2019年02月15日

山村祐「定型律の回帰性」を読んで

『続短詩私論』(山村祐著・森林書房・1963年)は、柳人・山村祐の評論集である。山村の評論には柳俳の差異や川柳の特質、あるいは伝統論など、現在の川柳評論でもつづいている議論がいくつかある。戦後の知識人が立脚していた進歩思想というのは、合理の先に必ずや最終的な答えがあるものと信じ、そこへ向けてひたすら世界を変革するイデオロギーだと思うが、実際の答えというものは、探求しつづけながらも決して到達が叶わない境地なのだろうと、同書を読んであらためて思った。

さて、『続短詩私論』のなかには「定型律の回帰性」という評論が掲載されている。ここで山村祐は、定型の魅力についてこんな分析をしている。

五七五・十七音定型の魅力が生れる要素の一つは、二律背反的な読後の感じにあるのではないか、ということである。頭の中で、あるいは唇にのせて、二音一拍に読む場合、呼吸的には休止符の存在によって偶数的感覚で読むが、発音(声)的には、実際の音数が奇数なので奇数的感覚を残す。この二律背反的な性格が、単純に割切れてしまう場合と異なって、魅力を保つ秘密ではないか。そしてその秘密は、五音七音五音の間にある三コの休止符にすべてがかかっているということなのである。

どういうことなのか、これだけでは分かりにくいと思うので、山村が同論で引用している誹風柳多留の「腰帯を〆ると腰は生きてくる」とともに説明していこう。

こし おび を◯ (実質6音)
1拍 2拍 3拍
 
しめ ると こし は◯ (実質8音)
1拍 2拍 3拍 4拍

いき てく る◯ (実質6音)
1拍 2泊 3拍

同論によると、句を読むときは、1音1拍で読むのではなく、2音を1拍に数えて読むのだそうだ。そして日本語は抑揚がない言語なので、何音かのグループの間に休止が挟まれることで、句にリズム感を呼ぶという(「◯」は1音分=半拍の休止符を意味する)。ちなみに上掲句のばあい、休止符も含めると、3・4・3拍の合計10拍で読むことになる。

これによって「頭の中で、あるいは唇にのせて、二音一拍に読む場合、呼吸的には休止符の存在によって偶数的感覚で読むが、発音(声)的には、実際の音数が奇数なので奇数的感覚を残」す。この二律背反的な性格が、定型の魅力を保つ秘密だという。そして「定型の形式美を完成するものは定型律の回帰性に求め」られ、回帰性のないリズムは五七五・十七音定型律ではないし、その変型でもないという。

ちなみに、山村自身はけっして定型論者ではない。むしろ脱定型論者だ。しかしこの評論では、「私の目的は定型が永い歳月を存在してきた事実と意味に眼を向け、そこから何を引継ぐべきかを考えたい」のだといっている。偶数的な感覚と奇数的な感覚の二律背反。そして回帰性。その構造をきちんと分析して明らかにする山村からは、評論のあり方について示唆されるところが大きい。

ただひとつ、何となく気になることが生まれた。それは、わたしたちは本当に句を2音1拍で読んでいるのか、ということだ。そこでさらに音を厳密に見るため、試みに先の柳多留の句をローマ字で表記してみよう。

こし おび を◯
kosi obiw o◦◯ 

しめ ると こし は◯
sime ruto kosi wa◯

いき てく る◯
ikit ekur u◦◯

小さな丸「◦」は、1音のさらに半分の音ということで見てもらいたい。さて、この句はローマ字で読んだとしても、上五と下五の長さが同じであり、きちんと回帰性を示している。ただし、ローマ字で書くと違いも出てきた。母音の入った上五のobiや下五のikiは音のテンポが速くなり、そのぶん末尾の休止が長くなったようだ。

ではもう一作品、おなじやり方で見てみよう。今度はわたしの好きな現代川柳の作品から。加藤久子の「レタス裂く窓いっぱいの異人船」ではどのようになるだろうか。

れた すさ く◯ 
reta susa ku◯

まど いっ ぱい の◯
mado ippa ino◦◯

いじ んせ ん◯ 
ijin sen◦◯ 

この句の下五では、語頭に母音iと末尾に撥音nがあるため、上五より速いテンポで読むことになりそうだ。特に末尾に「ん」がきたばあい、読みのテンポが速まるケースが多いのではないだろうか。たとえば〈三分が 限界という ウルトラマン〉という文があったとき、この3パート目の「ウルトラマン」は、字余りではあるが5音と見なしたくなる。実際に読んでみると5音強くらいだ(この問題は川柳の句会でも議論になることがある)。いずれにせよ音韻論的なことはからっきし分からないので、相当見当違いなことをしている可能性はある。しかし、とにもかくにも上掲句では、上五が3拍で下五は2拍半になった。だとすると、再びもとへ戻ってくるリズム=回帰性が認められないことになってしまうのだろうか。

尤も、実際口に出して「れたすさく」と「いじんせん」の両方を読んでみると、後者のほうが若干速く読み終わった気はするものの、時間的長さはほとんど変わらない。理屈と実地は違うものだ。それに個人差だってあるだろう。だから、たとえ上五と下五の読みのテンポが微妙に違っていても、回帰性が認められないとまではいえないだろう。山村の分析した定型の回帰性は揺るがないと思う。

と、一見落着したかに思えたものの、また気がかりなことができてしまった。それは、3パートそれぞれの末尾に休止を入れるという読み方で本当にいいのか、ということだ。たとえばわたしは上掲句を、「れたすさく◯まどいっぱいのいじんせん」というふうに、中七からの12音を一気に読み下すほうが心地好い。休止を入れて抑揚をつける必要性を感じないのだ。山村は、5音/12音の短長律はリズムに回帰性がないため、定型感から外れたものであるといっているのだが、定型感とはそういうことなのだろうか。が、そこまで踏み込むと長くなるため、ここまでにしたい。
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2018年07月19日

根岸川柳作品集『考える葦』 A


根岸川柳作品集『考える葦』 @

さて、徐々に作風が変化しはじめた根岸川柳ですが、それはどのような考えに裏付けられていたのか。『考える葦』の序文にそれが示されています。

川柳の有り方、これはどう考えようと自由だが、およそすべての現象は定着を否定していつも前進する、これが本質である。要するに目に見えない速さで、冷酷に前進して行く時代の感覺は、當然何ものにも足踏みすらゆるさず、前へ前へと歩み續けている。これがモノの生きている姿で、進歩の法則である。進歩のないところに生活(いのちも人生も)を考えられないとしたら、川柳だからといつて、この法則から除かれるいわれはない。初代川柳が破門されても、當時の俳諧師仲間から異端者扱いをされても、泰然と時代感覺と密着した路線を、大股で歩き通したことも考えられる。私には彼ほどの才能はないけれど尖鋭な精~は受け繼ぎたい。

作風に変化の兆しが見えはじめた昭和29年は、プロレスリングを観るため街頭テレビに人びとが群がり、映画「ゴジラ」が公開され、若者にヘップバーンスタイルが流行した年。時代はまさに脱戦後へと向かっていました。根岸川柳がもともと備えていた「尖鋭な精神」と、脱戦後への気運が高まっていた「時代感覚」。それらが相まって作風に変化をもたらしたように思います。

昭和20年代から昭和30年代初頭というのは、現代川柳が形成されていった時期です(現代川柳を広義に解釈すればダダイスムの影響が見られる「新興川柳」がそのルーツともいえそうですが、ここでは戦後の革新川柳を「現代川柳」と呼びます)。「現代川柳作家連盟」が発足したのも昭32年5月。ちなみに戦後の現代川柳は、昭和23年に関西で河野春三が「私」を創刊したことと、昭和26年に関東で中村冨二が「鴉」を創刊したことが発端です。

汽車に轢かれるのも 一つの舞踏です  中村冨二『中村冨二句集』(S.35)
魔法使いが生きていた頃の 夕焼よ

十指なき日や棒立ちの鶴といる  河野春三『無限階段』(S.36) 
死蝶 私を降りてゆく 無限階段の 縄 
 

現在の現代川柳派の作品では、五七五の定型に頓着しない川柳が沢山あります。また一字空け、句跨りなんかも罪悪感なく使われている感じで、そのため音節と分節が一致しない川柳も多い。そして言葉の飛躍は、特定の川柳グループにかぎっていえば、もはや爛熟期に入っているくらいかも知れない。これは、春三や冨二に代表される戦後の現代川柳作家の工夫と創意が、いまや当たり前の技術となったからです。根岸川柳のいうように、川柳が「前進」した結果です。

しかし、こういう人もいるでしょう。前進ばかり続けていては、川柳は基準も何もないアナーキーな文芸になってしまう、と。確かにそのとおりです。しかしわたしは、現在の前進した現代川柳が放縦な文芸とはとても思えません。

現在の現代川柳を俯瞰してみれば、定型順守、もしくはそこから大きく外れない準定型の川柳が大半です。また分節を無視している川柳でも、総音数は十七音前後で創られているのが普通です。言葉の飛躍についても、言葉が飛びっぱなしで終わっている川柳は、句会では採られにくいという現状があります。してみるとどうやら、川柳という場でも〈時間〉の経過にともなって、知らず識らずのうちに〈調整機能〉が働いている、ということではないでしょうか。言い換えれば、川柳として心地よいと感じる〈枠〉がメタ的に共有されている、と考えられるのです。だからこそ、短歌にも似た長律を書く作家は「これは自由律の川柳です」と言うでしょうし、定型という目安が苦痛で仕方ない作家は、たとえば「短詩」を名乗るなどして、川柳から離れた場所で創作活動を始めるわけです。

一般的にいって、〈正統〉には必ず〈異端〉が流入してきます。やがて、二つの間にはせめぎ合いが起こる。しかし正統と異端は、〈時間〉の中で調整され、上書きされながら次のステップへと進んでいく。つまり更新されていくわけです。時間には三つの〈器〉があります。すなわち、@先人が確立した知識(川柳でいえばフォルムやレトリックなど)を蓄える〈容器〉、A異物を精錬する〈濾過器〉、Bそれらを伝える〈伝達器〉です。川柳も、これらの器の恩恵にあずかっている。したがって川柳とは、オーガニゼーション(組織)から一律的なルールで縛られた文芸ではなく、オーガニズム(有機体)として生成を繰り返し、前進する文芸だといえます。

わたしは、上記ようなあり方が〈伝統〉だと考えています。つまり伝統とは、前進と調整が表裏一体をなしている。辞書で Tradition を引くと、すぐ近くに Traffic が載っています。冗談めかしていえば、伝統も交通も、人びとがいろいろな可能性を選択し、調整しながら前進していくものでしょう。したがって、もし川柳に〈伝統川柳〉というものがあるのだとしたら、根岸川柳がいうように「前へ前へと歩み續けてい」く姿勢が何ほどかなくてはならない。もしその姿勢がないとしたら、それは伝統というよりむしろ、ひたすら過去のかたちを展示する「保存」であるか、根岸川柳流にいえば「定着」でしかないのですから。


俺の血を見ろ蚤が跳躍する  根岸川柳
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2018年07月10日

根岸川柳作品集『考える葦』 @


根岸川柳作品集『考える葦』
著者  根岸川柳
発行  昭和34年10月23日
発行所 根岸川柳作品集刊行会

今日取り上げる川柳作品集は、十四世根岸川柳の『考える葦』です。根岸川柳は明治21年、東京生まれ。明治20年生まれの川上日車や、明治22年生まれの木村半文銭と同世代ということになります。日車と半文銭は、大正末期から昭和初期にかけて「新興川柳運動」を牽引してきた川柳家です。

川柳を開始したのは大正8年のようです。『考える葦』の序に、大正8年以降昭和23年頃までの作品は僅かしか残っていない云々とあるからです。大正8年。時期的には、明治末期の「新傾向川柳」と大正末期の「新興川柳」の間になります。十四世川柳の柳号を継いだのは昭和23年。もし川柳家として広く知られるようになったのがその時からだとしたら、日車や半文銭と比べ遅咲きといえるでしょう。

『考える葦』は、昭和34年6月までの1000作品が収録されています。まず昭和28年までの作品をいくつか見てみましょう。

お喋りのあとに風鈴だけのこり
驛長のあごに夕日を置いて發ち
男の子どこからとなく砂が落ち


これらは近現代の風景ではあるけれど、古川柳的な情緒を受け継いでいる感じがします。「ずぶぬれになつてしまつてからの虹」という作品もあるのですが、これなんか『誹風柳多留』の「本降りになつて出て行く雨やどり」に付けて読みたくなってしまいます。同書は、前のほうに「初代柄井川柳に捧げる」と書かれたページがあります。当たり前かも知れませんが、川柳の歴史を相当意識していたのだと思います。
上掲で特にわたしが気に入っているのは、最初の「お喋りの〜」という作品。写生の川柳なので、多弁になっていないのがいい。お喋りの音から風鈴の音へ。量も質もまったく違う二つの音を対比させることによって、〈動〉から〈静〉へと移りゆく場景がありありと伝わってきます。映画の技法にも通じそうです。
なお、三作品とも連用止めです。連用止めは、俳諧の平句や前句付の名残りを想わせるほか、完結感がなくなるので嫌う人もいます。しかし好いか悪いかは、連用止めがテクストの中で上手く機能しているかどうかで判断されるべきでは、と現在のわたしは考えています。

本とうに笑い入齒を手で押え
應接に番茶と蠅と俺を置き
つまりそのこういうことになつた酒


これら、おかしみのある作品群もやはり、古川柳からの脈が感じられます。特にお気に入りは最初の「本とうに〜」で、いままでこの主人公が形式的な愛想笑いをしてきたことがうかがい知れます。加えて、人柄までも想像できる。「入齒を手で押え」ることを通じて、身体の生理(自然)と統御(理性)とのせめぎ合いを活写しているのが技術といえるでしょう。

鏡からくさつた俺がついてくる

このあと述べることになりますが、根岸川柳の作風は、昭和29年頃から徐々に表現の可動域が広がっていきます。上掲のようなドイツ表現主義にも通じる心象作品を見ると、オーソドックスな川柳に収まり切らない資質は潜在的に備わっていたように思えます。

次に昭和29年以降の作品を見ていきます。昭和29、30年頃から、五七五の定型に頓着しない一行詩的なリズムも見られるようになってきます。そして年を経るごとにその傾向は強まっていく。また内容面でも発想がより自在になってきます。他律的な定型から徐々に自由になっていくことと、発想が自在になっていくこととが連動し、作風が変化しはじめたのです。

桃の中の虫の恍惚で死のう
ゴリラの聲帶模寫でみそかそば
註D袴で千枚の舌を贈る
茹でたらうまそうな赤ン坊だよ
肉の抒情を運河が流していつた
失禮 ~のむくろにパンツはかせる
聖者がいる、便器眞ッ白
ぐる、ぐる、ぐる、ぐる、目玉だけの一日
スケジユールの先きは月の輪の中のおばさん
ビルを踏ンずける、足を迎える


「失禮 ~の〜」は、深読みしようと思えば幾らでもできるのでしょうが、わたしは書かれてある状況だけを素直に愉しみました。不敬と崇敬、その相反する要素が同居しつつ戯画化されている。「カミサマはヤマダジツコと名乗られた」(江口ちかる)という、わたしの大好きな川柳があるのですが、およそ日本人の想念におわすカミサマというのは、戯画化を許してくれる大らかさがある、と勝手に思っています。
また「聖者が〜」は、好きというよりも気になる作品でした。作品集全体を読んでみると分かるのですが、彼の川柳には実生活に密着した体臭や生活臭をすごく感じる。生きていれば当然、下(しも)のことだって避けては通れない。彼にはそういう作品も散見されます。だからこの作品は、「聖者=眞ッ白い便器」と見立てるばかりではなく、豊かになるにつれ人間の有様や言葉遣いが漂白されていく社会をも何ほどか風刺しているのかも、なんてことを考えました。

(つづく)
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2018年04月30日

【短句】誹諧武玉川の短句と近現代の川柳十四音【十四字詩】A


【短句】誹諧武玉川の短句と近現代の川柳十四音【十四字詩】@


さて、武玉川の次には、近現代の川柳十四音を挙げてみよう。

白粉も無き朝のあひゞき  川上三太郎 
はつかしいほど嬉しいたより  岸本水府
今出た月を捨てる行水  前田雀郎
女のいない酒はさみしき  麻生路郎
水 水 水 と 笑 止 千 万  木村半文銭   
柿を知らないカール・マルクス  川上日車 
おれのひつぎは おれがくぎうつ  河野春三
胸の
 氷河の
  軋む
   交媾
  松本芳味
クラス会にもいつか席順  清水美江
予定の言葉うばうくちづけ  江川和美
カバン叩くと軽い脳味噌  佐藤美文
死ぬまで喋るTELTEL坊主  渡辺隆夫
起立している気絶している  普川素床
カーテンらしくふるまっている  佐藤みさ子
チャーシュー麺は春に似ている  樋口由紀子
君の胎児を恋人にする  小池正博
切り離されて列車気化する  岩田多佳子
うなじ付近で謝罪会見  本間かもせり
月の墓場をだれも知らない  飯島章友
虹の下にも道化師ピエロはいるさ  いなだ豆乃助


こうして明治から平成にかけての表現の変遷を見ると、川柳十七音とほぼ同じ軌跡を辿ってきているのが分かる。まあ、川柳人が書いているから当たり前ではあるが。

ところで、川柳十四音=7・7句を創作したり鑑賞したりしていると、ちょっとしたメリットとデメリットに気づくことがある。しかも、そのメリットとデメリットは、表裏一体の関係にあるようだ。通常の5・7・5形式と比較して説明しよう。

通常の5・7・5の形式は、三つのパートから成るので、中七で意味に〈捩れ〉ができることが多い。

 かんざしもさか手に持てばおそろしい  (柳多留二篇)
 いもうとは水になるため化粧する  石部明


両句とも、「かんざし→おそろしい」「いもうと→化粧する」と下五で着地するわけだが、中七でそれぞれ「さか手に持てば」「水になるため」という〈条件〉〈理由〉が組み込まれている。そのため、下五へ一直線に着地する単調さを回避し、意味に捩れを生んでいる気がするのだ。

ところが、7・7の形式のばあい、二つのパートしかないのだから、中間で〈捩れ〉ができない。試みに、柳多留のかんざしの句を7・7に仮構してみよう。

 おそろしいのは逆手かんざし

これだと「おそろしい→逆手かんざし」と一直線に意味が結ばれるので、捩れが生まれない。このため、川柳十四音を群作にすると、読者に一本調子な印象を与えてしまうデメリットがあると思うのだ。しかも、川柳十四音の定型は、「◯◯◯◯◯◯◯・◯◯◯◯◯◯◯」と音も等量である。いってみれば、上七と下七で、意味と韻律とがきれいに対応する構造をもっている。この円環構造が単調さを招く。もちろん5・7・5形式にも、

 色気だだ漏れのみたらし団子だな  飯島章友

のように句跨りによって、「色気だだ漏れ→みたらし団子」と一直線に意味がつながるケースもある。だが、7・7形式のばあいは、句跨りや一字空けを用いた変則的なパターンは出てきていないし、7音+7音以外のパターンは、むしろ「自由律」の印象を与えてしまいそうだ。

 天秤の恐しさにだまり  井上信子
 ありがとうと言う骨のかたち  畑美樹


上掲句は、ともに十四音になっているが、このばあい川柳の自由律といった方がしっくりくる。7・7形式の変則という印象は受けない(もっとも、7・7句がマイナーな形式だからそう思えるだけかも知れないが)。

ひるがえって、ここまで説明してきた川柳十四音=7・7のデメリットは、メリットでもあると思う。だからこそ、この形式が廃れずに残ってきたのではないか。先に述べた捩れのなさというデメリットは、裏を返せば〈小気味好さ〉につながる。春三の〈おれのひつぎは おれがくぎうつ〉の潔さは、7・7形式ならではかも知れない。また、飛躍した発想やコトバで勝負することが多い現代川柳では、〈条件〉や〈理由〉といったアリバイを書かないほうが衝撃力を増す。由紀子の〈チャーシュー麺は春に似ている〉や、正博の〈君の胎児を恋人にする〉といった句は、その好例だと思っている。

なお、平成30(2018)年4月20日に発行された「川柳サイド Spiral Wave」第3号では、川合大祐と飯島章友が川柳十四音の作品も掲載している。また、十四字詩専門の雑詠欄をもつ川柳雑誌「風」に興味がある方は、代表の佐藤美文にご連絡を。「風」はホームページを持っていないが、美文は「大宮川柳会」の代表でもあるので、「風」と事務局が同じである。大宮川柳会のリンクを貼っておく。

大宮川柳会
http://www.nissenkyou.or.jp/map/09saitama/omiya.html


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2018年04月28日

【短句】誹諧武玉川の短句と近現代の川柳十四音【十四字詩】@


【誹諧武玉川の短句】

津浪の町の揃ふ命日  (初篇)
陰間の声の二筋にたつ  (二編)
闇のとぎれるうどん屋の前  (同)
恋しい時ハ猫を抱上だきあげ  (同)
酒買時さけかふときに灯のうつる川  (同)
洗ッた馬のかハく松かぜ  (三篇)
うつくし過て入れにくい傘  (五篇) 
むすめの箱へ戻る夕ぐれ  (同)
白い所ハ葱のふと股  (六篇)
屋ねから落た人と酒もり  (七篇)
蛇の惚れたる娘見にゆく  (同)
蓮にふたりハ狭いやくそく  (九篇)
鶴の死ぬのを亀が見てゐる  (十篇)
鞠の上手の女顔也  (同)
握られた手を抱て来る尼  (十一篇)
化した狐土手に手まくら  (同)
干シたら何ぞ云そふな夜着  (十二篇)
娘ひとりで世界うごかす  (十三篇)
めかけひそかに臍の緒を干ス  (十五篇)
除夜元日ハ年の唇  (十六篇)


※ふりがなは投稿者が適宜付けた 

『誹諧武玉川』(はいかいむたまがわ)初篇〜十八篇の中より、わたしの好きな二十句を挙げてみた。善いことを書こうとしていないぶん、現在の所謂「伝統川柳」よりも面白い(伝統川柳と便宜的に呼ばれているスタイルは、じつは近代になって再構築された書き方で、詩性川柳、私性川柳、時事川柳と歴史的長さはさほど変わらない)。

 真じ目に成るが人の衰へ (武玉川・三篇)

川柳十七音形式の発端が『誹風柳多留』(初篇1765年)とされているのに対し、川柳十四音形式の発端は『誹諧武玉川』(初篇1750年)とされている。武玉川の編者は、慶紀逸(けい・きいつ)という俳諧の判者で、武玉川は俳諧の高点附句集である(ただし十六篇からは二世紀逸の編)。つまり、俳諧での前句を省略して附句だけを収録したわけである。その構成は、のちに『誹風柳多留』の手本になったといわれている。とはいえ武玉川は、附句一句を独立した文芸形式にしようと企図したわけではない、という見方がある。

 『武玉川』はこういう市井の作者の手に成った連句の中から、紀逸の以ってよしとした附句の一句を抜いて集としたものであって、後の『柳多留』の如く、前句附の附句の単句独立を図ったものではない。
『川柳探求』(前田雀郎著/有光書房)

俳諧には長句(575)と短句(77)があるため、武玉川でも長句と短句が入り混じって収録されている。川柳の十四音形式の発端とみなされているが、けっして短句集というわけではないから注意が必要。ちなみに川柳人の清水美江(しみず・びこう)が、武玉川初篇での長句と短句の割合を調べてみたところ、短句が67%だったそうだ(『川柳学』2008冬・春号所収の「十四字詩の現況」/佐藤美文)

武玉川は俳諧の附句集なので十四音形式は川柳とはまた違う、という意見はあると思う。川柳の発端は柳多留であり、その柳多留は前句(お題)を省略した前句附の附句集である、という筋道でいけばそうなる。ただ、@前句附は俳諧の一部であり、両者は血縁関係にあるということと、A近代になって十四音形式(武玉川調)を取り込み創作してきたのは川柳界であり、それが取り立てて他分野から異を唱えられたことがないのを考えると、十四音形式は、川柳のもう一つの定型と「みなす」べきだと思う。あまり事の発端に重点を置きすぎると、現状が見失われてしまう。たとえば言葉の語源に重点を置きすぎると、日々暗黙的に更新されつづけている〈今ここ〉の言葉遣いなど、途端に正当性と正統性を失ってしまう。それと同じだ。

現在、川柳の十四音形式は、短句、七七、十四字、武玉川調など、さまざまな呼ばれ方をしている。十四音形式の専用雑詠欄を設けている川柳雑誌「風」では、「十四字詩」という名称を採用している。

わたしの感覚では、〈川柳十四音〉もしくは単に〈十四音〉と呼んだほうがしっくりくる。それというのも、十四〈字〉よりは十四〈音〉というのが実状だからである。その一方で、かりに川柳とは別の文芸として十四音を広めるとしたら、「短句」という名称が良いと思う。短歌、俳句、連句がそうであるように、三音の名称が定着しやすいと考えるからだ。ただし、短句という名称を前面に出したばあい、連句における短句との関係が紛らわしくなるし、連句人がどのように思うかも考慮しなければならないだろう。

なお、『誹諧武玉川』をこれから読まれる方にお勧めする本は、朝日選書337『「武玉川」を楽しむ』(神田忙人著/朝日新聞社)だ。同書は、武玉川収録の12253句から著者が1000句を選び出し、現代人にも分かるよう簡単な評釈が付けられているため、とても読みやすい。また武玉川を全部読みたい方には、岩波文庫の『誹諧武玉川』1〜4(山澤英雄校訂/岩波書店)がいいだろう。初篇から十八篇まで読むことができるほか、同書4巻には総句索引が付いているため、大変便利である。

posted by 飯島章友 at 22:05| Comment(3) | 川柳論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする