2020年11月25日

言葉と肉体

三島由紀夫が『太陽と鉄』にこんなことを書いている。

 つらつら自分の幼時を思いめぐらすと、私にとっては、言葉の記憶は肉体の記憶よりもはるかに遠くまでさかのぼる。世のつねの人にとっては、肉体が先に訪れ、それから言葉が訪れるのであろうに、私にとっては、まず言葉が訪れて、ずっとあとから、甚だ気の進まぬ様子で、そのときすでに観念的な姿をしていたところの肉体が訪れたが、その肉体は云うまでもなく、すでに言葉にむしばまれていた。
 まず白木の柱があり、それから白蟻が来てこれを蝕む。しかるに私の場合は、まず白蟻がおり、やがて半ば蝕まれた白木の柱が徐々に姿を現わしたのであった。
(『三島由紀夫スポーツ論集』・岩波文庫より)

 川柳も前句付が発祥という歴史に鑑みると、まず言葉がある。言い換えれば、まず白蟻がいる。だから、肉体という現実的感覚を川柳に付与するときにはもう、それは半ば蝕まれている。いや、その「現実的」じたいも言葉によって呼び覚まされたのであれば、最初から言葉に侵食されている。

三島が15歳のときの自分を批評した短編『詩を書く少年』には、「まず言葉が訪れ」たかのような主人公が描かれている。

自分のまだ経験しない事柄ことがらを歌うについて、少年は何のやましさをも感じなかった。彼には芸術とはそういうものだとはじめから確信しているようなところがあった。未経験を少しも嘆かなかった。事実彼のまだ体験しない世界の現実と彼の内的世界との間には、対立も緊張も見られなかったので、いて自分の内的世界の優位を信じる必要もなく、る不条理な確信によって、彼がこの世にいまだに体験していない感情は一つもないと考えることさえできた。なぜかというと、彼の心のような鋭敏な感受性にとっては、この世のあらゆる感情の原形が、ある場合は単に予感としてであっても、とらえられ復習されていて、爾余じよの体験はみなこれらの感情の元素の適当な組合せによって、成立すると考えられたからであった。感情の元素とは? 彼は独断的に定義づけた。「それが言葉なんだ」
(『花ざかりの森・憂国――自選短編集――』・新潮文庫より』)

感情の元素の組合せ=言葉の組合せ次第で、未経験なことであっても経験したかのように成立させられる。少年にとっての言葉は、しち面倒臭い経験=肉体という手続きを踏むことなしに現実を構築できるものだった。しかし、そんな少年も最後、「僕もいつか詩を書かないようになるかもしれない」と変化の兆しをみせ、物語は終わる。

言葉が先に訪れた三島由紀夫自身も、彼の死までの道程を見るに、けっして言葉に安住してはいなかった。いや、三島ほど言葉と肉体の相克を乗り越えようとしなくとも、詩歌の創作者は多かれ少なかれ、「詩を書かないようになる」予感を持ちつづけるものではないだろうか。それなしに惰性で何十年も創作をつづけられる人を、わたしは想像できない。
posted by 飯島章友 at 23:58| Comment(0) | 川柳論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月03日

ホゲ〜と言葉の力

学生の頃、部活の仲間2、3人とくっちゃべっていたときだ。脈絡は定かでないのだが、わたしはこんな問いかけをした。「ジャイアンの歌声って何でホゲ〜なんだろう」と。

人気漫画とはいえ、たとえば『らんま1/2』や『幽☆遊☆白書』のばあい、相手が知っているかどうか探ってからでないと会話ができない。しかし、『ドラえもん』『ルパン三世』『サザエさん』のキャラは誰もが知っているので、雑談にはもってこいだ。

わたしとしては、それほど深い意味もなくホゲ〜を問うてみたのだが、これが意外に盛り上がった。3人が5人に、5人が8人に、8人が13人へと話し手が増えていき、その後も部活内では何日間かホゲ〜の話で盛り上がった。ホゲ〜には人を無関心にさせない何かがある。

人間の歌声を「ホゲ〜」と描き文字にする。ジャイアンリサイタルに大文字で付されたホゲ〜〜を見ていると、音こそ聞こえないものの、ジャイアンの歌声の破壊力、拷問性、独善感が存分に伝わってくる。と同時に、それをうな垂れながら聞いているのび太らの被虐、忍苦、絶望感も痛いほど伝わってくる。

ところが、いざアニメーションのほうでジャイアンの歌声を聞いてみるとどうだろう。マンガ版ほど度外れな破壊力が感じられないのだ。エコーをかけてその破壊力を表現しようとしているものの、特にどうということはない。まあ、視聴者に実害が出たら大問題だし、再現できるわけはない。だがそういう事情を差し引いても、視覚的な擬音が物理的な歌声よりも破壊力があるのは驚きである。

音と言葉。音楽と文学。一見すると音のほうが刺激や印象が強いように思われるけど、あながちそうとは言い切れないのだろう。「言葉の力」を見くびることはできない。

ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む  川合大祐
posted by 飯島章友 at 23:00| Comment(0) | 川柳論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月14日

矢崎藍著『平成つけ句交差点』

『平成つけ句交差点――あなたの77、私の575』 (矢崎藍著/筑摩書房/1996年)

この本は連句人・矢崎藍さんによる「つけ句」の本です。つけ句、つまり前句が五七五なら附句として七七を、前句が七七なら附句として五七五を作るものです。要するに前句附ですね。

各章とも、一つの前句に複数の人がつけた句が掲載されています。例えばこんな感じです。何句か引用させていただきます。

 好きですといわれてみたい夏の宵  孔美子

 彼の化身か蚊がチクリ刺す  柴田美和
 衰え知らぬ湯上がりの肌  上野喜美
 花火が映る君のマジな  平下真紀子
 桃の葉蔭はかげをひとつ蛍が  森みち
 昼間の熱を秘めた川石  上條千史
 オイとチョットで半世紀過ぎ  藤子
 ハタリと変わるデジタル時計  榊原由美

本書は連句の枠内でのつけ句なので、前句とセットでなければよさが分からない句と、川柳のように一句立てで読める句があります。「ハタリと変わるデジタル時計」は上手いと思うのですが、前句が前提された句ですね。

また情緒が連句っぽく感じられる句もあれば、川柳っぽく感じられる句もあるように思います。「昼間の熱を秘めた川石」は、この中でいちばん気に入っている句なのですが、多数派の柳人が作る短句(七七句)とは趣がちがう気がします。

川柳が文芸の一分野として独立するきっかけとなったのは前句附興行です。こうしてつけ句専門の本を読むと、一句立てで鑑賞する「川柳文芸」が成立した理由を実感できるのです。と同時に、短句も十分独立できる句型だと実感できるのであります。
posted by 飯島章友 at 23:40| Comment(0) | 川柳論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月26日

詩集『一行の青春』/山村祐 編

詩集『一行の青春』( 山村祐 編/森林書房/1978年)

『一行の青春』は詩集とエッセイ集とが2冊1函になっている。2冊とも、山村祐を筆頭に250名が結集していた「短詩」誌(昭和41年9月〜昭和45年3月)に関わる内容になっている。エッセイ集のほうは山村祐の短詩論や短詩作品鑑賞、詩集のほうは計43冊発行された「短詩」誌のアンソロジーで72名の作品群が選出されている。

詩集の巻末に載っている山村の「短詩」誌顛末記によると、「短詩」会員の年齢は「一六、七才から二二、三才までが90%を占め、あとは二〇才代後半までを中心に、三〇才代、四〇才代を含めて10%弱、五〇才代は私と妻のほか一、二名だった」というから、既成の短詩型文学とは対照的だ。また会員のほとんどは俳句や川柳の洗礼を受けていなかったとも。そのため、徒手空拳でおのおのが短詩を模索していたようだ。だからだろうか、二年近くして壁に突き当たり書けなくなった実作者が多かったと、山村はエッセイ集のほうで書いている。

また、おなじく詩集の顛末記によると、短詩は「第三の短詩形作品の創造」を目標にしていたという。徳川時代に俳句や川柳という一行の詩が生まれたように、「近代以後の社会から新しく生れでるべき短詩形作品の可能性を考えた」そうだ。

それでは何はともあれ、詩集『一行の青春』より何作品か引いてみよう。

満月少年 スプーンに海をたしている  道上大作
マッチ擦った 睫毛に別の世界がブランコしてた  谷口慎也
エスカレーターからふってきた棺桶  吉田健治
別れる時は雪の上を上手に歩いて下さい  後藤すみ子
紫陽花の重いのは 夢を吸っているからです  桜陽子
あなたが好きと レモンスカッシュに浮いてみる  大沢たえ子
風葬の鳥 秋の果実は地底に熟れた  佐藤龍夫
たとえば 夜は長靴  森原英機
油紋に漂うフランス人形の胎内で澄んでいる祖国  石原明
一卵性双生児は夕日が嫌いトマトが嫌い  本間美千子
「おはようまどか」パパを疑っちゃえオウム  吹田まどか
おばさまのノド鳩が住んでいる 大ッきらい
あじさいの息の根とめて「ママ 花束よ!」


最後の吹田まどかとは故・安藤まどかの当時の筆名。安藤まどか(川柳での筆名は望月こりん)は時実新子のご息女で、「月刊 川柳大学」誌の発行人だった。短詩は現代から生れでるべき詩形ということで口語中心なのだが、吹田の作風は口語体というよりも会話体が全面に出ており、72名の中でも異彩を放っている。

さて、短詩とは何かという問題についてである。「短詩」誌内でも活発に議論がされていたようだし、一般に形式というものは作品をもって(つまり実践によって)示唆されるものだと思うが、短詩の牽引者である山村は自分なりの理論を立てていた。エッセイ集から抽出してみよう。そのひとつは〈一呼吸の詩〉という基準だ。これは、短詩は「呼吸を変えないで読めるということ、つまりいちばん快適な一呼吸の長さ」でよまれるということだ。一呼吸ということからすると、新古今短歌は五七五/七七の二呼吸でよまれる性格だと山村はいっている。そしてもうひとつは〈短詩ゴムマリ論〉。これは「ゴムマリを掌で強く握れば握るほど反撥力の増してゆく」ように「短詩の凝縮化の力が強まるに反比例して、それに反撥する力も強くな」るという理論だ。「ゴムマリを握る力が最高に達してハレツする(伝達性が失われる)直前において、相反する二つのエネルギーは最も微妙なバランスの美しさ、力強さを発現する」のであり、短詩もそのように成立するということだ。例として山村は「咳をしてもひとり」(尾崎放哉)をあげている。

「短詩」誌は長音派と短音派とに分かれたことなどによって休刊となった。もし続いていたらどうなっていただろうとも思うが、「短詩」は必ずしも定型によらない詩形なのだから、遅かれ早かれおのおのの道を歩み出していくことになっただろう。

現在、短詩・一行詩がジャンルとして成り立っているのかといえば、たぶんジャンルといえるほどの規模にはなっていない。そのような状況を見たとき、山村が短詩・一行詩の基準として〈一呼吸の詩〉をもっと前面に出せていたらどうなっていただろうか、と思ったりもする。或る文芸形式がジャンルとして成立し発展するには、参加者に或る基準がおおむね合意され、形式に安定性がもたらされることが必要かと思う。短詩・一行詩はその点で輪郭が見えにくい。誤解のないようにいっておくと、形式の安定=厳密なルールが必要といっているのではない。そうではなく、あらかじめの基準がなければその形式を更新する応用可能性も出てこない、というごく平凡なことをいいたいのである。
posted by 飯島章友 at 07:00| Comment(0) | 川柳論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月13日

山村祐集『肋骨の唄』

山村祐 著『肋骨あばらの唄』
1998年発行
近代文芸社


剝製の鳥のに 世界は閉ざされた
皮膚よかなしめ 神は皮膚持たず
鳥 地を這い にんげん蒼穹へ堕ち
小鳥泳ぐ空 海底の これは一匹の鮟鱇であるか
摺りへった活字が歩いてく 鳥打かぶって
裸身かな 扇にひらくうおの骨
眼の前で巨大になる蟻 美事な顎だ
死ヲ殺セ!吊サレタ男ノ靴ホド重クハナイ
しろい皿はいつも空腹
蝙蝠傘 空を漂う ふぐりを吊し



山村祐は中村冨二、河野春三、松本芳味、墨作二郎らとともに創成期の「現代川柳」を牽引した重要人物だ。わたしが短歌をはじめた当初から愛用している小高賢編著『現代短歌の鑑賞101』(新書館 /1999年)では、新興短歌の前川佐美雄から始まっている。それを川柳にあてはめるなら新興川柳に関わった田中五呂八や川上日車、木村半文銭、渡辺尺蠖などから現代川柳といえそうだ。しかし河野春三は、現代川柳という呼称へ「進歩的な川柳」の意味合いを込めたのは昭和30年以後のことであって、戦後の現代川柳が戦前の新興川柳・革新川柳・自由律川柳運動と直ちにつながるわけではない、という旨を述べている(『現代川柳への理解』/1962年/天馬発行所)。

山村祐は1911(明治44)年生まれ。大学のころから劇作に関心を向け、人形劇の老舗「人形劇団プーク」に入団、国際人形劇連盟日本側常務理事をつとめるまでになった。また同じく大学のころから近・現代詩に興味を持ち、現代詩を創作しはじめるのだが、のちに活躍の場を川柳や一行詩へ移していった。これは「一行で表現が完結される点に牽かれたからである」と、『肋骨の唄」のあとがきで述べている。山村のキャリアについては小池正博著『蕩尽の文芸─川柳と連句』(まろうど社/2009年)所収の「山村祐とその時代」が大変よくまとまっており、お勧めだ。

新編日本全国俳人叢書18『山村祐集 肋骨あばらの歌』に収録された山村の作品をみて気づくのは、一字空けが多用され、大半が自由律の作品だということ。この点では現在の書き手よりも徹底している。これは山村個人の志向が、川柳でも俳句でもない非定型の「短詩」に向かっていたからだと思われる。ただし、昭和30年代の現代川柳じたいにそのような志向性があったようである。河野春三の『現代川柳への理解』には、春三が考える「現代川柳の立場」が列挙された箇所があるのだが、そこには「一、必ずしも5・7・5の一定のリズムでなしに、自分の内部要求に即応した短詩のリズムを見出してゆくこと」と書かれている。

肋は鳥籠 囚われた時間啄ばむ
肋骨あばらかげから別の空の月 見ている
死は 手袋のように垂れている
曇天──巨大な胃袋垂れさがる


『肋骨の唄』というタイトルどおり、同集は肋骨を詠んだ作品がとても多い。また何かが垂れていたり、吊り下がったりしている作品もじつに多い。人形劇に携わっていたことと関係しているのかな、とも思ったが、もしかしたら戦争や敗戦後の情景を作品化した面もあるかも知れない。というのは同集に、「巨大ナガ 死を蝙蝠傘アンブレラノヨウニ開ク」「死ヲ殺セ!吊サレタ男ノ靴ホド重クハナイ」といった片仮名表記の句が散見されること、また「肋骨」と「垂れる」とが骸、檻、血のしたたりを想像させるからである。

さて、川柳でも俳句でも短歌でもない短詩、すなわち一行詩という領域はどのようなものなのか。短詩型文学の総合化ということなのか。もしそうであるなら、格闘技でいえば総合格闘技ということになる。とすれば、山村祐=佐山聡(初代タイガーマスク)ということになるのだろうか。ちなみに佐山聡は、総合格闘技を競技化した格闘家である。一行詩がどのようなものであるのかは今後も考えていきたい。
posted by 飯島章友 at 00:00| Comment(0) | 川柳論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする