2017年03月01日

6ぽ なにがただならなかったのか 安福望×柳本々々 田島健一さんの句集『ただならぬぽ』を佐藤文香さんのツイートから考える

昨日のNHKカルチャーは句集の読み方という回で、田島健一『ただならぬぽ』(ふらんす堂)をとりあげたが反応がまちまちだったなあ。でもここでわたしがよさをゴリ押しするのも違う気がしたのであえて意見を統合したりしなかったのであった。私のぽ愛はまたどこかで。
     佐藤文香さんのツイート



安福 佐藤文香さんが、NHKのカルチャーセンターみたいなとこの講座で、ただならぬぽを紹介したんですけど、反応がまちまちだったとおっしゃってましたね。句集をよむという講座だったみたいです。そうなのかあって思ったんですけど。

柳本 田島さんの俳句ってどう読んでいいのか実はだれもわからないんじゃないんかって昔ふっと思ったことがあったんですよ。それは私も田島さんの句にであって、こんな俳句をつくられる方がいるんだってびっくりしたのもあるんだけど。ただそれが田島さんの俳句なのかなあって。
俳句以外のひともすごく田島さんの句集読まれてますよね。そこらへんにもなにか理由があるんじゃないかと思って。
でもおもしろいのは、田島さんの句って絵は描きやすいんですよね。イメージは浮かびやすい。それもふしぎだなあ。「ぽ」って文字だけだと「ぽ」だけど絵にしてくださいって言われたら、ひかりを描いたりとか、わりといろんなことできますよね。そうなると「ぽ」ってなんかリンクみたいだなっておもうんですよね。クリックするといろんなとこにつながっていくハイパーテキストみたいだなって。ぽ、ってね。

安福 (聞いている)

柳本 わたしはね、あの句集を読んでいて、《出来事未満句集》だと思ったんですよ。これは《出来事未満》を出来事として描いた句集なんじゃないかと。あえての俳句未満の句集というか。へんな言い方ですけど。あえて未満の領域につっこんでいく出来事が出来事になったり、俳句が俳句になったりすることをかんがえる。
だからもう俳句観というか、なにかこう《観》ができあがっちゃってると、よくわかんないって抵抗がでるのかもしれないですよね。
「白鳥定食」の句があるんですけど、「白鳥定食」ってへんな言葉でしょ。だれもわかんないと思うんですよ。でも構造として考えてみると、白鳥と定食が分割できなかった世界なわけですよね。それって、まだ白鳥未満、定食未満の世界なんだっておもうんですよ。だから白鳥定食みたいにハイブリッドなものがうまれる。ちょっと宮沢賢治の世界にもちかいですよ。境界が未満の世界でいろんなものがぐじゃぐじゃしてるって。
あと私が好きな句で、滝のそばで結婚式あげてると猫たちがあつまってくる句があるんですよ。これなんか結婚未満の風景だとおもいます。結婚って、社会的なもので、社会的承認みたいなところがあるけど、ここでは猫たちが承認しようとしてるわけでしょ? それだと結婚、成り立たないですよ。だから未満の風景。でもそれによって結婚のふしぎな感覚がでてきますよね。
この句集でね、ひかりをみる映画、っていう句があるんですよ。映画は物語をみるんじゃなくて、この世界のひとは、映画をみるとき、ひかりをみてるわけです。映画未満をみているというか。でも実は映画ってひかりなわけですよ。テレビとか、スマホも、まあ印象派の絵画みるとわかるけど、世界ってひかりなわけですよ。みえてるのは実は。意味で区切ってるけれど。そこには光しかない。

安福 なるほど、出来事未満。だからたじまさんも、予告編っていってるんですね。

柳本 未満って根っこのことですよね。映画は光って、映画の根っこは光なんですよ。結婚の根っこに猫たちがあつまってくる。猫と根っこだと思って。

安福 猫と根っこ。出来事未満って光のことなんですね。

柳本 菜の花はそのまま出来事になるよ、っていう句があって。なんかね、《出来事の探索者》なんですよ。この句集にある風景って。出来事懇親会、みたいなのしてるわけです。出来事会談というか。あれって出来事になる?ってきいて、いやあれはどうかなあ、うーん、あれはね、ならない、とか。

安福 はあ。

柳本 菜の花? あああれはもうできごと。できごとになるわ。あのまんまで、とか。
ただ、出来事ってなんなのかってかんがえてみると、出来事って出来事っておもったときにあらわれるものだから、出来事そのものが生成の現場なんですけどね。出て・来る・ことみたいなね。

安福 (聞いている)

柳本 だけど、なんか、この語り手は、出来事かどうかでとらえてるから。そうすると出来事って出来事未満になっちゃうんですよ。ふつうひとは、これって出来事かなあ、とか思いませんからね。

安福 あ、そうですね。辞書だと、「世間に起こる様々な事柄。また、ふいに起こった事件・事故」ってなってますね。

柳本 この句集の語り手は、出来事をいまだにじぶんのなかで自然化できてないひとなんじゃないかなあ。だから宮沢賢治の語り手みたいにね、世界のいちいちの出来事に驚いて記述している。出来事未満の場所に降りていって。

安福 出来事の根っこ。

柳本 あるいはですよ、名詞とか事物を出来事としてみてるから、だから映画とかいちごとかぽとか白鳥定食とかも出来事にみえてしまう。それそのものが、ですよ。言葉そのものが出来事にみえてしまう。それはなんていうか、まあ、事件ですよ。名詞の事件というか。ぽはなんか事件ってかんじするんですよ。ただならぬぽだし。なんかただならないことが起こってるわけでしょう。出発はそこなんですよ。やばい、ってとこからはじまってるから。しかもなにがやばいかっていうと、ぽがやばいわけでしょ。なんかそのもろもろぜんぶただならぬ状況ですよ。ぽの事件なんですよ。

安福 (聞いている)

柳本 実存的な句集と現象学的な句集があるとおもうんです。田島さんの句集は、実存的じゃなくて、現象学的なんだとおもう。どういうことかというですね、コップをみているじぶんをかんがえながらコップをかんがえるとコップがへんになっていきますよね。こういうものと自分の関係をさぐるのが現象学なんですよ。現象をかんがえるんです、あらわれてくるものを。

安福 なんかマトリックスで、スプーンがうにょんってなるの思い出します。

柳本 実存的っていうのは、わたしはコップをいまみている! これがわたしなんだ! これいがいにわたしはないんだ! これがわたしの存在なんだ! これがわたしの現実であり、世界であり、人生なんだ! っていうのが実存的ですね。〈わたしの生〉にウェイトをおく。

安福 わたしとコップが両想いみたいね

柳本 世界や物と両思いになれてこそ、わたしの実人生がいきいきしてくるからですよ。ぽ、は実存的じゃなくて、現象学的なんだとおもいますね。

安福 (私は聞いている)

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写真・作品:安福望(モールサンタは市販)

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2017年02月06日

4ぽ 俳句の感想って言ってもいいのかどうか罰せられないかどうか 安福望×柳本々々

安福 田島さんの句集『ぽ』、ぱらぱらしたとき川柳っぽいなあっておもったけど、最初からめくってると、やっぱり俳句なきがしました。季語って昔からあるから難しい字が多かったりもするんですよね。だから俳句を読むってことは俳句をやってないひとには不安になる行為になることもあるんじゃないかなって思いました。

柳本 季語がね、すごくふしぎなんですよね。季語ってなんなんでしょうね。ときどきものすごく季語がぬーっと立ってみえるときがある。ダイダラボッチみたいに。季語って共有言語だとはおもうんですよ。それは歳時記があるからそうじゃないですか。それに決まりもちゃんとありますよね。春の季語をわたしだけきょうから夏の季語にします、とかはできないじゃないですか。
でも、季語って共有言語とはいいながら共有言語でもない部分ありますよね。「浮いてこい」って夏の季語なんですけど、ふつうに暮らしてたらちょっとわかんないですよね。季語ってわからないものがけっこうたくさんあって。そのときの季節感ってなんだろうと思うんですよ。ほんとうはそれによって季節がざわっと感じられるはずなんだけれど、文字のざわざわした感じをむしろ今は感じる場合もあるわけですよね。
あと、間違えちゃうこともある。イチゴは季語ですっていわれても、えっ、そうなのと思ったり。でも俳句は基本的に季語を使う。
そうすると、なんかこう理解不能な場所にじぶんからわざわざつっこんでゆく行為なわけですよね。それってずっと不思議で。わたしにとって俳句の不思議ってたぶんそういうことなんだろうなと思います。それで興味もってるんだとおもいます。それってなんなんだろ。なんのためなんだろうって。
季語ってそのいみで魅力的でこわいんですよ。よくわからないところがある。安心させてくれるとともにつきおとすような。
ただし、この季語って広げてみると、定型にもなってくるとおもいます。だから短歌とか川柳も無縁ではないとおもう。なんのためにわざわざ定型という理解しにくいかたちでひとは発話するんだろうって。それはすごく不思議なことですよ。定型って生まれつきそなわってるものじゃないし、たぶん、もしかしたらだけど、自然なリズムでもないのかもしれないし。8音とかのほうがナチュラルなのかもしれないし。

安福 そうですね。たしかに安心させるようで、わかんないとつきおとされるところがあるかもしれない、季語は。

柳本 つきおとされるといえばね、象徴的自殺っていろんなかたちがあるとおもうんですよ。一日ふとんにもぐって家からでない、とか。
俳句もすこし近いのかなとおもうときがあるんです。なんていうか、季語がね、刀にみえるときがあるんです。
ただ象徴的自殺ってわるいことじゃないですね。なにかのきっかけになるし、生き返る。
こないだNHKのハートネットTVで、新宿歌舞伎町屍派のドキュメンタリーがやっていて、北大路翼さんが、生きることの不思議、みたいなことについてさいご話されてたんですよ。死んでも生きる、みたいな。だから、屍なんだよ、って。で、ああそうかあ、なんか、俳句って象徴的自傷というか象徴的自殺があるのかなあって。そこからの再生というか。
うまくいえないですけどね。でも、うーん、屍派の俳句ドキュメンタリーをみていて、そのなかで生きることと俳句が結びついていたんですよね。生きること、生きないことと結びついていく。なんかそこからいろいろ考えられないかって。そうおもいながら、何度か繰り返し、深夜に、みました。

安福 テレビで俳句先生とかやってて、母とかよくみてるから、やりはじめるひと多そうですよね。どこまで奥にすすむかなのかなあ。奥にすすむとやっぱりおそろしくなっていきますね。でもどんな奥にいくかなのかなあ。そもそも奥があるってことなのかなあ。

柳本 だから、たぶん、俳句って高層ビルみたいなもんで、いろんな場所でエレベーターから降りていくひとがいるんですよ。だからものすごくみあげながら相手と話してる場合もあるんじゃないかな。
俳句ってなんなんですかね。ただ田島さんの俳句みてると、なんか俳句やったことないひとにも抜け道みたいのを示してる気もして。それはなんなのかはよくわからないんだけど。
なんかこう、高校のいちばん暗いころに、田島さんの俳句みてたら、ちょっと俳句に対する考え方が変わってたんじゃないのとはおもうときあるんですよ。ああこんなこともできるのかって。ちょっとだけ明るくなれる、っていうかね。そのときの生が。

安福 なるほど、

  いちご憲法いちごの幸せな国民  田島健一

この「いちご憲法」の「いちご」が季語なんですね。

柳本 こうみてみると、季語ってファンシーなものなんだなっておもいますよね。俳句だからいちごって季語がはいってくるんだけど、そのいちごが憲法とか国民とくっついてファンシーなものになっていく。この句の中のすべてのことばがそわそわしてるかんじがある。季語のいちごも憲法も国民も落ち着いていなくてね、あっそうか、落ち着いてない俳句なんだ、っておもう。
だから、幸せだっておもってることって、その同一性がじつは落ち着いてないかもしれないんだよとも、おもう。幸せなときってがーっといっちゃいますもんね。季語がトリガーみたいになって、ことばをそわそわさせていく。でもここまで読んじゃっていいのかなあ。読みすぎかもしれない。

安福 なるほどなあ。私も俳句を読むといろいろ感想をもつんですけど、ときどきいっていいものなのかなっておもうんですよね。それはなんだろう。季語があるからなのかな。でも季語がわかったからといって感想いえるようになるのかなあ。そもそも俳句と感想がどうむすびつくかもわからないところがあるのかな。

柳本 そうなんですよね、私もずっと考えてるんですよ。昔、西原天気さんとお話させていただいたときにやっぱり、季語がこわい、って話したんですよね。なんかすごくこわいものだと。
俳句を読む、ってどういうことなんですかね。わたしもよくわからないんです。わたしは俳句を詠んでないし。ただ田島さんみたいにおもしろい俳句があるから、なんだ俳句ってへんなことが起こってるのかなと思ってきょうみもつんだけど。
俳句ってなんなんでしょうね。ふしぎなものです。で、ときどき感想を書いてみるんですけど、たぶん、決定的に間違えてることもあるとおもうんですよ。致命的な、とんでもない間違いを。こいつとんでもない誤読してんな、って。そういうとき、少しだけ死ぬわけですよね、感想をもつことが。だから、俳句の形式ってふしぎだなあとおもう。
なにかね、ときどき罰せられることもあるのかもしれないなって。饒舌さにたいして。

安福 誰から罰せられるんですか。

柳本 俳句から。

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(写真・白鳥:安福望。作品名「白鳥のつかいみち」)


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2017年02月05日

3ぽ ぽ概論 安福望×柳本々々−田島健一『ただならぬぽ』から−

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柳本 短詩のことを考えていると、人生でぽにむきあわねばならなくなるときってあるじゃないですか。なんだかちょっとおもしろいなとおもって。短詩、短歌とか俳句とか川柳ってなんなんだろうと思って。ぽをひとに真剣に考えさせるって。

安福 そうですね。荻原裕幸さんのぽのことをかんがえてたんですよ。

  恋人と棲むよろこびもかなしみもぽぽぽぽぽぽとしか思はれず   荻原裕幸

あれ、なんかインフルエンザみたいな、悪いぽに感染しちゃったのかあっておもったんですよね。ぽに侵略されたというか。ぽにのっとられて、ぽしか考えられなくなったのかなっておもったんですよね。

柳本 いろんなぽをみてきておもうのは、ぽにはじつはこまかさがあるってことなんじゃないかと思うんですよ。

安福 えっぽにこまかさが

柳本 そう。

 ぽ「なんでもいっしょくたにすんな!」
 
って微分化されたぽたちが言ってるような気がして。
短歌とか俳句を読んでるといろんなぽをめぐる短歌・俳句があるでしょう。けっきょくそこに気づくというか。そうしたときにはじめて、

 ぽ「ありがとう」

ってぽがいってくれるんじゃないかとおもって。いろんなぽがあるなあってしみじみとあらためて思ったんですけどね。ぽって抑圧されるものなのかもしれないですね。ぽって記憶できないんじゃないのかなとおもって。

安福 あっそうかもしれないですね。あの、昔、やぎもとさんが書いた文章なんですけど、

  最近〈ぽぽぽぽ〉だけで話す訓練をしており、「火を起こす」まではなんとかぽぽぽぽだけで伝えられるようになった。ただ、「愛している」が、まだいえない。微妙なぽぽぽぽのニュアンスが要るようだ。

柳本 ああ。だから、わすれちゃってんですよね。荻原さんのぽの話にもどるんですけどね。ぽ、って言語化不可能ななにかですよね。ふつう言語化不可能なときって、まじめなほうにいくとおもうんですよ。言葉にならない事件とか。

安福 ああ。

柳本 だけど、なんていうか、ふざけというわけでもないんだけど、なにか得体の知れない陽気さのほうにいくっていうのがおもしろいとおもうんですよね、ぽぽぽぽぽぽって。

安福 たしかに言葉にならないってまじめなほうにいくのかもしれない。

柳本 なんか、言葉にならないことがうれしいっていうか。言葉いらんよ、って。

安福 あっ、ぽってなんかうれしそうなかんじですね。

柳本 でも、いらんよといいながら、ぽを必要としたんですけどね。それが、恋人とか愛のふりきれなさなのかなあ。なんかそれでも、ことばでいいたくなっちゃったんですよね。それでぽでいったのかなあ。荻原さんの川柳連作のタイトルで「るるるると逝く」ってのがあるんですけど、やっぱ「逝く」なのに楽しそうなんですよね。ぽとかるとか、ことばをふりきりそうにしながらも、またことばにけっきょくもどっていくんですよ。それって、言葉のかなしみ、じゃないかとおもうんですよね。

安福 へーそうなのかあ。

柳本 なんかお別れしたはずなのに、けっきょく部屋にかえってきちゃった、っていう。ぽ、ってそういうかんじなんですかね。

安福 ああ、なんかわかります。さよならってわかれて家かえったら、またいるっていうかんじ。

柳本 あの、さいきん、尾崎放哉さんの捨てるはなしをフシギな短詩に書いたんですけどそれにもちかいんじゃないかと思う。いちどすてたらもうすてられないって。ぽってことばの意味、をすてたんだけど、すてちゃったのに、ぽが残って、あっ、もう、すてらんないよ、って。

安福 なるほどなあ。

柳本 あの、ぽぽぽぽってたのしいけどかなしいんですよね。

安福 なにもいってないのがかなしいんですかね。咳みたいなかんじで。

柳本 ひとって結局どこにもいけないんだ、ってことなのかなあ。ぽ、にせっかくいけたけれど、けっきょくは、ぽにかえってきてしまっていることもわかる。尾崎さんもそうだとおもうけど、すててどっかいこうとしてもまたかえってきてしまう。

 ぽ「ここにいろ」

安福 ぽがひきとめるんですね。

柳本 そうですね。

 ぽ「酷使するのはやめろ」

安福 ぽってなんか鏡みたいですね。

柳本 ちょっとぽの響きのことについて話してみたいんですけど、ポエムっていうばかにされてる言葉ありますよね。ポエム(笑)、みたいなかんじで。でも、ポエムってことばってもともとは意味深長なんですよ。なんかちゃんとした意味がある。だけど、ばかにされてるのはポのひびきがわるいんじゃないかとおもって。

安福 ああ、ぽがふざけてるようにおもうんですかね。

柳本 ぽって、なんかこう、チャンネルがきょくたんにかわるんですよね。ぽ、っていわれたしゅんかん。

安福 ぽいっとすてるとか。すてるも、ぽ、ってかんじですよね。

柳本 中沢新一さんのことばなんですけど、ちょっと長いですけど、

  「ポエム」という言葉の原形になった、古代ギリシャ語の「ポイエーシス」は、もともと「何かが、立ちーあらわれてー来る」という意味を持っていた。それまでは隠されていた何ものかが、自然のうながしや人の技によって、存在の世界の中に立ちあらわれてくる。冬枯れの植物の中に、隠されてあったものが、春の訪れとともに、みずみずしい芽吹きや花の花開きとなって、自分をあらわにしめす時が来る。自然はそのようなポイエーシスを本質としている。そして、人の作る詩歌の本質もまたポイエーシスなのである。隠されてあったものを、あらわに立ちあらわれさせるための言葉の技、それがポエムであるからだ。だから、世界中いたるところで、詩の発生の現場には、いつも恋の現象が、いっしょに立ち会ってきたのである。恋は人の心の見えない奥で生まれる。はじめそれは隠されていたもので、その恋心が表にあらわになるとき、人々の心には驚きや興奮が生まれる。恋はポイエーシスの現象そのものなのである。そのために、詩と恋とは切っても切れない関係にある。
  (中沢新一『日本文学の大地』)


柳本 ポエムってなにかがたちあらわれてくる現場だとおもうんですよ。もともとの原義は。でも、いまは、あまったるいことばの羅列みたいになってますよね。で、響きだけで、かんがえてみると、あの荻原さんの歌って、ぽぽぽぽを、ポエムポエムポエムに変換するのもありなのかもとおもったりするんですよ。恋人といろんなものがたちあらわれてくる現場として。

安福 なるほど。

柳本 たとえばほんとはポエムポエムポエムポエムポエムだったのが、はやくちでいえなかったのかもしれないとか。いきいそいでいてね。エムなんてはっきりしたことばじゃないでしょ。だから耳としてきくと、ぽぼぽぽになる。

安福 ポエムポエム、かあ。

柳本 ポエムってはやくちでポエムポエムポエムポエムっていうとけっきょくぽぽぽぱぽになりますよね。今はやくちでいってみたんですけど。

安福 なるほど、エムがいいにくくてぽっていいやすいんですよね。

柳本 ポとエムが格差がありすぎるんですよね、発声のしかたの。どっちかになっちゃうから。さきにあらわれたポのほうになっちゃうんですよね。

安福 わかれる運命ですねポとエムは。

柳本 ただエムっていうといみがもうわからないですよね。たぶん海外のひとのポエムの発音ってほとんどポ一音なんじゃないですかね。

安福 ああ、ほんとですね。ぽにアクセントが。エムはつけたしってかんじ

柳本 「po・em /póʊəm」だから。

安福 「ぽはpo」

柳本 ここで発音がきけますね。

安福 poより日本語のぽのほうがいいですね、なんかぽってかんじする。ぽがこの「ぽ」って形がいちばんしっくりきてるかんじ。poだとpとoにわかれるからかなあ。

柳本 それはほがぽとぜんぜんちがうからじゃないですかね。ほになんか付着してぽになるっていう事態が、なんな。

安福 あ、ほんとだな。ぜんぜんちがいますね。

柳本 ぽって変形物なんですよね。ほが変態したもの。なんかそれが同棲的なのかな。ぽをしっちゃうとほにもどれませんよね。ほにもどるとき、うしなうことになる。○を。

安福 pとoがpoになっていつのまにかぽになるの同棲的っておもいました。pとoだったのに、ぽになっちゃうのかなあ、同棲すると。そんでぽになっちゃうと、わかれるときpとoにはもどれなくて。

柳本 英語だとわかれられるんですけど、日本語だと○をうしなうことになりますよね。ということは、日本語だとほと○が一体化しちゃうってことですよね。英語とちがって。埋め込まれちゃう、○が。

安福 ぽはほになるとき〇をうしなうしかないってことですかね。

柳本 傷がついたり、へこんだりするんでしょうね。うしなうと。

安福 そうですね。もうもとの自分にはもどれないんですよね。

柳本 ○はでもまたどこかでぴとかぷになるかのうせいがある。あっそうだ、トレンディエンジェルの斉藤さんもヒントになるかもしれませんね。なにかしらの。ぺぺぺぺぺぺって。くまのプーさんなんかもそうかもしれない。そういう圏内。ムーミンパパとか。

安福 あっほんとですね。いっぱいいますね。

柳本 ペンギンプルペイルパイルズとか。

安福 あとピコ太郎さんね。

柳本 あんまり名前にじつは破裂音ってないんですよね。柳本ぽ、とかになんないじゃないですか。江戸川乱歩くらいじゃないかな。乱歩かペリーくらいじゃないでしょうか、日本でぽとかぺだったひとは。大塩ぺの乱とかなんないから。あっ、でも、いなかっぺいさんがいるか。あっ、でも、林家三平がいた。だから、いなかっぺいさんと林家三平のふたりがいなくなると、日本からぺの一族が途絶えるんじゃないかなあ。あっでも、林家ペーパー夫妻がいるか。

安福 あっほんとだ。ともだちが、衛星ペポってなまえで絵とか立体をつくってたことありますよ。

柳本 あとPontaカードがありますね。まあだいたいそのひとたちがせおってるってことですかね、歴史的には。

安福 ぽをせおってるんですね。

柳本 ポーの一族ってことですね。

安福 はい。


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2017年02月04日

2ぽ なんだかぶきみなことが 安福望×柳本々々−田島健一句集『ただならぬぽ』から−

安福 たじまさん、ブログで

  句集なのでどこから読んでもかまいませんが、1ページ目から読んでいってもらえると、先の読めない予告編をあつめた、予告編だけの映画を観たような気分になれるかも知れません。もしご覧になる機会があれば、そんなつもりで読んでみていただけるとありがたいです。

ってかいてたんですよね。だから、じゃあ、起こったあとなんだけど、起こってることをうまいこと編集してるかんじの句、なのかな、とか、予告ってことはまだ起こる前ってことかな、とか考えたりしていたんですけどね。なんかよくわかんなくなってきました(笑)。

柳本 なるほどなあ。予告だと起こってないかんじですね。

安福 人にみられるまでシンメトリーの桃とか豆にしらないひとがいるとか、なんか予告っぽいですよね。いまからはじまるかんじがします。なんだかぶきみなことが。

柳本 いまちょっと面白いなと思ったのは、田島さんが俳句を映画と関連づけて考えているところだと思うんですよね。田島さんって、俳句の基礎的な部分を考えてるうちに、他ジャンルのことも考えざるをえなくなったところがあるんじゃないのかなあって時々おもうんですよね。だからあとがきで、俳句が俳句であることを書かれたんじゃないのかなあ。

安福 ああ。

柳本 映画をたとえにするのっておもしろいですよね。映画っていってみれば、なにもなくても・なにかが起こってる場所だから。

安福 えっ、あっ、そうかあ。なにもなくてもおこってるばしょですか。映画って、みえてないそのまわりにめちゃくちゃ人がいるのがふしぎだなあっていつもおもいますけどね。うつってないんだけどほんとはまわりにいっぱいひといますよね、一人の場面でも。あれふしぎだなあ。

柳本 映画って、いってみれば、ただの光なんですよね。ただの光しかみてない状態だと思うんですよ、ひとの。つまり、「ぽ」ってかんじの光をみて、かってにイメージをうつしてるだけで、ただたんにひかりしかみてない、スクリーンの。なんか、ひとの感覚の根っこの体験ですよね、映画って。ただの光をみてるんだから。さいきん、安井浩司さんの原稿を読ませていただく機会があってそのときに、そもそも俳句の〈根っこ〉ってなんなんだろう、って考えたんですよね。どうやって、ひとは俳句の根っこに出会うのかなって。それって、筑紫磐井さんや攝津幸彦さんについて書いたときもおもったんですよ。根っこってなんだろう、って。それで、田島さんも現代詩手帖でずっと時評を書かれているんだけど、どうも、俳句をめぐる根っこについてかんがえられているんじゃないかって気がしたんです。

安福 田島さんの句集のいいなと思った句に、

  根の研究あかるくて見えにくい蝶  田島健一

があるんですよ。これいいなあとおもって。

柳本 ああ、これいいですね。いやほんとに、まさに「根の研究」なんだと思います。その、表層の部分としての「蝶」は、見えないというか。見えにくいのか。田島さんって「根の研究」者なのかなあと思うときがあるんです。根の研究をするためには蝶をいったん見えにくくする必要があるというか。

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柳本 これまたやすふくさんの昔の作品なんですよね。これもおもしろい作品ですね。

安福 雲の本なんですよ。

柳本 きのうの芽Amazonも場所が志向されていたけれど、今回の雲の本も本が雲化することによって場所が志向されているんですね。そうかんがえると、安福論としても今の絵につながってて面白いと思うけど、こうやって田島さんの句集と組み合わせてみると田島さんの句ももくもくなにかが生成されてるかんじってありますよね。

安福 わたしの好きな句で、

  蟬時雨いるような気がすればいる  田島健一

っていう句があるんですけど、これってなにかが生まれてるかんじしますよね。生まれてるところにたちあってるというか。

柳本 ああ、「いるような気がすればいる」ってなにかが生まれることの根っこなんじゃないですかね。この「いるような気がすればいる」っていうのも俳句の根っこのひとつなんじゃないかな。俳句であるような気がすれば俳句である、っていう。

安福 そうしたら、すべてのものがいえるじゃないですか。わたしであるような気がすればわたしである、とかね。

柳本 だから、その、あの、根っこ。


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2017年02月03日

1ぽ ぽがいっぱいはえるかんじ 安福望ぽ×柳本々々ぽ−田島健一句集『ただならぬぽ』から−

安福 「これまで書いてきたものは、結局書けなかったものの堆積なのかも知れない」って『ただならぬぽ』のあとがきに書かれてるんですよ。

柳本 へえおもしろいですね。そもそも、挫折したところ、〈去勢〉されたところからはじまってるんだ。「ぽ」には苦(にが)みもあるんですね。

安福 やぎもとさん、挫折と去勢、好きですね。

柳本 うーん、さいきんなんか自分のテーマってけっきょくそれなんじゃないかと思ってるんですよ。

安福 あとがきで、「私の息切れや痙攣のような一句一句を」とも書かれてます。この句集、「息のおわり」っていう連作でおわりますね。

柳本 ああ、息とも関わりがあるんですね。そういう長さをもったものと、でも逆の、息切れとか痙攣の瞬間的な短さとも関わりがあるのかあ。あんまり、「ぽ」でなんでも語っちゃダメなんですけど、そういうすべてもろもろをひっくるめると、もう、「ぽ」としか言い表せないような気がしますね。まだ、それをいいあらわすことばはこの世界に生まれてないから。

安福 俳句だけど、よみやすいなっておもいました。

  人に見られるまでシンメトリーの桃  田島健一

ってあるんですけど、

柳本 ああはい、

安福 あと、

  いんげんまめ家に知らない人がいる  田島健一

なんか川柳の読みやすさがあると思いました。

柳本  ああ。なるほど。ぶきみですね、どっちも。

安福 ほんとですね。

柳本 田島さんの句ってぶきみさがあるとおもいますね。もし現代川柳につうじるとしたらそこなんじゃないかな。

安福

  回し見る桃にちいさく起こる風  田島健一

もありました。あ、でもこれなんか俳句っておもいましたね。

柳本 すぱっと切ってある感じがするからかなあ。「風」で。あの、今までの句、なんか、起きてますよね。タルコフスキーの映画みたいに。なんかが、起きる。俳句ってしずかな文芸だと思うんですけど、だけど、田島さんの俳句のなかでは、なにかが起こる、ってかんじがするんですよ。なんか独特の起こり方。でも、俳句でも川柳でもないような起こり方な気がするんだけど。ぽ、ってなんかが起きるときの音ですよね。

安福 俳句は起こったあとのことをあらわすんじゃないですか。

柳本 ああそうですね。田島さんの俳句では起きていることをあらわしている気がして。だから、「ぽ」。「ぽ」っと起こる。ひかりでも、いきでも、ことばでも、風でも。俳句は起こったあとのことを描いて、川柳は起きているときのことをあらわすのだとしたら、なんかそういう両方のことを想起させるのが「ぽ」なんじゃないかとおもって。それって、〈ただならない〉ことですよ。安心して暮らしてるひとにとっては。

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柳本 これやすふくさんが撮ってくれたんですが、おもしろい写真ですね。この芽の〈ぽ〉感が、すばらしい。

安福 その下の芽のやつは、私の昔の作品ですよ

柳本 え、そうなんだ。いろんな才能あるんですね。これおもしろいですね。なんか、〈ぽ〉のひとつのコンセプトが造形化されてるきもするけど。そうかあ、発芽かあ。

安福 アマゾンの箱に生えてるんですよ。

柳本 ええっ。Amazonの箱。やるなあ。

安福 なんかそのころ、アマゾンの箱、なんかにつかえないかなあっておもって。

柳本 Amazonの箱って、なんかアートにちかづくっていうか、なんか生まれますよね、ダンボーとか。

安福 あと白鳥と黄色い花の箱がありますよ。アマゾンの箱ってふたがあるから、それがいいなあってなんかできないかなって思うんですよね。

柳本 Amazonの箱って生態系をつくるんだね。〈ぽ〉って生態的なんだなあ。ぽって生態がはびこることなのかもしれませんね。句集タイトルの「ただならぬぽ」ってすると、「ぽ」がいきものめいてくるし。

安福 そうですね。ただならぬ、だから、なんか妖気を発してるかんじ。

柳本 田島さんの句でも白鳥を定食にしちゃう白鳥定食の句とか芭蕉がふたりになったりする句があるんですけど、生態がただならぬ生態系なんですよね。なんかね、生態系的なんですよ。その意味で、「ぽ」はあらゆる生態系の始原というか。なんか、まずはじめに「ぽ」ありき、なんじゃないかと思います。はじめに言葉ありき、じゃなくて。聖書のね。これ、ただならぬ「ぽ」のひとつの造型って感じしましたね。

安福 ぽがいっぱいはえるかんじね。

柳本 なんかこう、田島さんの句っていろんな入り方がある気がするんですよ。視覚から考えたらぽはどうなんだとか、造型から考えたらどうなんだとか。ある意味、どこかで、ラフなかんじでむきあうことをゆるしてくれる句集かもしれないなともおもうんですよね。なんかこの芽Amazonをみたときに、ふっと、そうおもったんです。俳句の全方向化というか。

安福 芽アマゾン(笑)


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