていったことないですよ。

安福 あらら。これ、東京タワーのまえにたつつるべ、なんかこわいですね。

柳本 この立ってるとこ、大学に近かったから、よく歩いてたんですよ、しにそうなかおで、いみもなく。

安福 えっそうなんだ。

柳本 大学にいて疲れると意味もなく歩いていつも東京タワーにいってたんですよ、投げやりな顔をして。

安福 えーいいですね。意味もなく東京タワー。

柳本 で、蝋人形館の前まで行って。泣きそうな顔で。そういえば蝋人形館って一度入ってみたいんですよね。入ったことがない。

安福 えっ、そのとき入ったんじゃないですか?

柳本 いや、目の前から入りたそうにみてただけですね。いれてくれないかとおもって。

安福 いれてくれないですよ笑
今回の古畑、なんかずーっと食べてますよね。

柳本 うーん、だから口唇欲動から肛門欲動への移行の物語なのかなあっておもうんですよね。ことばって肛門期がひつようなのかもしれないなと思うんです。オチとかってそうですよね。結句とか下の句もそうじゃないかな。
あと「古畑任三郎」っていっつも終わりへの気遣いがありますよね。今までもみてきましたけど。

安福 あ、そうですね。

柳本 それに逮捕されるって、よくあなたには黙秘権がっていうけど、口唇欲も肛門欲もふうじられることだとおもって。
口の快感と肛門の快感が古畑任三郎にはあるきがするんですよね。封じられてしまうまえの一歩手前が。

安福 でもそうですね。古畑任三郎って毎回オープニングとして、最初に、古畑しゃべるしね。スポットライトあてられながらひとり語りを。

柳本 ああそうだ。そうそう、だからこれね、このシリーズ全編にわたるオープニングのことを考えてみると、『古畑任三郎』って巨大な古畑任三郎の回想ともいえると思うんですよ。あのときの事件はー、って。

安福 ああ、そうですね。

柳本 おもいだしてるわけですよ。

安福 ああ。

柳本 このオープニングは古畑の脳内でね。だからこれ、古畑任三郎の死に際なんじゃないかとおもって。

安福 ああ、死に際の走馬灯なのか。

柳本 そうそう、あのスポットライトってちょっと宗教的じゃないですか。

安福 ああ、ほんとですね。

柳本 召される感じ。あのーえーっていいながら、召されてゆくかんじね。あのーえー召されますー、ってね。

安福 ……。

柳本 あとね、神がみてるばあいがあるとおもうんですよ。あのオープニングのしゃべりってとちゅうでとつぜんとぎれますよね。あれずっとフシギだとおもってたんですけどね。

安福 とぎれますね。

柳本 あれ、神がシャットダウンしてんじゃないかとおもって。

安福 ああ。

柳本 古畑の意志ではどうにもならないことがあるってことなんじゃないかとおもって。宇宙。

安福 宇宙?


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安福望:古畑任三郎「殺しのファックス」の回の絵

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柳本々々:古畑任三郎「殺しのファックス」の回の絵


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2017年03月05日

音数律から考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第3話「笑える死体」(犯罪者:笹山アリ【精神科医】=古手川祐子)

安福 この第3話は、料理苦手な犯人に料理させながら古畑さんがきくのがいじわるだよなあっておもいながらみてたんですよ。
古畑さんのコンタクトのしかたって、詰めてきますよね。近寄ってくるというか。古畑さんってやたら握手したりとか。あれきになりますけど。なんかあるんですかね。

柳本 うーん、相手を動揺させようとしてるんだと思いますよ。ふいうちのコンタクトで。

安福 一話目も二話目も握手してるなあっておもって。まあでも一話目は漫画家で、二話目は歌舞伎役者だからかなあ。なんか低くいるんですよね、古畑さんって。油断させようとしてるかんじ。

柳本 コロンボもそうなんですけど、犯罪者たちが基本的にみんな偉いひとたちに設定されていますよね。

安福 ああ、そうかあ。明石家さんまの回でも、「先生」ってよばれることからさんまを追いつめてましたよね。

柳本 えらいひとって、ふだんは動じないひとじゃないですか。だから、スタンドプレイというか、奇妙な行動に出て相手を動揺させていくとおもうんですよね。
第3話は、精神科医の古手川祐子ですけど、精神科医なんてまさに動じないひとじゃないですか。だからこの回で古畑はいちばん動揺させることをやってのけるというか、タイツかぶって煙草吸ったりしてますよね。古手川祐子は冷たい眼でみてたけど笑
これは田村正和がやってくれないかなあって三谷さんは思ったらしいんだけど、やってくれたそうですよ。
だからファーストシーズンって暗いんですけど、奇矯でもあると思うんですよね。変人というか。

安福 そうですね、変人。

柳本 この精神科医の話は、みえてるのに・みえないがポイントになるんですけど、ただ一話目も二話目もやっぱり、ふだんみえてなかったことにきづくはなしだとおもうんですよ。殺人をしてはじめてきづいたことがおおかった、って。犯罪者が、気づく。

安福 ああ、そうですね。

柳本 だから殺人は後悔してるけど、きづけたこともあった。殺人もきっかけですよね。なにかがわかる。そんなかんじの構造になってるとおもう。

安福 なるほどなあ。

柳本 だからちょっと古畑って、カウンセリングみたいなかんじなんですよ。

安福 ああ、そうですね。はなしききますもんね。すごく、ささいなことも。

柳本 むしろ犯人が話そうとしてこなかったことさえ、きいてますよね。ささいな、ふともらしたようなことを。でもそのことによって、みえなかったものがみえてくる、殺人をとおして。ひとって、話す主体って、じつは、話してないことも話してるんですよね。でもその話してないことを話したときに、主体の核みたいなものがぽろっとでる。

安福 ほんとですね。

柳本 でも、それは定型っていうか音数律もそうだとおもうんですよ。音数律をとおしてふだんみえなかったけど、実はもっていたことばがでてくる。

安福 ああ。

柳本 ここは五音とか、ここは七音とか。

安福 ほんとですね。

柳本 音数律に捕まるっていうんですかね。でも捕まってはじめてわかることもあるから。言葉を殺してね。言葉を殺して音数律に捕まる。

安福 この言葉ほんとはいらなかったとかわかりそうですね。つかまってみないとわかんないですね。

柳本 定型も話してなかったのに話したことを教えてくれるとおもうんですよね。

安福 みえてるのに・みえなかったみたいなね。

柳本 でも、みえてるのに・みえなかったってミステリーの基本ですよね。なんかすべてといっていいんじゃないかと思う。だって犯罪者っていうか、たいてい証拠は、ミステリーにおいてはいつもはじめからめのまえにあるんですよね。ぜんぶそろえられて、最後がくる。はじめにぜんぶがある。だからミステリーって精神分析学的なんだとおもうんですよ。みえてるのに・みてないだけっていう。この古畑の第3話のラストみたいに。
ひとはみえてるのに・みてない世界のなかで生きている。そのみかたを教えてくれるのが精神分析だったりカウンセリングだったりするとおもうんですよね。だから、治療者と探偵は似てるとおもう。精神分析医と探偵は。

安福 ああ。

柳本 だから以前、「あとがきの冒険」で定型と認知行動療法について書いてみたことがあるんですけど、音数律って精神分析医的役割をすることがある気がするんですよね。

安福 数が私たちを癒してくれる場合もあるんだね。ジョジョのプッチ神父みたいだけど。

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安福望:古畑任三郎「笑える死体」の回の絵

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柳本々々:古畑任三郎「笑える死体」の回の絵

posted by 柳本々々 at 22:35| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする