2018年10月24日

グレコローマンスタイルについて


グレコローマンスタイルビターチョコレート  笹田かなえ

先日、この句を一般的な読みで鑑賞しました。

川柳カモミール2 ➂

でも私的には、グレコローマンスタイルという言葉から〈レスリング読み〉してしまったのを白状します。それも1908年シカゴのデクスターパーク・パビリオンで行われたフランク・ゴッチvsジョージ・ハッケンシュミットの世紀の一戦を想起しました。コアなプロレスファンならまず知らない人はいない試合です。

そもそも「グレコローマン」という言葉は、ギリシャ・ローマからの流れを汲む由緒正しいもの、というイメージを付加する言葉だと思います。典型的なのが「グレコローマンスタイル」のレスリング。現在では、グレコローマンといえばレスリングの枕詞ですよね。グレコローマンスタイル・レスリングは19世紀中葉、イメージ戦略として命名されたようです。実際には、ギリシャ・ローマ時代に行われていたレスリングとはルールも技術体系も違っていました。

グレコローマンスタイルの命名者は、イタリア人レスラーのバルトレッティ、ルールの原型を考案したのは、フランスの軍人だったエクスブライヤだと一般にはいわれており、当初はフレンチレスリングと呼ばれていました。19世紀後半、レスリングの統一ルールとしてたちまち欧州全般に広まり、米国でも人気のスタイルとなりました。なお、このころアマチュアはまだ組織化が進んでいなかったため、どちらかというとプロレスリングのルールとしてグレコは人気を博したようです(プロレスリングというのは団体・興行形態・国・時代によってあり方が違うもので、ゆえに定義が難しいジャンルなのですが、このころのプロレスはおおよそ職業レスラーによるコンテスト=競技でした)。

現在、アマチュアレスリングの国際大会で採用されているスタイルには、フリースタイルとグレコローマンスタイルがあります(女子は今のところフリースタイルのみ)。フリースタイルは、上半身も下半身も攻撃していいレスリング。もともとはキャッチ・アズ・キャッチ・キャンという名称のスタイルで、関節技や絞め技の技術体系もあるスタイルでした(アマチュアでは関節と絞めは全面的に禁止、プロでも個別の試合の取り決めで禁止される場合があった模様。ちなみに有名なビリーライレージム、通称「蛇の穴」は、ランカシャーレスリングのジムでした)。英国のランカシャーで盛んに行われていたスタイルで、ランカシャーレスリングとかランカシャースタイルなどとも呼ばれています。プロでもアマでもキャッチ・アズ・キャッチ・キャンという競技名で統一されていましたが、五輪では1948年ロンドン五輪から「フリースタイル」と正式に名称変更されました。いっぽうグレコローマンスタイルは、ウエストから下、つまり下半身を攻撃することが許されないレスリングです。これは、グレコのルールが考案された19世紀は、まだ騎士道的な美風が残っていたため、下半身を攻めることが卑怯で汚らわしい行為と見なされたからだといわれています。

ちなみに、このころは各スポーツが次つぎと近代化されていった時期で、ボクシングも現在のルールの原型である「クインズベリールール」が設けられました。それは、素手での殴り合いを禁止してグローブ着用を義務づけ、1ラウンド3分、休憩1分、10カウントKO、それまでは認められていたレスリング技の禁止、という競技性の高いルールでした。素手からグローブの戦いに変わったことで、ボクシングは、構え方をはじめとする技術体系が大きく変わっていくことになります。

レスリングに話を戻せば、グレコは上半身のみが攻撃対象なため、ブリッジを利した反り投げのような大技も飛び交います。それはフリースタイル以上に力強さが感じられ、ときに芸術性すら感じさせるのです。


(1972年ミュンヘン五輪のグレコの試合で、ウィルフレッド・ディートリッヒが200キロ近いクリス・テイラーを投げた有名なシーン。なおディートリッヒは後にA猪木と、テイラーはJ鶴田とプロのリングで対戦しています)

グレコローマンスタイル(出身)の有名な選手としては、1880年代の米国王者で後にニューヨーク州アスレチックコミッション初代会長にもなったウィリアム・マルドゥーン、ロシアのライオン≠ニして20世紀初頭の欧州で無敵を誇ったジョージ・ハッケンシュミット、映画「街の野獣」にも出演したポーランドの大黒柱<Xタニスラウス・ズビスコ、ジャーマンスープレックスで一世を風靡し日本のグラップリングに多大な影響を及ぼした神様<Jール・ゴッチ、シュトゥットガルトでアントニオ猪木を破った地獄の墓堀人<香[ランド・ボック、全日本プロレスの完全無欠のエースだったジャンボ鶴田、メジャー大会で24回優勝し霊長類最強の男≠ニいわれたアレクサンダー・カレリンなどがいます。

さて、先の笹田かなえさんの句に話を戻しますが、わたしはどうしても〈レスリング読み〉してしまうんですね。具体的にいうと、欧州のグレコローマンスタイルで無敵だったジョージ・ハッケンシュミット(以下ハック)と、米国のキャッチアズキャッチキャン・スタイル(フリースタイル)で実力NO.1だったフランク・ゴッチが戦った、1908年4月3日のキャッチ・アズ・キャッチ・キャンルールによる世界選手権試合を思い出してしまうのです。

グレコローマンスタイルが中心だった欧州のレスリングは、力と力、技と技のクリーンな試合が主流でしたが、米国のキャッチスタイルは、ダーティな技を仕掛けてもレフェリーが黙認してしまう荒っぽい試合が主流でした。欧州と米国のトップが対戦するということで、マスコミ報道も過熱した二人の試合。結果からいうと、2時間3分でハックが試合を放棄してしまい、ゴッチの勝利となりました。

ハックがなぜ試合放棄したのかはいろいろ説があります。試合中にゴッチから反則の頭突きを受けて流血したにもかかわらずレフェリーが黙認したこと、ゴッチの体にオイルが塗り込まれていたらしいこと、ハックが組もうとするとゴッチが打撃を繰り出してレスリングにならなかったこと、そもそもこの試合に対するハックのモチベーションが低かったこと、などなど。いずれにせよ、欧州グレコローマンスタイル出身のハックが、米国キャッチスタイルのダーティな試合に馴染めなかったのは確かだと思われます。

「グレコローマンスタイルビターチョコレート」をレスリング読みすると、この「ビター=苦い」は、欧州グレコローマンスタイル出身であるジョージ・ハッケンシュミットの試合放棄。それを想起しないわけにはいかないのです。

Georg_Hackenschmidt.jpg
(ジョージ・ハッケンシュミット)

2018年10月12日

創作軌跡

ぷらむ短歌会発行の「ぷらむ短歌集4」が今月発行されます。売り物というよりも会員のためのアンソロジーです。私は途中から参加しはじめたので、「ぷらむ短歌集1」(2003年)のときには間に合わず、「ぷらむ短歌集2」(2007年)から参加しています。

ぷらむは、わたしにとって実家みたいな歌会。もともと月1の趣味として参加しだしたため、いまでもその延長で気負わない歌を出しています。

過去の短歌集から自作を三首引用してみます。

「ぷらむ短歌集2」(2007年)
雪道を帰る少女の長グツの赤が粒子になるまでみていた
星ぼしはオセロのように入れ替わるエゾオオカミの消えた世紀に
くちびるをしめった傷におし当ててつんとひとつの枝先となる


「ぷらむ短歌集3」(2010年)
休日の川辺を照らす夕づく日独り身われの影ながながし
柵ありて立ち入れずある湧水口わが去るを見て子らが柵越ゆ
ふるふるとおぼろどうふは皿にあり匙でえぐればめざめゆく自我


2007年は「かばんの会」に入会する前。作風もザ・短歌≠チて感じがあまりないですね。一方2010年は、かばんに入った翌年。すでに終刊となった短歌商業誌の新人賞をいただいた頃で、3年前と趣きがちがっています。

短歌集2では、東直子さんが鑑賞をされています。わたしの宝物です。一首目についてはこんな鑑賞をしていただきました。

この歌のポイントは、なんといっても「粒子」だろう。一般的な表現だと「点」になるところを、肉眼では捉えることのできない「粒子」と表現することで、少女への圧倒的な思い入れがうかがえる。又、雪の中の「赤い粒子」は心象風景としてもたいへん美しい。

作品集はじぶんの創作軌跡を振り返ることができる。短歌・川柳・俳句をとわず、みなさんもぜひ記念作品集を作ってみてください。じぶんのデータとして、アルバムとして、きっと重宝すると思いますよ。

2018年04月17日

サスペンス読み

短詩の句歌会では「お題」というものがありますよね。ある題にしたがって皆が作品をつくり、ゲームとして優劣を競うわけです。


でも、句歌会だけじゃない。「読み」にもお題ってあると思うんです。こういう方向性でこの作品を読みなさい、とあらかじめ決めておく読み方です。これは、作者の意向と違ってしまうことが多いので、句歌会という公の場では遠慮したほうが良いでしょうね。ただ、一人もしくは仲間内だけの限られた空間でやると面白いんです。


かく言うわたしは「サスペンス読み」というのを独りでよくやっては楽しんでいます。短詩って限られた情報量しかないから、読み方に「サスペンス」というお題があると、まったく印象が変わってしまうのです。それが面白い。


例を挙げますね。

サスペンス読みとしての推し歌≠ヘ次の作品です。


いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり  浅井和代


どうでしょう、サスペンス読みにぴったりじゃないですか?

この歌は俵万智著『あなたと読む恋の歌百首』(朝日新聞社)に収録されているように、本来はミステリーと無関係な内容だと思うのです。でも、読み方しだいで読み手にサスペンスをおぼえさせる。


もう一例。この作品はミステリーの冒頭としてぴったりじゃありませんか? 佐藤弓生著『モーヴ色のあめふる』書肆侃侃房)からです。


縊死、墜死、溺死、轢死を語りたり夕餉の皿に取り分くるごと  佐藤弓生



2018年01月06日

渥美清の俳句

昨年(平成29年)の年末に『風天フーテン 渥美清のうた』(森英介/大空出版)を読んだ。渥美清と俳句とのかかわりについて取材した一冊だ。渥美清が俳句をしていたことは知っていたが、彼の俳句作品については何も知らなかったので興味深く読んだ。諸事情で実現はしなかったものの、渥美清が種田山頭火を演じる話もあったそうだ。寅さんと山頭火。通じ合うところがありそうだ。

書名にもあるように、渥美清の俳号は風天。無論、フーテンの寅に由来する。彼は「話の特集句会」「トリの会」「アエラ句会」「たまご句会」など、愛好家中心の句会に参加していた。週刊誌「アエラ」の編集部に外部の人間も加えた「アエラ句会」では、定刻の三十分前に来て静かにじっとしていたという。また大船撮影所から間隙を縫ってタクシーを飛ばして来て、終わったらまたタクシーで撮影所へ戻っていったこともある。寡黙であり、みんなが飲酒しながらガヤガヤやっている部屋の隣で、ひとり壁に向かい想を練っていたとも。

風天が入選句を読みあげると、どんな駄句も名句に聞えたという。役者でも、朗読やナレーションが不得手なひとはいっぱいいるものだけど、渥美はテキ屋を手伝っていたこともあるし、「男はつらいよ」での口上・啖呵を想えば披講で座を魅了したことは容易に想像できる。

 わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です
 帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎
 人呼んでフーテンの寅と発します

 四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い
 四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶ノ水
 粋な姐ちゃん立ちションベン

同書には、俳人の石寒太による「風天俳句全解説」も掲載されている。なので、俳句の門外漢であるわたしにも大変分かりやすかった。

つぎの十句はわたしが気に入った風天の作品。句が作られた年と月、それと句会名も記しておく。

コスモスひょろりふたおやもういない  S48.8 話の特集句会
好きだからつよくぶつけた雪合戦  S48.11
いま暗殺されて鍋だけくつくつ  S50.6
ひばり突き刺さるように麦のなか  〃
そば食らう歯のないひとや夜の駅  H4.11 アエラ句会
花びらの出て又入るや鯉の口  H5.3
乱歩読む窓のガラスに蝸牛  H6.6
お遍路が一列に行く虹の中  〃
だーれもいない虫籠のなかの胡瓜  H6.9 たまご句会
髪洗うわきの下や月明り  H8.3

二句目の「好きだから〜」は、何かドラマのワンシーンを想わせる。実際わたしは、小学校を舞台にした田村正和主演の「うちの子にかぎって2」第9話で、まさにこのようなシーンがあったのを憶えている。主人公の少年がクラスメイトと雪合戦をしていたとき、彼がひそかに慕う少女へ雪玉を強くぶつけるシーンがあったのだ。
六句目の「花びらの〜」は、風天作品すべての中でもっとも描写力、あるいは写生力に優れた句だと思う。詠まれている状景はまったく違うが、「湧きいづる泉の水の盛りあがりくづるとすれやなほ盛りあがる」(窪田空穂『泉のほとり』)に劣らない眼の力を感じさせる。
七句目の「乱歩読む〜」は、力の抜き方が上手いなと思う。句会で採られるために意気込むと、乱歩という言葉からついつい耽美的な方向やおどろおどろしい方向へ展開してしまう危険もあるのだけど、この句では窓ガラスの「蝸牛」へさらりと視点を移している。風天作品の中でわたしがいちばん好きな句だ。
八句目「お遍路が〜」は、風天の代表句。2000年2月、『カラー版新日本大歳時記』(全五巻)の春の巻に掲載された。
十句目の「髪洗う〜」は、江戸時代の情緒とも通じるものがあるなと思った。たとえば、江戸時代の高点附句集『誹諧武玉川』の四篇には、「洗髪あらいがみ)/rp>脇の下から人をよび」という句がある。ただし、この風天句が作られたのは、彼が最後の入退院を繰り返していた時期だという。それを知ると単なる情緒では終わらない。

「男はつらいよ」シリーズは、わたしが生まれる前から公開され、主に中高年が楽しみにしていたシリーズというイメージもあって、自分にはあまり関係のない映画なのかな、と感じていた。でも、年を重ねるごとにわたしも頭が柔軟になり、面白い作品なら古い・新しいに関わりなく観るようになった。寅さんの映画も折にふれ観かえしている。渥美清=風天の俳句を読んだ今、次に「男はつらいよ」を観るときは、きっと新しい楽しみ方ができる気がする。

2017年12月31日

ルーツ・オブ・ロックンロール

今年はチャック・ベリー、ファッツ・ドミノというロックンロール創成期のスターが死去した。

20代前半の頃はルーツ・オブ・ロックンロール、ルーツ・オブ・ロカビリーについて、アメリカの時代背景とあわせて探っていたのだが、今年は二人のロックスターの死もあって、むかし読んだロック関連本を読み直してみた。ちなみに、『ロカビリービート』(鈴木カツ)、『ロックン・ロールの時代(ロックの歴史) 』(萩原健太)、『ビートルズの時代(ロックの歴史) 』(大鷹俊一)の三冊。ネット動画なんてなかった90年代、これらの本で紹介されているミュージシャンのCDやVHSをタワーレコードやHMVで買いまくったものだ。

最初のロックンロールは何か、という議論があって、ファッツ・ドミノの The Fat Man(1950)、ジャッキー・ブレンストン&ヒズ・デルタ・キャッツの Rocket 88(1951)、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの Rock Around the Clock (1954)が挙げられることが多い。でも文化というのは、どんな分野でもそうだと思うけれど、定義しきれるものではない。わたしは研究家でも批評家でもないから難しいことは分からないけど、1945年にはもう激しいブギウギサウンドがいっぱい出てきていたと思うし、1950年になると、あとはロックスターの出現を待つだけ、というくらいR&Bが進化していたと思う。

でも、エルヴィス・プレスリーやジェリー・リー・ルイスが生まれた1935年、すでにロックンロールのルーツと呼べそうなサウンドを出していた人がいる。ココモ・アーノルドというブルースマンだ。彼の The Twelves(1935)というナンバーを聴くとじつにロックンロールしているし、あたかもサン・レコードのロカビリーを聴いているようでもある。 これでリードギター・リズムギター・ベース・ドラムの構成をとればロックンロールになるんじゃね? とわたしは思ってきたのだった。

それではみなさん良い年をお迎えください!