2019年06月04日

図書館や大型書店

図書館や大型書店を巡っていると、川柳のコーナーにあるべき書物が俳句のコーナーにあることがけっこうあります。

図書館でいちばん多いのは、時実新子著『有夫恋』が俳句の場所に配架されているケース。いままでに何回か、ガー! ガー! とヒステリックに……いえいえ、故児玉清さんのような紳士的な口調で「これは川柳の句集ですから、置く場所を正していただけると幸甚です、アタックチャンス!」と、図書館司書さんに申したことがあります。

また先日、某大型書店に、八上桐子著『hibi』が二冊置かれていてとても嬉しくなりました。が、喜びもつかのま、なんと『hibi』までが俳句のコーナーに置かれてあったのです。まあ、図書館のときと同様、児玉清口調で事情を説明したところ、きちんと川柳のコーナーに置いていただけるようになりました。

短詩型文学に興味がある人でもない限り、句集と言えば俳句句集をイメージするのでしょうかね。図書館司書や書店員ですらそうだとすれば、世間一般はさらに句集=俳句という認識なのではないでしょうか。でも実際、これまで川柳人はあまり句集を出版してこなかったわけですから、仕方ないことですよね。

いずれにせよ、短詩型文芸としての川柳は、まだまだ世間に知られていないということだと思います。尤もそのおかげでわたしは、マグロの美味さを外国人に知られてしまう前の日本人のように、川柳をじっくり味わえているわけですが。


2019年04月30日

平成の終わり

 果たして、この度の「令和」の典拠に出てくる「梅」とは、「厳しい寒さが残る早春に、桜に先駆けて凛と咲く花」との意味ですが、まさに私たちは、グローバリズム(ネオリベラリズム)という厳しい「冬」に覆われていた平成時代を乗り越えて、再び「梅花」を咲かせることができるのか。自然な「我が國ぶりの道」を見出すことができるのか。



浜崎洋介さんは、わたしが今もっとも注目している文芸批評家です。
日本人が、自分とは何者か? を考えるときに繰り返し参照されてきた万葉集。

平成がもうすぐ終わります。
平成とは、わたしにとってまさに、急進的なグローバル化のために自分が何者であるかを問い続けなければならない時代でした。
自他のあいだに橋を架けることと、自他のあいだを埋め立ててしまうこととでは、大きな違いがあります。

令和元年は、わたしにとっては仕切り直しです。

令和はいい時代になります。

2019年04月10日

万葉集における言葉派

先日は、万葉集の笑いとして戯笑歌・嗤笑歌について書きました.

万葉集におけるマイク合戦

しかし万葉集には、それとは質の違う笑いも掲載されています。
おなじ巻16には「無心所著むしんしょぢゃく歌」(心のく所無き歌)二首が載っています。「心」とは、現在でも謎かけ芸人が「その心は?」というように、意味・内容ということですから、無心所著歌とは意味を成さない歌というところでしょうか。

あるとき、天武天皇の第三皇子の舎人親王が側に仕えている者に、由の有って無い歌をつくる者がいたら褒美を与える、と言われました。難しいお題です。ところが、すぐに二首つくった人がいました。安倍朝臣子祖父こおじです。子祖父の歌は親王に認められ、みごと褒美をもらったそうです。

そのとき子祖父がつくった二首は以下のとおり。男女のカップルの体裁をとっていて、先の歌が男から女へ、後の歌が女から男へ書かれています。

  我妹子わぎもこが額にふる双六のことひの牛の鞍の上のかさ(3838)
  
  わが背子が犢鼻たふさぎにする円石つぶれいしの吉野の山に氷魚ひをぞ下がれる(3839)

・我妹子→男性が、妻や恋人などを親しんでいう語。
・瘡→はれもの。できもの。
・背子→男性を親しんでいう語。多くは、女性が夫や恋人などを親しんでいう。
・犢鼻→今で言うふんどしのようなもの。
・氷魚→鮎の幼魚。琵琶湖産、宇治川産が有名。

男女が互いにからかい合う図式になっています。直訳すると先の歌は、彼女の額に生えている双六盤の強く大きな牡牛の鞍の上のできもの。後の歌は、彼がふんどしにしている丸石の吉野の山中に鮎の幼魚がぶら下がっている。まあ、おおよそこんなところでしょうか。

何か、言葉派の川柳を想わせる二首です。意味が取れそうなのに全体としては意味を取り切れない。由が有って無い歌としての基準を満たしています。子祖父が川柳を書いたらさぞ面白い句を書くでしょうね。

ところで言葉派といえば……川柳の世界には「意味のない句」を目指す方がまれにいらっしゃいます。でも、わたし思うのです。意味のない句というものを言語的動物である人間が作れるのでしょうか。(将来は分かりませんが)いまの段階でのわたしは、それは厳しいんではないかと思います。

簡単に言うと、意味というものは、どうしたって発生してしまうからです。じつは上掲の二首も、親しい男女(夫婦?)が互いの局部を詠んでいる、という解釈があるのです。あくまでも局部を示唆している、という程度かも知れませんが、それでも意味に違いはありません。意味が生じてしまっている。

そもそも何もないところにすら意味を見出すのが鍛えられた鑑賞者です。詩歌でも音楽でも演劇でも、そこでどんなに空白や無音や間が使われたとしても、鍛えられた鑑賞者ならそこに意味付けをする。これは経験上、分かる方も多いと思います。

それに上掲二首で使われた言葉の間には、意味的な対応もあるのです。二首はそれぞれ反対概念で構成されています。「我妹子」「わが背子」という男・女、「額」「犢鼻」という上部・下部、「双六」「円石」という四角・円、「牡の牛」「氷魚」という大・小/強・弱、「鞍の上」「下がれる」という上方・下方。即詠だけに意味上の対応が働いたのでしょうか。それとも先行する歌に言葉を当てはめ直したのでしょうか。いずれにせよこのような対応は、子祖父が言葉の意味をしっかり理解した上で二首をつくった痕跡です。そうであれば、単語レベルでなく一首全体としても意味は生じてくるでしょう。

と、いろいろ書きましたが上掲二首は、けっして明快な意味はなさない。由の有って無い歌というお題に見事適っています。万葉の頃から言葉派がいたのですから、それは何も特殊な書き方ではなく、詩歌一般にあって然るべきなのでしょう。そんなことを考えました。

2019年04月09日

万葉集におけるマイク合戦

新元号が令和に決まりましたね。その由来になったということで、いま『万葉集』が脚光を浴びています。わたしの住まい周辺の書店や図書館では、新元号が発表されてすぐに万葉集のコーナーが出来ていました。

万葉集といえば……先日、歌人集団かばんの会では、「笑える歌」で競う歌会が開かれました。わたしは詠草を提出する前に、笑いと短歌の関係について歴史を遡って調べてみました。すると、やはり『万葉集』にいきついたわけです。最古の和歌集ですものね。巻16の戯笑歌・嗤笑歌が笑いや滑稽に関わっています。次の歌は、平群朝臣(へぐりのあそみ)という人が、穂積朝臣(ほづみのあそみ)という人をおちょくっている歌です。
 
  わらはども草はな刈りそ八穂蓼やほたでを穂積の朝臣あそが腋草を刈れ(3842)

・「な〜そ」→〜するな
・「八穂蓼を」→多くの穂のついた蓼を刈って積む意から、人名「穂積」にかかる枕詞。
・「腋草」→腋毛。腋毛を草に見立てた語。一説に、「草」に「臭」の意をかけて「腋臭」のことともいう。

子供たちよ、草なんか刈らないでいいから、ぼうぼうと生えた穂積朝臣の臭い腋毛を刈っちまえ。これくらいの意味でしょうか。穂積朝臣は腋臭なんでしょうね。こういうディスり方は、現代の一部のお笑いやラップミュージック、ネット書き込みにも通じるかも知れませんね。

さて、こんなことを言われては穂積朝臣も黙っていません。こう返します。
 
  いづくにぞ真朱掘る岡薦畳こもだたみ平群の朝臣が鼻の上を掘れ(3843)

・「真朱」→まそほ。顔料にする赤い土。赤い色。
・「薦畳」→マコモで編んだ畳。枕詞としては、いく重にも重ねて編む意から、「重 (へ) 」と同音を持つ地名「平群 」の「へ」にかかる。

何処にあるんだろうか真朱を掘る丘は? 平群朝臣の赤い鼻の上を掘れ。まあ、こんな意味なのでしょう。じぶんの腋臭をディスられた仕返しをしているのですね。赤土はどこだ・・・(あ、そうだ!)平群朝臣の鼻は赤いからそこを掘ろう! って。

どちらも相手の身体的なハンディをおちょくっているのですから、二人の間に信頼関係がないとできない書き方です。わたしたちが公に発表する短歌の参考にはならない。でも、くだけた中にも機知がある二人の応酬を見ていると、現代の種々の興行で見られる「マイク合戦」に似た娯楽性を感じます。そう、嗤笑歌もマイク合戦も、表現者同士の信頼関係によって、また表現者と観客の信頼関係によって娯楽となり、笑いや滑稽への道筋がうまれるのです。

2018年10月24日

グレコローマンスタイルについて


グレコローマンスタイルビターチョコレート  笹田かなえ

先日、この句を一般的な読みで鑑賞しました。

川柳カモミール2 ➂

でも私的には、グレコローマンスタイルという言葉から〈レスリング読み〉してしまったのを白状します。それも1908年シカゴのデクスターパーク・パビリオンで行われたフランク・ゴッチvsジョージ・ハッケンシュミットの世紀の一戦を想起しました。コアなプロレスファンならまず知らない人はいない試合です。

そもそも「グレコローマン」という言葉は、ギリシャ・ローマからの流れを汲む由緒正しいもの、というイメージを付加する言葉だと思います。典型的なのが「グレコローマンスタイル」のレスリング。現在では、グレコローマンといえばレスリングの枕詞ですよね。グレコローマンスタイル・レスリングは19世紀中葉、イメージ戦略として命名されたようです。実際には、ギリシャ・ローマ時代に行われていたレスリングとはルールも技術体系も違っていました。

グレコローマンスタイルの命名者は、イタリア人レスラーのバルトレッティ、ルールの原型を考案したのは、フランスの軍人だったエクスブライヤだと一般にはいわれており、当初はフレンチレスリングと呼ばれていました。19世紀後半、レスリングの統一ルールとしてたちまち欧州全般に広まり、米国でも人気のスタイルとなりました。なお、このころアマチュアはまだ組織化が進んでいなかったため、どちらかというとプロレスリングのルールとしてグレコは人気を博したようです(プロレスリングというのは団体・興行形態・国・時代によってあり方が違うもので、ゆえに定義が難しいジャンルなのですが、このころのプロレスはおおよそ職業レスラーによるコンテスト=競技でした)。

現在、アマチュアレスリングの国際大会で採用されているスタイルには、フリースタイルとグレコローマンスタイルがあります(女子は今のところフリースタイルのみ)。フリースタイルは、上半身も下半身も攻撃していいレスリング。もともとはキャッチ・アズ・キャッチ・キャンという名称のスタイルで、関節技や絞め技の技術体系もあるスタイルでした(アマチュアでは関節と絞めは全面的に禁止、プロでも個別の試合の取り決めで禁止される場合があった模様。ちなみに有名なビリーライレージム、通称「蛇の穴」は、ランカシャーレスリングのジムでした)。英国のランカシャーで盛んに行われていたスタイルで、ランカシャーレスリングとかランカシャースタイルなどとも呼ばれています。プロでもアマでもキャッチ・アズ・キャッチ・キャンという競技名で統一されていましたが、五輪では1948年ロンドン五輪から「フリースタイル」と正式に名称変更されました。いっぽうグレコローマンスタイルは、ウエストから下、つまり下半身を攻撃することが許されないレスリングです。これは、グレコのルールが考案された19世紀は、まだ騎士道的な美風が残っていたため、下半身を攻めることが卑怯で汚らわしい行為と見なされたからだといわれています。

ちなみに、このころは各スポーツが次つぎと近代化されていった時期で、ボクシングも現在のルールの原型である「クインズベリールール」が設けられました。それは、素手での殴り合いを禁止してグローブ着用を義務づけ、1ラウンド3分、休憩1分、10カウントKO、それまでは認められていたレスリング技の禁止、という競技性の高いルールでした。素手からグローブの戦いに変わったことで、ボクシングは、構え方をはじめとする技術体系が大きく変わっていくことになります。

レスリングに話を戻せば、グレコは上半身のみが攻撃対象なため、ブリッジを利した反り投げのような大技も飛び交います。それはフリースタイル以上に力強さが感じられ、ときに芸術性すら感じさせるのです。


(1972年ミュンヘン五輪のグレコの試合で、ウィルフレッド・ディートリッヒが200キロ近いクリス・テイラーを投げた有名なシーン。なおディートリッヒは後にA猪木と、テイラーはJ鶴田とプロのリングで対戦しています)

グレコローマンスタイル(出身)の有名な選手としては、1880年代の米国王者で後にニューヨーク州アスレチックコミッション初代会長にもなったウィリアム・マルドゥーン、ロシアのライオン≠ニして20世紀初頭の欧州で無敵を誇ったジョージ・ハッケンシュミット、映画「街の野獣」にも出演したポーランドの大黒柱<Xタニスラウス・ズビスコ、ジャーマンスープレックスで一世を風靡し日本のグラップリングに多大な影響を及ぼした神様<Jール・ゴッチ、シュトゥットガルトでアントニオ猪木を破った地獄の墓堀人<香[ランド・ボック、全日本プロレスの完全無欠のエースだったジャンボ鶴田、メジャー大会で24回優勝し霊長類最強の男≠ニいわれたアレクサンダー・カレリンなどがいます。

さて、先の笹田かなえさんの句に話を戻しますが、わたしはどうしても〈レスリング読み〉してしまうんですね。具体的にいうと、欧州のグレコローマンスタイルで無敵だったジョージ・ハッケンシュミット(以下ハック)と、米国のキャッチアズキャッチキャン・スタイル(フリースタイル)で実力NO.1だったフランク・ゴッチが戦った、1908年4月3日のキャッチ・アズ・キャッチ・キャンルールによる世界選手権試合を思い出してしまうのです。

グレコローマンスタイルが中心だった欧州のレスリングは、力と力、技と技のクリーンな試合が主流でしたが、米国のキャッチスタイルは、ダーティな技を仕掛けてもレフェリーが黙認してしまう荒っぽい試合が主流でした。欧州と米国のトップが対戦するということで、マスコミ報道も過熱した二人の試合。結果からいうと、2時間3分でハックが試合を放棄してしまい、ゴッチの勝利となりました。

ハックがなぜ試合放棄したのかはいろいろ説があります。試合中にゴッチから反則の頭突きを受けて流血したにもかかわらずレフェリーが黙認したこと、ゴッチの体にオイルが塗り込まれていたらしいこと、ハックが組もうとするとゴッチが打撃を繰り出してレスリングにならなかったこと、そもそもこの試合に対するハックのモチベーションが低かったこと、などなど。いずれにせよ、欧州グレコローマンスタイル出身のハックが、米国キャッチスタイルのダーティな試合に馴染めなかったのは確かだと思われます。

「グレコローマンスタイルビターチョコレート」をレスリング読みすると、この「ビター=苦い」は、欧州グレコローマンスタイル出身であるジョージ・ハッケンシュミットの試合放棄。それを想起しないわけにはいかないのです。

Georg_Hackenschmidt.jpg
(ジョージ・ハッケンシュミット)